白い目の君

@chillchill_tobi

第1話

ふと、鉛のような首をあげると空は、すでに日暮れの準備をしていた。

どのくらい経ったのだろう。

(このままだと閉館時間をすぎてしまうな)

ルームミラーにうつった自分の顔と目が合った。ミラーからぶら下がったアクセサリーが、あざ笑うかのようにチラチラと揺れる。緩慢な動作で手を伸ばし角度を調節した。

ブレーキを踏み込み発進の準備をする。ウィンカーを出しながらアクセルを踏み込むと、追い立てられるような悲鳴をあげてエンジンが回る。ハンドルを繰りながら腹に力が入った。

(椅子の位置を調整しておけばよかったな)

膝が必要以上に曲がりすぎて、アクセルもブレーキも操作がしづらい。

いつもとは違う勝手に戸惑いながらも、私はぐいとアクセルを踏み込んだ。とにかく早く目的地にたどり着きたかった。

『500メートル先を左に曲がります』

ナビゲーションの無機質な女の声にはっとした。目の前に迫る赤信号に慌ててブレーキを踏む。かしゃん、と助手席から何かが落ちた音がした。DVDだ。

(これは……)

赤いパッケージにサメと神父が写っている。視線を前に戻した私の頭に、あの時の記憶がじわりと浮かび上がった。


1 加奈


「なにこれ」

加奈はリビングのテーブルに無造作に置かれたDVDを指して言った。

私は彼女を見た。ボサボサの髪の毛に化粧っ気のない顔、上下に厚手のスウェットを着込み、その上に厚手のガウンを羽織っている。結婚ももう三年目に入った。昔の彼女の面影はすでにない。


加奈と私の出会いはお見合いだった。

あの日、気のすすまない私を、母は強引に連れ出すことに成功した。赤坂の高級ホテルの料亭に着くと、加奈とその家族が座っていた。

加奈が顔を上げた時、乗り気でない私もすこし頬に熱を感じるくらいに、彼女は美しかった。学生時代に付き合った彼女たちは皆、理由を告げるでもなく私から離れていったものだ。私は傷つき、悩み、心を乱した。そして大学を卒業し就職する頃には、すでに誰かに恋をすることに臆病になってしまっていた。

そんな私の前に現れた加奈はまるで救世主のようにも見えた。

お見合いの翌日、私から誘う形で加奈との交際が始まった。何度もデートを重ね、お互いの熱が頂点に達した頃、母にせっつかれる形で私は加奈にプロポーズをした。ゆるくカールした髪を揺らし、指輪を握りしめ、顔を涙で濡らした加奈こそ、私の運命の伴侶だと信じて疑わなかった。

プロポーズから半年後の結婚式の日、それは私にとって人生最上の日であったように思う。その頃の私は未来は自分が描いた通りに進んで行くものだと思い込んでいた。花々に囲まれ友人や母に祝福され、美しい妻を迎え、幸せの絶頂だった私の目前にはバラ色の未来が確かにうつっていたのだ。

