激怒勇者は私にだけ(怖いくらい)優しい

真山空

激怒勇者は私にだけ(怖いくらい)優しい

「一方的に婚約破棄した元婚約者が、惚れた女の尻を追いかけて出て行ったと思ったら、なんか追放されたとかで帰ってきてて、挙げ句勇者が激怒してるんですけど、こういう時って、一体どうしたらいいですかね?」


 王国の魔術師団で働くシンシア・ポシェットは、早口で捲し立てると、一縷の望みをかけて上司を見つめた。

 筆頭魔術師たる上司は、難しい顔で腕を組む。

 そして、理知的な光を浮かべた瞳をシンシアに向け、一言。


「うちでは飼えないから、元の場所にかえしてきなさい」


 バタン。扉は、シンシアの鼻先で閉められた。


「か、かえせって――そんな事が出来たら苦労してません! 開けて下さい! あ・け・て! ……あっ、鍵かけてる……!」

「シンシアさん、悲しまないで。僕がいるから」


 必死こいて扉を開けようとしているシンシアの肩を抱く、優美な青年。

 その空気を読まない発言に、シンシアの目がつり上がる。


「誰のせいだと思ってるの!」

「うん?」


 青年は、ゆったりと首をかしげた後――げしっと何かを蹴り飛ばした。


「コレのせい、だよね?」


 視線を下げれば、シンシアを悩ます原因の一つが、気を失って床に転がっていた。


「クレイ!? えぇぇっ!? さっきまで起きてたでしょ! なんで気絶してるの!」

「だって、シンシアさんにひっついてるんだもん。――貴方のすべすべした足や、太もも、細い腰に手を回し、顔を擦り付け、べたべたべたべたべたべたべたべたべた……! 平然とわいせつな行為を働くようなゴミクズだから、僕が処理しておいたよ、安心して?」

「処理ってなに!? 私は、今の発言のどこに、どう安心すればいいの!?」


 クレイという、床で伸びている男。

 実はシンシアとは浅からぬ因縁がある。

 思い起こすこと数ヶ月前、この男は婚約関係にあったシンシアに一方的に別れ話を突きつけ、勇者一行に加わっていたある女性を追いかけていったのだ。


『肌を合わせた女が忘れられない。婚約者と言えど幼なじみ以上の感情は持てない。だから行かせてくれ』


 そう、自分勝手な言葉だけを並べて飛び出したクレイ。

 婚約破棄するだけして、後の事は全て自分に丸投げして逃げた最低男の顔を、シンシアは最近になってようやく思い出さなくなった。

ようやく普段の生活を取り戻せた……その筈だったのに、今さっき……本当に、突然現れた元婚約者に泣きすがられた。


『聞いてくれシンシア! ブレイクの奴、俺に嫉妬して、勇者一行を追放だとかほざくんだ!』

『ギャーッ! 鼻水!!』


 丁度、仕事場の扉を開けようとした時だった。

 曲がり角から飛び出してきた鼻水と涙と汗に塗れた男に縋られたシンシアは、瞬間的に元婚約者であるとは気付かず、悲鳴を上げて引っぱたいてしまった。


『あ、あれ? クレイ? どうしてここに!?』

『どうしても何もない! ブレイクの奴が――ぐえっ!』

『あのさ、誰がシンシアさんの所へ行ってもいいって言った? 僕は、さっさと消えてくれって言ったんだけど?』


 平手を食らっても立ち上がり、シンシアの足にすがりついて「何か」を訴えようとしたクレイの首根っこを引っ張ったのは、現在魔王討伐の旅に出ているはずの勇者ブレイクだった。


 ――この時点で既に、ややこしさ最高潮だったのだ。


 手に負えない、というか極力関わり合いになりたくないと思ったシンシアは、職場の扉を開け、元婚約者が泣き叫んでいた言葉をそのまま上司に訴え、救いの手を期待した。


だが、シンシアの期待は砕かれた。扉はたった今、目の前で、無情にも閉ざされた。

 なんだか厄介そうな連中と関わりたくないと思ったのはシンシアだけではなかったのだ。こういった事にはやたらと鼻が利く上司は、部下一人を犠牲に、厄介事を外に締め出した。


