記憶確認

 莉雄は、目の前で葵と慶と刹那の会話をただ聞き流すだけになっていた。


「おお、糸織、文芸同好会の冊子、買ってやってくれ」

「糸織さん! 冊子! うちの同好会の冊子! 買って! 買って!!」

「うわっ、神薙先輩、いつからそこに!?」


 慶の一言で沈んでいた刹那が飛び起き、冊子を一部手に取る。突如出てきた刹那に葵は驚いてたじろぐ。


「詰まんない冊子だけど買ってやってくれ」

「詰まんない……」


 慶の一言に刹那は再度机の向こうに沈んでいく。


「ああっ! 先輩がすごい勢いで沈んで! 慶、あんたね、言っていいことと悪いことが有るでしょ!?」

「わーお、奥さん、聞きました? 葵ちゃんのエグイ追撃……莉雄?」


 奥さん……そういえば、あの言世 ヒカリを名乗った少女の事、昨日のことを思い出さなければ完全に忘れていた事柄だったはず。


「おい? 聞こえてるか? 大丈夫か?」


 慶は莉雄の視線の前に手を振って聞く。


「あ、うん。考え事……」


 莉雄は、あのブロンドの髪をした、人間離れしたレベルで顔が整っていた少女を思い出しながら、慶と葵に聞く。


「ねぇ……ボクの、奥さんって名乗った子、覚えてる?」


 なんだそれは、と慶が軽くからかおうとしたが、莉雄の真剣な、少し思いつめた表情を見てからかうことを慶は踏みとどまった。

 慶と葵はお互いに視線を交わし、互いに思い当たることが無いと言わんばかりに莉雄に向き直って首を振る。


 慶が莉雄に聞く。


「それは、何だ? 何が聞きたいんだ? マジな話、なのか?」


 ここで「奥さんってどういうことだ、莉雄!」と言ってこないことが、慶も真面目に質問について考えてくれた結果なのだと、莉雄は思った。つまり、真面目に、彼らは覚えていない……いや、偽りの昨日の記憶を現実だと思っているんではないか、と莉雄は思った。


「昨日の事……きっと、今ボクだけが別の昨日を覚えてるんじゃないかと思うんだ。あ、あっ、悪いものとか食べたわけじゃないよ!? そうじゃなくて……その……」


 莉雄は自分が何を言ってるのか分からず、少し気恥ずかしく感じた。

 葵は莉雄のその様子を見て、嘘を言ってるわけではないのだろうな、と感じた。ともあれ、葵は莉雄に“昨日のこと”を聞いてみる。


「それじゃあ、昨日、何があったって、言世くんは思ってるの?」

「その……黒い、人型のロボットみたいなのが来て……ボクらにも特別な力が有って、それで……ボクと糸織さんが黒い人型と直接戦って、慶が後ろで作戦を考えてくれて、神薙先輩がとどめを刺してくれてた……覚えてない?」


 慶は話の途中で可哀想な物を見るような目で莉雄を見始めていた。


「いや、高校二年で中二病は……うん、背に合わせて高二病が来るのも遅いのか?」

「あ、うん……そう、だよね……そう思うよね」


 莉雄はその反応を予測していただけに、落ち込みも一入だった。


 刹那も自身の名前が出されたのを聞いて、三人を気にかけ始める。


「でも、本当なんだ……見て……」


 莉雄は、そっと左手を前に出す。そして、左手の人差し指だけに意識を込める。硬く、重くなるイメージで……

 莉雄の左手人差し指は金属質の光沢を放ち、鉄に変わる。

 慶は恐る恐るその鉄製の指に触れ、目の前の出来事が事実であることを確認する。思わず叫びそうになるのを、莉雄は咄嗟に彼の口を塞いで止める。


「静かにして。これが普通じゃないのはボクも知ってる」


 慶が自身の口を覆う莉雄の手を退けながら静かに頷く。


 刹那もその光景を認識し、そっと会話に加わるべく近寄る。


「さっき、僕の名前も出てきてたけど……それと関係がある、で良いのかな?」


 莉雄は刹那の言葉に頷いた。

 葵が驚きながら聞く。


「待って、どういう、その、つまり、あたしも慶も、体を鉄みたいなのに変えれるってこと?」

「そうじゃないよ。えーっと、どういう能力なのかは、知らないんだけど、糸織さんは傷を負わないような、自分だけ守れるバリアみたいな能力で……神薙先輩の能力は解らない。見られなかったし……」


 一瞬、期待に満ちた慶と目が合う。


「それで、こういう能力がある人のことを“ギフテッド”って言うみたいで……」

「待て、今、目合っただろ?」

「それでなんだけど……」

「いやいやいや、俺は!? 俺はどうなの!? なんで俺だけノーコメント?」

「いやその、慶は……能力が無いらしい」


 固まる慶。

 莉雄は咄嗟に言葉を口にする。


「い、いやでも、ボクの能力も、糸織さんのおじさんのと同じ能力みたいな感じだし」

「父さん? うちの? 言世くん、うちの父さんと会ったことあったっけ?」


 糸織いとおり しげる、葵の父は、昨日スパルトイに襲われて死んでいる……莉雄は言葉に詰まった。

 葵が続ける。


「だって、父さん無くなってもう二年になるし……」

「え? いや、昨日……」

「昨日!? 昨日なわけがないでしょ。体育祭に父さんが来たら恥ずかしいこととか言いながらすごくうるさく……して……」


 葵の表情がどんどん曇り、そしてぼろぼろと涙がこぼれ始める。褐色の頬を伝って大粒の涙が零れる。


 その光景に、莉雄は頭が真っ白になった。


「ああ……なんで、“昨日、になる”なら……もっと優しく……しておけば……」


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