第16話 幸岐

調理器具の片付けも終了し、幸岐はそのまま夕食を作り始めた。斎は指示された野菜を取ってきたり高いところにある皿を取ったりと手伝いをしている。

冷蔵庫からにんじんを手に取った斎は、突然「あああ⁉」と声を上げた。幸岐が驚いて振り返る。


「ど、どうかしましたか?」

「ああ、いや…。…驚かせてすまん、仕事残ってるの思い出して…ちょっと自室で仕事片付けてくるな」

「はい。できたらお呼びします」


ばたばたと台所から出て行った斎を確認した後、彼女は袖の中から一枚の紙を取り出した。

笙花の話だと、送られてくる薬を飲む前にやっておかなければならないことがあるらしい。それと、服薬時の注意を書き写した紙だ。幸岐は鍋をかきまわしながら、その紙を見つめた。


『いち、ふくやく する なのか まえ から もの を たべては いけない。

に、ふくやく まえ には み を きよめ なければ いけない。

さん、ふくやく する とき は みず で なければ いけない。

し、ふくやく ご なに が あっても はいては いけない。』


一項目ずつ心の中で復唱し、最後の行。


『あなた に ふろう ふし の こうふく が あります ように』


幸岐はうっとりと目を細めた。

この薬が届けば、あのひとに見送られなくて済む。天命なんてこなくていい。あのひとと同じ時を生きられるのなら、一人にならないのであれば、それでいい。

『不老不死の幸福』という字を撫でて、彼女は小さく呟いた。


「…もうすぐ、この幸せが永遠になる」


心底幸せそうな、嬉しそうな声が台所の調理音にかき消される。

が、その声を拾った者がいた。


台所の戸に寄りかかって、腕を組んでいる。頭の上についた金色の毛並みをもつ狼の耳が、台所の中へと向けられている。


「…幸せが永遠に、か…」


聞き耳を立てていた狛は、気配を殺したまま廊下の奥へと向かった。


向かう先は、斎の自室。

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