gas maskならぬgasp maskかな?《後》

(「じゃあオレ、いつもの買っとくから、よろしくー」店先で男の子の一人がそういって、私たちに手を振ります。「(”いつもの”って、どうせタバコなんだろなー……)」今、思えばこれは彼らなりの合図あいずだったのです。報復がこわくて止めることができなかった私はこの彼らなりの合図さえ読み取ろうとしなかったことで、帰宅後、大きな後悔をするはめになりました。)



 まだまだ夜も深くないはずのコンビニにあるのは、田舎特有の悪意のないワン(マン)・オペレーションで看板のように立たされた20代くらいのおにいさんの姿だけでした。住宅地のなかにあるコンビニのなかでもここは空いているほうだと、もう一人の男の子が、なぜか耳元で教えてくれました。


「ユキパイセン、なんか買います?」


「私はカフェオぅレを……」


 私は紙容器飲料のあるコーナーに歩きます。本当はすぐにでもトイレに入って元の服に着替えるべきなんですけど、精神的に疲れきった私はまずカフェオレで糖分補給をすることしか考えられませんでした。


 欲しいものを手に取って、私は陳列ちんれつ棚のうらでゴソゴソしている二人を探しました。ふと何げなくレジのほうを見ると「えっとー○○番を1コで」「年齢確認ボタン押してください」店員のおにいさんが身分証提示も呼びかけないで男の子にタバコを手わたしている光景があったのです。

 さ、さすがというかなんというか、ここがいかに不良の方たちにとってすごしやすい土地なのかようやくわかった気がします。


「おーい?」


「あ、ユキさん」


 ”きなくさいガスマスク”とか”どこか狂気じみたホッケーマスク”とかこれっぽっちも張りつく余地がない、かわいらしい女の子は、意外やからいカップラーメンがお気に召したらしく自慢げに私に見せてきました。


「ユキさんもいりますか?」


「わ、私はいいよ! 辛いのだめだし!」


「パイセン女子ですねー」


 楽しそうな二人。こういう無邪気なところだけ見ているとただの中学生なんだけどなー。


「じゃ、オレら出ますんで」


 そういって二人は立ち上がります。

 でも、すぐに私はおかしいと気づきました。何がおかしいのかって、彼らの手にもっていた商品が消えているんです。


「(まさか……)ちょっと、二人とも!(そこまでするの?)」

 

 さすがに制止しようと声が出ました。しかし二人はにへらにへら笑って、

「あ、気にしないでください。いつものことなんで」

 とひとこと。あんまり予想外な返事だったから、私はフリーズしてそれ以上何もいい返すことができないのでした。


 しばらくすると彼らにタバコを買っていた男の子が合流し、私を置いてコンビニを出て行きました。当然ながら彼らの荷物には、精算されていない商品がいくつも入っていたのです。いえ、私が知らないだけでもしかしたらもっとたくさんの……

 

 このとき私がショックを感じたことは、私にとっては絶対にありえないこと、やってはいけないことが、彼らにとっては日常茶飯事さはんじということでした。そしてもう一つ、彼らには、子どもにとって高価なはずのタバコやお酒を簡単に買えるほどの金銭的余裕があるのに、どうして”盗みをはたらく”のか、そこにどんな理由があるのか、見当もつかないことでした。自分の浅はかさに腹が立ちました。


 万引きも、未成年の飲酒・喫煙も道徳どうとくに反する行為で、絶対に許されないものです。家でも学校でもそう教わりました。

 でもこの場所では、彼らにとってそれがありふれたものであり、(恐らくアルバイトの)店員のおにいさんにしても、たとえ子どもにタバコを売ろうが万引き被害が起ころうがどうでもよいというたたずまいでした。

 どこかの誰か――さなっちゃんだったっけ、が「バレなければ犯罪じゃない」とか冗談めかしていっていたような記憶がありますけど……本当にそうなんでしょうか? 


 もうわからないんです、私には。急にガスマスクが現れたと思えば男の人にハダカを見られる興奮に目醒めて、今度は不良にからまれ万引きの手助け。私は何がしたいんでしょう? 私は、わたしは……本当に、なんのために生きているんでしょう? お母さんたちからずっと正しいと教えられてきたことを、どうして最後まで信じられなかったんだろう。だめだよっていえなかった時点で、私には彼らをつみう権利なんてないんだ。私には。私はどうしたら? 


