第13話 さよならの別称①

 緑地公園の直ぐ側にある高級住宅街には、やたらと大きく門を構える洋館がある。

 ヨーロッパ貴族の屋敷かと思わせる広い庭と敷地、築年数はそれなりになるが随所まで丁寧に磨き上げられていて古さを感じさせない豪奢な造り。

 平日の真っ昼間、地元の人間ならば誰もがその名を知っている家のインターホンを何度も何度も鳴らす少女の姿があった。

 髪は金髪でボブヘア、バサバサのつけまつげと真っ赤なリップ。両肩があいた露出度の高いブラウスとホットパンツ。高いヒールを難なく履きこなし、ゴテゴテのネイルがあしらわれた手に、スマホと財布とポーチががギリギリ入るだろうかという程の小さなハンドバッグを持った少女は、その町並みと屋敷に少々不釣合いだった。

「ねぇ! 早く開けてよ!」

 少女の叫び声が聞こえたかどうかは定かではないが、インターホンの向こうからは女性給仕と思しき人の困った声が聞こえてきた。

『お約束がない方の突然の来訪は困ります。日を改めて頂けませんでしょうか』

「はぁ!? おたくが蘭の友達連れてっちゃうから迎えに来たんでしょうが! 拉致! 監禁! 犯罪者ー!」

『言いがかりはやめてください』

 蘭があまりにも騒ぎ立てるので斜め向かいの奥さんなどが玄関から顔を出している。

 白鳥家は付近でも名のしれた名家だ。このまま追い返して醜聞を立てたくないのか、少しの攻防のあと門が自動で開いた。

「ははは、ファンキーな登場するなぁ」

 開いた門のうちに蘭が踏み込むと、出迎えたのは、メイド服を着た女性でも燕尾服を着た男性でもない、黒いスーツをパリッと着こなして、珍しく髪をかきあげセットしたこの館の主、白鳥斗真本人だった。

「あーっ!」

 斗真を見るなり目尻を釣り上げた蘭は、斗真に駆け寄ると鳩尾めがけて思いっきり拳を見舞った。

 その突然の行動に斗真は驚きを隠せなかったが、鍛えられた腹筋に少女の一撃は何一つ響かずに終わる。

「斗真さん、すっごい腹筋あるじゃん……」

「えーっと……どうしたの?」

 あまりの手応えのなさにしゅんと沈んだ蘭を慮って、斗真が曖昧に笑って聞くと、蘭はもう一度目を鋭く尖らせた。

「どうしたもこうしたもないよ! レディを返して! 斗真さんのせいで仕事やめさせられて、学校にも来なくて、家にもいないんだよ!?」

「ああそういう……」

「そういうってどういう!?」

 身長の高い斗真に物怖じせず食って掛かる蘭の頭を、斗真はポンポンと撫でた。友人のために一生懸命な蘭の気持ちがよく伝わってきたからだ。

「ふふ、いや正直嬉しかっただけ。レディを心底心配してくれる人がいて」

「何それ……」

「僕がレディの後見人になるから、レディはここにいるってだけだよ」

 斗真がしれっと決まっているかのように言うと、話が突飛すぎてわけのわからない蘭は不思議そうに首をかしげる。

「っていうか蘭ちゃん学校は?」

 今日は平日である。高校三年生の蘭は今は学校に行ってなければいけない時間なのに、制服すら着ていない。

「サボり!」

 蘭は全く反省した素振りなく堂々と胸を張る。いっそ責めてはいけないのかもしれないと錯覚するほどの威風堂々ぶりである。

「本当は、レディをお出かけに誘おうと思ってお家行ったんだけど、誰もいなくてさ、斗真さんとこかなって。有名じゃん? 白鳥家」

「なるほどね」

 蘭が言う通り白鳥家は地元民ならば誰もが知っている名家だ。元々ここら辺一体の土地を広く持っていて、未だに借地にしている土地も少なくないほど。誰もが一度は聞いたことがある名前で、建物が大きく目立つので、どこにあるのかも把握しているような家である。

 蘭の説明を聞いて一頻り納得した斗真は外行きの綺麗な笑顔を作り上げると、やたら恭しく蘭へ中に入るよう促した。

「まあとりあえず上がっていって。今日ちょっとうちバタバタしてるから、あんまりお構いもできないけど」


 促されるまま、蘭は手入れされた緑の道を抜ける。太陽の差し込む角度、花々の香り全てが計算され尽くしていて、乙女心をくすぐる、女性を喜ばせるための道だ。

 蘭はそう感想を抱いて、"斗真さんモテそうだもんね"と脳内で付け足していた。

「レディは自分から斗真さんのとこにきたの? 斗真さんに裏切られたのに?」

「いや、正確には僕がここに運んだ。ちょっとレディが体調崩しちゃってね。けど、今は多分自分の意志でいる」

 レディはこの二日間で生きる気力はなんとか湧いてきたようで、少しずつだが食事も摂るようになっていた。別にここに居たくないのなら無理にいなくても構わない。どこで生きようとレディの自由だが、死なせたくはないというのが斗真の本音だった。

