リア、婚約破棄はしないからね?
「グラン、私と婚約破棄して欲しいのです。どうか考えて頂けませんか? 」
長い冬が終わりを告げ春の陽気になり、冬前に訪れたきりであった王宮自慢の中庭で、ジュリアは東屋の中、グランベールに向かってはしたなくも立ち上がって懇願していた。
対してグランベールと言えば、目をまん丸に見開いてジュリアを凝視している。
お互い食べさせあおうとフォークに刺したイチゴは、悲しいかなグランベールが手を滑らせ、足元へと転がって行ってしまった。
「……いきなりどうしたのかな? リア、先ずは座って。そのままの体制では辛いだろう? 」
ジュリアはあまりに夢中になり過ぎて、前のめりにグランベールに詰め寄っていた事に気付いて、慌てて席へ座り直した。
「グランにとってはいきなりかも知れませんが、私は沢山考えた結果、このままズルズルと婚約関係を続けていては、グランの為にならないと思ったのです」
「私の為……? 」
ジュリアの言葉に、グランベールは眉を潜めた。それを受けて、ジュリアはこくりと頷いてみせる。
「はい。この前私は社交界デビューをグランのお陰で無事迎える事が出来ましたでしょう? 」
「そうだね、あの時のリアと言ったら、天使が舞い降りたかの様に可愛らしかったね」
「もう! そうでは無くて! 良いですか? あそこで沢山の方々が参列されていましたでしょう? 」
「そうだね。私のリアが社交界デビューするのだから、沢山の人が来るのは当たり前だね? 」
そこでジュリアは下を向き、きゅっと下唇を噛んだ。そこへ、グランベールは自身の人差し指をジュリアの唇へ押し当て、やんわりとその行為を窘めた。
「……すみません、グラン。少し考えてしまって……。グランも目の当たりにしましたでしょう? 茶会とも違って、夜会には何と多くの方が参加されるのかという事を」
「うーん、それは開催の規模にもよると思うけれど、この前は特に盛大にさせたからねぇ? 私が。リアは何が不満だったのかな? 遠慮なく言ってくれないか」
グランベールが困り顔でジュリアを伺うと、彼女は無言で首を振る。
「とんでもございませんわ! 私、あんな煌びやかで賑やかな催しは初めてでしたもの。沢山の方とお話しも出来て、グランも常に居て下さいましたし、とっても楽しかったんですのよ?」
「うーん、じゃあ私の何が不満で婚約破棄なんて馬鹿げた事を言い出すのかなぁ? 」
「まあ! グランは気付いていなかったのですか? あんなに美しい方々から沢山賛辞を受けていたのですよ、グランは。あんな素敵な方々を婚約者候補に入れないのは勿体ないと思うのです! 」
「はあ?! 」
突拍子の無い言葉を受け、グランベールは滅多に出さない自身の間抜けな声に、慌てて口を閉じた。それを気にもせず、ジュリアは話を続けた。
「私は所詮、父が宰相を担っていた縁で、幼い頃から王宮でお世話になっていただけの幼馴染。グラン程の素敵なお人が、幼馴染なんかに妥協するのは良くないと思うのです!! 」
「待って、リア。リアは幼馴染なんかだなんて表現してはいけないぐらい大事な人だよ? しかも、私の事が嫌いだとかでは無いのだよね? 」
その言葉に、ジュリアは信じられないものでも見るかの様に、少し体制を後ろへ引きグランベールを見つめた。
「そんな筈がないでしょう?! グランはいつも私に良くして下さいますし、とても紳士的ですし、頼りになりますし、私を甘やかして下さいますし……」
「……何故こんなに褒められているのに、婚約破棄なんて言葉を……? 私の耳がおかしいのか……? 待った。じゃあ、何だ。リアは私を憎からずに想ってくれていると受け取って良いんだね? 」
「勿論、当然ですわ! 」
「…………」
「…………」
暫しお互い見つめ合っていたが、グランベールは諦めた様に溜め息を吐いた。
「認められる筈無いだろう? リア、良く考えて。もう婚約して10年経つんだ。そんなの、はいそうですかとは事は運ばないんだよ。とりあえずはまたじっくり考えてからまた私に相談してくれないかな? 良いかい? 必ず私に、だよ? 」