「(むねが痛い……)」


 とうとう気分が悪くなってしまい、私はそのままトイレへと駆け込みました。


 5分とたたないうちに、私はトイレを出てレジに向かいました。おにいさんはいかにも無関心そうなトーンの声で「いらっしゃいませー」とあいさつをくれます。そうして私の手からカフェオレを受け取り、お会計をしてくれました。私は一礼してすぐそっぽを向きました。


「あ、お客さま!」


 ずっと小声で話していたおにいさんが、突然どなるように私を呼び止めたのです。あまりの勢いにおどろいた私のかたね上がりました。


「は、はい……」


「レシート、いりますか?」


「結構です!」

 私は店を飛び出し、ひた走りました。


 ふたたび元の月極つきぎめ駐車場へもどると、みんなお菓子やジュースを囲んで笑い声を上げたりしてはしゃいでいるのです。私はそのなかのヨイシさんだけに手招きして、煙溜けむだまりから少しだけはなれたところにあるひとつの廃車の上に、二人で腰かけました。


「ヨイシさん……」


「なんだよ、あらたまって。どうした、またあいつらに体型のことバカにされたか?」


「違うんです」私には、とある決心つけた思いがあったのです。「あの、お店で、あの子たち見ちゃって」


「……ああ、そゆこと」


 私の言葉を聞いたヨイシさんの顔つきは相変わらずマスクが邪魔で見えませんけど、それこそやるなさそうな、せつないもののように感じられます。


「悪かったよ、あいつらと一緒に行けっていったときからなんとなく、知ってはいたんだ。ユキが悪いことのできない人間なんだってこと。本当はさあいつらには盗みも、酒飲むのもやめろっていえないこともなくて」


「……ヨイシさん、私、わからないんです。動機が」


「ただのうっぷん晴らしだろ、どうせ。まああとはスリル? ともかく、深いこと考えられる連中じゃない。ユキもあんまし気にするな」


「じゃなくて、動機が……なんであれ、盗むことが、本当に悪いことなのか……わからないんです」


「ユキ、あんたまさか!」その瞬間ヨイシさんは、私のカフェオレをもった右手とは反対の手をつかみ、強い力で、私のコートのポケットから引っこ抜きました。私がその手ににぎりしめていたのは、小さな、未精算のチューインガムでした。


「……ごめんなさい。ごめんなさい。でも、どうしたらいいのかわからなくて!」無意識のフレーズが間髪かんぱついれず私の口をついて出ました。

 

 ヨイシさんはしばらく静かになりました。

 でも、「いいんだ。あたしこそ悪かった」とどうしてか私にあやまり返して来たのです。

 私はとっさに、理性のようなものを、思考のうちがわに取りもどした感覚をおぼえました。

「あ、あのこれ、どうしたら? 今からお店に返せば」


「そりゃもう、たなにはもどらないよ」


「だったらどうすれば!」


「ユキ、今日のあんたは普通じゃない。”異常”だ。だからこれも本来のあんたがしたことじゃない。きっと悪いことをしたと思うんなら、もう二度としなければいい」


 ヨイシさんはそういいました。とても淡々たんたんとした、それでいて私をあやすようにおだやかな口調でいってくれました。

 

 ヨイシさんは廃車のボンネットから下りてスカートのプリーツひとつひとつを手ではたくと、首だけ私に振り向きます。


「今日は帰りな。そろそろ電車が来る」


「ありがとう、ございます……」私にそれ以外に返す言葉があったでしょうか。いいえ。今の私は彼女なりの気遣いに甘えなければ、立つ瀬がありませんでした。


「駅まで送る」


「そこまでは……」


「おいあんたら! ユキ送ってくるから待ってな!」


 ヨイシさんの声のあとで、遠くから規則正しい返事が聞こえてきます。私たちは北の駅を目指して歩きました。来た道とは正反対に無言の時間がつづきました。無人駅の入口について、さすがにいたたまれなくなった私が「ありがとうございます」というと、ヨイシさんは前ぶれなしに小さく笑ったのでした。


