第5話 パーティードール②

 パーティーはホテルの大ホールを貸し切って執り行われた。

 招待客には会社の重役たちや取引先、関係の深い株主やその子女たちも集められ、総勢百名を超える規模だった。

 ステージには二つの会社ロゴが描かれた旗が掲げられ、白看板には"業務提携記念祝賀会"と銘打たれており、大スクリーンには今回の業務提携に至るまでの経緯などがダイジェスト映像として映し出されている。


 十子が用意したドレスに身を包み、髪型もそれに合わせ、予定していたアップスタイルではなく、巻き髪をサイドに寄せて流すスタイルに変更したレディは、陰鬱な気分を誤魔化すかのように笑顔を張り付け、十子の少し後ろをついて歩くようにしていた。

 十子も不慣れなレディを気遣い、一緒に名前の書かれた席札を探した。

 二人はちょうど隣の席だったので、レディは安堵と不安の両方を抱きながら十子と談笑しつつパーティーの進行を眺めていた。

 しばらくすると、食べ物なども運ばれ、祝いのシャンパンも配られたが、レディは未成年なので遠慮して、ジンジャエールで近くの人と乾杯した。

 十子の元には、スーツを着た男性からマダムまでたくさんの人が、次々と挨拶に訪れた。レディはその度遠慮がちに挨拶をして、名刺を渡されるときは、自分が渡せない失礼を詫びながら受け取った。


「奥様この度はどうも」

「あらどうも佐々木の奥様」

 顎と首の境目がなくなっているふくよかなその女性は、これまで挨拶に来た中で最も親しげな微笑みを浮かべて十子に挨拶をした。

 レディは聞きなれた名前に訝しげな表情を作る。佐々木って、あの佐々木だろうか。

 年齢からするとちょうど佐々木の母親くらいに見えるその女性の顔を見たが、いまいちわからなかった。

 特段似ているような感じはしない。同姓の全く関係ない人かもしれないと思っていると、レディの疑問を打ち払う発言を女性の方からしてくれた。

「斗真さんにはうちの愚息が大変お世話になっております。友達なんだか付き人なんだか、仲が良くて結構だけど――」

 斗真の付き人と呼べるような間柄で佐々木という名前はレディの知る限り一人しかいない。やはりあの佐々木の母親らしい。

「ってあらまあ、お隣の方はとても可愛らしい娘さんですね」

 思わず女性をじっと見つめてしまっていたレディは、突然話を振られ慌てて席を立って頭を下げた。

「はじめまして。聖園まりあです」

「これはご丁寧に、佐々木です。この方が例の?」

 佐々木の母が十子の方を伺うと、十子は嬉しそうに笑ってレディを褒め称える。

「ええ、そうですの。とても可愛らしい、素敵な方でしょう?」

「とっても! 美しいお顔立ちにピンクのカラードレスがよくお似合いですね」

 既に何度もドレスやら顔立ちやらを手放しで褒められるというのを繰り返していたので、こういう通過儀礼なんだと理解したレディは笑みを浮かべながらお礼を述べる。

「ありがとうございます」

「若々しい色ですもの。わたくしにはもう着れませんけれど」

 十子の見え透いた謙遜に、佐々木の母親はここぞとばかりのおべっかを使う。

「奥様も十分お美しいしお若くていらっしゃるわ! ――旦那様は今日?」

「本社の役員会がございますのでこちらには。祝電だけ送らせていただいておりますわ」

「なるほど。流石に会長はお忙しいですものね。きっとご子息の成長ぶりを誇りに思ってらっしゃるでしょう」

「この春からは息子にコンサルタント業務を任せることになりましたから、一緒にいる時間も増えてよかったのかしら」

「ええ全くですわ!」

 二人が次から次へと話を展開していくのに、レディはすっかり置いていかれて、ただ微笑みを顔に貼り付けたまま、十子の隣でぼんやり佇む。

 挨拶して、褒められて、レディには遠く理解の及ばない難しい世界の話題の後、その人がまた別の人に挨拶するために去っていく。これの繰り返しだ。

 斗真は入場のあと、壇上で挨拶をしたっきり見えるところにはいない。

 佐々木の母親が一礼していなくなってから、レディは椅子に座った。背筋を伸ばしてもう少し我慢しようと食べ物を口に含む。カトラリーの使い方をマスターしておいて正解だった。




