1-10

 車は順調に走り、無事喫茶店に着いた。

 エンジンの音に気付いたのか、真紅郎さんが焦った表情で駆けてきた。

「快人君!遅かったじゃないか!連絡はきてたけど、無事かどうか心配で」

「心配かけて、すみません……」

「いいよ、謝らないで。全面的に崇人さんが悪いんだし。それじゃあ、お帰り」

 初日から心配をかけてしまって申し訳なく深く頭を下げたけれど、真紅郎さんは僕の頭を上げさせると、笑って言った。

「……ただいま、です」

 僕も真紅郎さんの笑顔につられて笑う。

 なんだかその言葉が歯痒かった。真紅郎さんの言葉が、嬉しかった。

「ほら、中に入って。あ、崇人さんの所行って、何か収穫はあった?」

「まあ、それなりには」

「良かった。後でゆっくり聞かせてくれないかな?」

 僕は頷き、言った。

「荷物整理全くやってないので、上で片付けやってますね」

「うん、そうしておいてくれると助かるよ。そうだ。昼ご飯って、食べたかな?」

 言われて、空腹に気付く。途端にぐうとタイミングよく腹の虫が鳴る。すごく恥ずかしい。それに真紅郎さんが笑った。

「なら、ちょうどいいや。上のキッチンの冷蔵庫にサンドイッチがあるから……」

 真紅郎さんが途中まで言ったところで、「staff only」のドアが勢い良く開いた。僕はドアの目の前に居たので、危うくぶつかりそうになった。慌てて避ける。

「店長~!新しいコーヒー豆入りましたよう……って、あれ?お客さん?」

 大きなコーヒー豆の袋を抱えた、アルバイトの女子大生らしき人は僕を見て、それから真紅郎さんに顔を向けた。

「ひな子君、びっくりさせないでよ。今はそんなにお客さん居ないからいいけど、次からは気を付けてね」

「はい、すみません……ってことは、このイケメン高校生はお客さんじゃないんですか?」

「ああ、そうだよ。君にも言っていたと思うんだけど、今日からここに住む卯路井快人君」

 ひな子さんは思い出したらしく「ああ~」と納得した表情を見せる。真紅郎さんは僕にも彼女を紹介した。

「で、快人君。彼女はここのアルバイト、望月もちづきひな子君だよ。と言っても、小さな店だから、ぼくの他にひな子君しか働いてないけどね」

「ごめんねっ。急にドア開けたりして。よろしくね、快人君っ!」

 ちょっと申し訳なさそうに、最後は明るい笑顔でひな子さんは言った。

「こちらこそ、よろしくお願いします。ひな子さん」

 僕があいさつを返すと、ひな子さんは「きゃあ」と悲鳴だか歓声だか判らない声を上げ、持っていたコーヒー豆の袋が落ちるのを気にもとめず僕の両手を掴み、

「君の声ステキ!」

 と言った。……声?

「あの……ひな子さん?」

 どう対応したらいいかと僕が困惑していると、真紅郎さんが僕に言った。表情はまさに苦笑いで。

「彼女、声フェチ?らしいんだ」

「声、フェチ?」

「うん……良い声が好きっていうの?」

「はあ。そうなんですか」

 そんな僕たちの会話に全く気付かず、ひな子さんはずっと僕の手を握っていた。妄想の世界にトリップしてるのかもしれない。その証拠にさらに握る手の力が強くなった。もう、限界だ。

「あ、あの……」

「……ん?何?」

 名前を呼んだら、意外にもすぐ気付いた。

「痛いです」

「え、どこが?」

「あの……手が」

 そこでようやくひな子さんは気付いたらしい。「あ!ごめんっ」と言って、ぱっと僕の手を離した。

「あたしね、自分の好きなことになると、つい自分の世界に入っちゃうっていうか……店長の声もかなり良いんだけど、快人君の声もなかなか好みで……」

「ひな子君」

 真紅郎さんが割って入った。今まで優しい雰囲気を醸し出していた真紅郎さんだったが、笑顔のまま、圧力をかけている。正直、怖い。

「さっきも言ったけど……お客様が沢山いる時だったらどうするのさ。まぁ、とにかくコーヒー豆運んで。罰として、ぼくは手伝わない」

「すみませんっ店長!」

「今度は気を付けるんだよ。じゃ、快人君は上に行ってて」

 僕とひな子さんは二人同時に「はい」と言う。いつの間にか、真紅郎さんは先ほどと同じ柔和な雰囲気に戻っていた。僕は彼を怒らせることは、なるべく避けようと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る