「はじめて、マスクの悩みが共有できて嬉しかったよ。またな」



 その”またな”が、帰宅後の大きな後悔の原因でした。


 万引きのことはそうですけど、露出魔さわぎのこともふくめて、ヨイシさんは私に救いをくれました。ぶきっちょそうなあの人は自分なりに、私のことを考えて行動してくれました。


 なのに、私はのこのこと友だちづらをして、彼女に気安く会いにいっていいのでしょうか? いいわけありません。せめて両方のかたをつけてから……

 とも思いましたけど、心の弱い私は事件をこのまま表沙汰おもてざたにはしないつもりでいました。卑怯者ひきょうものになるしかないと思い込んでいたのです。


「どうしたらいいのか、わかんないよ……」と、しめったまくら吐露とろするほかにありませんでした。


 ――「ん?」いつのまにか閉じていたまぶたをもち上げ、枕元のスマフォを見ると、普段見ることの少ない午前2時という表示にびっくりしました。


「ヘンな時間に起きちゃった……」


 私は一度目が醒めるとなかなか二度寝できないたちでした。だからほとほとうんざりして、二段ベッドから転落するように下り、一階でトイレをすませると今度リビングへ行って、のどをうるおそうと思いました。


 ドアの前に行くと灯りがもれていて、なかではお母さんがパソコン仕事をしていたのです。


「残業?」私は頭に浮かんだことをまっすぐ聞きました。


「うん、ちょっとね」


「あんまり無理したらだめだよ。お母さんは夢中になると睡眠時間けずったりして、そんなことしてたらまた体調くずすよ……?」


「あら、めずらしく心配してくれるのね」


「(いつも心配してますから!)」喰えないお母さんのことはほうっておいて、冷蔵庫のなかで唯一生き残っていたペットボトルのお茶をコップに注いで、大事に飲みました。ふははこの家の水はすべて私のものだ! 


「残業ってことわれないの?」


「そんなわけないでしょ。私だっていっかいの母親ですもの、家族サービスを第一に考えてるわン」


「そうかもね」


「まあでもさ、自分にできることとできないことの線引きしてないと、窮屈きゅうくつじゃない。下手に期待ばっかされて。あきらめも肝心ってやつよ?」


 そういってお母さんはブルーライトカットのメガネを外し、パソコンを閉じました。「今の日本でストレスフリーなんて無理無理。んー!(背伸び) もう充分じゅうぶん頑張った。さっ、フロよ、Thermaeよ!」


「ぎゃー! こんなとこで脱ぐなー!」


 いくら若く見えるとはいえ40半ばの母親の全裸を見せつけられるとは……私の露出趣味ってぜったいこの人のせいだ! 許すまじ!


「(でも、できないことはできなくていいんだ。考えてもわからないことを、いつまでもウジウジ考えなくっていい。私は……)周りにながされない、強い自分にならなくちゃ!」


 奇態きたいえんじ、犯罪のまねごとをしておきながら、開き直って、何かをわかったような気になって。

 こんな人間ぜったいだめなはずなんです。

 でも誰より私自身がそのことをちゃんと理解するまでには、私の能力では、もう少し時間がかかってしまいます。ふがいないし、恥ずかしいです。でもこれから私はもっと私の心と向き合っていって、いつかヨイシさんの心ともまっすぐ向き合えるようになりたい。そうならなきゃいけないんです。


 だから、神さま仏さま法律さま、どうか私をさばくまで、もう少し時間をください……!






―――――

 本当にいことをするためには、本当に悪いことを知らなければいけない。今の時代、現実でもネット上でも、一歩まちがえれば誰もが犯罪者になってしまいます。しかしだからこそ私たちはいつか、真の善意というものに出会うことができるのかもしれませんね。

 もちろん今回の自分のあやまちを正当化するつもりはありません。いずれ、この償つぐないをしなければと思っています。しばらくギャグができなくなりますけど……ここは我慢! なぜならこの物語はノンジャンルなんですから。


 次回、ユキ、ヨイシを知る!

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