君と歩んだ道〜the way with you〜

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本編


山の向こうに積乱雲が見えた。



その大きな雲は、海辺の町を見下ろしていた。僕は、その景色を横目に、水平線が船を飲み込む海を見ていた。



熱海。海から熱いお湯が湧き出ていたことが由来となって名づけられたその町は、観光街らしくたくさんのホテルが立ち並んでいた。


緑が綺麗な山と、その麓の町。

そしてすぐそばに広がる海という構図が、いかにも大衆の人気を集めるのだろう。しかしその風景は、僕にはすごく退屈なものに見えた。


展望台を降りて、海へと向かった。 防波堤の上を歩く。潮風が身体にまとわりつく。


近いはずなのに、遠く感じる記憶をなぞりながら、僕は防波堤の上をただひたすら歩き続けた。



どれくらい歩いただろうか。船着場の横を歩いた時、遠くから僕を呼ぶ声が聞こえた。

どうやら、危ないから降りろ、ということを伝えたいようだ。

僕はその声を無視しようとしたが、もうすぐ防波堤がなくなるのを見て、素直に従うことにした。


海の向こうに夕焼けが見える。そろそろ、宿に帰ることにした。



△▽△▽

「ちょっと、危ないよ」

君は防波堤の上を歩いていた。


笑いながら振り返って、君は言う。 「楽しいよ、君も乗ったら」


僕は首を振って、君の横へと走り寄った。手を伸ばす。


防波堤の上と下では、あまりにも手が繋ぎにくすぎて、君は思わず躓きそうになった。慌てて支えた。


「ありがとう」


そういう君の目には、何故か涙が浮かんでいた。

「どうしたのさ」

僕は聞いた。でも君は、ただ悲しそうに頭をたれているだけだった。

△▽△▽



久しぶりに夢を見た。

遠い昔の、悲しい記憶だ。


僕は、嫌なことを振り払おうと頭を振って、ベッドの下へと足を下ろした。


今日は、神社に行くことにしていた。宿を出て、目的の場所へと向かう。熱海來宮神社という場所だ。パワースポットとして有名なところである。


 平日らしい静かな空気と木漏れ日の中、大楠の前に立つ。樹齢二千年ともいわれているその木に手を伸ばして、ゴツゴツとした樹皮を撫でる。

非科学的なものをあまり信じない普段の僕からしたら、その行為はかなり異質なことだった。


 神社の本殿へと向かう。小川のせせらぎが心地いい。やはり神社は、平日の静かな雰囲気の日に来るのが一番だ。


 本殿についた。最近塗り替えたばかりなのだろう、鮮やかな赤と白の建物の前に、なんだか虚しくなった。


 特にお願いすることはなかったので、暫く本殿を眺めてから外へと向かった。



△▽△▽

「ねぇ、神様って信じる? 」

 君は突然そう聞いてきた。


「うーん、あんまり。信じてた時期もあったけど、何もしてくれなかったし」

「そっか」


 君は樹齢二千年もあると言う大楠を撫でながら言った。


「確かに、いいことはないかもしれないけどさ。こうやって何千年も生きてる木を見ると、神様が宿ってて欲しい、そんな気分にならない? 」


「うん、なんとなく分かる」

「でしょでしょ」

 君は嬉しそうにそう答え、言葉をつづけた。

「そろそろ、奥の本殿、行こっか」

△▽△▽  



次の日。僕は箱根へと来ていた。  大涌谷へと向かうロープウェイの中、窓の外を見た。


遥か下に見える木々に、思わず眩暈を覚えた。


ロープウェイから降りた瞬間、硫黄の匂いが鼻を突いた。駅から出ると、荒涼とした黄色の大地が目に飛び込んできた。


白い煙が危なそうな雰囲気を醸し出している。これには江戸時代に「地獄谷」の名がつけられていたのも頷けた。とはいえ、今は整備された遊歩道とお店で地獄とは到底呼べないのだが。