グランベールの言葉に、ジュリアは少し剥れた様子で、それでも重々しく頷いた。
それを受けて、グランベールは内心ホッと胸を撫で下ろしたのだが、それからひと月の間に何十回と言われるとは思ってもみなかったのである。
それから時は過ぎ、春から初夏へ移ったある日。
初めてジュリアが婚約破棄を申し出た東屋の中、グランベールはジュリアとは違う女性とお茶を供していた。
「何だ、つまらない。もうバレちゃった」
ジュリアよりも幾らか年上だろうその女性は、扇子を口元へ当てるところころと笑っている。対してグランベールと来たら、眉間に皺を寄せて相対する女性に睨みを利かせていた。
「バレちゃった、じゃないんですよ姉上。よくも私の可愛いリアに変な話を吹き込んでくれましたね? お陰ではぐらかすのも諭すのも寧ろ聞かない振りをするのも大変だったのですよ?! 私だけならまだしも、父上もベクトール卿も! あれで拗れたらどうするつもりだったのですか! 」
グランベールに凄まれて、姉上と呼ばれたルクレツィアは扇子の裏で笑みを深くした。
元はと言えば、ジュリアがデビューした夜会にて、どうしてもジュリアの元を離れなければならなくなったグランベールの代わりに、ルクレツィアがジュリアに付いていたのが問題だった。
ルクレツィアはそれとなく、ジュリアにグランベールに想いを寄せる令嬢が複数居るのだとジュリアに教えてしまい、そこからジュリアの暴走が始まってしまったのである。
「だって本当に貴方達は小さな頃からべったりで、他に目移りしないのだもの。これで婚姻後に貴方が目移りしたら、リアちゃんが可愛そうでしょう? だから、私が一石を投じてあげたの。寧ろ感謝して欲しいぐらいなのに、私の弟ったら可愛く無くて残念だわ」
グランベールは苦々しく紅茶を口に運ぶと、一気に飲み干して無作法にもカチャンと音を立ててソーサーへとカップを乱暴に置いた。
「可愛く無くて結構! 私のリアが純粋だからと、からかうのは辞めて頂きたい。私が他に目移りする? あんなに可愛いリアが側に居るのに? 馬鹿馬鹿しいっ! 馬鹿馬鹿しいのにリアは本気で悩んだのですよ?! 可愛そうだとは思わないのですか?! あれではもうからかいでは無く、意地悪と言うものだ」
グランベールの怒りにも何処吹く風。ルクレツィアは優雅な所作でお茶を飲むと、にっこりと微笑んだ。
「そんな事を言って。私のそのからかいのお陰で、婚姻式が早まったのでしょう? お父様が慌てて準備を促したと聞いたわ。本当、少しは感謝して欲しいものだわ、準備に2ヶ月なんて王家始まって以来の早さだと聞いたもの。しかも、花嫁はまだデビューしたてだと言うのに」
「ああ言えばこう……もう二度と夜会で姉上にリアは任せませんし、婚姻してからも近付けませんので、そのつもりで」
「貴方は、小さな頃からそればかりね、私はいつも仲間外れ。この調子でリアちゃんが籠の鳥にならない事を祈るばかりだわ……」
「姉上? 」
「はいはい分かりました。もう余計な事は言わないわ。そのまま末永く仲良くして行けば良いんだわ、全くもう」
そう言うと、ルクレツィアは徐に立ち上がった。グランベールに優雅な淑女の礼を取ると、此方へ向かって来る男性の元へと足早に迎え出て行った。
それを見送り、グランベールは静かに溜め息を吐く。
迎えに来た御仁はルクレツィアの幼馴染であり、また夫でもあるこの王宮の騎士団長なのだ。
「人の事は言えないでしょうに」
そう独り言を呟くと、グランベールもまた東屋を後にするのだった。
それは、ジュリアがまだ婚約破棄をグランとの勝負だと勘違いしている時期。婚姻式まで後二週間後に迫った穏やかな昼下がりの出来事であった。
グラン、婚約破棄して下さいますでしょう? 芹澤©️ @serizawadayo
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