第八話 武蔵屋徳兵衛


 刹那、砂塵が舞いあがった。

 大地は風に乗って跳躍すると、開いた扇子を閉じ、親骨の部分で熊坂の首筋を丁と打った。


 まさに一瞬の早業であった。

 熊坂は白目を剥くと、地響きをたてて路上に倒れ伏した。


「見事ッ!!」


 人垣の向こうから張りのある声があがった。

 さあーっと人の輪がふたつに別れ、お大尽ふうの恰幅のいい商人が現れた。

 半歩下がって傍らに控えているのは番頭だろうか、二人とも油断のならぬ眼を炯々と光らせている。


「ぶしつけながら、ご尊名と流派をお尋ねしてもよろしいでしょうか?」


 お大尽ふうの商人がいった。


「ひとにものを尋ねるときは、まずは自分から名乗るのが礼儀だべ」


 物腰は丁寧だが、どこか傲岸で抜け目のない態度が鼻につく。まさに慇懃無礼を絵に描いたような物言いに大地は憮然と返した。


「これは失礼をいたしました。わたしは武蔵屋徳兵衛むさしや・とくべえと申します」


「わたしは番頭の太兵衛たへえにございます」


 主従が揃って頭を下げた。


「武蔵屋?」


 大地は背後の軒看板を振り返った。……ということはこの口入れ屋の主人ということか?


「ご推察のとおりにございます。ここはわたくしどもの軒先というわけでして……」


 徳兵衛があとの言葉を濁して微笑を浮かべた。


「先に刀を抜いて突っかかってきたのは、この熊坂というおっさんだべや」


 店先を騒がしたかどで弁償でも請求されてはかなわない。大地は慌てて正当性を主張した。


「いえいえ非難しているのではございませぬ。その見事な業前にこの武蔵屋徳兵衛、感服いたしました」


 気絶して地べたに倒れ伏した熊坂を、店のものが戸板に乗せてどこかへ運びだしてゆく。

 多分、養生所へ搬送するのだろう。一日に二度も医者の世話になるとは……。先方に非があるとはいえ、大地はちくりと胸が痛んだ。


「あなた様は江戸剣客番付第十席の熊坂雷五郎くまさか・らいごろう様を衆人環視のもと、打ち倒しました。故に――!」


 そこで言葉を区切ると、徳兵衛は周囲の人垣をぐるりと見渡し、宣言するかのように高らかに言い放った。


「ただいまより、あなた様は江戸剣客の第十席にございます!」



   第九話につづく


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