首輪の様な物

松風 陽氷

首輪の様な物

貴方は私がこんな人間だなんて知らないんでしょ。騙されててくれて、本当に、心の底から感謝してるの。

って、何だかこんな言い方をすると皮肉っぽいわよね、ごめんなさい。でも、本当に感謝しかないの。もし貴方が私を知ってしまったら、それは、その時は、私、もうどうなってしまうか分からないわ。


私を越して前を歩く彼の背を見て、フッと切なく感じたの。彼は私を越えて、私の前で道路を渡った。渡る瞬間、車を確認する為に後ろを軽く振り返った。その時刹那、彼と目が合った気がしたの。

物凄く心臓が痛くなった。もう、切ないなんて言葉じゃ全然足りない位。まるで心臓を取り巻く太かったり細かったり全ての血管という血管がいきなり縮こまって、ぐしゃるりと握り潰されたみたいに。

私ね、今、貴方がくれたあのマフラーを巻いてるの。マフラーで口元を隠すフリをしながら、物凄い力で握ってる。心臓を具現化したみたいに、ぐしゃるりって握ってるわ。

ねぇ、どうして彼は私を越えて私の前で道路を渡ったのだろう。そんなに私の情けない顔が見たかったのかしら。ねぇ、おかしな話よ、彼の家、この道路を渡った側には無いの。だから彼は渡る必要なんて無かったはずなの。

誤魔化せたなんて思ってるのかしら。残念ね、私は彼に対してそんな生半可な気持ちを抱いていた訳じゃないのに。私が何度、一緒に帰りたいからって頭の中でシュミレーションしたと思ってるの。何度彼の自宅をじっと見詰めたと思ってるのよ。私の家から歩いて三分もしない所にある彼の自宅なんて、分からない訳ないじゃない。彼は、そういう所だけちょっとばか。

そんな所も可愛いとか思っちゃってる私はもっとばか。


貴方のくれたマフラー、何だかとても甘くて良い香りがする。今まで私が使ってきたどのマフラーよりも暖かい。巻くだけで幸せな気持ちになって少し眠たくなるの。こんなの初めてなの。

それなのに、何でこんなにも涙が溢れそうなのかしら。

鼻の先と目頭の温度差が酷すぎるから、とっても悲しい気分でいっぱいなの。

好きよ、大好き。貴方を心から愛しているわ。それなのに、私ったらどうして彼の背中を見て視界が熱く歪んだりしたのかしら。

私、自分で自分がわからないの。だって私は今まで自分を騙して生きてきた、自分の感情に嘘をついて生きてきたのよ。

誰かを好きになっても、その感情を殺して、無視して、そうやって今まで生きてきたのよ。

でも、彼だけは駄目だった。

自分の感情を殺し切れなかった。私は彼が大好きだった。生まれて初めて愛される努力をした程に、彼を愛していたのよ。あぁ、なんて馬鹿馬鹿しいこと。彼に恋をして、私は変わったわ。変わってしまったの。生まれて初めて、月曜日や一日の始まりが、楽しみになった。外の景色に色が映った。彼の横顔を見るだけで心音が身体中に響いた。彼の声で彼がどこに居るのか分かった。笑い声を聴いただけで何だか嬉しい気持ちになった。いつの間にか彼の考える時に顎を触る癖が自分の癖にもなっていた。可愛くなりたいとこんなにも強く思ったのは生まれて初めてのことだった。


彼は私の人生に初めて美しい色を塗ってくれた人。

だから、私は彼を忘れられない。

貴方を愛している、これは嘘じゃないわ、本当に心の底から愛しているの。それでも彼を見るとやっぱり痛むの。未だにじくじくするの。

はぁ、女の未練がましさったら、醜くってどうしようもないわね。ここまで来るともうお笑い種よ、いや、お笑い種にして下さいな。その方がいっそ、救われる様な気がする。


だから、もう一度繰り返すわ。

騙されてくれて、有難う。

私を暴こうとしないでくれて、有難う。

私を愛してくれて、有難う。

そして、彼を忘れられないままで、ごめんなさい。自分を殺し切れなくて、ごめんなさい。

一つだけ、我儘が許されるならば、

私が貴方と離れてしまうその時まで、貴方と共有するすべての時間に、謝り続けさせて下さい。私が懺悔することを許して下さい。そうしていると、救われない惨めなこの思いがまだ幾分かマシになる気がするのです。か弱い乙女だった頃の苦痛なる初恋が、幼子の小さな口でみぞれ飴を溶かすように、少々の痛みと息苦しさの中ゆっくりとじんわり、甘くて美しい思い出と変化して行ける様な気がするのです。

私が抱きしめられたいのは貴方だけ。だけど、やはり彼を見ると手を伸ばしたくなる。

こんなのって無い。悲劇的な話だわ。



ごめんなさい、私の愛しい人。

どうか、私を離さないで、ずっと監視して、しっかりと貴方の首輪を付けて、飼い慣らして、

彼以上に私を狂わせてみせて。









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