32 「……唐突ですね。驚きました」



 後日、改めて、あの話は本当かと雪那はわたしに尋ねた。

 先々代の王だった『わたし』の最期についての話だ。

 わたしは肯定した。ただし、わたし自身が知っているのではなく、知っている神子に聞いたのだと言った。

 雪那にとってのわたしは花鈴でいたい。花鈴が、雪那の姉だから。


「凝り固まった思考をしている臣下はまだいるかもしれないけれど、先を長く見て変えていけばいい」


 王の人生は長く見るべきだ。そして、その上で戦略を立てるのもいい。

 凝り固まった思考の人間がいるなら、次代の人間に納得してもらうように土台を作っていくとか。わたしはそうした。長く治める『良い王』になるつもりだった。


「うん」

「ただ、焦らず、無理はせずに雪那の速度でいけばいい」


 決して自分が生き辛くならないように。


「大丈夫。一人じゃないから。味方はわたしだけじゃないし」


 瑠黎もいる。

 休憩時間が終わった雪那を抱き締めて、送り出す。

 先日の出来事は、雪那の心に傷を負わせた。当たり前だ。あれだけ自分を狙って剣を向けられたらこわい。感じた強烈な恐怖は、深く根差している。

 彼が、それで怯んでしまいませんように。

 いいや、雪那の心がそうであるようにと願うだけじゃなく、守るんだ。

 たとえ神子に介入が許されていなくても、わたしは、きっと雪那のためなら何だってできる。


「ここは、弟君にお教えになったのですか?」


 雪那が出ていって、どれくらいか。例の図書室の物置部屋にまだいると、蛍火が入ってきた。


「ううん。雪那が自分で見つけたの。ほら、即位式の日に蛍火に雪那のこと探してもらったでしょ。あのとき」


 それより、蛍火はどうしてここにいるのだろう。


「蛍火、お茶飲む?」

「これは、ありがとうございます」

「お菓子もどうぞ」


 雪那との時間の余り物だけど。

 まあいいや、と蛍火にお菓子の乗った器を押しておく。蛍火がここにいるなら、内界に戻るのものんびりでいいだろう。

 わたしは、予定していた通り拠点を内界として、時折西燕国に雪那に会いに来ていた。わざわざ会いに来なくても、蛍火が鏡をくれたら連絡は取れるのだけれど、直接会うことほど安心することはない。

 お茶を飲みながら窓の外を眺めていると、ふと横目で見た蛍火も外を見ていた。


「昔は、こうしてここにいたね」

「そうですね。一時期、ここが実質執務室になっていたことがありました」

「我ながらいい考えだったと思うんだよね。こうして一人分しか通れなくして、ここも、三人くらいしかいられない最低限の空間にしておくと、基本的に一人ずつしか来られない」


 狭めなのに、書物がたくさん置いてある部屋。両側に並ぶ棚の間に、人が一人入れる通路があって、窓際に少しだけ余裕のある空間ができている。

 わたしが、古い本置場同然だったこの部屋に机と椅子を置いた。随分初期の話だけれど、臣下とのやり取りにむしゃくしゃしている時期があって、嫌がらせにこんなところに一時的に執務室を移した。

 臣下との摩擦がなくなって、わたしの尖っていた部分も丸くなって執務室を戻してからも、この部屋自体はそのままにしていた。妙に居心地よく仕上がったためだ。


「雪那の方が、よっぽど大人」

「周りの環境によるでしょう。雪那様は、休憩の折にここに来られているだけですが、ここで睡蓮様に充分に弱い部分を見せることが出来るからでしょう。姉であるあなたに」


 そうかな。

 普通は平民が王になれば、家族が宮殿にいるなんてことはないから、確かに少しは関係しているのかもしれない。

 わたしは、何だかんだ……。


「蛍火は、わたしが反乱の類いを起こされたら、どうしてた?」


 わたしの唐突な言葉に、窓の外を見ていた黒い目がこちらを見た。


「どうするも何も、神子にはそれほど選択肢がありません。……事が終わるまで静観しているか、許される範囲で止める努力をするか、共に死ぬかくらい、ですか」

「そのどれをしたと思う?」

「どうでしょうね。結果的にそんな事象は起きなかったので」


 起こっていなければ答えようがないか。

 蛍火がそういう言い方をしたので、そこでこの話題は終わるかに思われた。


「神子に許された行動も、それぞれの場合に振り分けられます。神子から見ても王がどうしようもなく間違ったことをした結果であれば、静観するでしょう。そうではなく神子からは正しく見え、責められる謂れはないと感じたならば、収める努力をしたでしょう。その努力が及ばなければ、共に死ぬことを選ぶのでしょう」

