依頼人




 ニィルが小料理屋へと直接持ち込んだ銀魚は、傷物ではあったが予想外に高値で売れた。よって、現在ニィルの懐具合はほくほくである。

 だから調子に乗って行きつけの屋台で高級肉を買い食いした後に綺麗なお姉様方が微笑む店に入ろうとして門前払いをくらい、出禁を言い渡され、悲しみに暮れた勢いでなぜか特注の靴を二足も新調してしまったほどだ。

 なぜ出禁を言い渡されたのかは、決して思い出してはいけない。ニィルは、過去を振り返らない男なのだから。

 そんな反省を知らない男であるニィルの幸運はさらに続くものであるらしく、なんと驚いたことに仕事の依頼があった。実に、半年ぶりの依頼である。

 久々に舞い込んだ依頼に、ニィルは文字通り浮足立っていた。

 両足に羽が生えたかのように軽やかなるステップで往来を出歩き、待ち合わせ場所へと到着する。

 ニィルが立ち止まったのは、モザイク・シティでもひときわ高級なことで知られる、料亭寿杏の前だった。常日頃から懐に隙間風を抱え込んでいるニィルには無縁の場所であり、これからもそうだと思っていた。一生足を踏み入れることなどないと核心すらしていたのだ。

 だが!

 それが、今っ!

 ニィルは、なんと依頼人の希望でここに立っている。嗚呼嗚呼、何たる幸運。何たる僥倖。高級感のある黒塗りの門扉を見詰めるだけで、目が潰れてしまいそうだった。

 おそらく、この料亭で軽食を頂戴するだけでニィルの数か月分の生活費が吹き飛ぶことだろう。料亭寿杏は、そういう類の店だった。

「貴殿が、潜水者 ダイバーのニィル殿であるか」

 背後から聞こえてきたのは、男の声だった。

 果たして、そわそわと落ち着きのないニィルが振り向くと、そこには腰に刀を差した壮年の武士がいた。この近代化を尊ぶ今の時代に、刀持ちだ。しかも、防具らしきものはどこにも見当たらず、布製と思われる着物だけとは恐れ入る。どんな術式を仕込んだものかは知らないが、時代錯誤も甚だしい格好だった。

 ニィルは見間違いかと何度も目をこすってみたりしたが、幻覚は訂正されなかった。

「あー、……そういうあんたは、依頼人さんで……?」

「うむ。その絶対防御を謳う白銀の美しい毛並みは、ニィル殿で間違いないようだ。噂通り、見た目は奇妙な猿のようであるな。実に興味深いものだ。では、行こうか」

 と、どうしたことか良い笑顔を浮かべた依頼人様は、料亭寿杏の前からそそくさと移動して、五分ばかり歩いた先に在る喫茶マンゴーの前で立ち止まるではないか。

 喫茶マンゴー。

 南国産の甘い果実をあしらったスイーツで有名な、巷の婦女子に大人気だとかいう、リア充御用達のデートスポットの一つであるらしいのはニィルも知っているのだが……もちろん否やはない。ないのではあったが、蓄積された期待は吹き荒ぶ心の隙間風に翻弄されて、風化する。

