第十五話 怪我
馬屋から現れた鬼を見るなり、わたしの首を刎ねようとした下人の頭は 振り上げた斧を落とした。
「お お、お、鬼っ 化け物だっ」
誰かが放った言葉がまるで合図かのように皆 血相を変え 悲鳴を上げながら 一目散に逃げていく。
鬼はその様子を気にすることなく、ゆっくりとわたしに歩み寄り きつく縛られていた縄を解いた。
「鬼さん……っ あ、りがとう。 また助けてくれて」
嗚咽を我慢して言うと、鬼は優しくわたしの頭を撫でてくれた。
そこへ大丸も寄ってきた。
「大丸……」
どうやら落ち着いている、と安堵したのも束の間。
大丸の耳がぴくりと動き 皆が逃げていった先を見ると、甲高い鳴き声を上げて その方へ駆けていく。
大丸はあの下人を蹴り上げて噛み付いた時と同じ、目をカッと見開いた顔をしていた。
皆が逃げていったところで暴れでもしたら、大丸は殺されてしまうかもしれない。
「鬼さん、逃げてくださいっ」
鬼と一緒に逃げ出したい気持ちを抑えて わたしは大丸を追った。
◇
領主の妻は、一刻も早く
家臣達が刀を抜いて戦っていたからだ。
一人の男が暴れているのを大勢の家臣達が囲み、領主はそれを遠巻きに見ている。
その暴れている男は──
「若っ 」
自分の息子、武家の跡取りである若様が家臣達に囲まれていることに喫驚する。若様は血に塗れ 満身創痍のようで、肩で息をしている。
妻の存在に気づいた領主は歩み寄った。
「一体、なにがあったのですかっ」
混乱している妻に領主は冷静に答える。
「あいつは乱心したのだ」
「どうしてっ」
「あの下人の娘のことが余程大事らしい。家臣の数人に重い怪我を負わせてまで助けたいようだ。全く、馬鹿にも程がある」
苦々しい領主の言葉が耳に届いたのか、若様は 鬼のような形相で言う。
「馬鹿で構わん。あの娘と共にいられるのならば どんな身に落とされようともいい。俺は、自分の想いを曲げる気はないっ」
「そうか……。お前のような馬鹿者は、もはや この国の跡取りでも おれの息子でもない。国の跡取りは家臣達から選ぶとしよう。其奴を切り捨てよ」
国を統べる地位に成り上がれるかもしれない好機に家臣達の目の色が変わった。獰猛な顔つきで一斉に若様へ斬りかかる。
「お前にはすまんが あの馬鹿者は殺す。して、あの下人の娘は殺せたか」
「息子のことは別にいいのですがっ 先ほど化け物が……」
甲高い鳴き声が響いた。その声の主である一頭の馬が、勢いよく駆け 数人の家臣達を蹴り上げた。
「だ、大丸っ なぜここに……」
若様は目を丸くする。
「やめてっ」
叫んだのは大丸を追いかけてきた下人の娘だ。
「えっ わ、若様。 なんで血まみれに……っ」
下人の娘はなぜこのような様相になっているのかがわからず、困惑した表情で立ち止まった。
「畜生如きの下人が。おれが直々に斬ってやろう」
ぎらりと光る瞳で領主は刀を抜き、下人の娘に走り寄って斬ろうとする。
しかし、突如目の前に壁が現れた。
領主がその壁を見上げれば──
真っ赤な顔に角を生やした巨躯の鬼。
鬼は領主の顔面を平手で打った。その威力は凄まじく およそ10尺まで転げていき、領主は動かなくなった。
「ひ、ひぃっ」
領主の妻は動かない
家臣達は鬼に向けて刀を構えるが、皆 手が震えている。鬼がゆっくりと家臣達に近づくたびに後ずさるが、徐々に徐々にと距離を縮めてくる鬼の恐怖に耐えきれなくなった家臣が一人、また一人と悲鳴を上げて逃げ出していき、若様を囲んでいた家臣達はいなくなった。
家臣達が逃げ出す姿を見て、若様はがくりと膝をつき 刀でかろうじて体を支える。下人の娘は満身創痍の若様に駆け寄った。
「ひどい怪我をっ どうして こんなことにっ」
「お前は、大丈夫か。怪我はしてないか」
若様が息を切らしながらも優しく尋ねられ、下人の娘は頷く。
「わ、わたしのことより、早く手当をしないとっ」
若様はほんの少し微笑むと、体から力が抜けて意識を失った。
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