第38話 笙花、斎

「…すみません。なんでもないんです」

「斎と喧嘩したとかじゃなくて? 殴ってこようか?」

「違います!」


強く否定しながら起き上がる。が、眩暈がしてまた笙花の膝に倒れ込んだ。


「みゆちゃん!」

「おねがいします、ここにおいてください。あとふつか、薬を飲むまで、だんなさまにはいわないで…!」


ぐるぐると視界が揺れる。その中で、笙花は苦しそうに顔を歪めた。


「…わかった。アタシは仕事があるからちょっと出るけど、この家の中のもの好きにしていいから。ベッドも使っていいよ、ゆっくり寝てて」


幸岐の頭を撫でながら唇を噛む。この子の決意は本物だ。もう止めることはできないと、腹を括った。


だから、早急に仕事を終えなければ。この子の覚悟が無駄にならないように。


するりと髪に指を通す。


「いってくるね」

「はい、いってらっしゃいませ」


窓の外で、ゆらりと和紙が揺れていた。


☆   ☆   ☆


「…笙花のところだ」

「はあ⁉ いや前通ってきたけど、匂いしなかったぞ⁉」

「雨だったからだろ」


外は未だ大雨が降っていて、大急ぎで来た狛のズボンの裾も泥で汚れている。斎はイライラするように部屋の中を歩き回っていた。


「笙のところなら安心だな。早く迎えに行こうぜ」


なぜ出て行ったのかはわからない。台所には作りかけの雑炊が放置されている。食べてほしくて作ったが、どさくさで作るのを中断したままだった。

体調を崩して辛そうな幸岐の姿が蘇る。


「…ああ、そうだな」


狛は肩を竦めて微笑んだ。膝に手をついて立ち上がり、玄関へ向かおうと足を向ける。

その時、門を強く何度も叩かれた。


「斎様、斎様! いらっしゃいますか、斎様!」


焦ったように門を叩き続ける声の持ち主は、隣山の鬼の部下だ。斎と狛は顔を見合わせる。


「どうか、どうかお力をお貸しください! 山が襲撃を受けています!」

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