 売店で買った黒卵を食べながら、遊歩道の上を歩く。ここも平日らしい空き具合で、少し寂しささえ覚えた。


 しばらく眺めてから、またロープウェイに乗り込んだ。



△▽△▽  

ロープウェイを降りると、テレビでよく見る大涌谷の姿が見えた。硫黄の匂いも、本当に腐った卵のようだ。


「うーん、本当に臭いね」

 君は鼻をつまみながらそう言う。


「でもこれが大涌谷なのね。なんというか、シゼンノユウダイサを感じるわ」  


片言調の褒め言葉に、僕は思わず苦笑を漏らしてしまった。

君は恥ずかしそうにこちらを見る。


「と、とにかく。黒たまごも激辛ラーメンも、食べたいものはいっぱいあるんだから、早く行こうよ」


「そうだね。……でも、これだけ混んでいると、かなり並びそうだね」


「それはね。でも、こうやって観光地で、人混みに飲まれながら歩いてると、観光してるんだー!! って気分にならない? 」


 正直、僕にはその気持ちがよくわからなかった。でも、彼女は彼女なりにこの旅を満喫してるんだろう。


「早く行かなきゃ、混んじゃうよ」  そう言って君は、一人で歩き出した。


「百合子」

 君の名を呼ぶ。

君は笑って、こちらを振り返った。


「僕が、ちゃんと君をいろんなところに連れて行くから。世界の広さを、教えてやるから」  


どうしてこんなギザなセリフを、急に言いたくなったかは分からない。でも、今言わなきゃいけない、そんな気がしたんだ。


 「うん、ありがとう」

 君は恥ずかしそうにそう返した。

△▽△▽



「結局、そんなことはできなかったのに」  窓の外の暗闇を見ながら、そう呟く。帰りの夜行バスのなか、またも悲しい記憶を夢に見た。どうしようもない現実を前にして、窓の外の闇に拐われたい、そんなことを考えていた。  再び、夢の中へと落ちていく。



△▽△▽  

 大学に入って二か月ぐらいしたころ、僕に初めての彼女ができた。

彼女の名前は三ツ橋百合子といった。


日本を代表する三ツ橋グループの令嬢で、あまり社交性のない子だった。


 出会いは経済学の講義。教科書を忘れた彼女に僕が見せてあげたのがきっかけで、それからすぐに仲良くなった。


とても優しい子で、自分の立場を鼻にかけないし、社交性がないのも親の過保護のせいで他人と関わる機会があまりなかったからで、それから一か月経ったころにはすっかり周りに打ち解けていた。


 告白は彼女からだった。僕はすぐにオーケーしたが、その後も特に接し方が変わるということもなく過ごしていた。  

さっきも言った通り、親が過保護だったものだから、彼女は旅行に行ったことがなかった。

だから僕は、暇さえ見つければいろいろな所に彼女を連れて行った。

 札幌、仙台、日光、長野、京都、大阪、広島、博多……そして、熱海と箱根もだ。でも、そんな幸せな日々は、長くは続かなかった。

△▽△▽  



バスから降りる。時計は夜の三時を指していた。 「まだこんな時間か……」  そう呟きながら、奇跡的に通りかかったタクシーを拾って家へと向かった。

家のベッドの中で、泥のように眠った。この疲れは、きっと一生取れることはないだろう。  




一週間後。無機質な大学生活を潜り抜けて、奈良へと来ていた。

 東大寺へと訪れる。東大寺はかなり広く、半日かけて回り切れるかわからないところだったが、もうすべての場所に訪れたことがある。

僕が今日行こうとしているのは、たった一か所だけだった。


 二月堂。丘の上に存在するお堂だ。そこの下に存在する杉の木は「良弁杉」といった有名な木だ。

良弁杉というのは東大寺の初代別当である良弁が、『まだ赤ん坊の頃に、トンビにさらわれてしまった後、この杉の木に引っかかっているところを保護され、僧侶として育てられることになり、最終的には成長した後にこの杉の木の下で母親との再開も果たす』といったエピソードから名づけられた木だ。