 がっくりと肩を落としたニィルは、無言で依頼人の後ろを付いて行った。





 ところ変わって、喫茶マンゴーの店内である。

 依頼人の武士とニィルは、女ばかりに埋め尽くされた異様な店内の光景に押し出されるようにして、奥にある日当たりの悪い壁際の席へとたどり着き、着席した。

 レトロな木調の店内は、はしゃぐ女子供らで賑わいを見せていて、ニィルが見た限りでは概ね評判通りの店であるようだ。

 あとは、看板メニューであるマンゴーパフェの味さえいけていれば……。

 ニィルが噛り付くようにしてメニューに目を走らせていると、依頼人である武士が、声を発する。

「ぬぅう、ニィル殿は甘党であるか?」

「ええ、まぁ」

「そうであるのか……」

 身体の前で腕を組んだ武士は、悩み多き男の渋みを醸し出した顔で押し黙る。

「あの、何かあるっすか?」

「……何か、とは?」

「いやいや、だって今、甘党がどうのって言いましたよね?」

「わしとしたことがそんなことを……では、ここは正直に言う、のだ、が…………飲食の料金は、各自での清算を希望いたす……」

 問答の末、ニィルはメニューを置いて、迷うことなく一番安いブラックコーヒーを注文した。

 そして依頼人様である武士はなんと、無料サービスの水だけという暴挙に出たではないか。

 その瞬間、思わず全力で店から逃げ出したくなったニィルだったが、ブラックコーヒーを飲まずして立ち去るのはニィルの震える漢魂が許さなかった。

 頭に血が上ったまま膝の上の拳に力を込める。塵芥やゴキブリやナメクジでも見るかのような若いウェイトレスの冷え切った視線を全身で受け止めながら、テーブルにちんまりと置かれた、かわいらしいカップに入った泥水のような液体を見詰める。

 ブラックコーヒーの苦味を口に含み、カップを置いた。

「………………」

 ニィルは現在、心の中に闇と灰を飼っているのだ。

 何なら今この瞬間、千の刃物を取り出して目の前の武芸者野郎を串刺しにしてやろうか。それとも、考え得る限りの有毒物質を押し付けて地獄の苦しみを与えてやろうか。

 ニィルの心の闇は深まるばかりだった。

「突然、呼び出してしまってすまないな」

 闇落ち中のニィルを気にした様子もなく、依頼人はそんな調子で話を切り出してきた。

「あぁ…………」

「では、仕事の話を始めるとしよう」

 そうして語り始めた依頼人の話は、このモザイク・シティに置いては別段珍しくも何ともない、実にありふれたものだった。





 まずは、名乗らせていただくとしよう。

 わしの名は、フジタという。

 モザイク・シティで長年道場を経営していて、今ではそれなりに名を知られるようになったと自負している。

 そして、依頼についてだが……これは、事情を知らぬ者に対しては初めから話すべきであろうな。

 始まりは、二十年ほど前にまで遡る。

 わしの故国であるワクニは、大陸の中立国としてどうにか国の体裁を維持していたが、十年ほど前に周辺国の関係悪化が顕著となり、周りの小競り合いに巻き込まれる形でワクニは戦火を交えることになった。そんな世情の最中に、人手不足からわしは将軍職にまで押し上げられた。

 若造だったわしは国のためにと思い、必至で戦い続けた。

 切って切って、切って。

 立ち止まることを知らぬ若造は、深く考えることもせずにただ前を向いていたものよ。だが、それが返って良かったのであろう。愚鈍なわしは国の指示通りに着実に駒を進めていくことができた。

 中立国だったワクニには、際立った傑物はおらずとも、優秀な人間は数多くいた。国の指示に間違いはなく、戦渦が過ぎ去った後には国が国として残ることができた。これは国の規模を思えば、充分すぎる戦果である。

 大嵐が過ぎ去るまでの十年余、あの状態でよくも国を維持しきったものだと思う。

 そうして平和を喜ぶ国内の様子を鑑みたわしは、己の役目は終わったのだと判断して、職を辞して身の回りを整理し、旅に出ることにしたのだ。

 すると、予想外の申し出があった。長く蔑ろにしていた娘のうちの一人が、わしの旅に同行したいと言うではないか。考えもしなかったことであるだけに、わしは戸惑ったものだったが、最終的には同行を許すことにした。