しかし、幻のように全てが消え去るまでには、さほど時間はかからなかった。

「また、だめだったよ」

加奈が暗い顔で告げたのはいつの日だっただろうか。

「そうか」

私は加奈の顔を見て、そっと抱きしめた。何度挑戦しても、私たちには子供ができなかったのだ。

何ヶ月か加奈の暗い顔を見送ったある日、加奈がダイニングのテーブルに座りながら言った。

「私、病院に行きたい」

はっとした。

「え?」

「だから、病院に行きたいの。珍しいことじゃないし、病院で調べてもらったら妊娠できるかもしれない!」

私は怯んだ。すると、女性というのはどうしてこう勘が鋭いのか、加奈の顔が歪んだ。

「嫌なの?」

苛立ちを乗せた声が飛ぶ。

「嫌なわけではない……けど」

「けど!?」

加奈の声が大きさを増し私の鼓膜がびりびりと震える。その振動が全身に広がり、私の心が固まってしまう。理由はわからない、私はいつもそうなのだ。

「なんなの! 意味がわからない!」

ひときわ大きい声を上げ加奈はどかどかと足音を立てて去った。

加奈の姿が見えなくなると私の体がゆっくりと溶ける。指先に力が戻ってくる。やっと呼吸ができるようになる。

そして正面を見据え私はいつも思うのだ、何も解決していないと。

同じ諍いを何度か繰り返し、いつの日か私たちの会話は少なくなっていった。


「聞いてる?」

加奈の声が険を帯びる。私は腹に空気を溜め、早口で吐き出した。

「会社の同僚にもらったんだ」

「ふーん」

まるで汚いものに触れるかのように、加奈はそれをつまみあげた。

パッケージには燃えるように威嚇するサメと神父の姿が描かれている。

「これ面白いの?」

訝しげな視線が投げかけられる。加奈が私を見るなんて久しぶりなことのように思う。

「まだ観てないからわからないな」私の口元に、すこし笑いが漏れた。

「あっそ」

かしゃん。

加奈はおもむろにDVDを机の上に放り投げた。私は2回瞬きをした。最初から最後まで加奈の顔には興味の色など浮かばない。何かの感情があったといえば、あの訝しげな視線くらいだ。

「じゃあ、お皿洗っておいて、洗濯もね。よろしく」

「……ああ」

振り向きもせず、着膨れした背中が遠ざかって行く。

私はすぐにそれから視線を外した。ダイニングのテーブルには帰宅時に購入した牛丼屋の袋が置かれている。加奈の部屋の扉が閉まる音を聞きながら、私は牛丼を口に含んだ。どこか安心するいつもの風味だ。

牛丼を食べ終え、ビールでも飲もうかと席を立った時、視界にサメと神父のパッケージがうつった。赤く燃えるような色合いのそれに、私の心が揺れた。

同時に同僚の顔が、頭に浮かんでくる。そう、彼女にもらったものだ、これは。


2 沙織


私は小学生で受験を経験した。

母の教育の元、クラスメイトが遊んでいても誘われても断り続け、都内の名門と言える中高一貫の男子中学校に入学した。

高校を卒業し国立の大学に落ちた時、母の顔色が変わったことを覚えている。やむなく滑り止めに入学し経済学を専攻した。なにかやりたいことがあったわけではない。いい企業に入社すること、それだけを目指して生活していた。

サークルに入りそれなりに人間関係を築いた。彼女もできた。その時も母の顔色が変わったが、私は気がつかないふりをした。

そして難関の就職活動を突破し、名のある商社に内定が決まった時、一番に母に報告をした。しかし、喜んでくれるかと思った母は顔を曇らせながら、こう言った。

「お祖父様と同じところには入れなかったのね」

赤い口紅から覗く歯がいっそう白く見えた。

そして入社してすぐに加奈と結婚した。商社でがむしゃらに働く一方で加奈とは会話がなくなっていった。

そんな折に出会ったのが、沙織だった。もともと中国の会社にいた彼女は、若くして実力を買われ入社した、たたき上げの社員だ。

「あれ、また残業ですか?」

ある日、肩までの長さで整えられた髪の毛を揺らし、沙織が私のデスクを覗き込んできた。

「うん、まだ終わらなくて」

「そうなんですね。もうみんな帰っちゃいましたよ、何とかフライデーだし」

沙織は無遠慮に大口を開けて、がははと笑う。私はそれが苦手だった。大きな瞳をしているものの、今一歩美人には届かない顔立ちをしてる。加奈とは大違いだ。

「そうだったね」私は息を吐いた。パソコンから両手を上げ軽く身体を伸ばす。

「帰らないんですか? 金曜日、奥さん待っているんじゃないの?」

沙織が私の隣のデスクに座る。中国育ちのせいか、彼女の日本語はすこし乱れる時がある。そしてまっすぐに私を見る。その目も苦手だった。

「待っているけどね、終わらせなきゃいけない仕事もあるし」

「じゃあ、まだここにいます?」

「まあね」

沙織の顔がまるで子供のようにくしゃりと笑った。

「息抜きしませんか?」

彼女はカバンの中からタブレットを取り出した。

そこから私が発した言葉は二言ほどだったように思う。あっという間に沙織はタブレットを机の真ん中に置き映画を流し始めたのだ。しかも、それは水着の美女や男たちが頭が2つのサメに喰われるという、とんでもない内容の映画だった。私が今まで嗜む程度に観てきた映画とは全く違う。

