鐘の音


 突き飛ばされた慶を倉庫から出てきた刹那が手を貸して起こすも、事態を理解できない全員が、繁の警告に従えずにその場から動けない。


 ふっと、莉雄は空に黒い染みのようなものが広がっているのを見た。


 空に黒い切り込みが入り、そこから人が、いや、人の姿に酷似したそれが、全員の目の前に降りてくる。

 黒い人型の、されど人にしてはあまりに細すぎる、禍々しくもあるそれは遥か上空から降りてきても傷一つなく立ち上がる。

 フルフェイスのヘルメットに似た頭部に、薄くのっぺりとした胴体、細すぎる腕と脚をしており、まるで漆黒の骸骨のようにも感じられ、この人型が人間ではないことを示唆している。


 その人型は言葉を発する。

 口が見えない頭部から、くぐもっても明瞭でもない、どこか生気の感じられない、にわかに少女のような声が、少し訛った言葉を紡ぐ。


「見つけたわ」


 そう言って、それは葵を指さした。


 直後、地面を蹴ってそれは葵へ駆け寄る。先ほど慶を貫こうした金属のような物体によく似た物が、その人型の手の中に鈍器のような形状で存在している。


 だが、それが振り下ろされるより早く、繁が葵との間に割って入り、腕で振り下ろされた金属塊を受け止める。金属同士がぶつかり合う音があたりに響く。


「娘に手を出させるわけにはいかない。俺の目が黒いうちはな!」


 拳を振り抜いて襲いかかる人型を振りほどいた繁の腕は、黒く金属質な何かに覆われていた。


 今、目の前で起きていることは、事実か、夢か現か……


 繁はその人型の反撃をかいくぐり、重い金属による打撃音と共に殴り飛ばして言う。


「いいから、早く逃げろ! こいつらは人を殺すことを第一目標にしている、殺戮兵器だ!」


 殴り飛ばされた黒い人型は、すぐに空中で態勢を整えて何事も無げに立つが、その頭部は明らかに窪んで変形していた。

 黒い人型は、近くにあった、ラインパウダーを積んでいた猫車に足をかけて言う。


「素材は、鉄」


 猫車が突如形を変え、金属の塊になりながら宙に浮く。ラインパウダーの入った段ボールが地面に落ちて辺りに白い粉をばらまく。


「お、あっとったわ。よしよし。……んで、おっさんはうちの邪魔をするんやな?」


 関西弁で喋り始めた黒い人型の周りに、猫車であったはずの金属は浮遊し、無数に分裂しながら、その形状を鏃のような形状に変えていく。

 人型が振り上げた手に集い、流れを作るように金属の鏃たちが群れを成していく。


「なんぞ殺したらあかん、言われてた奴が居た気がするけど……別にええよな? 殺した後に思い出しても一緒やろ。せやから……」


 軽く振り下ろされたその指先の先を辿るように、無数の鏃が放たれる。


「全員殺せば何も問題ない!」


 指先は葵に向いていたが、繁が割込み、その鏃を弾きながら黒い人型へ迫る。

 その様子に驚いた人型の前で地面を抉るほど深く踏み込み、空を切る音だけを残して放たれた右の拳は黒い人型の頭部へ迫る。

 重苦しい金属同士の衝撃音が響く。


 だが、次の瞬間、引きちぎれて弾き飛ばされたのは、黒い人型の頭部ではなく、繁の右腕であった。繁の右腕が金属音を立てながら、黒い人型の傍の地面に落ちる。辺りを赤く染めながら。


「素材は、鉄……惜しかったな、おっさん」


 目や耳、口から血を拭きだし、繁は右腕を抑えながら膝をつき、その光景に葵が悲鳴を上げた。

 黒い人型はあざ笑うように言う。


「人間である限り、うちに一人で勝てるわけないやん? “スパルトイ”に一人で勝てると思っとったんか? “ギフテッド”なら気づいて良さそうやのになぁ。はぁ、せやけど、ビビったわ。確かに火力はあるようやな。思い上がるんも理解できるわ」


 黒い人型はそう言って、窪んだ自身の頭部をさすりながら繁の傍を通り過ぎる。


 だが、その左足を繁は左手でつかんで引き留める。

 それに対し、黒い人型はわざとらしくため息をついた後、右足で何度も蹴りつけ踏みつけながら言う。


「だからさあ! うちの能力は『金属操作』なんやって。解る? 人間の人体に金属が使われとる限り、うちには、人間である限り、勝たれへんのやって!」


 力なく放した繁を見下ろし、黒い人型は何かに気付く。


「あ? そうか。おっさん、体を金属に変える能力だったりする? ……はは、うちと相性最悪やな。ご愁傷さん。死にたくないなら、じっとしとけや。全員の後にしたるで。先に、この周りのから殺さなな……」


 黒い人型が莉雄と葵に向き直り、切り落とされた繁の右腕を拾い上げる。


 今、自分の命に危機が迫っている。それは解る。理解している。だが、頭は酷く冷えて思考が出来ず、目の前に散らばる血が、足を縫い留める。自分の息の音だけが響き、喉が渇いて堪らない。それを認識しながらも、莉雄はその場から動けずに居た。


「素材は鉄……じゃないか。アルミ? ニッケルとか……ハズレか。ん、まあええわ」


 拾い上げた右腕を投げ捨て、黒い人型が二人に迫ろうかというかというタイミングで、黒い人型の背後から繁が覆いかぶさるように黒い人型を地面に組み伏せる。

 そして、渾身の力で彼は叫ぶように言う。


「行け! まず生きて、生き延びるために逃げろ!」


 莉雄はようやく自分の足が動くことに気付いた。まだ涙目で固まっている葵の手を引いて、とにかく自分が、自分たちが生き残ることを目的に走り出した。


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