 しばらく挨拶の波をさばいていると、どこかのご令嬢なのか、一際若い女性が歩み寄ってきた。

 シャンパンを手に持っているので、レディよりは年上だろうが、参加者の中ではかなりレディに近い年齢の女性に見える。

「本日も素敵なお召し物ですね、奥様」

「これはこれは、中西さん。お父様にはいつもお世話になっております」

 若さを感じさせないほど場慣れしている中西は、十子にさえ物怖じせず挨拶すると、年相応の愛想を振りまく。

「いえっ! 今回の業務提携に関する斗真さんの手腕を、とても二十代とは思えないって父も賞賛しておりました! 憧れますわ。友人たちともこの話題で持ちきりです」

「若い女性たちに噂されているのならあの子も鼻高々でしょう」

 父親に力があるのか、十子に対してへりくだってはいても、中西は胸を張って堂々としている。

 自信に満ち溢れたその様は、遠慮がちなレディとは対照的だ。

「父に斗真さんとのご縁を結んでくれないかってねだっているんですけど、いつも困った顔をされますの」

 明らかに斗真との結婚を示唆する発言をする中西に、レディが眼を見開いて言葉を失っていると、十子がいかにも嬉しそうに笑った。

「あらまあそんなことはなくってよ」

「でも、私じゃあ家柄が釣り合いませんものね…….それよりその可愛らしい方は? どちらのご令嬢でしょうか?」

 レディは心臓がどうにかなりそうなほど緊張しながら一歩前へと進み、中西の顔も見れずに頭を下げる。

「わ、私は……」

 明らかに気後れしているレディの態度に、中西は「そう緊張なさらないで」と笑う。

「あの、えっと、斗真さんに後見していただいている、聖園まりあです」

「後見? まさか花嫁修行中ですの?」

 瞬時に曲解した中西の言葉を、十子が首を振って否定する。

「いえいえ、斗真の妹のようなものですわ。我が家で礼儀作法を学んでもらってますの」

「まあそうでしたの。私ったらてっきり。あのお話があってから三年ですもの、そろそろ……と」

「それとはまた別よ」

 三年前のあの話とは一体なんのことだろう。ただ二人の会話を黙って聞いていただけのレディは、ふと疑問に思い顔を上げた。

 すると、視線の先にスーツを着た年配の男性たちに囲まれる斗真の姿が飛び込んできた。

 見慣れた姿が視界に入ってきたことでレディはふと安堵の息を漏らす。その姿をじっと目で追っていると、斗真が一度こちらを向いて、――目があった。

「あっ」

 目が合って、すぐさまレディは笑顔で斗真に手を振った。

 しかし、斗真はひどく辛そうな笑顔を浮かべた後、すぐに他の人たちの輪に入っていってしまった。

「とう……ま?」

 何か気に障るようなことをしてしまっただろうか。自分の何が至らなかったか、レディはすぐに思い浮かばず俯く。

 気がつくと、十子との会話を一通り終えた中西が別のところに挨拶に行こうと別れの常套句を述べるところだった。

「では、また後ほど奥様」

「はいまたあとで――まりあさんどうなさったの?」

 その場を後にする中西の背中を見送りながら、十子は様子のおかしいレディを慮った。

「どこか気分でも? あ、わたくしが貴女を斗真の妹だなんて言ったから? ごめんなさいね。先日そういう関係じゃないって伺ったものだから」

「い、いえ、別に何も――」

「奥様お久しぶりです」

 レディが取り繕って笑った瞬間、今度はスーツの男性が訪れて十子に挨拶をする。

「先週のTOBの件、びっくりしましたよ」

「あらお久しぶりです。あの件は主人がかねてから希望しておりましたの。今我が社のメインである医療機器開発も、網羅性には欠けておりますし、今回の買収でさらに幅広い市場に出て行けると、――主人は考えておりますわ」

