一章 8 腕を引かれて

※WARNING※

この章は、現在、修正を行っています。

ストーリーを早く知りたい方以外は、お待ち頂くことで、より一層、お楽しみ頂けるかと思います。


 少年が少年の手を引き走る。

 引かれる方が少女であれば、映画のワンシーンにでもなったかもしれないが、現実にそんなことは起こらなかった。

「ちょっと……待って……!」

 腕を引かれる少年にとっては、走る速度が速くなってきたのだろう。息も絶え絶え、前を走る少年を制止する。

「ごめんなさい。今は無理です。もう少し先に行かないと」

「う、そ、でしょ?」

「早く休みたいなら、速く走ってください」

 ちぎれそうなほど腕を強く握って走る少年に、後続の少年が必死について行く。

 ──話しかける人を間違えたかもしれない。

 走り始めて後悔は、すぐに瞬間最大風速を記録し、そのままどこかへと飛んでいってしまった。時々、こうして舞い戻ってくるのだが、初めに飛んでいってしまったものと、同じ後悔かはわからない。新しいものだと、いつかは、後悔で世界が覆い尽くされてしまうのではないかと、気が気でないので、同じものであることを願うばかりだ。

 なぜこんなことになってしまっているのか、話すには、ずいぶんと時間を巻き戻す必要がある。




 手を引かれている少年──藤原永斗は、つい、今朝まで学校に通うことが嫌で仕方のない、どこにでもいる少年であった。

 その日もいつも通りあくびをしながら授業を受けて、いつも通り友人とゲームセンターで時間をつぶして、家に帰るものだと思っていた。

 変わってしまったのは、その日、最初の授業だろう。

 永斗には、何人も嫌いな人間がいる。

 同じ人間にはなりたくないため、彼は嫌いな人間たちのどうしても許せないところをそれぞれ探し、絶対に同じことをするまいと心に誓っていた。

 例えば、授業中にいつも寝ているあいつ。

 一体、何様なのであろうか。

 教材も出さず、初めから寝る体勢を作り上げて、最初から最後まで起きることはない。休憩時間にだけ起きているあたりが、絶対に関わらないし、好きになることもないだろうと断定した要因である。

 そのため彼は、生涯受ける全ての授業中、なんとしてでも起きていることを心に誓った。

 だというのに、どうしたことか、その日はいつも襲ってくるはずのない眠気が、彼の脳味噌を全力で揺さぶっていた。

 確かに、前日は睡眠時間が遅くなっていたが、ここまでの眠気が自分史上存在していただろうか。嫌いなあいつからの精神攻撃を疑うほどに、視界は揺れ、ただ、眠くて頭が揺れているのかわからないほどの睡魔であった。

 手に持つ鋭利な筆記具が宇宙への思いを巡らせる一端となる程度に、現実と幻の境界が曖昧になったころ、愛用の筆記具は、勢いよく地上を離れ、自らの太股に突き刺さった。

 いつもの人間には些細な痛みだが、眠気には偉大なる一撃であるという言葉は、一体、誰の言葉であっただろうか。きっと、誰でもない。

 それでも、覚醒すること無かった永斗は、ついに力つきてしまった。


 気づけば永斗は人通りの多いベンチに座っていた。

 訳が分からなかった。

 授業中に寝てしまったらしいのに、なぜか外にいるのだから、理解が追いつくはずもない。

 とりあえず周りを見渡すと、建物もあり、人もいるが、いつも見る景色とは少し違うような気がした。建物は劣化が進んだものが多く、歩く人の人種は多種多様、さらには、なぜか仮装をしている人が多く見られる。別に仮装をしている人がいてもおかしくはない。ただ、何人も仮装をした人が町中に集まるのなんて、年に何度もあるわけではない。世界のどこかではよくあることかもしれないが、その場合は、大体カメラを持った人間が居るだろう。

