テスト-1

「あっははは見てよフルール! 燃え盛る炎! 怒号に瓦礫に婦女子の悲鳴! まさに地獄ってやつじゃない!?」


 愛馬で石畳を駆ける。機嫌良く嘶く馬に揺られ、フルールの前に騎乗している恋人は心底楽しそうな笑い声を上げた。

 今、ピディアト王国内は混乱に満ちていた。平和ボケした民の多くが、小さな火事と少数精鋭の帝国軍の侵入を目にし、戦争を自覚せざるを得なかったからだ。転ぶ人、焦って物を壊す人、普段は吐かない暴言を吐く人――。ディアナの笑いのツボをつくには十分すぎる光景だった。


「私達にお似合いのハネムーンね!」

「あーうん、確かに地獄っちゃあ地獄だけど……」


 手綱を握りしめ、フルールは恋人の悪癖にため息を吐いた。

 ディアナはいつも賢く振る舞っているが、それは彼女が落ち着いて物を考えられる環境が整っていてこそ発揮される特技。

 つまりディアナは混乱すると、たちまちに頭のネジが外れ、馬鹿に成り下がってしまうのだ。戦死したと聞かされたはずのフルールを目の前にし、周囲は戦争の混乱で阿鼻叫喚――ディアナの知能レベルを下げるには上出来の環境と言って良い。今なら箸が転げても爆笑する。


「あ、見て図書館長だわ! おーい!」


 図書館の裏側を走っていると、ディアナが声を上げた。逃げ惑う子どもを押しのけて避難しようとしていた図書館長に向かって、ディアナは手錠のついた両手をぶんぶんと振る。それも拳銃握りしめて。普段なら絶対にこんなことはしない、とフルールは思った。ディアナも、図書館長も。

 フルール達を乗せた馬が近づいてくるのに気付き、図書館長がヒッと声を上げこちらを指さした。


「まさかっ? あれは、亡くなったはずのフルール隊長!?」


 あ、とフルールも声を上げた。リィの言葉を思い出したのだ。自分は死んだことになっていて、つまり今――。


「そうだまずい。顔を見られちゃヤバいんだった!」

「見られちゃまずいの? おっけー任せてっ」


 タァン! 小気味良い発砲音と共に図書館長は絶命した。「やったわ命中よ!」銃を握ったディアナがはしゃいでいる。思わず「うわぁ」と呟いてフルールは馬を操り、胸から血を流す図書館長の死体を飛び越えて走り去った。


「うふふそれにしても体が痛い。これが死後硬直ってやつかしらね」

「打撲じゃないかな。きみ落馬してたみたいだし」

「ああ、さっき死んだときのあれね! ところで私たちどこへ向かっているの? 見たところ逃げてるみたいだけど……まさか閻魔様にでも喧嘩を売りに行く? そうなの?」

「テンション高いなぁ。まあ逃げてるって言えばその通りかな――」


 閑散とした建物と建物の間を走り抜ければ、王国内の人間でも少数にしか知られていない“裏門”がフルールの視界の隅へと入ってきた。偏屈な老婆が住まう民家の裏庭に繁る、背の高い雑草の群れだ。そこを抜ければ崩れかけた外壁の隙間を縫って、王国を出られる。その周囲には帝国軍はもちろん、王国民もいなかった。

 フルールは訊ねた。


「確か森に湖畔があるんだよね。あれってどう行くんだっけ?」

「ここから北西よ。ほら、薬物畑のすぐ近く!」

「じゃ東に向かおうか。で、そのまま逃げ切ろう」

「何から逃げるのかは知らないけど、いいわ。どこまでも付き合う!」

「そうこなくっちゃ!」


 草から森へ飛び込むように国を出ると、フルールは迷わず東側を目指した。注意深く人の気配を探りながら進む。フルールが湖畔と真逆の方面を目指したのは、彼女が忘れっぽいからではない。リィの言いつけを聞く気が失せたのだ。


