交換の法則




 どこぞの高名な学者が曰く、交換の法則とは気まぐれの塊であるらしい。

 それは、土地に根付く災害や病気のようなものであり、おおよそ生命と称するものであれば等しく作用する……のだそうだ。

 初めて交換の法則の働きが確認されたのが二百年ほど昔のことで、森に分け入った狩人たちの被曝がすべての始まりだったのだと云う。

 交換の法則が発見されてからというもの、只人が混じり合うことで異能を得る不可思議な現象は、様々なアプローチから検証された。そして、検証の過程にて現象の有用性が明らかとなるとともに、被爆地のど真ん中に町が形成されていくことになる。これが、モザイク・シティの成り立ちである。

 交換の法則――現代で云うところのモザイク現象には、未だ謎が多い。

 災害指定レベル十領域内にて生命同士が接触すると低確率で交換の法則が働き、混じり合う。もう一度触れると、元に戻る。一度元に戻ると、同じ対象同士では交換の法則は働かない。

 単純に言い表すのならば、これだけのことだ。だが、モザイク現象とはそれだけでは終わらない。

 最も厄介なのは、交換の法則が別々に働いた同士であれば、交換の法則が再作用してしまうことだろう。混じり合った二つの液体を分離するのが困難であるように、モザイク現象を起因とする回復交換は困難を極めた。

 接触部位を正確に割り出し、接触して逆流を促す……云うなればそれだけのことなのだが、実現する労力は並大抵のものでは済まされない。

 故に、完璧なる原状回復を目指しての交換部位の奪還は難しすぎるということで、人々は程良く妥協するようになった。

 モザイク現象は、間違いのない災厄である。それは確かだ。だが同時に、低確率ながらモザイク現象領域に立ち入りし者に奇跡のような外見的特徴や魔法のような特殊能力をもたらすことがあった。

 これこそが、災害指定レベル十領域であるにも関わらず、一攫千金を夢見る知能の足りない命知らずどもの来訪が後を絶えない人種の坩堝、モザイク・シティの空恐ろしさだった。

 かくいうニィルもまたその馬鹿な一人だった。後悔している。力は得たが、土地を離れられなくなった。

 底無し沼の、さらにその奥底でもがくようにして生きているのが、ニィルの現状だ。

「ったくよ。あのくたばりかけの爺さんは、オレにどうしろと」

 結局最後まで依頼を引き受けるのを渋っていたニィルであったが、依頼人フジタが提示した報酬額が思いのほか高額であったため、金に目が眩んで引き受けてしまった次第だ。

 裏切り行為が常習化しているモザイク・シティでの契約といえば、魔導ギルドを通した魔導契約によるものが一般的だ。魔導契約とは、条件達成を前提にした厳罰を伴うハイリスクな契約である。付帯事項として、条件未達成時の即死やら成功報酬未払による即死やらが明記されているものであるらしい。よって、一度引き受けたからには、行動あるのみだ。依頼を引き受けたまま放置することなどありえない。

 だが、ニィル自身がフジタに言い聞かせたように、ニィルのモザイク能力は捜索には不向きなのだ。

「どうしたもんかねえ……」

 呟きながらも、するべきことはわかっている。自分にできそうもないとなればどうするのか。

 そんなものは、得意とする人間にことをぶん投げるに限るのだ。





 に協力体制を取り付けて、自分は苦労なく上澄みを頂戴する。これぞニィル様の華麗なる計画の全貌なのである。

 モザイク現象とは災厄であり、幸運だ。

 当然と言えば当然の話なのだが、モザイク現象で目ぼしい能力を会得した被爆者というものは、さらなる被曝を恐れてモザイク・シティを離れることが多い。そして、不運にも意に添わぬ被曝をした者は、血眼になって自身の欠損部位を探し求めることがほとんどだ。

 そんな時に活躍するのが、捜索者 サーチャー及び追跡者 チェイサーを自称する阿漕なハイエナ連中なのである。

 捜索者 サーチャー追跡者 チェイサーは、いずれも失せ者探しに特化した能力を持つ特殊技能者たちのことであり、モザイク現象の被爆者がどういうわけか出戻ることが多いのを見越してモザイク・シティに常駐している質の悪い輩だ。

