夢のように


 スパルトイが床に勢いよく倒される。スパルトイが起き上がる気配はない。


「た、倒したか!? やったぞ! 勝てた!」


 慶が喜びを顕わにする。

 莉雄は自分の左腕をまじまじと見ながら、その金属に変わった腕をゆっくりと、自身の皮膚に戻しながら言う。


「でも、杞憂だったみたい。鉄やアルミ以外特に金属を知らなかったのかも……ああ、でも、普通は知らないよね」


 莉雄の言葉に慶が付け加える。


「そうか? よく、ゲームとか聞くだろ。チタン合金って。鉄より軽くて硬く、熱にも強い」

「やっぱりマイナーだよ。……なんか、なんとなくバカっぽい気がする勝ち方だったなぁ」

「馬鹿っぽくないだろ! チタン合金! カッコいいじゃねぇか!」

「はは、そういうことじゃないって……」


 莉雄は、自分の攻撃が当たった段階で気が抜け、その場に立ち尽くし、スパルトイが立ち上がる気配がないことを知るやいなや、その場に勢いよく座り込んでしまう。

 葵は踵を返して繁の傍へ行く。繁の体は既に冷たくなっている。その表情は莉雄からは見ることが出来なかった。


 慶が葵の事を見ていないこともあり、莉雄の傍まで寄って言う。


「良かったな! 勝ったんだよ! 生き残れた!」

「あ、う、うん」

「なんだなんだ、もっと喜べよ。すげぇ! ファンタジーかSFじゃねぇか! いいなぁ、能力! 俺もあったら殴る役やりたかった!」


 慶は莉雄の背中を叩いて喜んでいる。

 が、直後、莉雄には、宙に浮かぶ金属の塊が目に入る。スパルトイが使っていた、あの金属の槍が生成される。莉雄は咄嗟に慶を突き飛ばした。


 しかし、槍が放たれることは無かった。

 金属を叩き壊すような音が響き、宙に浮かんだ槍は床に落ちる。見れば、床に転がるスパルトイの頭部をモップの柄で叩き割る刹那が居る。何度も何度も、必要以上にその頭部を叩き割る。中から何かピンク色の液体がこぼれても殴り続け、何かぶよぶよしたものがはみ出て、初めて刹那は殴ることを止めた。


「頭部が完全に壊れるまでは動くだろうな、と思ったけど。機械ならさ……」


 飛び散ったピンク色の液体が返り血のように刹那の顔を汚している。その光景に莉雄は心なしか恐怖を感じた。


 慶が言う。


「お、おお、そうだったな。でも、もう……流石に動かないだろ」


 刹那は慶の言葉を半ば無視するように言う。


「それより、あの……ヒカリさんだっけ? 言世くんは、彼女について何も知らないの? 彼女、この黒いのが来たときから居なくなってる」

「え? あ、マジで? ……ほんとだ。居ないな、莉雄の奥さん」


 刹那は半ば睨みつけるように、警戒した視線を莉雄に向ける。


「……ごめん。本当に知らないんだ。なんで彼女が、ボクと同じ苗字を名乗ってるのかも分からない」


 莉雄は嘘偽りなく答えた。

 刹那はじっと見た後、視線をそらして言う。


「そう。いや、とにかく……そうだ。糸織さんのお父さんを……」


 と、ここで慶はようやく繁のことを思い出したようで、散々に喜んでいたことを気まずそうにした。

 莉雄はまだふらつく足で立ち上がり、葵の様子を見に行く。


「糸織さん? 大丈夫?」


 葵は鼻をすする音と、体操服の袖で目を擦りながら、けれど莉雄の方を向かずに言う。


「大丈夫じゃない、かな……こんなことなら、父さんと、もう少し仲良くしておくんだった」


 莉雄は言葉が出てこなかった。


 葵が言う。


「こんな時、どこにいるんだろうね、大翔……大翔、今、近くに居て欲しいのに」


 莉雄はその様子を少し離れたところから見守っている。

 そう、遠巻きに見れる位置に居たはずなのだ。もし、葵の傍に誰かが居れば、あるいは来るならすぐにわかる位置に。だが、莉雄には分からなかった。


「大丈夫だよ、葵。ごめんな。俺、今戻った。今は葵の傍に居るよ」


 既にそこに、大翔が居た。葵の傍に、既に居たかのように、唐突に。


 莉雄がその光景に驚く間もなく、葵が眠るように、仰向けに倒れ込む。それを大翔が優しく抱き留める。葵の両目は赤くなっている。はた目には眠っているように見える。大翔は葵を静かに床に寝かせる。