 そのようにして、わしはワクニを出国した。

 戦以外での旅は初めてのことで楽しくもあり、過酷でもあった。わしは身の回りのことは周囲の者に任せきりであったため、世話焼きの娘に助けられたことも多かった。

 当時のわしは、将軍職を辞してワクニを出たばかりで、まだまだ先のことなど考えぬ若造に過ぎなかったのだ。

 娘のモーモは、モザイク・シティで行方不明になった。いつの間にか、消えてしまっていた。探したが、発見できなかった。

 わしはもう、いつ死んでもおかしくない年齢になった。ひと目で良いから娘に会いたいのだ。

 どうか、娘のモーモを探し出してほしい……。





 ニィルは、依頼人の顔を見る。

 剣豪フジタ。

 情報通とは言い難いニィルですら名前を知っていた、モザイク・シティの有名人の一人だった。

 確か、町の外れで道場を経営していて、たいそう繁盛していると聞いていたが……この倹約家ぶりを思えば借金でもしているのかもしれない。モザイク・シティは、元より貧富の差が激しい土地柄だ。どれだけ登りつめたとて、転げ落ちるには容易い。

 それにしても、軍部を引退しておとなしく国に残れば一生安寧と過ごすことも可能だっただろうに、何か事情でもあるのだろうか。……おそらくは、言わないだけの事情とやらがたっぷりとあるのだろう。そうでなければ、こんな大それた肩書を持つ人間が、どこの馬の骨とも知れないニィルになど依頼しない。

 そして現在、ニィルが対面しているのは、見た目だけは古式ゆかしき武士様だ。だがそれが、かえって嘘くさい。演技めいて見える。

 ニィルは、泥水の入ったカップを傾ける。

 口の中で泥水を舐めまわしてから、飲み込んだ。

「なぁ、フジタさんや。オレはつくづくと疑問なんだが、どうしてオレだったんだ? 娘さんを探したい、それはまぁ良いだろう。だがな、娘さんを探すってんなら、この町には他にもっと適任者がいくらでもいただろう。オレは、潜水者 ダイバーであって、間違っても捜索者 サーチャー追跡者 チェイサーじゃねえんだがな?」

「ニィル殿。それは……」

「理由は、言えねえってか?」

「うむ」

「そうかい」

 ますます胡散臭い話になってきた。

 レッド・シー産の銀魚のお陰で懐具合にはまだ若干の余裕がある。これは、依頼を断った方が無難かもしれない。

 依頼料は心の底から名残り惜しいが、それは命あっての物種だった。

「フジタさん、悪いがオレは今回……」

「わしの命はもう、長くないのだ」

「いや、だから」

「どうかどうか、引き受けてはくださらぬか!」

 興奮したフジタはひときわ声を張り上げて、椅子から腰を浮かせる。

 安物の椅子が音を立てて、周りの不躾な視線が集中したのを肌で感じ取った。

 ニィルは、引きつった笑顔で周囲に頭を下げて、気を害したらしい婦女子の皆様方に向けてトラブルではないことをアピールしまくったのちに、再びフジタに向き直る。

「ふ、フジタさんや? こんな所で目立つのはよそうぜ。頼むから、落ち着いてくれねえか。ほら、座って」

「ぬうぅ。これは、失礼いたした」

 ニィルの言葉を受け入れたフジタが再びどかりと席に着く。

 ニィルは、ため息を吐いて迷いながらも言葉を続けた。

「あー、その、なんだ。あんた……もしかして、内臓系か?」

 モザイク・シティには、欲望と死が溢れている。どれ程健康であっても、突然にモザイクは混じり合う。長年この町にいて、毒牙にかからなかったなどとありえない。

 内臓系。それは、ニィルのようにひと目でわかるモザイク現象の被曝ではなく、外見には現れず身体の内側にだけ影響する特殊な被曝を意味する。大抵は即死級の被曝となるが、稀にフジタのように奇跡的なバランスで生き残る者もいるのだ。

「いかにも、いかにも。すでに、二十年になる。これまで治療師 ヒーラーの腕で持たせてきたが、おそらくそれも限界だろう。報酬は弾むゆえ、どうか引き受けてはくれぬか……」

 モザイク現象に被曝して、二十年。依頼人が切望するたった一人の娘、モーモが消えたのも、二十年。実に嫌な符号だった。




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