 取り残されたシンシアが、どれだけ開けようと頑張っても、扉はびくともしない。だから、一人でこの面倒事に対処しなければいけないのだが……。


 ちらっと横を見れば、勇者は澄ました顔で立っていた。ただ、その片足は、なにやら忙しなく動いている……――げし、げし、という規則正しい音と共に。


「まったく、どこまでも恥知らずな男だ。貴方の優しさにあぐらをかいてきて、自分勝手な都合でそれを手放したくせに、今更惜しいとすがりつくなんて。……なんて浅ましいんだろう」


 げし、げし、げし。


「ねぇ? 言いながら蹴るの、やめてよ」


 芝居かかったような大げさな口調で嘆く勇者だが、その足は休むことも乱れることもなく、規則正しくクレイを蹴り飛ばし続けている。

 ただ、クレイは気絶している。いくら浮気した挙げ句、そっちが本命だからと婚約破棄を宣言し、飛び出していった最低男でも、無抵抗の相手に対する暴力は見ていて気持ちが良いものではない。

 思わずシンシアが止めに入ると、勇者ブレイクは信じられないと目を見開いた。


「こんなゴミクズクソムシを庇うの? ……あぁ、シンシアさん、貴方って人は、どこまで心優しいんだろう……!」

「いえ、普通の人の、普通の感覚だと思う」

「その上、奥ゆかしい!!」


 大感激する要素がどこにあったのか、シンシアにはさっぱりだ。

 けれども勇者は自身の体を抱くように腕を回し、身もだえしている。

 控えめに言っても、怖い。


「……勇者様、一体何故ここに?」

「シンシアさん。勇者 ……なんて、他人行儀名呼び方しないで? 昔みたいに、僕のことはブレイクって呼んでよ。肥だめ野郎の事は、名前で呼ぶのに、……ずるいよ」


 拗ねた表情を作る勇者。女性が見ればキュンとしそうだが、慣れているシンシアは、眉を寄せ、口をへの字に曲げた。


「そういう貴方も、自分の兄を変な風に呼ぶのはやめなさい」


 何を隠そう、シンシアの元婚約者クレイは、勇者ブレイクの兄だ。

 正真正銘、血の繋がった兄弟だというのに、いまや弟が兄を見る目は冷たい。

 けれど、ブレイクがシンシアに向ける顔はにこやかで、落差が薄ら寒かった。


「ふふ、おねえさん口調のシンシアさんも素敵だ。……でもね、一つだけ言わせて? 僕はコイツと血が繋がっていると思うだけで、悪寒に吐き気、さらには頭痛、腹痛、筋肉痛、もう一つオマケに神経痛などといった諸症状におそわれるんだ。大切な大切なシンシアさん、お願いだから、貴方の可愛い唇で、その禁句を口にするのだけはやめて欲しい。貴方まで汚れる」

「……ブレイク……」


 実兄に対する、すさまじいまでの拒絶。シンシアは呆気にとられて、勇者の名前を呼ぶ。

 すると、咎められたと受け取ったのか、ブレイクの眉が下がった。――兄であるクレイを見る目は、相も変わらず絶対零度の冷ややかさだが。


「貴方の婚約者なんて栄誉に預かりながら、他の女と関係を持った不誠実な男だよ? シンシアさんは、どうしてそこまで、下半身節操なしで生ゴミ以下の価値無し野郎を庇うの?」


 庇ってなどいない。

 正直泣きつかれてびっくりしたし、関わりたくないという思いの方が強い。

 ただ、実兄を冷たい眼差しで見下ろす勇者を見てしまったら、放置したらマズイ予感がするのだ。


「あ、あのね、何があったのか知らないけど、兄弟でケンカもほどほどに……」

「シンシアさん」


 にっこり。好青年風の笑顔で、ブレイクが話を遮った。


「コレは、肥だめで生まれて肥だめで死ぬ、マジゲロドカスなクソ虫野郎。僕達と一緒にするのは、やめよう?」


 かつての内気な少年はどこへやら。

 快活な口調で、悪口にしても度が過ぎる事を、平然と語っている。


(ついに、人間扱いまでやめちゃったんだけど!?)


