第2話 今枝②
時は移り、昼休み。
キタ校の1年A組では、まったりゆったりとした時間が流れ、クラスメイト達は皆が弁当や購買部で買ってきたパンや弁当などでランチタイムを楽しんでいる。
高校生の昼休みと言えば、教師の目もない。なのでモラルの緩い生徒なんかは制服の衣装を崩したり、持ち込み禁止のスマートフォンを堂々と操作する。廊下を見ればヤンチャな男子生徒がふざけて走り回ったりするのも日常的光景だろう。
この1年A組の場合、いつも声が大きく、騒がしい男子生徒というのは決まっていて、あの和泉耕太だった。
「なぁ、ユート。昨日の『米粒剣士』のニュース知ってるか?」
今枝は『米粒剣士』という単語を聞き、弁当箱を広げながら、昨日にネットニュースで話題になったバンドグループのことを思い出す。
「ああ、ボーカルがゲイだったって言う。遠井叫だっけ。他のメンバーがセクハラされたとか苦情も出て、ついに解散したとか」
「そーそ! あれマジ笑えるよな。
遠井のTwitterアカウント見たか? 淫夢民(ネット上でゲイポルノビデオ男優を馬鹿にする人たちの事)が大量に沸いてさ」
「耕太はほんまにネットの祭りが好きだね」
「だってマジ笑えるモン。野獣先輩と米粒剣士の姦通画像とかさ」
「ちょっと」
唐突に、和泉と今枝の会話を北上が遮った。
北上は明らかに不機嫌そうで、どうにもこのゲイを馬鹿にしている内容が気に食わない様子。和泉はその様子を察知できたらしく、彼女の表情を見て何か言われるだろうと、反抗的な顔をしつつ身構えた。
「なんだよ」
「そんなゲイの人を馬鹿にして楽しいの?」
「楽しいけど」
和泉の攻撃的な態度に、北上は少し頭に来たようで、2人は互いに睨み合っている。
その間で、今枝はほとんど無反応で、弁当の中身を1つまみ、2つまみとして口に入れる。ひじきの煮物から出る汁が、卵焼きに浸み込んでいて、妙な味を醸していたが、彼は我慢をする。
「アナタみたいに、自分が面白いからって他人の恋愛の方法を差別される言われなんかあるの?
彼女や彼らについて何も知らないし、知識も全くないから、そういう身勝手なことが言えるんでしょ?」
「知らねえよ。ゲイと知り合いがいるわけねーじゃん」
「そう言う友人がいなくても、恋人の1人でもいれば恋愛に悩んでいる人の気持ちもわかるはずだけど……。
そう言う悩みはないのかしら? アナタ、恋人はいるの?」
まるで侮蔑をするような言い方に、和泉は顔を真っ赤にして、怒りをこらえる。
北上はそんな彼をほくそ笑み、そして愉快そうに言葉をつづけた。
「結局、LGBTを差別するような人って、こうやって人の恋愛方法を知らないから適当な偏見や差別ができるのよね。
自分がこうだったら、もし自分が相手の立場だったら、という考えがなくて、ただ頭が足りてない故に他人を簡単に批判できちゃう。
アナタはもっといろんな考えや知識を深めるべきよ。そんな見っともない人間のままで終わらないためにも」
「なんだよ、偉そうに」
「私は偉くなんてないわ。アナタがただ外郎なだけよ」
「う、外郎だと……っ!」
外郎扱いに、さすがの和泉はカッとなって焦った声を漏らしてしまう。
しかし、その発言により、自身が目前にいる女性より精神的不利に立っていることを、和泉は自覚してしまう。
そしてそれに愉悦するように、北上は彼をあざ笑う。
「なぁユート、お前もなんか言ってやれ」
えらく小物っぽい口調で、和泉は今枝に助け船を求める。
ちなみに、彼の本名は今枝悠斗だ。
今枝は、どうやらイヤホンで音楽を聴いていた最中だったため、和泉の声は聞こえない。
「おーい」
と和泉が肩を叩くと、今枝はやっとこさ和泉の呼びかけに気付く。
彼はイヤホンを外し、「終わったの?」と和泉に尋ねる。イヤホンから漏れた音楽は、槇原敬之の『もう恋なんてしない』だった。
「あいつさ、LGBTの権力にうるさいフェミみたいなこと言ってんだよ」
「フェミニストって、女性への権力を開放する主義者のことだよ。
言葉の意味くらいちゃんと知ってから使いなさい」
北上の言葉尻を捕らえる言葉に、和泉はまたも癪に障ったような表情をした。
「まぁ、いいんじゃない。
LGBTについて一思いあっても、別に、他人思いで、偉いと思う」
「おい、ユート」
和泉は責めるように言うと、北上も余計に調子を良くした様だ。
「まぁ、だからと言って、ちょっと馬鹿にしたくらいで耕太に突っかかったキミも少し余裕がないかな。もう少し落ち着きなよ」
しかし、突然と北上の非を付いた今枝に、彼女は少し虚を突かれ、そして言い返す。
「余裕がない……?
