第六話 山の天狗様


 時間の経過からみて、そう遠くにはいってないはずの姉弟だが、大地はその姿を捕らえることができなかった。


 羽州の田舎者である大地にとって江戸は不案内だ。どこをどう探していいかわからない。

 大地は堀端を眺めると、堀割に沿って歩きだした。


 江戸はその名のとおり水の都だ。水路が縦横無尽にはしっている。

 もしかしたら姉弟は猪牙船ちょきぶねと呼ばれる小舟に乗ったのかもしれない。


 浜町河岸はまちょうがしの舟運でにぎわう辺りをとぼとぼと歩く。

 大地の想いはいつしか過去にとんでいた。


 十年前――

 若槻一馬に敗れた大地は山に登った。天狗様が棲むといわれる羽黒山だ。

 険しい山の中腹に社がある。

 そこに天狗はいた。

 雲を突くような大男だ。顔は赤ら顔でまさに天狗という名にふさわしい。


 向こうは大地を知らないだろうが、大地は彼を知っていた。

 時折、さとに下りてきては食料を買い込んでゆく姿をたびたび目にしているからだ。


 郷の長老は大地にいった。

「いや、あれは修験者じゃよ」


 修験者であろうが天狗だろうがどっちでもいい。大地は与太者にからまれている天狗をみたことがある。

 あっという間の早業であった。一陣の風が吹いたかと思えば、五人いた与太者はみな地べたに這いつくばっていた。


「なんとしても天狗様にワザを教えてもらうだ!」


 そう勢い込んで天狗に近づいてゆくと――


 先客がいた。

 一馬とその父親の若槻徹心わかつき・てっしんである。

 徹心が木刀を構えて天狗と対峙している。

 天狗が手にしているのは大きめの扇子一本だ。


 徹心が先に仕掛けた。

 八双からの袈裟斬けさぎりである。

 天狗は巨体に似合わぬ身軽さでひょいと横に跳んでかわすと、閉じた扇子の先を若槻徹心の胸元に突きつけた。


「参りました」


 これ以上の立ち合いは無用とばかり、徹心は木刀を納め、その場に片膝をついてこうべを垂れた。

 と、そのとき傍らで見守っていた一馬が叫んだ。


「父上はまだ負けておりませぬ!」


 手にしていた木刀を天狗に向かって構える。次は自分の番だといわんばかりに。


「よさないか一馬! 無礼だぞ!!」


 父の一喝で一馬が渋々と木刀を納める。

 父子は天狗に向かって一礼すると踵を返し、静かな足取りで山を下りていった。


「そこにいるのはだれだ?」


 天狗が茂みのなかにいた大地に気づいた。

 大地は茂みのなかからウサギのように跳びでると、天狗に向かっていきなり土下座した。


「おらを、おらを弟子にしてくんろ! お願げえしますッ!!」



    第七話につづく


 

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