 また理解できない話が始まってしまったので、レディは十子に小声で声をかける。

「ごめんなさい。私……少しお手洗いに」

「あらまあ気づかなくて。行ってらっしゃいまりあさん」




 レディは化粧室でメイクや髪型に乱れがないことをチェックしてから、しっかりしろ、と自分を鼓舞した。

 どんなに不安になったって、斗真は今日の主役でレディにばかり構っている時間はない。話がわからなくても気後れしている場合ではない。

 せめて隣に立つ十子にだけは、恥をかかせないようにしなくては。そう言い聞かせて廊下に出ると、会場から出てきた佐々木にばったり会った。

「ミスレディ」

「佐々木さん。いたんだ……あ、そりゃいますよね、なんだかすごくお久し振りです」

 引っ越しをして以降ほとんど会話することがなかったので、約一ヶ月ぶりに会うような気がして、レディは不思議な感覚に陥った。

「お二人の時間を邪魔するのは無粋ですから、なるべく直帰してましたしね」

「えっと……とんだお気遣いをさせていたようで……」

「そんなことより、そのドレスは斗真さんが用意したものじゃないですよね?」

 佐々木はほとんど睨むような目つきで、レディのドレスを舐めるように見た。

「あ、はい。十子さんが」

「十子様? あの人がなんで?」

「よくわからないんですけど、わざわざ用意してくれていたみたいなんです。断ったんですけど、十子さんが"私から息子に伝えておく"と仰ったので」

 レディの言葉から、その現場を推測してある程度納得できた佐々木は、「あー」とやり切れなさげに首の後ろををかく。

「それ、いつの話ですか?」

 なぜそれを聞かれるのだろう、と不思議がりながらレディは素直に答える。

「今朝、十時すぎくらいだったかな」

「……斗真さんとは、朝からずっと一緒にいましたけど、十子さんは来ていません」

「え?」

 佐々木は調子を一切崩さず、平坦な抑揚のまま続ける。

「たとえ十子様がやって来たところで、斗真さんが受け入れるとは思えません」

 レディは呼吸することをやめた。佐々木の言葉にただ愕然として、自分が着ている淡いピンクのドレスのスカートを見つめる。

「あなたに初めてプレゼントするドレスだからとこだわって作らせたんですよ。何度もデザインを調整して、業務提携のすり合わせで仕事も忙しいのに合間を縫って」

「私の、ために?」

「ええ。――十子様、きっと確信犯だな。あの人は昔からそういうとこが……ミスレディ?」

「じゃあ、斗真は一体、どんな気持ちで」

 レディはギュッと拳を握った。尖った爪が自分の手のひらの柔らかい皮膚を破く感触を、意識の及ばぬ遠いところで感じ取った。

 あんなに驚いて、喜んでくれたのに、私がそれを裏切ったのを見た時、彼はどんな気持ちだっただろう。斗真の瞳には暗い陰りがあった。察しのいい彼は、十子さんに関することまで考えが及んだかもしれない。それってどんなに。