余裕がないって言葉はそこの差別主義者にこそ似合うものじゃないの?」
「そうかな?」
今枝はきょとん、とした顔で聞き返す。
それを見て、北上は嬉々として口を滑らせる。
「もし、目の前にゲイの方がいたとするわ。
その彼ないし彼女を見て、侮蔑的な言葉を放つ人とその性質を理解している人。
どちらが余裕のない人かしら?」
「その文面だけを取ったら、前者の方は余裕がなさそうだね。
目の前にいる人の性質にとやかく言う人は、凡そ余裕がない、と思うのは当然だ」
「でしょう?」
「でも、キミだって、ゲイを嫌う和泉についてとやかく言っているじゃないか。それについても、あまり余裕があるとは思えないよ」
カチン、と音を鳴らしたように北上は眉が顰めた。
これは一本取られたともいうべきか。調子良く和泉を言いくるめていた矢先の出来事だったもので、余計に頭に来たのだろうか。
「詭弁だよね、それ」
「間違っているの?」
「大間違いよ。
彼は面白半分にゲイを非難した、そして私はそれを止めろと言ったの」
「それで?」
北上はここまで説明すれば自然とわかるものだと思っていたのか、続きを要求する今枝を前に、今にも叱咤しそうな顔をする。
「あのね。彼は完全な自己満足から来る他人への批判、そして私は社会的弱者を擁護した。これでもおんなじなの?」
「社会的弱者に対する批判について、擁護も過剰になったら余裕がないんじゃないの」
「じゃあなに? 隣で他人の悪口を言う輩がいて、見て見ぬふりをすることが善?」
「正しいとか別に、それは間違ったことじゃないよ。
余計な喧嘩をしてどうするの? しかも、悪口を言われた本人にだって迷惑にならないとも限らない」
そろそろ、2人の舌戦が教室内で注目の的となる。辺りはザワザワと騒ぎはじめ、2人の剣幕について、まるで火薬庫を見ているような緊張感を抱き始める。
その中で、発端となった和泉は何やら面白そうに、ニヤニヤとその様子を監視している。
「そういえば、今枝くんってLGBTについてユニークな考えを持っているんだっけ?
じゃあ聞かせて見せてよ、社会的弱者の彼らに、私たちはどうするべきか」
「私たちがどうするべきか、って時点で自分はおかしいと思うよ」
「……?
もしかして、何もするつもりがないの? なんの解決策も、対応も、なんにもないの?」
「ないよ。だって、本人らの問題じゃん」
「じゃあ、同性というだけで結婚もできず、婚姻の自由もない現状について、貴方は何も思わない、ってことかしら」
「ううん。自由に婚姻はすればいいと思う。その為の法設備はいいんじゃない?