 もう嫌だ。もう無理だ。

 旅の最中、兄と弟の間にどんな事件が起こり、どれほどの溝が生まれたのかは分からない。

 ただ、幼なじみであるシンシアですら、もう取り持つのは無理だと放り捨てたくなる展開だった。

 元来は温和であるはずのブレイクが、笑顔で激怒している。彼の兄へ対する感情は、地の底を抉るほどに低下していた。


「……ブレイク。温厚な貴方が、ここまで怒っているんだから、きっと私にはわからない、大変なことがあったんでしょう」

 

 だけどまず、私の職場で明るくぶち切れ、兄を悪し様に罵倒し続けるのはやめてくれないかな?


 ――そう懇願しようとしていたシンシアだったが、ブレイクの表情が驚きに満ちていることに気付いて一端言葉を切った。


「もしかして、シンシアさんは、分かってないの?」

「……え?」

「僕がどうして怒っているか、本当に分からない?」

「……ごめんなさい。クレイは、貴方が自分に嫉妬したから追放したとか騒いでたけど、違うでしょう?」

「そこは分かってくれるのに、どうして肝心の部分が伝わらないかな」


 ブレイクが困ったように苦笑した。


「あのね、シンシアさん。……僕、貴方の事が好きなんだよ」

「それは……ありがとう」


 今更だ、とシンシアは受け止めた。


 ブレイクは、悪戯ばっかりだったクレイと違い、大人しい子だった。いつも「シンシアさん」と後を追いかけてきてくれた可愛い可愛い幼少期、シンシアの癒やしであった。


 ブレイクが、勇者という大変な肩書きを背負ってしまってからも、二人の関係は変わらない。大事な弟分である。だから、シンシアは彼の言葉を“親愛”という意味で受け取った。

 だが、違うとブレイクは首を横に振る。

 

「ちゃんと意味分かってる? 一人の男として、貴方という女性を好きなんだけど」

「……………………え? なんて?」

「都合の良いときだけ、難聴にならないでシンシアさん。僕は、貴方を、恋愛的意味で好きだって言ってるんです。……――正直、貴方と婚約したクレイが羨ましすぎて、いつか行方不明になって貰おうと計画を練っていたくらい、貴方の事を愛してる」


 ひくっ、とシンシアの片頬が引きつった。なんだか、どす黒い発言が混じっていた気がする。


(……気のせい、気のせい……)


「でも、子供が出来ることはたかがしれてるから、まずは機を見ることにしたんだけど」


 ――気のせいには、できなかった。


 悪びれなく口にするブレイクに、これまで抱いていた、温和で控えめという印象がガラガラと崩れていく。


 優しく可愛らしかった幼少期のブレイク。天使のように愛らしい顔の下で、そんな真っ黒い事を考えていたなんて信じたくない……。ちょっとショックが大きすぎたシンシアは、ふらりとよろけた。

 すかさずブレイクは手を回し、そつなく支えてくれる。その仕草は、幼い頃憧れた王子様そのものだ。目を合わせて微笑む、それすら綺麗で絵になる。


「でも、計画を実行する前に、勇者なんかに選ばれて……。正直、僕は世界を救っている場合なんかじゃなかったんだけど、貴方が魔物の狂暴化に怯えているのを見て、安心させたくなった」


 シンシアの安心のため、ブレイクは旅立ちを決意したという。

 けれど、ここで一つ、ブレイクにとっても予想外の事がおきた。


「僕の旅の仲間にね、ちょっと奔放な人がいて……。誘われて、生理的に無理じゃなかったら誰とでも寝るって公言している人なんだけど――」

「……知ってるわ」


 シンシアも、一度だけ見たことがある。遠目からでも綺麗な人だと思った。ちょっと影のある笑みが、男の人を放っておけない気分にさせるんだと、聞いてもいないのにクレイに語られた事まで思い出したシンシアは、ちょっとだけ沈んだ。


