彼は人でもないが、アンドロイドですらない



 さらに、大翔がうめきながらその場に倒れ込む。その姿にノイズが走り、姿がぼやける。

 既に敵のスパルトイは残っていないのが幸いだったが、もはやのっぴきならない状況であることは誰の目にも明らかだった。

 慶が言う。


「おいおい、まるで映像データがバグったみたいになってるぞ。大丈夫、じゃないんだろうな」


 大翔はうめきながら、平屋を無言で、震える指で指した。


 平屋から少し離れた場所で戦っていた葵と大翔とは違い、莉雄、慶、枝折は平屋の玄関付近に居たはずである。そこに寝かされていた刹那のことで揉めたままだったからだ。


 見れば、平屋の玄関の戸は開いている。その扉から見える内部、白空間の中にある五脚のソファー。その中心に位置していたはずの正八面体の淡い橙色の石が、この世界の要であるはずの『仮想世界作成』スパルトイが

 その様子に莉雄が言う。


「いつの間にか無くなってる! これ、まずいんじゃない!?」

「そりゃ源口の様子見りゃどう考えてもヤバい! 空の様子からしてもヤバい!!」


 答えるように慶が言い、平屋に近づこうとする。

 枝折が言う。


「誰かが私たちが目を離している隙に盗ったってこと? でも、どのスパルトイも平屋には近づいてないはず……」


 が、直前で何かに気付いて、慶は足を止める。


「なあ……この平屋、誰か入って行ったのを見たか?」


 誰も答えない、誰も知らないことで、慶の脳裏に一体のスパルトイが思い浮かぶ。首元に感じたあの冷ややかな感覚は今も覚えて居る。


 慶は少し離れた場所に居る葵へ呼びかける。


「おい、糸織! 源口は姿を消せるスパルトイを倒してたか!?」

「え? あたしに聞かれても……んー、分からないけど……居なかったかもしれない」

「俺たちはこの扉の前に居たんだぞ。にもかかわらず、誰もここを通ったことに気付かなかった。こいつは……平屋に戻って良いのか分からねぇ……」


 もし、姿を消せるスパルトイが、平屋の中、あの白い空間の中で姿を消していた場合、白い空間に入るのは危険だ。だが、姿を消したままあの白い空間から出ていっていたなら、今どこに居るのか、早く探す必要がある。

 慶は考える。なにか方法は無いか。


 そんな慶の思考を知ってか知らずか、莉雄が刹那を玄関先に座らせながら言う。


「姿を消すスパルトイの不意打ちが怖いなら、ボクが行く。ボクなら対応できる。それに無敵になるわけじゃないなら、ボクが一人で行けば対処できる」

「対処できるって……」


 それは、襲われても治癒能力で自身を癒すことで対処するということか、と聞くより先に、莉雄は慶の隣を通り抜け、一人で白い空間に戻る。


 白い空間はもはやそこら中にひびが入り、色も黒ずみ始めている。


 莉雄は、平屋の玄関の戸を閉める。そして、一歩踏み込む。

 莉雄が踏みだした足元から、黒い煙が濛々と立ち上り、白い空間に満ちていく。

 莉雄は、自身を“酸性の黒煙を振りまく能力”へと修正し、自身の肌を焼きながら能力を使用する。本来は、自身の能力で自身を傷つけないように設計されているスパルトイだからこそできる技能である。莉雄の体はあくまで有機物の物に戻っているため、この手の能力は諸刃の剣になる。つまり、早く相手を見つける必要がある。


 が、難なく、黒い煙の中に異様に煙が避けて通る場所がある。まるで、そこだけ透明な何かが居るような。黒い煙の中で人の形に煙が満ちない場所がある。

 その透明な人型が莉雄の隣を走り抜け、平屋の玄関の戸に飛び込むように戸をぶち破って外に出る。

 酸性の霧で苦しみ、体表が溶けて煙を上げているその透明人間は、平屋から出た途端、黒い人型の、スパルトイの姿に戻る。

 その際に、そのスパルトイが抱えていた正八面体の淡い橙色の石が地面に転がる。


「くそっ、なんだ。なんなんだお前! まるで……M1-a-Z2maの毒霧みたいな……あいつは死んでたじゃないか! まさか、コピー能力か!?」


 莉雄も平屋から出て、自身の体を治癒しながら答える。


「そうだよ。、そういう風に使。それが今のボクの能力。キミの能力を理解すれば、ボクも姿を消せる」


 透明化能力を持つスパルトイはたじろいだが、すぐに玄関先の、まだ意識がはっきりしていない刹那に目を付け、彼にナイフを突きつけて言う。


「寄るな! 寄るんじゃない! わ、私は死ぬわけにいかない。だって……まだ殺したりない!! まだ、全然! 血を浴び足りてない!!」


 枝折がスパルトイに一歩踏み込む。


「駄目ね。屑だわ。殺すしかない」


 それに対して、スパルトイが悲鳴に似た声で言う。


「やめろ! こいつが、どうなっても良いのか!」

「知らないって不運ね……やってみればいいんじゃないかしら? もしあなたのナイフが誰かを傷つけても、言世くんが傷を癒すでしょうし、その後どうするつもりなのか……ちゃんとプランはあるんでしょ? 暗殺者なら」


 莉雄が枝折の前に出て、腕で制止する。そのことに驚いた枝折を他所に、莉雄はスパルトイに言う。


「お願いです。スパルトイであろうと、ボクは殺したくない。投降を」


 その場の莉雄を除く全員が、彼の発言を疑い、そしてスパルトイならば殺すべきだと思った。だが、彼にとっては、スパルトイも人間も大差がないということは、既に全員に知れ渡っている。


 それを踏まえて、枝折が言う。


「いいえ、そうであっても……それでも私は、こいつは殺さないと、後で面倒なことになるわ」

「いや、それならその都度、何度だって無力化すればいい」

「だから、その都度繰り返すって言ってるの! 更生なんてするわけがない。だって……」


 枝折は莉雄の顔を見て言うのを止めた。

 莉雄は、本気でこのスパルトイにチャンスを与えようとしている。それができる能力を持っているからでもあるのだろうが、それにしても……

 枝折は、莉雄の判断に従うことを示すため、それ以上は何も言わずに一歩下がった。

 莉雄は小さく礼を述べた。


 それを見ていたスパルトイが喉の奥で笑い始め、ついには声を上げて笑いながら言う。


「馬鹿じゃないか? ああ、すごく甘いよ。甘くて美味しいねぇ! だから、君の友人が死ぬけどねぇ!」


 スパルトイの持つナイフが刹那の喉元へ迫る。

 だが、それより早く、莉雄が二人の間に割って入る。莉雄が指を金属化させ、ナイフを握り込む。

 そして、スパルトイの頭部をその奥にあるであろう目を、見る。覗き込む。彼を視た。

 スパルトイは小さく悲鳴を上げ、ナイフを手放し、姿を消していく。

 慶がその光景に叫ぶように言う。


「おい逃げたぞ!」


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