ヨイシ編後日談  ファミレスにて

 8月1日、ユキたちの私立高校は全校生徒念願ねんがんの夏休みを迎えた。これから24日の間、学生の本分といわれるような一般科目の講座はもれなく休止し、勉学は自習、労働も自由、日常生活における放縦ほうじゅうっぷりについては説明のろうを取るまでもない。


 もっともこのようなことはわざわざ立ち止まって考えるようなことではなく、日本人誰しもが就学当初から身につけているある意味でルーティンのようなものだろう。


 期待きたいはずれということで規格外きかくがいのワードセンス、これをのぞけば同年代のほかの少女より少し人間関係がせまいうえ趣味もかたよりがちでムダに敏感びんかん肌のユキだが、たとえ彼女であっても長期休暇にのぞむ姿勢はどの学生とも共通している。

 前年を例にあげよう。

 ハッちゃけまくって、ダラケきったすえに、新学期を目前にした1週間にオール教科課題のロードレースを展開するし、読書感想文は母親と二人三脚、最終日に間に合わなかったものは友人二人をファミレスにり出しては”アイスもなか”あたりの期限で安価なスイーツでり、どうにか間に合わせるという悪逆非道の限りを、長期休暇中に特有のテンションという大義たいぎ名分めいぶんで正当化していたのだ。なんたる傲慢ごうまん、なんたる狂気。


 そして今年の夏休み初日――ユキはこりずに、さなっちゃんとカミカミを引き連れて行きつけのファミレスへおもむいていた。

 

 全人類顔の下半分を黒か白のうすいぬのおおっちゃおう時代の真っただ中だが、ウェイター歴15年の当店看板店員の慧眼けいがんはたとえ布しでもこの三人の会合を決して見のがさなかった。


「(ああ、今年も来たのかこいつら)」

 早々にあきれかえったに違いない。

 実際そうだろう、リーダー格たる廃人空気をとりわけただよわせる上下ジャージ姿のユキの背中には、そうそうお目にかかることのないカーキ色の高級な素材感のリュックサックが背負われていて、これまたずいぶんと重たそうに揺さぶられていたのだ。

 

 あれはまごうことなき難解問題集モンスター。インテリよろしく参考書片手に電車通学する意識高い系高校生でもペンとプライドを折って解答用紙を見ずにはいられない難敵なんてきであり、彼女らのようなギャグキャラがいくらたばになってかかったところで、冬瓜とうがんの花の百一つだ。


「(待てよ、まだそんな急ぐ時期じゃ……)」

 ウェイターは知っていた。この町の私立高校生が、夏季休暇に入ったばかりという事実を。


「(だとしたらなぜ?)」


 と考え込んでいるあいだに、入店のベルが鳴る鳴る三連続。一組目も二組目もなんてことはない土曜の昼間にお茶しに来たセレブリティだった。ところが三組目は異様で、攻撃的な黒髪オールバックに着古きふるした黒のパーカーとプリーツスカートという風変わりないで立ちの女性を先頭に、明らかに高校生ではない三人の少年少女がうしろについて歩く団体客。

 いや、この手の人間がめずらしいのではない、来店時間があまりに不自然だというのだ。ウェイターの混乱は計り知れなかったが取りあえず席に誘導ゆうどうした。


「いらっしゃいませー(今日は例外が多いな、不吉ふきつだ……)」

 

 が、しかし予想だにしない事態が起こった。

 あの課題終わらせたいと不自然な団体客――ユキのチームと、スマホを買い替え連絡をうけたヨイシのチームとが、席への移動中に急きょ合流したのである。

 

 これではウェイターが客の入りをつぶさに確認し、呼吸をするかのように自然かつ素早すばやく座席登録した会計伝票がただの紙ゴミになってしまう。


「あの、お客さ」

 といいかけたところで、ウェイターは冷静に考えた。「(それでいいじゃないか。お客様は神さまだ。10月でもないのに今月神無月かんなづきになったっていい。お客様の快適な時間を演出することこそ、ウェイターであるおれの本分、それが正解なんだ)」

 そうしてウェイターは、ヨイシたちをユキたちの席に案内すると、そっと手のなかの伝票用紙を丸めてポケットにしまった。これでいいのだ。こいつらここがファミリーレストランだということを忘れているのだろうが、しかし接客業の宿命とは、そういう部分をも甘受かんじゅすることに違いないだろう。



「さて、今日はお集りいただき感謝します」

 と、ユキ、いつのまにかリュックより取り出していたワイヤレスマイクを通してあいさつを述べる。


「えーこのたびは、しゅく・私の退院undヨイシさんのもろもろ復帰ということで、ですねー、じゃじゃんボードゲーム五種大会を開催しようと思いまーす!」


「「「「「「いぇーいっっ!」」」」」」


「(おいおい、ここファミレスだぜ……正気か?)」


 それに、元来の日陰ひかげのお調子者キャラはどこへ行ってしまったのか。本編が六話でしまいだからそのあとは好き勝手やってよいということなのか。

 ウェイターにはこの状況がはなはだ理解できなかった。そして、そのあとに行われた饗宴きょうえんはとにもかくにも非常識で、この世の出来事とは思えないものだったし、当然ここに明記する価値もないもよおしだったのである。


 ひとまず何がしたかったのかという部分については、舞台のとでも考えてもらえば少しは解しやすいだろうか。ユキやヨイシに限らず、この物語はすべての登場人物に意義がありつながりがあり、そしてそれぞれの想いがある。きれいごとでは済まされない人物もいたが、それもまた出会いの一端いったん