「クレイ、その人が忘れられないって言って、貴方たちを追いかけていったの」


 聞いた、と言いながらブレイクは気絶中の兄を見下ろした。


「その時こいつ、シンシアさんとは結婚しないって言ってた。――でも、僕にしてみれば好都合だったんだ」

「…………」

「だって、これで僕の目の届かないところでシンシアさんと結婚される危険性がなくなったから!」


 今のは嬉々として言うところだろうか。

 シンシアは、肩に置かれた手を振り払おうとした。しかし、力が込められていて外せない。


「魔王を倒したら、僕は貴方に求婚しようと思ってた。すぱっとやりきって、大急ぎで戻ってきた」


 ブレイク達が城にいたのは、そのせいかとシンシアは納得した。同時に、ハイペースで最終目標を攻略したブレイク達勇者一行の能力の高さに震える。速すぎだ。


「それなのに、こいつ……!」


 初めて、ブレイクの顔に激しい感情が浮かんだ。憎悪だ。

 やはり、クレイはブレイクに対して何か、取り返しの付かないことを“やらかした”のだと、シンシアは青ざめる。 


「一体、なにがあったの?」

「付きまとってた彼女に相手にされなかったからって、都合良く貴方の所へ戻ろうとしたんだ。さっき陛下に報告に行ったら、婚約者のシンシアが待ってるって、いけしゃあしゃあと……!」

「うわぁ」


 ただの幼なじみで、それ以上の気持ちは抱けない。

 そう一方的に言い逃げしていったのはお前だろうと、シンシアも呆れてしまった。


「……その後、僕が詰め寄ったら、……シンシアさんはまだ独り身だから、結婚してやってもいいとか色々」


 ブレイクは言葉を濁したけれど、実際はもっと色々好き勝手に言ったのだろうとシンシアは察した。


「婚約破棄したのは、この人なのにね」


 誰のせいで独りなのか。

 それも、たかだか数ヶ月で次の相手が見つかるわけもない。


 ――クレイにとって、シンシアは恋愛の相手ではないが、都合の良い逃げ場所なのだろう。

 言い方をよくすれば、姉か母のような存在だ。

 子供の頃からの付き合いで、クレイが悪戯をしでかすたびに尻拭いをしていたのは、シンシアだ。なにがあっても自分を迎え入れてくれるだろうと勝手な事を考えていても、不思議ではない。

 

(ほんと、バカな人)


 もう呆れるしかない。


(あれこれ世話を焼いていた、私も駄目だったのかもしれないけど……はぁ……)


 落ち込むシンシアだったが、いつまでも自分から離れないブレイクをそのままにしておけず、「離れて」と伝えた。

 しかし、ブレイクは笑顔で首を横に振る。


「僕、まだ返事を聞いてないから」

「は?」

「――愛の告白、したよ?」

「……ぁ? ……あー……あぁ!」

「……忘れていたね、シンシアさん」


 付け加えられた内容の方が濃くて正直、頭からすっぽ抜けてしまったが、確かにブレイクから好きだと言われた。

 けれど、シンシアの答えは決まっている。


「ごめんなさい、ブレイク、私……」

「ちなみに、僕の求婚を断ったら、そこに転がっているクソと王命で結婚させられるかもしれないよ?」

「…………え?」

「さらに言えば、コレ、行く先々で自分は勇者一行で最強の剣士だとかなんとか吹聴して、いろんな女性と関係を持ってたから、あとあと責任取れって押しかけてくる人が大勢いるかも」

「――えぇっ!?」

「追放とか言ってたでしょ? あれは、そういった素行不良が原因。手を出したらマズイ相手にも見境なかったから、コレ」


 節度を持てと言えば、テクなし男のうんちくはつまらないと返す。

 むやみに勇者一行を名乗るなと言えば、自分に嫉妬しているのだなと嫌味に笑う。

 あれやこれやの言動に、トドメの発言が加わり、ブレイクはぶち切れた。


 魔王討伐は完了した。もう解散だ、どっか行け。静かに暮らしたいから、勇者一行の名前は出すな。


 そう釘を刺した途端、本命には相手にされずとも、“勇者一行”という肩書きさえあれば、女は無限に寄ってくると思っていたクレイは、動揺した。

 ――そして、シンシアが魔術師団に勤めていると知っていた彼は、その足で突撃をかけてきた……と言うわけだ。


「コレの素行、ここにいたときは問題にならなかった。シンシアさんが手綱を握っていてくれたからだって、みんな分かってる。だから、王命で貴方に結婚しろって迫ってくると思うよ? ……洒落にならない相手にも手を出してるから、あなたは第五夫人以下だとおもうけど」

