Angel's share 天使の分け前

宮埼 亀雄

第1話



序章


Angel's share 天使の分け前

酒を木の樽で熟成させる過程で、気化したアルコール・蒸気が木を通過して原酒の分量が減る現象。

気候、条件により蒸発量は変化する。


昔、イングランドが戦費を調達する為に、酒に重税をかけたところ、醸造所はアルコール度数の高い蒸留酒を樽に入れ地面に埋めて隠した。すると、酒の分量が減ってしまっていたことから、天使の分け前・天使の取り分の名をつけられたという。


デビルズ カット

樽に吸収された原酒を抽出する方法。


参考サイト

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E4%BD%BF%E3%81%AE%E5%8F%96%E3%82%8A%E5%88%86

最終更新 2019年1月28日 (月) 05:46 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。


お酒は通常、アルコール度数の高い原酒に加水して規定のアルコール度数に調整後、販売されています。



第一章


 ある時全知全能の神は、人間の中で最も正直な者を天に迎えるとの啓示を伝えるように、天使にお命じになった。


 天使は神の言いつけどおり地上へと降り、もっとも正直であろう男のもとへと、神様からのありがたいお告げを伝えに向った。


 天使が選んだのは、貧しいが故に嫁を迎えられない酒職人の男だった。酒職人は目の前に現れた美しい天使に、たいそう喜び迎え入れはしたのだが、神様のお告げを聞くとまた、たいそう悲しんでしまったという。






 天使は、神からの祝福に何故そんなにも悲むのか、不思議に思い男に理由を訊ねた。


 すると男は、「私は根っからの正直者です。仕込んだ酒を盗み飲んだり、量を誤魔化したことなど一度たりとてありません。ですから、この国の重い酒税にも、一ペニー※たりとも誤魔化したことはないのです。そんな私を町の人たちをはじめ、役人たちでさえもが、希代の正直者であると、たいそうお褒めくださいます。なので、仕事は順調なのですが、なぜか蓄えが一ポンド※たりとてないのです。そんな私に嫁ぐ物好きな娘など居よう筈もありません。ですから、私はもう正直者でいるのが辛くて辛くて仕方がないのです。このまま正直に生きていると、私は一生一人寂しく生きてゆくしかありません。例え天国にされたとしても、見守る家族さえも居ないのですから」と、いった。


※イングランドの貨幣 現在(2017年)1ポンド約145.602298円 100ペンス(ペニーの複数形)=1ポンド

十進法以前は1ポンド=240ペンス





 では、正直者で商売も上手くいっているのに何故なぜに貧乏なのか、天使は訊ねてみた。すると男からは、信じられない答えが返ってきたのである。


「この国では酒を仕込み、出来上がった酒に税をかけます。みんなそうです。ところが、仕込んだ酒が不思議なことに、少しずつ減ってしまうのです。誰かが盗んでいるのではないかと最初は疑いました。しかし、みんなも減っているのです。そんな不思議なことができるのは、神か悪魔の仕業しかないでしょう」





「私たちは神の忠実なるしもべですから、悪魔に騙されることなどそうそうありますまい。そこで皆、これは神の試練に違いない『天使の分け前なのだ』そう諦めているのです」

 

「しかし、税金は必ずやって来ます。要領の良い者たちは、減った酒に水を混ぜて帳尻を合わせています。しかし、私にはそれができません。正直な私は、税をちゃんと払い、正直に酒を売っているのです。そこで、神様にお訊きしたいのです。神様は何故、私のような正直者に、このような過酷な試練をお与えになり、人並みの幸せを奪われたのでしょう」

 




第二章


 それを聴いた天使は、このまっとうすぎる酒職人が哀れで仕方なくなってしまった。たとえ濡れ衣であったとしても、天使の分け前を弁解することなどできなかった。


 そして、天使は男に嘘をいた。天使は清らかであるがゆえに天の掟を破ってしまった。この正直な男を、どうしても天国に召させたかったから。


「ですから、慈悲深い神様は私を貴方のもとへ、お遣わせになったのです。私でよければ、一生貴方のそばへ居させてください」

 

 天の掟を破って嘘をつき、あまつさえ人間と交わるのですから、私は天国へ帰ることを許されないでしょう。けれど、それでも構わないのです。正直な貴方が、幸せな心持で天国へと召されることが、天使である私の願いなのですから。





 こうして天使は人間となり、正直な酒職人と暮らしはじめた。


 すると人々の間に、馬鹿正直な為に貧乏な、愚か者である酒職人が嫁を貰ったと評判になり、世間にその噂が広まっていった。


 まともな女ならば、そんな馬鹿者のところへ嫁ぐ筈がない。きっと頭がおかしいか、男と同じく馬鹿なのだろうと、噂は遠くの町々にまで広まっていった。すると今度は、その不思議な夫婦を一目見ようと、隣国からも男が作る正直者の酒とやらを買い求めに来る客が現れはじめた。


 やがて、正直者の酒を買いに行った客たちは、口々に噂を振り撒きはじめた。この世の者とも思えぬ美しさと清らかな心を持つ嫁を貰った、正直者の酒職人の作った酒がある。ことあるごとに、そう話してまわったのである。





 大評判となったおかげで、正直者の酒は以前にも増して飛ぶように売れた。しかし正直者であるが故に、男は何時いつまで経っても貧乏であった。それでも男は幸せだったのである。天使のように清らかな妻と一生添い遂げられたのだから。


 やがて、人間である酒職人の寿命は尽きた。多くの人々に惜しまれながら、正直な酒職人は天国へと旅立っていった。そして一人地上に残された、男の美しい妻は、役目を終え人の穢れを落とすと、神に赦され天へと帰っていった。正直者の酒職人と再会する為に。



〈了〉

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