「一緒に、死んでくれるの?」

「千年の時間を思えば。共に終わろうと思うことは不思議なことではありません」


 穏やかな声音で言い、蛍火はお茶に口をつけた。


「でも、わたしが国を滅ぼしていたとしたら、それは静観されてたってことね」


 間違ったこと、だ。それに当てはめると、と呟くと、「いいえ」と返ってきた。

 起こらなかった過去を顧みていたわたしは、いいえ?と首を捻った。


「今挙げたのは、客観的に考えた場合です。長年時を共にした王の最期に、神子がどうするか。千年未満ですが、前例による行動の振り分けです」

「……? つまり?」

「睡蓮様が国を滅ぼすという、誰から見ても王として間違ったことをなさっていた場合。理不尽に民に糾弾された場合。どちらも、睡蓮様が殺されるなら、私は共に死ぬことを選んだでしょう」


 先ほどと同じく、淀みなく、自然な調子で言うものだから、わたしは蛍火の穏やかな横顔から目が離せなかった。

 蛍火は、持っていた茶杯を静かに置いた。


「ただ困ったことに、以前のあなたの折は考え得るどの場合に当てはまりませんでした。民に糾弾されたのであれば私は迷わず共に死んだでしょうが、あなたの治世はそうはなりませんでした。国は乱れることはなく、堕ちることもなく、ただ穏やかに終わりを迎えることになりました」


 杯の表面を眺めていた目が上げられ、わたしを捉えた。


「なぜ、あなたがいなくなったあとも神子として長く生き続けたのか。それは前に答えましたね。あなたが遺したこの国の『次』を見なければならないと勝手にですが思い、見届けようかと思っていたからです、と」

「……うん」

「ですが、私は西燕国の繁栄は望んでいませんでした」


 繁栄は望んでいなかった。

 どういう意味だろう。言い方に引っかかって、意味を探るように見るわたしに対し、蛍火は微笑んだ。

 穏やかでいて、元の顔立ちを際立たせるような綺麗な笑い方だった。

 あまりに綺麗な微笑みに目を奪われている間に、蛍火が話を続けた。


「神が宣われようと。神の評価を受けて睡蓮様も自身の国を否定しても。私は、睡蓮様が作った国は素晴らしいものだと思っていました。穏やかな国、大きな盛りが生じなかろうと、決して飢えることのない国は、あなたが望んだものには違いなかったでしょう。そして、たとえ突出したものがなくとも時代が千年続くだけで稀なことです」


 澄んだ黒い瞳が、伏せ気味になった。黒い睫毛が、影を作る。


「きっと、次からの代は劣った国になるに違いない……むしろそうであれと、私は望んでいたのでしょう」

「──どうして」


 そんなこと。

 劣った国であれ、なんて。


「私は、神が否定したことを否定したかったのですよ。神は、睡蓮様にそれ以上王を続けなくとも良いと仰った。続ける意義がないと判断しました。私はそうは思いませんでした。だからです。睡蓮様がかつて治めた国を否定して、それ以上の王が易々と現れるとでも思うのか。例え第一関門であるそれなりの年数を生きられたとしても、堕落していくに違いない、と。そう思いたかったのです」

「……蛍火は、今も、そう思いたい? ……それを、望む?」

「残念ながら、未来永劫心の底ではそう思い続けるでしょう。私の最大の幸福は、あの時の流れにあったのですから。その時の流れは、突然断ち切られました」


 蛍火の表情に、ごめんね、と謝りたくなったのに、わたしはそこに謝る理由がないことに気がついて何も言えなくなった。


「睡蓮様がそんなお顔をして、申し訳なくならなくとも良いのですよ。それらは全て私の我が儘の塊です。実際は睡蓮様は辛さを感じておられたと知りながら、神があなたを王位から下ろし──死を与えることと同義である王位から下ろしたことを否定したいという願いは、つまり」


 彼は、自らがこの上なく愚かな者だと告白するような声色で、


「私は、あなたが国を滅ぼすなら滅ぼしてから、迎えるべき死を迎えて欲しかったと望んでいるのと同じなのですから」


 言った。


「そんな風に思いながら、二百年生きてきた私を愚かだと思ってくださって構いませんよ」


 構わないなんて言いながら、全然構わない表情をしていなかった。

 わたしが愚かだと言えば、どうにかなってしまいそうに感じられて、わたしは蛍火に手を伸ばした。

 彼の方が随分年上なのに、雪那を見ているような儚さを感じて、抱き締めた。


「……唐突ですね。驚きました」


 何ですか?と聞いてくる蛍火をぎゅうぎゅう抱き締める。

 蛍火にそこまでのことを言わせた、思わせた。それは、わたしの責任なんだ。二百年前からの、わたしの責任。

 神は、残したわたしの責任を片付けさせるために今一度この世に生まれさせたのだろうか。


「蛍火、わたしが、今から何を出来るかは分からないけど。わたしは、蛍火が望むならそれだけ側にいることしか出来ないけど。わたしは、」


 何か償いが出来ないだろうか。

 腕を回したまま、真っ直ぐ見上げると、瞠目していた黒い目が、一度ゆっくり瞬く。同時に、ゆっくりと抱き締め返された。優しく、柔く。


「あなたは、馬鹿ですね」

「──ばか?」


 今、唐突な暴言が聞こえた気がするのだけれど。


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