 蘭は親友が裏切り者と一緒に過ごしていると聞いて、筆舌に尽くし難い顔をした後、それでも安堵の息を漏らした。

 斗真に対して面従腹背の思いがあっても、社会経験のない少女がたった一人で生きていけるわけがないのだ。レディは決して現実が見えない少女ではないが、計算高く生きることは不得手だ。

 蘭は自分だったらとっくに斗真に貢がせて生活が安定してから捨てるのに、と不穏なことを考えながら斗真の隣を歩いた。

「いまレディは着替えたりしてるから、用意が終わったら会えるだろうけど、遊びにはいけないかも」

「なんか用事?」

「お葬式」

「お葬式って、レディまた近い人死んだの? あれ? でもお祖父さん亡くして天涯孤独じゃなかったっけ?」

 蘭が口に手を当てながら記憶をたどっていると、斗真はそうだよと頷く。

「そのお祖父さんの葬式だよ」

「もうやったでしょ?」

「火葬場で神父が祈りを捧げたくらいのささやかなやつはね。派手にやればいいというものでもないけど、でもレディには、もう一回ちゃんと別れを言う時間が必要だ」

 斗真の言葉に蘭は少し考え込んだ。そうこうしているうちに二人は屋敷の玄関にたどり着いた。

 入り口で燕尾服を着た男性が待っていて、二人の歩みに合わせて扉を開く。蘭は異世界のお姫様にでもなった気分だ、と中々味わえない感覚を貪る。


「っていうか後見人って何、斗真さんはレディのこと女の子として好きだったんじゃないの? 独り占めしたくて仕事やめさせたんじゃないの?」

「勿論好きけど、独り占めしたくてってつもりじゃ……うーん、でも結果的にそうなのかな?」

「蘭にわかるわけないじゃん……」

「ごめんごめん。あ、ちょうどよく」

 二人が玄関ホールで立ち話をしていると、ふいに斗真が両階段を見上げた。蘭もその視線を追いかけると、ワンピースタイプのブラックフォーマルを着込み、髪をシニョンにまとめ、薄化粧を施したレディが降りてくるところだった。

 髪も含め全身黒色のコーディネートに反比例するかのような真っ白い肌が、窓から差し込む太陽光を反射して輝く。

 まるで宗教画のようだ、と斗真がぼんやり感想を抱いていると、隣の蘭が一瞬息を呑んだ後、首を振って一目散に駆け出した。

「レディ! 会いたかった!」

 蘭は大声でレディを呼びながら抱きつく。普段通りのスキンシップだが、レディの表情は芳しくなかった。

「蘭? なんでここに?」

「心配だからに決まってるじゃん! ぜんっぜん学校こないんだもん! 家行ってみたら留守だし!」

「そう……」

 レディは困り顔で斗真を見て、首を振ってから咳払いを一つした。

「心配してくれてありがとう。大丈夫だから。それより、蘭も仕事やめさせられたんでしょ?」

「斗真さんのせいでね」

 蘭が振り返り、斗真に対して舌を出してみせた。斗真はそれに「ごめんね」と笑顔で謝罪する。

「ううん、私が悪いの。ごめんなさい」

 心なしか素直な言葉でそう述べて、レディは蘭から離れた。少しふらつきながら手すりを頼りに階段を降りていく。

「レディ……」

「――用意、出来ました」

 背後で所在なさげにする蘭をよそに、レディはよそよそしい言い方で斗真に報告した。

 斗真は肩をすくめた後、近くに控えていた佐々木に目配せする。

「レディのことは佐々木が送るよ。僕は後から行くから、会場で先にお祖父さんと話してて」

「はい」

 そのほうがレディは祖父と長く話せるだろう。無論肉体は焼かれてしまったので、別れを惜しむのはきれいな姿ではなく、骨に対してとなってしまうが、それでも時間はながければ長いほうがいい。

「ではミスレディ、こちらへ」

 佐々木は一瞬だけ蘭を見たがすぐに視線をそらして、レディをエスコートする。今は職務中だと言わんばかりの態度に、蘭は憤慨しつつも、それどころではなかった。蘭はレディを見た瞬間あまりの細さに絶句していた。抱きついたら尚更はっきりした、明らかに痩せている。