 その光景に慶も刹那も気づいた。


「あ!? なんで、お前、いつからそこに居たんだ!」

「よお、小鳥遊。悪いな、体育委員の仕事サボっちまって」


 その会話の直後、慶が倒れた音に莉雄は振り返る。振り返れば、既に倒れた慶の近くに大翔が居る。

 刹那が言う。


「君は……君もギフテッドだな。だが……“なんで二人を寝かせた”んだ。君は、味方か? それとも、なんだ?」


 大翔は、刹那へ憎しみの籠った、敵意を隠さない視線を送る。だが、すぐにため息と共に刹那に言う。


「今は、味方だと思ってくれていい。どっちにしても、お前も寝とけ」


 刹那がその言葉を聞いて駆けだそうとするが、足から力が抜けるように倒れ、そのまま刹那は意識を失い倒れる。

 大翔が莉雄に向き直る。


「さて、莉雄……悪いが……“まだ眠っておいて”くれ。頼むよ」


 莉雄は意識が吸い込まれるように消えていくのを感じる。

 大翔の言葉だけが、消えていく意識の中に残る。


「そして、今回のことは“忘れておいて”くれ」


 莉雄は、自分を見下ろす、大翔の悲しそうな、それでいて怒りのようなものを感じる表情を見ながら、自身の意識を手放した。




 電子音が鳴る。一定の間隔で。甲高い音だ。音の感覚が早くなる。温かく、柔らかく、肌触りが良いお気に入りの布団の中で、手探りで音の発生源を叩くと、その音は止んだ。

 莉雄の布団の中から飼い猫のエリドゥが這い出し、喉を鳴らしながら莉雄の腕の隙間に頭を通してくる。心地よい眠気と柔らかな寝起きの微睡みの中、再度目覚まし時計のアラームが鳴り、莉雄はなんとか体を起こす。飼い猫は不機嫌そうに莉雄から離れたが、主人の居なくなった布団の中に再度潜り込んでいった。


 学園祭の初日、体育祭は何事もなく終わった。親友である源口 大翔に体育委員の仕事を押し付けられたが、一組の体育委員、小鳥遊 慶と共に仕事を進めるのは苦ではなかった。倉庫の中で見つけた、真面目そうな外見のくせに体育祭をサボっていた三年生、神薙 刹那とも特に問題なく共に体育委員の仕事はできた。途中、ラインパウダーを積んだ猫車、所謂手押し車が壊れてラインパウダーをバラまいてしまった不運はあったが、トラブルはそれぐらいだった。あと、大翔を探して、大翔の恋人の葵も現れたが、葵も共に体育員の仕事を手伝ってくれたこともあり、仕事量は多くなかったのも幸いだった。

 その後は下校前に平謝りする大翔と合流し、帰り道に駅前のアイスクリーム屋でアイスを奢ってもらい、大翔と別れて家路についた。

 運動が苦手な生徒にとって、体育祭は特に何んとも思わないイベントの一つでもあるので、暇になるかと思いきや、慶や刹那、葵と共に話し込んだり友好を深められたりしたのは良かったことだと、莉雄は思った。

 今日は学園祭の二日目。文化祭である。文化部の発表を、学校から少し離れた公民館のホールを借りて鑑賞する。売店や喫茶店などは、学園祭三日目、学校に戻って行うため、今日も今日とて暇である。


 そうだ。いつもと同じ、退屈な日々だ。

 莉雄はいつもの通学路から逸れて、公民館を目指して自宅を出る。玄関先の自転車の鍵を外して、自転車に跨って、いつものように家を出て……。



 ふと、莉雄は何か違和感を覚えた。


 左腕の、一部。そこが妙に冷たい。夏服の制服がゆえに、そこの皮膚はすぐに目に入る。

 莉雄は思わず自転車を止めて自分の皮膚を見る。銀色に、太陽の光を反射している。触れれば冷たく、銀色の肌には触られた感覚が無い。莉雄は、この皮膚が何で出来ているかを“思い出した”。


 そして、背筋に寒さを感じた。夏の陽射しの中、蝉がけたたましく鳴く中、親友の、あの悲しげでいて怒りを秘めたような……あの憐れむような表情が脳裏をよぎった。



 蝉の鳴き声がとてもうるさく、陽射しが肌に刺さる。

 昨日は、いつものような平穏な日常では無かったことを……親友が、大翔が何かをして、忘れさせていたことを、莉雄は“思い出した”。


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