エンドロールが終わり、沙織は私の顔を再び覗き込んだ。

「遅くなっちゃいましたね、ごめんなさい」

また子供のように笑う沙織に、私はただ、

「ああ」とだけ返した。

沙織と観た映画の衝撃を引きずったまま帰宅すると、すでに加奈は寝てしまっていた。私が加奈と同じ寝室で寝ることはもうほとんどない。ファミリー用に購入したマンションなので不便は特に感じてはいないが、夫婦として何かが間違っている気がしてならない。

シャワーを浴び、寝間着に着替えて布団に入ると、枕元に置いたスマートフォンが鳴った。音がうるさいと加奈が起きてしまうかもしれない、私は慌ててそれをつかんだ。画面には沙織の名前が表示されていた。

——お疲れ様でした。また観ましょうね。

それだけだった。それだけだったが。私は震える手でスマートフォンを持った。そして、

——面白かった。また

それだけ打った。


沙織がどういうつもりだったかはわからない。

その日から私たちは、残業ついでにおかしな映画を流し、笑い合う仲になっていった。そしてある日沙織が言った。

「タブレットじゃ観れないレアなDVDが手に入ったんだけど、うちで観ない?」

沙織の整った髪が揺れる。私は平静を装った。

「レアなDVDって?」

「輸入したやつだよ。すごいから、ほんとすごいの、笑っちゃう。一緒に観ようよ」

心臓が不穏な音を立て始める。

「え、いやでも」

「観ようよ」

まただ。

沙織は子供のように笑う。加奈の美しさを心得た笑顔とは違う。丸められて用をなくした紙のような笑顔なのに、なぜか私は目が離せなくなる。脳が機能を停止して首を縦に振るしかなくなってしまう。

「わかった」

私は答えた。その日、私は加奈に残業で泊まり込みになる旨を伝えた。加奈からの返信はなかった。


3 母


冷蔵庫からビールを出した私は、リビングの大型テレビに、沙織からもらったDVDを映した。加奈が起きてくるといけないので音量を絞る。画面に映画が流れ始めた。ビールをあおる。

「これ観てね、すごいから」

ケラケラ笑いながら沙織が私に渡してきた映画だ。美女が登場する、サメが登場する、人が死んでゆく、さっぱり意味の通らない流れ、沙織好みの映画だった。しかし私はクスリとも笑えなかった。内容もさっぱり頭に入らない。

半分ほど映画が進んだところで、家の電話がなった。

私は慌てて受話器を取る。加奈が起きてしまう。

「はい、もしもし」

「和也?」

受話器の奥から聞きなれた声がした。

「お母さん」はっと息を吐いた。

「こんばんは、和也。元気でやっている? 加奈さんはどう?」

「元気だよ、加奈は、もう寝ているよ」

私は腹に力を入れる。母からの電話にはいつも緊張が伴う。

「そう。ところで和也、あなた加奈さんとはうまくやっているの?」

母の凛とした声は、しばしば私の鼓膜を引き裂くように響くのだ。

「うん、うまくやっているよ」

「そうなの。結婚も三年目になるというのに……子どもはまだなのかしら。わかるでしょう、和也、私は心配しているのよ」

「うん」

「あなたには期待しているのよ。あなたはあなたのお祖父様のように一家を支えていかなくてはならないのだから。まずは子ども、そして仕事、ほら、あなたは本命大学に落ちてしまったから、お祖父様とおなじ会社には入れなかったけれど、今の会社でも頑張っているんでしょうね?」