 ――正直に言うと、リィの言葉にフルールは半信半疑だった。小規模とは言え戦争は戦争だ。自分が生き延びたことすら信じられないのに、その上でディアナと再会できるとはあまり思えなかった。だからフルールのモチベーションは極めて低く、リィに言われるがままにミッシェル王子を殺した。ディアナに会うためにリィの言うことを聞いた、と言うよりは、ディアナに会える可能性を試すまでの暇潰しに、リィの言うことをやってみた――というのが正しい。


 しかしフルールはディアナと再会した。人生へのモチベーションを取り戻したフルールにとって、リィからの指示の優先度は著しく下がる。今のフルールが優先したいのは、知り合ったばかりの女の駒になることではなく、自分と恋人のプライドを守ることだった。

 我ながら自分はプライドが高い方だとフルールは自覚している。そしてディアナのプライドの高さは言わずもがな。こんな自分達だからこそ、誰かの下僕になるよりも、追われるリスクを受け入れることが最適解だと、フルールは考えたのだ。


「さて……」


 物見遊山に来たなら方向感覚が狂うだろう。東西南北、どこを見渡しても木しか見つけられなくなった森の深くで、フルールは馬を止めた。自分達二人の他に生き物の蠢く気配がないのを確認すると、「あの世で森林浴なんて素敵!」とはしゃいでいるディアナの肩を掴んで振り向かせた。弱い頭をフル回転させ、ゆっくり、はっきり、フルールは告げる。


「ディアナ、落ち着いて聞いてね。きみは死んでないしわたしも死んでない。ここは地獄じゃない、現実だよ」

「またまたぁ~! だって私、あなたのお葬式をしたのよ? こーんな大きな棺の前でね、陰気臭ぁい祈りの言葉を捧げて、それであなたの遺髪を……」


 自分の言葉にディアナは固まった。眉を寄せ、何か不味いものを見るような目付きでフルールの短くなった髪を見つめ、青ざめていった。


「……そう……遺髪……。ねえフルール、その髪どうしたの?」

「地獄で切られたわけじゃないよ。なんかわたしを死んだことにするためだって、えっと……なんだっけ、偉い人が……」

「へえ……どうりで遺髪しかなかったわけ……フルールを死んだことに……」

「うん……」

「じゃあ私は、あなたも、本当に生きてて……」


 少し押し黙ってから、ディアナは嘆いた。


「どうしよう図書館長殺しちゃった!!」

「やったね本返さずにすむよ」

「ほんとだやったぁ! 馬鹿! 違う! ああどうしよう現実だったなんて。てっきり地獄で茹でられるときの前座だと―― そうだフルール生きてて良かった!」

「ありがとう」

「でも今すべきなのは再会のハグじゃないのよね。とにかく、なんか」

「逃げなきゃなんだよ」

「そう、それ! 待ってなんで逃げてるの――」

「――合格ですよ、ホワイト隊長」

「っ!」


 割り込んできた声にディアナが飛び上がった。舌打ちしてフルールが振り返ると、木陰に潜んで自分達を囲む四人の男女が見えた。こちらに小銃を向けているのが三人。その三人の先頭に立ち、丸腰でこちらに近づいてくるのが先程の声の主。ハイドと呼ばれていた女だ。リィの側にいた、間の抜けた若い女。

 最初から森に潜んで気配を消していたのなら、確かに見つけられるはずもない。やられた。


「あなたあのときの」


 ディアナの声にハイドがにこりと微笑んだ。


「お久しぶりですシスター、先日は地図をありがとうございました」

「どういうことよフルール」

「噂の人たちだよ。わたしとディアナを下僕にするつもりらしい」

「なるほどそれで、偉い人があなたを生かしたのね」

「そーいうこと。――ねえ! 湖畔で待ち合わせじゃなかった?」


 フルールが声を張り上げると、両手をヒラヒラと振ってハイドが答えた。


「これはテストなのです。私たちは湖畔とは逆の東側――ちょうどこの辺であなた方をこっそり待つよう、リィ団長に指示されていました。ホワイト隊長。あなたが言われたことを遂行しなかったり、シスターとご自分のプライドを易々と売り渡し、母国も誇りも捨てて私たちに寝返るようなら、信頼足り得る仲間にならないから殺してしまえ、と」