 人の弱みに付け込んで、ケツの毛までむしり取るのだともっぱらの評判だった。もしも一生関わらずにいられるのならば、それに越したことはない、そんなどうしようもない連中である。

 だが、これからニィルがコンタクトを取ろうとしているのはまさにそのハイエナ連中のお仲間であり、モザイク・シティでもどびきりの腕利きだと云われている名物コンビであった。

 ニィルは気が進まぬまま行き慣れた道を歩き、ついに目的とする魔導ギルドに到着してしまう。

 魔導契約その他の収入減によりギルド運営は順調そのものであるらしく、魔導ギルドはいついかなる時であっても賑わいを見せている。

 開け放たれた入り口からギルドの建物へと入ると、日頃の行いが影響してか、いきなり目的とする相手に遭遇した。

 忙しくしているのを知っているだけに、いるはずがないと思っていた。伝言を残して帰る予定でいたものだから、予想外の出来事に出くわしたニィルは迂闊にも正直な心の内を叫んだものである。

「うげえっ、ババア!!」

 瞬間、ニィルは後頭部に重苦しい衝撃を受けて、目を剥いて前方へとつんのめる。

「あら、まあ。まあまあまあ」

 ニィルが両手で後頭部を押さえて悶絶していると、華やかな高めの声音が嬉しげに響いた。

 産まれたての小鹿のような挙動でニィルが声の方を見やると、果たしてそこには奇妙に着飾った服装の美少女と黒犬の姿があった。

 少女は、白と黒だけで構成されたゴシック・アンド・ロリータなる金持ち風の装いをしており、相変わらずの美貌もあり、ただそこにいるだけでひどく目立っていた。そして、その横には少女よりも体格が良い黒一色の狼がのっそりと佇んでいる。

 捜索者 サーチャーのマリリアンヌと、追跡者 チェイサーの黒犬――もとい黒狼のボスである。

 見ようによっては無害で非力そうな組み合わせだったが、実情は非力だなどととんでもない。モザイク・シティでも指折りの凶悪生命体コンビである。

「ぐ、ババア……がはっ、わ、わわ。クソ犬の分際で人様の頭を足蹴にして、腹に頭突きとかナメてんのか! この躾のなってねえクソ犬、どうにかしやがれ!」

 黒狼よりも早く、ニィルが吠える。

 ニィルに釣られたのか、続いて黒狼も吠えた。

「ほほほ。婆婆ですって? 何を言いますことやら。わたくしは永遠の十二歳ですのよ。訂正してくださいませ」

「ババアは、ババアだろ! 初対面から顔が変わらねえ化け物のくせして、……いてっ、こら!」

「ボスは本当におサルさんのことが大好きですわねえ。わたくしが許します。食いちぎっておしまいなさい」

「え、いや、どこをだよっ!? 狙うなクソ犬!!」

 わぁわぁとひとしきり魔導ギルドの入り口で騒ぎ倒したところで、美人ギルド職員から怒号とともにストップがかかった。どうやら不必要に騒ぎすぎて不興を買ってしまったようである。

 目くじらを立てて美人ギルド職員に叱り飛ばされたニィルは、しょんぼりと肩を落とす。それでも怒りの冷めやらない美人ギルド職員に案内されるがままに、二人と一匹は相談室なる空き部屋に手際良く押し込められてしまった。

 美人に嫌われるのは辛いものだ。どこぞの万年若作り妖怪のせいで、ニィルの信用はガタ落ちである。

「ところで、おサルさん。貴方、いったい何をしでかしましたの? お顔に死相が見えますわよ」

 マリリアンヌは、おっとりと首を傾げて物騒なことを言う。

「しそう? 何のことだよ……あー、その、な? 仕事を頼まれてくれねえか」

「おサルさんが、わたくしに? それは、仕事の仲介ということでよろしいですの?」

「いや、それがな。なんでかオレに引き受けて欲しいんだと。もう魔導契約をして前金を受け取っちまっててだなあ」

「おサルさん。貴方という人は……」

 見透かすかのごとく、マリリアンヌからじとっとした視線を向けられたニィルは、顔を背けて威勢よく言い放つ 。

「うっ。お、オレは悪くねえ! あの爺さんが前金押し付けてきたんだし!」

「……仕方がありませんわね。良いでしょう。わたくしが視てさしあげますわ。手数料はいただきますわよ?」

「さすがばば……げふん! マリー様。助かるぜっ」

「現金ですこと」

 マリリアンヌは冷ややかな目を向けながらも、ニィルの頼みを聞き入れたようだった。






 マリリアンヌが捜索に用いるのは、シンプルなタロットカードである。裏面は黒一色、絵柄は黒い線のみで描かれている。言ってしまえばただの紙切れも同然の代物だったが、この魔女の手に掛かればとたんに不思議のタロットカードへと様変わりする。