「ミスレディ、そんなに強く握ったら手が」

 ――それってどんなに、悔しかっただろうか。

「佐々木さん」

「はい?」

 顔を上げたレディはまっすぐに佐々木を見据え手に持ったシャンパングラスを指さした。

「そのシャンパンくれませんか」

「良いですけど何」

 レディは佐々木が言い終わるより先にその手のグラスを奪い取り、自分の胸へ、グラスの中身を勢いよくぶち撒けた。





 ほんの少し目をそらしただけだったのに、先程まで会場に十子と一緒にいたはずの愛しい姿が、いつの間にか見えるところからいなくなった。

 主役である斗真があまり長い間空席にしているわけにはいかない。挨拶をする相手、軽くビジネスの話をする相手、時間はいくら持て余していても足りない。

 それでもやはり、レディの姿が見えないと不安でいてもたってもいられない。

「レディ一体どこに……」

 女子トイレにいるのかもしれないと考えたが、流石に入るわけにもいかず、斗真は廊下と会場を行ったり来たりしていた。

 ――しかしやはり見つからない。

 もう一度中に戻って、周囲をよく見ているであろうコンパニオンにでも尋ねるかと踵を返そうとした瞬間、化粧室から出てきた十子が、斗真を見るなり声をかけてきた。

「あら血相を変えてどうしたの?」

「――母さん」

「斗真、それが母にむける目ですか?」

 十子に指摘されるほど、自分の視線が暗く深いものになっていることに、斗真は気づいていなかった。

 ただ母の色の薄い瞳が、冷たく見下してきたことで、自分でも御せない感情に支配された結果だと冷静に分析する。

 斗真は軽くかぶりを振ってから、なるべく他人行儀に失礼を詫びた。

「失礼しました。レディはどこに?」

「レディ? ……ああ、まりあさんのことかしら? さあどちらに行かれたのかしら。お手洗いに立たれたきりなのだけど、今誰も入っていなかったし」

「ご一緒でしたよね?」

 責めるような声色でそう問いかけると、十子はええ、と首肯く。

「でもわたくしだって、ずっとは見ていられなくてよ。まりあさんはこのような場所に不慣れなご様子でしたし、体調でも崩されて部屋に戻られたのかもしれないわ」

「まさかあなたが何か」

「どうしてわたくしが疑われるのかしら?」

 詰問しようと前のめりになった斗真を、十子の冷ややかな視線が押し返した。

「いえ……つい」

「つい、ね?」

 十子は鋭い視線を向け、斗真に二の句を継がせなかった。

 二、三拍間をとってから、十子がにんまりと微笑む。

「それより斗真。まりあさんのあのドレス、すごく素敵だとは思いません? わたくしの着物なんかも手掛けてくれるデザイナーにお願いしましたのよ」

「そうでしたか。少し幼く見えますが可愛らしいデザインでしたね」

「ええそうよ。あなたの趣味よりよほどね」

 レディが予定していたドレスとは違うものを着ていたのは十子の差し金か。わざわざ斗真の趣味を詰ってくるあたり、斗真がレディにドレスを買い与えることを知っていて、わざとそう仕向けたのだ。

 昔からこういうところがある人だった。そしてそれがだんだんと顕著になっている。

「ああ! わたくしから伝えておくってまりあさんに言ったのに、今の今まで忘れておりました」

 十子はわざとらしく手を叩き、道化を演じてみせる。

「今回はわたくしの顔を立てていただいたの。不快でしたでしょうけど、ごめんなさいね?」

「……白々しい」

 十子の感情が少しも滲まない謝罪に対し、斗真は憤激を露わに、歯を食いしばって睨みつけた。

「あらそう? ふふ、随分怖い顔をするのね」

 言葉とは裏腹に、その反応すら楽しんでいるかのような素振りで、十子は斗真に歩み寄った。

「ちょっとしたお仕置きのつもりよ。なんの相談もなくいきなり雑種の猫を飼い始めて、しかも別邸にわたくしを寄せ付けないんですもの」

 十子は冷艶に息を斗真の耳に吹きかけ、その首を指先でなぞった。ひんやりと低い体温は、十子の心を表しているかのようだ。

「あの子はまるで、あなたに首輪をつけられたペットのよう」

 斗真が返す言葉を失っていると、会場内から壮年男性がマイクをとって話している声が響き始めた。

「あら? これ名誉顧問の声だわ。次第では確か、来賓挨拶の後、あなたのスピーチでしたね? 舞台袖にいなくていいの?」

 十子の言葉にはっとして、斗真は二歩ほど後退った。

「そろそろ、……会場に戻ります」

「わたくしもそうするわ。まりあさんを見つけたらあなたが探していたと伝えておいてあげましょうね」

「……」

 素直にそうしてくれるなら助かるのに、と斗真が見遣る。

 十子はその視線の意図に気づいているか否か、決して悟らせない笑顔で近くの扉から会場に入って行く。

 すれ違いざまに、十子が着物に焚き染めた香を嗅いだ。

「――白檀か」

 そう独り言をぼそりとつぶやいて、十子が入った所とは別の扉から会場に戻った。


 会場に入り、ぐるっと見回したがやはりレディらしき姿がない。斗真は近くの壁際にいた金髪のコンパニオンに声をかけた。

「すいません、ピンクのドレスを着た黒髪の女性を見ませんでした――」

「はいー……げっ」

 振り返った金髪のコンパニオンは、まだ少女の面影を残す見知った顔だった。

「まさか、蘭ちゃん?」

 コンパニオンの衣装を見にまとった蘭は、バツが悪そうに斗真から目をそらす。

 斗真は蘭に目をそらさせまいとして、壁へ追い詰める。

「あっはは……まさかこの会社の社長が斗真さんだなんて思わないじゃん? でもこんなおっきいパーティーできちゃうなんて斗真さんったらさっすがセレブ――」

「茶化さないで。君、コンパニオンのバイトしていい歳じゃないよね?」

 斗真の整った顔貌から冷たい目で見下され、蘭はたじろいだ。

「う、だってすっごく割良いんだよ! 旅館と違ってこういう所のはセクハラもないしアフターもないし……!」

 蘭の言い訳に対し、そういう問題じゃないでしょ、と斗真は深くため息をつく。

「勘弁してよ、使ってるこっちの責任問題とかなったら困るんだけど」

「ごめんって、今本気で厳しくて……今月で辞めるからさ!」

 全く、と斗真が呆れた様子で蘭から離れようとして、ハタと一つの案を思いつく。斗真はもう舞台袖に戻らなくてはいけない。ふらふらしてばかりもいられない。

「……じゃあ蘭ちゃん、一つ頼まれてくれない?」


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