母の言葉を聞いていると、私は固まってしまう。反発などしないように、母の機嫌を損ねないように躾けられているからだ。言うことを聞いてさえいれば、期待に応え続けていれば、母の顔色は曇らない。

「私は死にそうになりながらあなたを産んだのよ。本当に大変だった。あなたを立派に育てたのよ、だから決して人様に顔向けできないようなことのないように、お祖父様に恥じない人間になりなさい。そう育てたのよ」

「うん、わかった」

「昔から言っているでしょう、おかしな友人は作らない、変な女に近寄らない。大学と違って会社にはどんな人間がいるかわからないから。加奈さんと仲良くして子どもを作るのよ。男の子がいいわ。そしたら、また私が一から教育してあげますからね」

「うん」

受話器越しに母の顔が浮かんだ。笑っているはずだ。赤い口紅から白い歯を覗かせて笑っているはずだ。

「今だから言えるけど、昔のあなたの彼女たちはひどかったわ。だから私がいろんな手を使って追い払ってやったの。前にも言ったかしら? 感謝してね、和也。今のあなたがいるのは私のおかげですからね。加奈さんは学歴もあるし家柄もしっかりしているから。わかるでしょう。あなたが付き合った女たちと全然違うのよ」

「お母さん」 心臓が一度大きく打った。

「それは、初めて聞いたよ」

私の口元が微笑みの形に歪んだ。

「そうだったかしら。まあいいわ。今日こんな時間に電話したのには訳があるの。お父さんのところにね、昨日、加奈さんのご家族からあなたと離婚したいって連絡が来たのよ。大丈夫安心して、一時の気の迷いだから。結婚生活はね色々あるのよ。私だってお父さんなんかと結婚してしまいましたからね。間違いだったわよ。でもあなたを産んで立派に育てた。あなたは私の誇りよ」

私の顔は微笑みをかたどったまま、蝋人形のように固まっている。

「なんとかできるわよね、和也」

「うん大丈夫」

「よかったわ、それでこそ和也ね!」

母は嬉しそうだ。私は遠くで自分の声を聞いていた。

「お母さんのおかげだよ。大丈夫だから、じゃあそろそろ寝るね」

電話が切れた。

私は受話器を置いた。ダイニングテーブルに座って、テレビ画面を見る。もう終わってしまったDVDのオープニング画面が映し出されている。炎をまとうサメを退治しようとする神父の絵だ。

久し振りに家の中をゆっくりと見渡した。ソファーの色もカーペットも、ダイニングテーブルもリビングテーブルも加奈がえらんだものだ。他の家具もカーテンも全て加奈が揃えた。

私は急に気分が悪くなりトイレに駆け込んだ。飲みすぎたせいかもしれない。胃の中のものをほとんど吐いた。

すると、

「静かにしてよ!」

怒鳴り声が聞こえた。いけない、加奈を起こしてしまったようだ。

「ごめん」

ぜえぜえと消えそうな声で私は応えた。加奈には聞こえてはいないだろう。

私はトイレの扉をそっと閉めた。そして床に座り込み、1畳ほどの空間で呼吸を続けた。天井を見上げると円形の明かりが灯っている。それだけだ。それだけなのに、涙が溢れた。

「和也さんわたしね」

沙織の声が鼓膜に響く。これは今日の記憶だ。

「私ね妊娠したかもしれない」

私の視線の先に加奈が飾った瓶入りのハーバリウムが映った。色とりどりの花が所狭しと敷き詰められ、オイルの中に浮かぶそれは、光を受けて暖かく輝く、まるで宝石のように見えた。


4 和也


第三京浜道路から小田原方面に向かって進んだ。高速は走り慣れなかったが不思議と恐怖感はなかった。アクセルをそっと踏み込むとエンジンが応えてくれる。首都高を超え三浦縦貫道路に入る。もう少しだ。