 他者のことをもっと知りたい、知り合いたいと思う心から、”仮面”を剥がす第一歩が始まるのだ。


         ◆


(さかのぼること5日前、後輩ちゃんたちを介してヨイシさんの学校復帰を聞きつけた私が、朝早く與石家に行った日のこと)


「ヨイシさん……」


「なっ、ユキ、いたのかよ!」


 私はすぐに、ヨイシさんのマスクの異変に気がつきました。


 あの日ヨイシさんにとって誰にも見られてはいけない現場に私が遭遇そうぐうしてしまったとき、確かに彼女のホッケーマスクはお父さんの顔の皮ふとほとんど似たように”溶けてる”と私は認識したのです。もしかすると……いえ、もしかしなくても、そのことが、今目のまえにある現象と関係しているんでしょう。


「あの……ヨイシさん、その、ホッケーマスクはどうしたんですか?」

 

 おそるおそる聞いたつもりでした。でも、ヨイシさんは意外にもけろっとしたようすで「あれ、やっぱりわかるのか。そうなんだよ。なんか気味の悪い色味になっちゃったみたいでさ。そのせいかな、日差しがミョーに刺さってくるんだ」と身振り手振りをまじえて答えてくれました。


 私は、彼女の表現がみょうに気になってしまい、そのあと大げさにこうたずねたんです。

「あの、少しおかしなことをいっていいですか」


「うん。というか、あんたがおかしくなかったことなんて、今まである?」


「そうですね」

 その言葉がをくれました。


 もしこのまま私の気持ち、考えを、ヨイシさんに打ち明けてしまったら、どうなってしまうんだろう。

 予想できない未来に対して、当然ながら心はひるんでいました。だけど、いわなきゃ私とヨイシさんの仲は、きっと変わらないままでしたから。


「……その、さっきいってた太陽ですね、私は世間の人の目だと思うんです。これまでヨイシさんにいろんな偏見へんけんをもってた人たちの、ヨイシさんの見え方が、その今回のことで、きっとひとつになって。それが、もしかしたらそのマスクにも反映されているのかもしれない、なんて」


「ふぅん。あながち間違ってないかも、具体的にはどう変わったか知れないけどね。じゃあ結局こいつは”偏見のかたまり”だとか?」


「ああ、でも、仮説ですよ、あくまで仮説!」


 あんなことがあったのに、ヨイシさんは出会ったばかりのころと同じように、私にやさしく接してくれました。でも決して距離を置かれてるって実感じゃなくて! 関係が進展していないっていう意味でもありません。なんていえばいいのか。

 

 私の感じ方は変わっていないけど、もしもの話ですけど、ヨイシさんのなかで何かが変わったのかも……それこそ、血色のマスクみたいに……「(あんまり気持ちのいい表現じゃないかな。考えておこう)」


「じゃあさ、ユキのそのガスマスクってなんの偏見だろうな?」


ICコンプレックスですよーもう」


「だよな」


 その返事を最後に、なんだかヘンな沈黙が始まりました。

 きっとたがいに心の距離がちぢまったから、今度は、どうしたら相手を傷つけずにコミュニケーションがとれるのかを考えているのかもしれません。まったく興味がない相手にこんな気遣きづいはしないはずです。

 大切で、そばにいてほしいから、距離を取って、なるべく傷つけないようにして……私たち、すごくぶきようなんです。


「あのさ、ユキ。……ありがとな」

 ヨイシさんは照れくさそうにいいました。


「なんのことです?」


 すると、ヨイシさんは両手を羽ばたかせるように広げて、次には、私のことを抱きしめたのです。


 おどろきのあまり私は手提てさげカバンを地面に落としてしまいます。


 なぜかヨイシさんのほうも、自分の行動が思いがけないものであるかのように小刻みに震えていました。

「いけないな。こんな朝っぱらに、玄関で、女二人で抱き合ってたらさ。ヘンなうわさが立つかな」


「……きっと、誰も気にしないと思いますよ」


 でもさすがに恥ずかしさで私がうでを回せないでやきもきしているうちに、ヨイシさんの抱擁ほうようはほどけてしまいました。


「理由は聞くな、恥ずいから」


「えー! 気になるなー」


「そういえば、肩のほうはだいじょうぶか? 手術したんだろ」


「そんなー、たかが脱臼だっきゅうですよー。それよりどういう風の吹き回しですかっ?」


「知るかよ」

 ヨイシさんはそれだけ返事すると、すたすた先に歩いて行ってしまいました。

 

 待ってくださいと私は叫びながらうしろを追いかけます。私は、ヨイシさんから”いつかつぐないをしにいけよ”なんていわれることを期待して、スタートが一歩おくれたのです。


 まだ、私は私の”仮面”を剥がせないでいる。そのことを、ヨイシさんは知っていて。だから一歩先をあるいてくれるのでしょうか。

 抱きしめてもらって、その体温にふれてはじめて、與石よいし 糾巳ただみさんという女の子は私より背が小さくて、でも力強い女の子なんだって知りました。この人を知ろうとしてよかった。


 私もいつかこのガスマスクと正面に向き合って、対峙たいじして、その先に彼女と同じくらい魅力的な”美少女”になりたい。そんなあわこいのような夢を胸に、熱く焼けた灰色のアスファルトの上を私は全力疾走していました。





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マスク・オブ・グレィズ 屋鳥 吾更 @yatorigokou10

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