***


 銃を取り上げられると、フルールとディアナは光の遮断された馬車に詰め込まれ、ハイド曰く「旧リンフィシル公国の領土」へと連行された。同じ馬車に乗り込んだ黒髪の男が、慣れた手つきでディアナの手錠を針金で解錠した。彼はハイドの後ろで小銃を構えていた内の一人だ。隣に座るフルールは眉を寄せていてこそいたが、警戒というよりは不機嫌そうな顔をしていたので、ディアナは大人しくしていることにした。この場においては、フルールの方が状況を詳しく理解しているのだろうと思ったからだ。


 馬車を下ろされたのは深夜だった。光がほとんどなく、地に下ろされても周囲はほとんど観察できない。「新月だね」先に降りたフルールが呟く。この新月のタイミングを狙ったのならずいぶん用意周到なことだ、とディアナは思った。


 捻った足をひょこひょこさせるディアナを支え、フルールはハイドに案内されるがままに一軒の古めかしい屋敷に通された。石造りの壁に囲まれた長い廊下を右へ左へ何度か折れ、大きな両開きの扉の前でハイドが立ち止まった。

 ハイドが扉を二回叩き、声を上げる。「リィ団長、ハイドです。お連れしました」中から「入ってくれ」と声が聞こえ、扉を開けてハイドが道を譲った。「どうぞ」にこりと微笑まれ、フルールはディアナと共に入室する。

 ありふれた書斎の中、飴色に塗られた机にリィはいた。飾り気のないペン立てや使い込まれたランプは、フルールに元上官のベルの部屋を思い出させた。

 机の向こうに座っていたリィが二人の姿を認め、余裕ぶった笑みを浮かべる。

 

「こんばんは、来てくれてありがとうホワイト隊長。そして――会うのは初めてだな、シスター。私はリィ・シャンだ。君の名前を教えてくれ」

「ファニー・ゴードン」


 迷わず偽名を口にする恋人を、フルールはとても好ましく思う。リィが分かりやすく眉尻を下げた。


「あー……その。本名の方を教えてほしい」

「ええ。そうね。ファニーはペンネーム。ほんとはジャニス――」

「いや回りくどいことをして申し訳なかった。君の名前はディアナ・ヴァレンタインで間違いない?」

「クソッタレ」


 この不機嫌な態度が懐かしい。「彼女のクソッタレはイエスだよ」フルールが代わりに言った。


「それを聞いて安心した。まず状況を説明させてくれ。シスター、君とホワイト隊長をここへ招いたのは、私たちの仲間になってほしいからだ。というのも今、私たちは人手不足に喘いでいて――」

「随分と下からな言い方だけど実は、微塵も断らせる気がなくて威圧的。だってあなたたちは今明らかに有利だもの。その気になれば私たちの後ろに立ってるあなたの忠実な部下たちが、私とフルールを蜂の巣にするんでしょうから。それに私たちは戦争で死んだことにされてるはずだし、仮にここから逃げられたとしても職なしの文無しで路頭に迷うのが関の山……」


 そこで一度区切り、ディアナは嘲笑のようなため息をついた。

 フルールは恋人の腰に片手を回し、ワンピースのポケットに手を入れた。中に入っていた万年筆のキャップを手さぐりに外す。


「ハッキリ仰ったらどうなの? 下僕にならないと後がないぞって」

「――っお前、団長になんて無礼を」


 耐えかねるとばかりに声を荒げ小銃の安全装置に手をかけた栗毛の女を振り返り、フルールは勢い良くポケットから手を引き抜いた。振り向きざま、その手から一直線に投げ放たれた万年筆の先が、栗毛の頬をかすめてから壁にぶつかり、コトリと絨毯の上に落ちる。自らの頬に引かれた一線が血液でなくただのインクであることを、彼女は頬を触って汚れた指を見て初めて知った。