ほどなくして私は三浦市にある水族館に到着していた。閉園まであと30分と少し、入館ギリギリだった。受付で入館料を払い、私は早足で目的の場所へ向かった。平日なので人もまばらだ。

館内の入り口から左に曲がると、大きな歯の標本があった。『化石種ムカシオオホホジロサメの顎歯』と書かれていた。一息立ち止まり眺めた後、私は足早に標本の後ろにある『魚の国』とされる建物に入った。

さまざまな水槽を横目に奥の螺旋階段を目指す。階段の真ん中には大きなメガマウスシャークの標本があった。一瞥して階段を上る。私の目的はこの上にある。

疲れた体が階段に悲鳴をあげたが、構わない。昇ったところにそれはあった。彼女はいた。一瞬迷ったが、目が合った、そんな気がした。

円形に作られた水槽の中に思い思いの速度で魚たちが泳いでいる。その中にサメがいた。

ひときわ恐ろしい顔をしているが比較的おとなしいとされるシロワニ、そして丸みを帯びた身体を持ちあどけない顔をしながらも獰猛で人をも襲うオオメジロザメ、二匹が他の魚とともにゆっくりと水槽の中を泳いでいる。

私はお前に会いたかった。人喰いともされる、このオオメジロザメに。

沙織と観た映画ではサメが次々と人を襲った。人はサメの前に無力だった。しかし現実は人喰いのお前でも見世物にされてしまう。サメの脅威は人間なのだ。

私はオオメジロザメが回遊する水槽に近づいた。時に素早く時に緩慢に移動する彼女を見続けていたかった。

(お前には私がどう見える?)

私の呼吸数がひときわ早くなる。ぜえぜえという呼吸音が館内に響く。

めまいを感じて私は冷たい水族館の床に座り込んだ。彼女から視線を逸らさずに。身体からじわじわと熱が逃げて行く。このまま固まって人形になってしまえたらいいのに。

かりそめの海で泳ぐ人喰いサメに会えば、答えが見つかる気がした。そこにある壁に彼女は気がついているのだろうか。獰猛な本能を持った自分を持て余してはいないのか。

水槽を見上げると、キラキラと光に揺れた水面が見えた。それはまるで本物の海のように魚たちには見えているのかもしれない。


「閉館です」

気がつけば、傍らには若い青年が立っていた。

「すみません」

私は立ち上がった。水槽に近づき彼女を見つめる。もうしばらくここにくることはないだろう。彼女は変わらずに泳いでいた。ただ、ヒレを動かし泳いでいるだけだった。

「大丈夫ですか?」

立ち上がる時にふらついていたのだろう、背中に青年の声を聞いた。そのまま階段を降りて入口へ戻る。もう空は夜の入り口にさしかかっていた。私はポケットの中のキーをまさぐり、駐車場へ向かった。

すぐそこで赤いライトがチカチカと光るのが見える。目の前に白と黒のセダンがが数台停まっていた。その眩しさに私は何度か目を瞬いた。

制服を着た男三人が近寄ってくる。

「この車の持ち主はあなたですか?」

私がここまで乗ってきた車を指して一人が言った。

「違います」私は答えた。

「この車の持ち主を知っていますか?」

私は男の顔を見ることができなかった、うつむきながら「はい」とだけ答えた。

「警察署にて、事情を聞かせていただけますか」

気がつくと三人の警察官が私を囲むように立っていた。目を開けたくても赤いランプが視界を覆い、警察官の顔も分からない。

「はい」

私は息を吐くように小さくうなづいた。周りでは慌ただしい声が響いている。

「被疑者確保、被疑者確保」

それを私はまるで遠くの出来事のように聞いていた。

「吉田沙織殺害容疑の被疑者確保」

息を吸い込むと海の匂いが鼻をついた。塩の刺激か、目からまた涙がぼろぼろと溢れた。彼女に言いたかった。君のすぐそばに本物の海は広がっているんだと。自由はすぐそこにあるんだと。最後に、この海の匂いをもう少しだけ感じていたい、私はそう願わずにはいられなかった。

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