 それに、仮装した人の出来がやけにリアルなのだ。

 本当に毛皮を纏っているかのような二足歩行の獣に、継ぎ目の見えない長い耳や角を持つ人たちが、町中を闊歩している。

 実際に見たこと無いため、確証は無いが、俗に亜人と呼ばれる種族が存在している世界があるとすれば、こんな感じなのかもしれない。

 手から放れ自らの太股に刺さったはずの鉛筆も、先端が鋭角であり、底が平面であることを除けば、一切の共通点も見いだせないものへ姿を変えていた。三角錐を緩やかに湾曲させたかのような、巨大な爪を思わせるものが足の上に置かれている。

 大方の観察を終えた永斗が出した結論は、授業中に見ている夢という結論であった。

 きっと、亜人のような人がいるのは、前日にファンタジー作品のアニメを見たことの影響であろう。

 まさか、自分が授業中に寝てしまい、ましてや、意識のある夢を見る日が来るとは思っても見なかったが、起きれないことが起きてしまったことには仕方ない。

 気持ちを切り替えた永斗は、起きる方法を模索する。

 自分の持つ情報を最大限に照らし合わせて、策を探し出すのにそうは時間がかからなかった。

 なぜなら、寝ている自分は授業中なのだ。そのうち、教鞭を振るう師か、わずかな学友が起こしてくれることであろう。

 であれば、自分はただ、流れる時に身を任せれば良いのだ。簡単な話である。

 そうなると、今度は、現実に引き戻されるまでの間、自分はどうするべきかという問題に当たる。現実と夢では時間の流れが違うというのは、昔からの経験で知っていた。

 悩んだのもわずかな時間、いつも、真面目に生きてきた自分なのだから、少しくらい遊んだって罰は当たらないのでは無かろうか。文字通り、夢にまで見たファンタジーの世界を楽しまなくてなんとする。

「あの、すみません」

 夢だとわかったとたんに気が楽になったらしく、立ち上がった自分はいつもはできないであろう、知らない人に声を掛けるということも軽々できてしまう。さらに言うならば、声を掛けたのは、どうみても自分とは住む国が違うであろう、同じ年頃の少年であった。何度も言うが、夢なのだから、言語など、どうとでもなるはずだ。




 予想通り、少年と話の通じた永斗は、帰ろうとするところを説得して、カフェで奢ることを条件に、この世界がどういったものなのかを聞き出した。夢の世界を大まかに理解した永斗が会計時にお金を出すと、それを見た少年は何かを考えるようにしてから、自分にお金を仕舞わせた。理解が追いつかないない間に、彼は見たことも無いものを店員に渡し、永斗の手を引き出したのだ。

「もうすぐです。頑張ってください」

 先を走る少年の速さが増していく。

 もはや、返事をする気力もない永斗は、ほとんど引きずられる形で走っているとも言えないような体勢で進んでいた。足の感覚もないため、ちゃんと交互に足を出せているのかさえ疑問である。

