天使にラブ・ソングを… 「認めさせる」

 「認めさせる」に「受け入れる」を組み合わせることにより、単純な下克上ストーリーではなく、成長を描くことに成功しています。


●プロット概要

1. 主人公のデロリスは奔放な女性歌手。愛人でイタリアマフィアのヴィンスの殺人現場を目撃し、追われる身になる。


2. 逃げ込んだ警察で、修道院に身を隠すことを提案される。修道院や修道女に偏見を持っていたデロリスは嫌がるが、裁判で証言するまでの間だと説得され、渋々了承する。


3. 修道院の院長は規律を重んじる人物で、デロリスの奔放さと合わず対立する。修道院を俗世から離れて祈りを行う場所だと考える院長は地域交流にも消極的だった。


4. 日曜日のミサで修道院の聖歌隊が下手な賛美歌を披露する。そのせいか一般人の参加者はまばら。神父はそのことを嘆く。


5. 陽気なメアリー・パトリックや人のためにもっと自分の力を発揮したいと考える真面目なメアリー・ロバートなど、同僚たちと交流するうちにデロリスは修道女に対する偏見を改める。


6. 退屈な生活に耐えきれず、デロリスは修道院を抜け出してバーに行く。それを見たメアリー・パトリックやメアリー・ロバートもついてきてしまい、そのことが院長にばれ、デロリスは反省する。彼女は罰として聖歌隊の指導をさせられる。


7. デロリスの指導のおかげで聖歌隊の歌は劇的に良くなったが、ミサで聖歌隊が世俗的な歌を歌ったことについて院長はデロリスを叱責する。しかし神父は現状を打破しようとする試みは素晴らしいと言い、院長は仕方なく世俗的な歌と地域交流を拡大することを許可する。


8. 修道院の取り組みが注目され、ミサは満員になる。報道もあり、教皇が観に来ることになった。院長は教皇に対し失礼がないように伝統的な賛美歌を歌うことを提案するが、多数決で世俗的な歌を歌うことに決定する。


9. 院長は自分が修道院には必要のない存在だと感じ、神父に辞職願を出す。


10. 警察の内通者がデロリスの居場所をマフィアに漏らし、マフィアはデロリスを捕え、カジノに連れ去った。警察はカジノに急行する。


11. 院長は本当のことを聖歌隊に話す。院長はデロリスを助けたいと言う皆を率いてカジノに向かう。


12. デロリスは以前とは違ってまるで修道女のように落ちついていた。信心深いイタリアマフィアはそれを見て彼女を殺害することをためらう。そのすきを突いて彼女は逃げだし、他の修道女と合流する。


13. 修道女たちは追い詰められる。院長はデロリスは本物の修道女だと証言し時間稼ぎをする。そのおかげで間に合った警察にヴィンス一味は逮捕される。


14. 教皇を迎えたミサは大成功する。


●「認めさせる」

 「認めさせる」ストーリーの基本的な流れは、主人公が新しい環境に飛び込む(2)、対立する(3)、頭角を現す(7)、勝利する(8,9)、和解する(13)です。主人公が「認められた」状態を維持するためには、対立する勢力を完膚なきまでにたたきのめし、環境を破壊してしまうわけにはいきません。よって最後の和解するステップが必要で、これを省略すると「敵を倒す」になります。なおここでの「和解」は勝敗がついた後の仲直りのことで、「和解させる」「面白さ」とは異なります。


 主人公と対立勢力が和解する様子を描写する際には二つ注意点があります。まず一つ目は、勝敗が確定した瞬間に和解するか、負けた方から和解を持ちかけなくてはならないということです。勝者側から和解を提案できるのは勝利した瞬間だけ。それ以降は敗者の方からアクションを起こさせなくてはなりません。そうしない場合はどうなるかというと、例えば勝者が後日敗者に「仲良くしよう」と提案したとします。これは勝者側には「こっちが勝ったんだから言うことを聞け」という態度、敗者側には「に負けたことは認めるがそのものは認めない(だからこちらから何かをするつもりはない)」という態度を示唆する危険性があります。これでは和解したのではなく従属させたことになってしまいますし、敗者に勝者を「認めさせる」ことにも失敗しています。この作品の場合、8,9で院長は負けを認め、その後11で自らデロリス救出のアクションを起こすことでデロリスのことを認めたことを表現しています。「ドラゴンボール」でもサイヤ人の襲来に備え、修行のために悟空の息子を預かると言い出したのは負けた側のピッコロでしたね。残念ながらこれを守っていない例がゲームシナリオとかによくあるんですよね……。


 もう一つは負けた側に「勝者を認める」とはっきり証言させるべきだという事です。この作品の場合は13です。「ドラゴンボール」なら、ベジータが悟空に「お前がナンバーワンだ」と認めたシーンが該当します。これはまた、ベジータが現実を「受け入れる」ことにより成長したことも描写しています。「認めさせる」と「受け入れる」の二つを同時に達成する名シーンです。


●「受け入れる」

 「受け入れる」がメインのお話は「やれることはすべてやったけどダメだった。仕方ないよ」という、悲しく清々しいものが多いのですが、「認めさせる」のサブとして使うとあら不思議、「認めさせた」達成感をより深いものにします。勝者側が一方的に勝利して終わり、ではなく勝者も敗者から何かを学び取り、成長する。そうすれば「認めさせる」の和解のステップも描きやすくなるという相乗効果があります。この作品の場合は、自由だが命の危険におびえ、修道女に偏見を持っていたデロリスが(1,2)、偏見を改め自分の身勝手さを反省し(5, 6)、院長に認められるほどになる(12, 13)というふうに成長が描かれています。


●まとめ

 この作品から学べることは「認めさせる」と「受け入れる」はセットで。負けた側から和解しよう。認めたことをはっきり証言させよう。の三点です。

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