 リィが制止の声を上げる。


「落ち着けレベッカ、初対面だから警戒されるのも無理はない。それに無礼なテストをお見せした後だ。……ホワイト隊長、どうか部下の非礼を許してくれないか」


 へえ、とフルールが鼻を鳴らして笑った。


「失礼だっていう自覚あったんだ?」

「ああ、君を試すようなことをして、我ながら無礼な真似だったよ。しかし言っておきたいのは、私が試しかったのはホワイト隊長ではなく私自身の目だったということだ。私が懐に入れようとしているのが、本当に私の思うような人物であるかを確認しておきたかったわけで――」

「違うよテストのことじゃなくて。わたしが言ってるのは、その子がディアナに銃を向けたこと。さっきの森では分かるけど、流石に二度目はないよ」

「え、ああ、そっち……。ほらレベッカ、やめなさい」


 リィの視線を受け、レベッカと呼ばれた女は大きな舌打ちをして銃口を下ろした。彼女の両脇に立っていた二人の若い男もまた、睨みこそしないが不機嫌な目をしていた。

 リィは席を立ち、絨毯の上を歩いてディアナに近づく。


「……ところでシスター。私は君に会うのこそ初めてだが、実は何度か文通してる。正確に言えばノア司祭の頃からだ」

「あら。お名前は?」 ディアナは目を丸くした。

「手紙にはイデアと。いつも一枚目に騙し絵のスタンプを押してる」

「え、イデア? ――あのクソ真面目のイデア!」


 ディアナが急に声を大にしたものだから、すぐそこまで寄って来ていたのにリィは驚いて立ち止まってしまった。リィとの間に妙な空間を持ったままで、ディアナは隣に立つフルールに楽しげに語って聞かせた。


「イデアとは四捨五入して十年も文通してる仲よ。お得意様って言うより今では文通友達みたいな感じ。さっき自分で言ってた通り、イデアはなりすましを防止するためにわざわざ一枚目には何も書かず、複製できないスタンプを押してるの。真面目よね。他にも彼女が報酬の支払いをいつも期日の三日前までに済ませることは知ってるし、資料を送るときは必ず必要書類のチェックシートを同封することも知ってる。しかも手紙はよく見ると、インクの下に鉛筆の下書きを消した跡が。それでねなんと、返信用の封筒には切手も白紙の便箋も入れる徹底ぶり!」

「うへえ、なんか真面目すぎて疲れそうだね……」


 下書き、とレベッカが意外そうに呟いた。「まめな人だとは思ってたけど、ここまでとは……」その隣に立つ金髪男もささやいている。どうやら部下には知られていないことだったらしい。

 リィにばつの悪そうな目線を送られ、ディアナは苦笑した。


「ボスとしての威厳を傷つけちゃってごめんなさいね。でもおかげであなたを少し信用する気になったわ。第一フルールが大人しく言うことを聞いてたわけだから、そんなに悪い人ではないんでしょう」

「信用してくれるのはありがたいが……ホワイト隊長が言うことを聞いたのは君を人質に取ったからだよ」

「それは違う。彼女の直感ってすごいのよ。私がいつも理論で遠回りしながら人を見定めるのに、彼女はいつも直感で人の本質を見極める。きっとフルールはあなたを見て一目で信用できないクソッタレのぺてん師だと感じたら、取引を持ちかけられる前に舌でも噛んで死んでたはずだわ」

「それ褒めてる?」フルールが訊ねる。

「もちろん」

「やったぁ」


 フルールがディアナに抱きつく。二人の距離感に、んん、とリィが咳払いした。


「ではシスター。詳しい話をして仲間になって貰う前に、先ほどホワイト隊長に受けてもらったようなテストを君にも受けてもらおう。すまないが形式だから省略できないんだ。だが心配ない、簡単なことだから……」


 フルールの横を通りすぎ、銃口を床に向けてむすっと立っているレベッカの肩を叩いて、リィはディアナに視線を投げる。


「彼女はレベッカ・ワーグナー。ここで会計をやってる頭脳派だ。シスターにはレベッカに指一本触れず、この部屋から外に出ず、殺人教唆や自殺教唆をせずに――彼女を殺して欲しい」

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