 自分には半獣種の血は流れていないのだ。ハーフである腕引く少年のようには走れない。

 やっと、少年が止まった頃、永斗は心臓どころか、肺の全てが破裂するのではないかというほどに荒い呼吸を繰り返していた。

「あれ、シュメット君?」

「アレーさん!?」

「へっ?」

 急停止にも近い形で止まった少年に気づかない永斗は、そのまま前を走る少年へと衝突してしまった。

「おお、大丈夫か」

 疲労と水分不足で揺らぐ永斗の視界でも、声とともに二つの人影が近づいてくるのが分かった。

 永斗とは違いすぐ立ち上がった少年が影に向き合う。

「大丈夫です」

「それなら、よかった! いいか、よく聞けシュメット。怪我は良くないぞ。下手すると死んじまうし、何より痛い!」

 何がおもしろいのか、けたたましい笑いが脳に響く。

 丁寧に話す声と豪快に笑う声が聞こえるものの、永斗は倒れたまま、聴覚が消え入りそうになっていた。疲労とはかくも恐ろしい。

「お友達は平気?」

 丁寧に話す方の声が自分の顔をのぞき込んでくる。

 続いて、よく話す人影の顔も現れた。

「おいおい、平気かよ。今にも死にそうだぜ? というか、死んでね? 平気なら俺の手、つかんで立ち上がりな」

 感覚が曖昧な腕を何とか持ち上げ差し出された手をつかんだ永斗は、掴まれっぱなしである、シュメットと思われる少年と二人によって地面から起こされる。

「掴めるなら平気だな。よし!」

 腕を組んでうなずく男に、永斗は頭を下げる。

「ありがとうございます」

「お、お礼がいえるなんて、レコなんかより、よっぽど将来有望だね」

「何だよ、またも切れ味鋭い暴言か? 止めてくれよ。今日の俺の心は、お前とファーグの手によってズタズタのボロボロで雑巾にもなりそうにないんだぞ?」

 勝手に騒ぐ二人をよそに、シュメットが少しずつではあるが、先に進もうとする。

「えっと、それじゃあ、僕たちはこれで」

「待て」

 ついに二人の横を抜け、走りだそうとするシュメットであったが、残念ながらレコと呼ばれていた男の手によって腕を掴まれてしまう。

「この子の紹介は無しか?」

「えっと……その……」

 今まで見てきた人の中で、一番の目の泳がせ方をしながら、何かを必死に取り繕おうとするシュメットの元へ、もう一人の男が近づいてきた。

「レコ、あんまり、威嚇するなよ、ただでさえお前は怖いんだから」

「威嚇してねえよ!」

「アレーさん……」

 自らの肩に手をおいてフォローするアレーに、シュメットが最大限の感謝を詰め込んだ眼差しを向ける。

「考えても見なって。『割と良い時間』に、『紹介もせず』、『言いよどんで』、『知り合いから過ぎ去ろうとしている』んだぞ? それも、『手を握って』だ」

「ああ~」

 なぜか強調して話すアレーの単語単語に、悪意を感じたのは、永斗だけでは無かったようだ。

 何か理解したかのようにうなずいて腕組みするレコーの間延びした口を閉ざすように、シュメットが割って入る。

「違います!」

「じゃあ、紹介してくれるね?」

 さっきまでの爽やかなアレーは形を潜め、今の彼が浮かべる笑顔は、もし、悪魔というものがいるなら浮かべるであろう、それだった。



 アレーとレコの二人に囲まれ、完全に逃げられないように包囲された状態で、近くの公園らしい場所まで移動させられたシュメットと永斗は、半ば強制的にベンチへと座らせられる。