「まさかの一夫多妻!?」


 にこりとブレイクは微笑んだ。

 それはそれは優しげに。それはそれは愛おしそうに。


「ね? 嘘でもいいから、僕を夫にしておきなよ、シンシアさん」

「でも、それじゃあブレイクを利用する事になるじゃない」

「それでいいのさ。 ――面倒事ばっかり押しつけられる忍耐だけの生活より、嘘っこだけど愛ある生活の方が、いいと思わない?」


 卑怯だ。申し訳ない。不誠実極まりない。というか、ブレイクを恋愛対象として見たことがない。


 シンシアが頭の中でぐるぐると考えていると、ブレイクはしびれを切らしたように抱き上げた。


「ちょっと!?」

「シンシア・ポシェット! 僕は貴方だけを愛している! 他の男の物になるなら、こんな世界滅ぼしてやる!」


 その朗朗とした声は、廊下はおろか、開け放たれた窓の外へまで響き渡る。

 途端、閉ざされていた扉が開き、真っ青な上司が飛び出してきた。


「結婚してシンシア! 平和のために、今すぐそのデタラメ勇者の嫁になって!」

「はぁ!? ちょっとまって下さい、何をそんなに慌てて」

「こんな短期間で魔王討伐を終わらせて帰ってきた勇者が、“普通”なわけないでしょう! この国の……いいえ、世界の平和のため、貴方には勇者との結婚を命じます! 上司命令ですぅ!」

「上司が部下の結婚に口を出すなんて、聞いた事ありませんよ!?」

「じゃあいますぐ陛下に直訴して、王命にしてもらいます! あぁぁぁぁ、こうしてはいられない!」


 もの凄いスピードで飛び出し、角を曲がって走って行く上司。ぽかんとするシンシアを抱き上げたまま、ブレイクは笑った。


「僕、色々と規格外の勇者だったみたいで、なんか英雄通り越して、危険人物扱いされてるんだ。――だから、シンシアさんが見ていてくれないと、ほんとにこの国滅ぼしちゃうかもよ?」


 これは、クレイとは全く違う方向で質が悪い。

 シンシアは項垂れた。

 けれど、昔のように無邪気な顔で頬を寄せてくるブレイクは、拒絶しきれない。


「シンシアさん、僕が悪い事をしないように、見張っていてよ。貴方が傍にいてくれれば、僕は自分が正しい人間になれる気がするから」


 笑顔だけれど、その目は捨てられた子犬のように、縋るようにシンシアだけを見つめてくる。


(昔から、この目に弱いのよ)


 シンシアさん待って、と自分の後ろを懸命に追いかけてきた、幼い頃の思い出が蘇る。

 

「……負けたわ」

「やった!」


 子供のように歓声を上げたブレイク。そんな彼に、シンシアは大切な事を忘れていたと、思い出す。


「ねぇ、ブレイク。……私、貴方にまだ、言ってなかった事があるわ」

「なに?」

「お帰りなさい、ブレイク」


 大きく目を見張ったブレイクは、その後照れくさそうにはにかんだ。


「――ただいま、シンシアさん」


 見つめ合う二人。お姫さま抱っこという構図も相まって、物語の締め、ハッピーエンドの瞬間にしか見えない。

 勇者の看過できない叫びを聞いたのだろう。いつの間にか集まっていた野次馬達が、曲がり角の影から顔をのぞかせ、パチパチと拍手していた。


「みんな、僕達を祝福してくれるみたいだよ? だから、はやく僕を好きになってね? ――でないと、閉じ込めてちゃうかも……なんてね」


 シンシアは、最後に付け加えられた不穏な一言だけは、聞こえなかったふりをした。


 この後、ブレイクは気絶したままのクレイを放置し、うきうきスキップしながらシンシアの実家へ「挨拶」に向かった。その間、シンシアはお姫さま抱っこされたままである。彼女はこの日、一生分の羞恥心を味わう羽目になった。


 なにはともあれ、シンシアはこの一件以降、世界の命運を握る女として、あちこちから注目される事となる。そんな彼女の隣には、いつだって愛が濃厚すぎる勇者様がいた。

 文字通り、片時も離れずに。

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激怒勇者は私にだけ(怖いくらい)優しい 真山空 @skyhi

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