 蘭はゆっくり階段を降りて斗真に向き直ると、情けなさそうな声で笑った。

「蘭、場違いだったみたい。帰るね」

「……少し、紅茶でも飲んでいかない? 僕の暇つぶしに付き合って」





 憔悴した様子の蘭を応接室に案内し、斗真はメイドたちに指示を飛ばした。落ち着くにはミルクティーがいいだろう。

 レディのようにアッサムのバリエーションでチャイをいれるのではなく、斗真はコクがありつつ癖の少ないディンブラを選んで、深みのある甘めの味わいに調整したミルクティーを用意させた。

 蘭は少しの間ミルクベージュの液体を見つめた後、一口嚥下してほっと息を吐いた。

「……蘭はね、お祖父さんに嫌われてたから一回もレディの家に行ったことなくて……まさかあんなに痩せてるなんて……」

 もっと早く家に行けばよかった、と蘭は自分を責める。

「嫌われてた?」

「蘭こんな見た目だし! 付き合わせたくなかったんじゃん? はは」

 蘭はカップの縁をなぞってリップグロスを拭いながら、「お別れかぁ……」と切り出す。

「……レディはね、確かに派手なグループにいたし、蘭たちに付き合って飲みに行ったりもしたけど、でもお祖父さんが本当に嫌がることは絶対にしなかったんだよ。お祖父さん想いのいい子だったんだよ」

「そうだと思うよ」

 斗真はレディとその祖父について詳しくは知らない。だがお互いを大切に思っていたことだけは間違いない。

「でも、大切にされすぎて、レディはお祖父さん以外には距離置いてて、だからレディの家に行ったことある友達は一人もいないんじゃないかな……」

「それはなんだか少し、寂しいね」

 頻繁に出入りすることはなくとも、誰一人家に上がったことがないというのは子供にしては少し寂しい。

 斗真は蘭がわからない程度に腕時計の時間を気にしつつ、優しく相槌を返した。

「寂しいんだよ。蘭も寂しい」

 蘭はそう言いつつカップをソーサーに置きながら、力なく笑った。

「でも、しょうがないのかも」

「しょうがない?」

 斗真が首を傾げると、蘭は悄然としつつ話を続ける。

「レディ、十歳のときにお父さんとお母さん死んじゃって、一人でこの町に来たの。田舎から新幹線乗って、キャリーケース引いて、十歳の女の子がたった一人。付き添ってくれる大人もいなかったんだって。なんかレディの両親って親族とほとんど縁切れてたらしくてさ」

 斗真はその情景を思い浮かべた。懸命に路線図を調べて、一人で全部考えて。

 幼い少女を守る大人は皆他界した。

 両親の愛を一身に受けるだけでいいような年の少女はたった一人で、強くならなければいけなかった。

 それがどんなに辛く、大変な苦労か、斗真は想像するだけで胸が痛んだ。

「そんな一人ぼっちのときに出会った大人がさ、優しくて大切にしてくれる人だったら」

 そしてその相手が亡くなったときのレディの衝撃、やるせなさ、絶望。

「――依存、してたんだと思うの。しわくちゃのおじいちゃんだろうと、関係なく」

「……蘭ちゃんもしかして」

「うん。でも内緒ね、蘭が気づいてるの」

 斗真がほとんど具体的に予想していることを、蘭は長い期間レディと接しているうちになんとなく感じ取ったのだという。

 蘭は目を伏せた。睫毛の重たい瞼が、外界の光を遮る。世の中は見たくないことで溢れている。レディの環境も、蘭の環境もそうだった。だからわかる。

「レディにとって、寂しいとか悲しいとかの感情が当たり前になりすぎちゃってるんだと思う。誰かと分け合ったりすることができなかったから、もう自分からは甘えられなくなっちゃってるんじゃないかな。蘭が心配しても、本当はダメなのに絶対大丈夫って言わせちゃうの」

 辛い時の甘え方を知らないレディに寄り添おうとしても、強がられてしまう。何度繰り返したかわからない。

 斗真はじっと紅茶を見つめた。強くなる為には、強く依存する必要があったのだろう。他に道がなかった。強くなくとも強いふりをするしかなかった。

 そうして救いの手よりも、一人を望む。だからこそ斗真はレディを一人にしないと決めた。嫌われても、恨まれても、積極的に関わると決めた。

 一人ぼっちが当たり前で、寂しいや悲しいを他の誰にも言えなかった少女が、ぐちゃぐちゃになって、泣きながら一人の夜はもう嫌だと言ったその言葉が真実だと思うから。

「ねぇ斗真さん。レディのことちゃんと見ててね。蘭達似てるから何となく分かるの。レディが大丈夫って言ってるとき、全然大丈夫じゃないから。少しも、大丈夫じゃないから……」

「うんわかってるよ」

 今にも泣いてしまいそうな蘭の頭を斗真がポンポンと撫でる。

「蘭ちゃん一つお願いしてもいい?」

 斗真はそう言ってテーブルに置いてあるキーケースを持ち、中から一つの鍵を取り出した。




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