でも、人に差別を止めろなんて言っても、うーん。
確かに、ゲイと言うだけで石を投げるのは咎めるべきだろうね。暴力はいけない。
でも、陰口を言ったからどうとか、ちょっと否定的なことを言ったからって、それを大きな問題みたいに扱われてもなぁ」
「大きな問題じゃないの? だってアナタ、自分の恋愛や性質で悪口を言われるのよ? 耐えられる?」
「辛いね」
「でしょう? だからやめるべきなの」
「何を?」
「悪口や偏見を持つことよ!」
「止めてくれ、って言って止めてくれるものなの?」
「止めさせるの!」
「止めさせて、止めた本人は自分への偏見は根絶するかな?」
「……」
「ヒトが何人いると思ってるの。この日本に1億、GIF県には200万人。
君はそれら全てのヒトへ向けて、全員が性的少数の理解は無理だと思うよ。ほら、誰にだって嫌いなものがあるじゃん。
お姉さんはピーマン好き? ニンジン食べれる?
納豆にはネギを入れる方?
それだけでも、気が合うか合わないか、様々じゃないか」
「そんなの分かり切ってるわよ。でも、それで共通理解を放棄するなんて馬鹿、というか思考停止以外の何物でもないわ」
「そうだね。
でもさ、性的な”少数”とはいえ、この世にいくらの性癖や性質と呼ばれるものがあると思うのさ。
例えば小学生を好きな小児性愛者や、人形にゴスロリ衣装を着せる人形愛好者。性的少数が可哀そうって理由なら、それら全てにまで理解が必要だ」
「ロリコンにまで理解? そんなのありえないわ。だって、ロリコンが対象とするのは知識も少ない女児よ。悪い大人に騙されているとも限らない」
「……そうだね。
なら、もし小児と中年男性が手を組んでテーマパークに遊びに行くとか、根暗そうなナード男性がカフェテラスでゴスロリ人形と一緒に喫茶する、そんな世界が許されないと、キミは思うのかな?」
「なによ、おかしいの?」
「そう思うのは普通じゃないかな。自分もロリコンの中年がいたら目のやり場に困る。
けど、男性同士が手を繋いでいる姿を見ても同じ。
キミは考え違いしている。キミは単に自分が正しいと思ったことをしているだけだ」
「それが何の問題のあるのよ」
「そして、ここの和泉も同じだ。彼は自分が面白い、と思ったことをすることが正しいと思ってる。
その為に気味が悪いと思った誰かを非難することもある。
そして、キミも同じだ。キミは自分が弱者だと思ったものを擁護することが正しいと思っている。
しかし、その裏でキミが悪いと思った誰かに対する偏見もある」
「私が、彼と同じ? ひどい言葉ね」
いつしか、北上は冷静を失っているようだ。言葉は静かだったが、目前の今枝に対して、子供を殺された親熊のように、明らかな敵意を持っていた。
「でも、そうじゃないか。
キミは自分の嫌いなものを差別していることには変わりない」
「差別ではないわ。ただ、当然の評価じゃないの。アナタの考えは不当よ」
「そうだね、そしてそれは、LGBTを嫌っている人も、当然の評価と思っているさ。
男の肛門にペニスを突っ込む獣なんて、差別が当然の評価だってね。
キミは自分の嫌いなものと同じじゃないと思いたいだけさ。
自分の中にあるルールが絶対である、他人にも強制すべき、と余裕のない考えをしているの」
プチ、と北上の中で何かが切れた。
彼女は顔を豹変させ、その右手がついに今枝の左目の少し下あたりを切り裂いた。
「キャーッ!」
女子生徒の1人がそれを見て悲鳴を上げる。
今枝の顔は皮膚が抉れ、血が流れる。それを見た生徒のいくつかは、今枝のショッキングな傷口に目を背けた者もいた。その傷は治癒しても跡が残るだろうと同情したものもいた。
「あっ、ああ……」
北上は嗚咽を漏らし、目の前の現象に対して信じられないという様子だ。
彼女としても、その手は咄嗟に出てしまったらしい。本意ではなく、できれば傷つけたくはなかったのだろう。
「だから、暴力はイカンって……」
今枝の言葉は周囲の喧騒にかき消された。
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