 走り続けて足が棒のような永斗にとってはありがたい休息には違いないが、真正面に二人そろって立たれるとどうも、緊張してしまい、休んでいる気がしない。

「さあ、紹介してもらおうじゃないか。そして、俺らのことも紹介してもらおうじゃないか」

 笑って立ちはだかるレコに対して、シュメットが隣で縮こまっている。

 よくよく考えれば、それもそのはずである。

 このシュメットという少年は、永斗の名前も知らないのだ。

「えっと……」

 自己紹介をしようと声を発すると、横からシュメットの手が伸びてきて遮られる。

「彼はジェクトです。父の知り合いで、今は観光をしているんです」

 さらに、シュメットは適当な名前を使って、永斗の紹介まで始めた。

「ジェクト君か」

「おお! ジェクト。やっと、お前の名前が分かって俺は、うれしいぞ!」

 大げさに喜ぶレコをよそに、シュメットが少し体の向きを変えて、永斗へ二人の紹介を始める。

「この声の大きい人がレコさんで、もう一人のこちらの方がアレーさんです。二人は結構一緒にいることが多いんですが……そういえば、ファーグさんは?」

 思い出したようにあたりを見回すシュメットに、アレーとレコがそれぞれ苦々しそうなものとおもしろそうな笑みを浮かべる。

「あいつは……」

「人を待って、朝っぱらからずっと『豆と甘味料』に籠もってるぜ!」

「おや! さっきまで僕たちも居たんですよ! 気づかなかった!」

 二人と盛り上がり初めるシュメットだが、永斗の話がでる度、矛盾が起きないよう嘘に嘘を重ねていくため、苦しそうな表情を時々していた。

 なぜ、こんなことになっているかの元を正せば、自分に声をかけられたがために、こんな事態に陥っているのではなかったか。

 そこで、ふと、本当にふと、自分が夢を見ていたはずであることを思い出す。あまりの疲労に忘れてしまっていた。

 しかし、そう考えると、この夢はなんと不思議なのだろうか。

 夢は記憶の整理だとどこかで聞いたことがあったが、シュメットにぶつかっても目覚めず、聞いたこともない名前の人物が出てくるなんて、どうなっているのだろう。

 まさか──

「おっと、もう、こんな時間か」

 手首を見たレコが呟く。

「本当だ。ごめん、つい、引き留めちゃったね」

「いえ、ぜんぜん」

 安心したように息を付いたシュメットが、ベンチから立ち上がる。

「今度はファーグも連れておくからさ、その時はシュメット! また紹介係だ!」

「勘弁してくださいよ」

 苦笑するシュメットに背を向け、レコとアレーの二人は歩き出す。

「じゃあね。ジェクト君もまた」

「じゃあな!」

「……あ、はい。また」

 叫びながら大きく手を振るレコと、落ち着いた様子で手を挙げるだけのアレーに、永斗は小さく手を振るのみであった。

 わずかな時間であったが、永斗には少し、二人のことが分かったように思えた。

「さ、行きましょうか」

 二人がまだ見えているが、余韻に浸るまもなくシュメットに腕を取られる。

 どうやら、再び、地獄に戻されるようだ。



 永斗とシュメットがたどり着いたのは、森と呼ぶにふさわしい木が密集した場所の前であった。

 今にも倒れそうな永斗は、膝に手を付き、何とか持ちこたえている。

 少し休んだとはいえ、同じだけ走らされたのなら、それは全く意味がない。むしろ、あの時、アレーとレコが見つけてくれていなかったらと思うと、血の気が引いていく。

 そんなことも関係なしにシュメットは永斗を立たせる。

「あとは、この木を抜けるだけです。行きますよ」

 ──いい加減にしてくれ!

 永斗の声にならない叫びは、聞き届けられなかった。


 まもなく日が沈むかという頃。

 森を抜けた先には、広場のような場所があり、外からは見えなかったが家が建てられていた。

 鍵を取り出したシュメットが、玄関の鍵を開けて入っていく。暮らしている家なのだろう。

「ただいま」

 家から返事は帰ってこないところをみると、一人暮らしなのだろうか。

 明かりをつけたシュメットが、家の前で座り込んでしまった永斗を運び込む。やはり、半獣種の血が流れているだけあって、比較的簡単に運ばれ、廊下に寝かせられた。

「大丈夫ですか? 水、持ってきますね」

 家の奥へと消えていった、シュメットを見送りながら、永斗は考える。

 シュメットに話しかけてから、ずいぶんな時間が経った。だというのに、未だ目覚める気配はなく、床で天井を見上げている。

 正直なところ、永斗は薄々、これが夢では無いのではないかと疑い始めていた。

 体全身が悲鳴を上げるほどの痛みなのに、目が覚めるのは、今、ここにいる自分で、授業中の自分は目覚める気配もない。夢の中の痛みなんて、結局は想像なのに、ここまでの痛みを感じるだろうか。

 このまま寝れば、目も覚めるだろうか。

 朦朧とする意識と視界に、シュメットの顔が映り込む。

「起きれますか? 水です」

 背中に手を当てられ、上体を起こされると、水の入ったコップを差し出された。

 震える手で受け取って、唇に水が触れた瞬間、コップに入っていたはずの水は既に胃の中に収められている。

 たったそれだけで、意識も視界もはっきりとしてきた。

「ありがとうございます」

「いえ。部屋まで上がれそうですか? 少し、話しがしたいんです」

 自分で聞いておいて何だが、散々、話しをして、まだ、話すことがあるというのだろうか。

 休みたい永斗の意図をくみ取ったのか、シュメットが内容を少しだけ話す。

「今のあなたに必要な話です。もう少し休んだら出いいので、中に上がってきてください。お茶でも用意しておきます」

 去っていくシュメットをよそに、永斗は目を閉じた。

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