 二月堂から景色を眺める。すぐ真下には東大寺の建物が、奥の方には奈良の町が見える。


二年前もみたこの景色に、僕は悲しさを覚えた。



△▽△▽

「おー、大きな木だねー」  

百合子はそう言いながら、木のもとへと駆け寄った。

「ねぇねぇ、この木の伝承、知ってる? 」  


首を横に振る。それを見た百合子は、僕に良弁の話を教えてくれた。

「いい話でしょ? 」  

百合子は得意げな顔で聞いてきた。


「うん。最後に母親と会えたのは、何とも感動的だね。」

「でしょでしょ? 」  


そして彼女は、一瞬顔を曇らせて、何かを呟いた。

「……も、……しょに……らいいのに」


「ん? なんか言った? 」


「ううん、なんでもない」

 彼女はすぐに顔を明るくしてそういった。  僕がその言葉の本当の意味を知ったのは、その次の日のことだった。

△▽△▽  



次の日、僕は京都へと向かった。清水寺、それが目的地だ。

 清水寺の舞台は、何度見ても高くて足がすくむ。清水の舞台から飛び降りるなんて慣用句ができることに誰もが納得するだろう。

緑色の葉が、風に揺られて落ちていく。

たくさんの人混みの中で。

僕はあの時に想いを寄せる。


周りのひとはみんないなくなって、その場には僕と君だけが残る。


いっそあのまま、二人で一緒に身を投げてしまえばよかったのに。


何度も後悔した、あの瞬間へ。



△▽△▽

「あのね、言わなきゃいけないことがあるの」  

ついさっきまで紅葉を見てはしゃいでいた百合子は、急に顔を曇らせた。


「どうしたの? 」  

僕は困惑しながら聞き返した。


「あのね、私ね」  


彼女は、一つ一つ言葉を選ぶように話す。


「私、ね……、もう、あなたと一緒に、いられないの」  



その瞬間、時間が止まったように感じられた。


風は止まり、落ちる紅葉は空中で停止した。


何分も止まったままだったその時間は、遠くから聞こえた耳鳴りのような音で動き出した。


「あの、ね。うちの親がね、私の結婚相手をね、勝手に、決めちゃったの。商略的結婚。だからもう、あなたといることは許されないの」


 僕の目から涙があふれた。それは百合子も同じだった。


「な、なんでだよ。嫌だって言えばいいじゃないか。歯向かえばいいじゃないか! 」  


そんなことを言ってもどうにもならないのに、僕はひたすら叫んだ。


それはただ、百合子の傷を抉るだけだというのに。


「ごめんなさい。ごめんなさい……」


 百合子はか細い声で言葉を続けた。


「ずっと一緒にいてくれた。人付き合いの仕方も教えてくれたし、いろいろな所に連れて行ってくれた。外の世界の広さを、教えてくれた」



「……」



「……それでね、私、ずっと強くなった気がしていたの。一人で、何でもできるって。でも、本当はそんなことはなかった。私はずっと弱いまま」



「……そんなこと、は」



「私はね、一人じゃ何もできないの。弱弱しい、小さな存在」


「……そんなことはない! 君は弱くなんかないし、僕だっていいるじゃないか! 」


「……ううん。私もあなたも、この状況はどうしようもないの。絶対に。……ごめんね」

「絶対なんか、絶対なんか」

 僕は弱弱しくそう繰り返した。そこから先は、まったく覚えていない。


気が付いたら、家の布団で朝を迎えていた。  

百合子の親が、ありとあらゆる手を使って僕の家や家族の家を奪う準備をしていたことを聞いたのは、それからずっと先のことだ。

△▽△▽  



京都を出て、東京へと戻って来た。百合子の影を追いかけて出たはずの旅は、どれも僕を余計虚しくさせるだけで、なにも得るものはなかった。


「百合子……」

 額縁の中の百合子に手を伸ばす。


函館の教会の前で、二人で撮った写真。


「いつかこんな教会で、結婚式をあげたいなぁ。お父さんもお母さんも、大学のみんなもさ。みーんな呼んで、みんなの前で永遠の愛を誓うの」


 恥ずかしそうにそう言いながら、すぐに顔を真っ赤にして冗談だと言う百合子の顔も、肌に触れる空気の暖かさも、新緑の匂いも、全部鮮明に覚えている。


 もう絶対に叶わない夢。


百合子はこのとき、すでに悲しい現実に気づいていたのかもしれない。


僕は胸をひどく締め付けられ、何度流したかわからない涙を、また、流した。




京都から帰ってきて、僕は重い身体と心を引きずって大学へと向かった。


しかし、一日中百合子と会うことはなかった。友達に聞いても、誰一人見かけていないという。


でも、もし百合子とすれ違ったら、どんな顔をしてどんな話をしたらいいのだろう。

心の準備なんか到底できてなかったから、それはそれで好都合だった。  


しかし、その状況は何日も続いた。


大学側に聞いてみても、百合子がどうなったのか教えてくれなかったし、まさか家に連絡を取れるわけもなかった。  


もしかしたら、大学を辞めてしまったのだろうか。そんな不安を感じ始めたころ、百合子を屋上で見かけた、という情報を得た。


僕は急いで屋上へ向かった。

 急いでドアを開ける。


そこには、何日見ていないか分からない百合子の姿があった。



「百合子……」


 初めて来た屋上は、あまりにも寒かった。二十一階にあると思うだけで、足がすくむ。


しかし、今は進まなければならない。百合子は、手すりの向こうの街を見ていた。


「百合子……? 」


 いくら呼びかけても、返事がない。僕は百合子の隣に行こうとした。その瞬間、百合子は叫んだ。


「来ないで! 」



振り返った百合子の目は赤く腫れ、大粒の涙が溜まっていた。


「来ちゃ……ダメ……」  


急に弱くなった声でも、僕の足に鉛をつけるぐらいの効果はあった。


「私ね、君に会えて良かったよ」


「……」


「初めて私のことを大切にしてくれて、ずっと私のそばにいてくれて」


「……」


「私ね、行きたくないの。私のことを大事にしてくれない人の所になんて」


 そう言いながら百合子は、片足を手すりの上に乗せた。


「ま、まさか……」


「私ね、ずっと君といたかった。でもね、その時間はもうすぐ終わってしまうの」


「やめろ……」


「だから、私は、ずっと、ずっと……」


「やめてくれ……」


「時間を止めるの。誰かの物に、ならないために……」


「やめてくれ! 」  


鉛が乗った足を全力で動かして、百合子の元へと駆け寄る。


「ごめんね……」


 僕は、ただ君が元気でいてくれれば、それで幸せなのに。  


百合子の身体は、ゆっくりと傾いていく。  時の流れは残酷で、やけにゆっくりと時間は進む。


でも、百合子の身体はどんどん倒れていく。


「百合子! 」


 僕は、僕だって、君に助けられていたのに。


「君のこと、ずっと、大好きだよ」


 百合子がそう言った瞬間に、遅かった時間の流れは急に加速しだして。



 数秒後、百合子の身体はコンクリートに打ちつけられた。


 僕は、ただ、どうしようもない現実に、涙を流すしかなかった。

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