 マリリアンヌは、テーブルに手札を法則に沿って並べると、配置を見回して確認し、頷く。全身から青白いオーラが立ち昇り、その小さな両手を並べたタロットカードの上へと持っていった。

「対象、モーモ」

 マリリアンヌがキーワードを発すると、タロットカードの輪郭が淡く光を帯びた。

「探せ」

 マリリアンヌの指示に、発光したタロットカードが応える。

 淡い光にすぎなかったものが、眩いほどに光を強めて、竜巻き状に渦巻き始める。タロットカードの隙間に光の線が走り始めたかと思えば、やがては幾何学模様のように部屋中を蹂躙するまでに広がりを見せる。

 ここまでは、ニィルがこれまでに何度も見てきた光景だった。何度も見て、そして失望してきた記憶が苦く蘇る。

 このタロットカードは、モザイク現象により交換した相手が死んでいたら動かないのだと聞いている。

 ニィルは、過去に何度かマリリアンヌへ捜索依頼をしたことがあったが、これまでにタロットカードが動いたことはない。

 今回もまた失敗に終わるのか、タロットカードが動くとかガセじゃないのかと疑い始めた頃、それは起きた。

 中央に配置されたタロットカードが光を帯びたまま宙に浮かび上がり、回転する。高速回転だ。うっかり手を持っていくと切れそうである。

 そして、タロットカードは力尽きたようにパタリと落下した。

 部屋中に広がりを見せていた、光の軌跡もまた消失する。

「……ババア?」

「……」

「なぁ、どうなんだよ?」

「位置――特定完了」

 未だタロットカードを注視するマリリアンヌは、厳かに告げて、その小さな手を上向けてニィルへと差し出す。

 ニィルは、渋面になって舌打ちし、少女の手のひらに懐から取り出したコインを置こうとして――――動きを止めた。

「おいっ。何だよこれは。どこから出て来たっ」

「あら、ご存知ありませんの? これは、携帯端末ですわ。先に手数料を支払ってくださいな。でないと情報は渡せませんわ」

「携帯端末くらい持ってるっての! それより何で導力送金なんだよ。コインで良いだろ」

「ご冗談を。わたくしは、子供の小遣い程度の端金で仕事を請け負うほど安い女ではありませんのよ。早く送金しないと、術式が解除されてしまいましてよ?」

「っ、くっそ! くっそ! 貧乏人の足元を見やがって……」

 貧乏人ゆえに怨嗟まみれの本音を吐き出したニィルは、自分の携帯端末を取り出して、タッチパネル画面を指で操作する。

 ピコン!

 音で送金を知ったマリリアンヌは、小さな手のひらに乗るそれを一瞥して、ひとこと。

「こんな端金で……わたくしも安い女になったこと。でも、貧乏人が相手ですもの。仕方がありませんわね」

 などと呟いて、やるせなく首を振る。

「やかましいわ! それ以上は無理だぞ!」

「……ボス」

 ウォン!

 マリリアンヌの隣で伏せていた黒狼が立ち上がり、臨戦態勢を取った。

 たしっ、たしっ、と足踏みの音が聞こえる。

「あ? クソ犬がどうし……」

「ふぅ。疲れましたわ。わたくしの仕事はここまでです。あとはボスの後ろをついてお行きなさい。ええ、おサルさんの死相だなどと知りませんわ。わたくしには関係がありませんものね。好きになさいまし。ボス、案内を頼みましたよ」

 マリリアンヌは、タロットカードの匂いを相棒たる黒狼に嗅がせる。

 ウォン! ウォン!

「え? おい、待てよクソ犬!!」

 黒き追跡者のさらにその背を追って、ニィルは駆け出した。




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