日本の漫画やアニメの“起源”を語る言説(“起源系”言説)

 日本の漫画やアニメについて、その起源を語る言説は様々存在します。大きく分ければ、近代を起源とする立場と前近代にまで遡るという立場の二つになるでしょう。


 近代派には、幕末の「ジャパン・パンチ」の風刺画を起点と考える人もいますし、20世紀に入ってからのアメリカの新聞漫画(複数コマで展開する)を重視する人もいます。また現代の漫画の直接のルーツは戦後に誕生したという意見も有力で、特に手塚治虫の業績と結びつけた説が広く語られています。

 前近代派では、『鳥獣人物戯画(鳥獣戯画)』や『信貴山縁起絵巻』のような中世の絵巻を起源とすることが多いですが、近世の草双紙等にまでは遡れるが中世とは断絶があるという立場もあります。

 もちろん、他にももっといろいろな主張があるでしょう。


 歴史上のある時点に対象の“起源”を主張し、その“起源”によって対象を理解し説明しようとする言説のことを、ここでは「“起源系”言説」と呼ぶことにします。

 ある対象の起源を探求したり、その探求に基づいて理解を深めようとすることは、もちろん間違いではありません。しかし、“起源系”言説には注意すべき点もありますので、ここで少しばかり検討しておこうと思います。


 Genetic fallacyという言葉があります。ここでは「起源による誤謬」と訳しておきます。今に至る経緯や現在の状態などを無視して、その起源だけを根拠にして結論を出してしまうという誤謬のことです。

 例えば、缶詰は軍隊のために食料の長期保存を可能にするために発明された(起源)ということから、缶詰を作ったり、売ったり、食べたりすることは軍国主義的だという結論を出してしまったら、それは「起源による誤謬」だと言えるでしょう(馬鹿ばかしい例ですが)。

 “起源系”言説の場合でも、この種の間違いをしていないか注意すべきです。


 また、ある文化の起源を求めて歴史を遡るとき、それを無制限に行うと、得てして神話だとか石器時代の遺跡だとかに辿り着く結果になります。

 そして無制限な遡及を避けようとするなら、どうしても対象の本質規定が必要になります。例えば、漫画なら漫画の本質はコレである、という規定があって初めて、その本質を備えた存在が歴史上のどの時点で現れたかを語ることができるようになるわけです。したがって起源の探求のためには、事前に対象の本質を規定する(あるいは起源の探求と本質の規定とを同時並行して行う)必要があります。

 つまり、歴史を遡って対象の起源を虚心に求めれば自ずとその起源を発見することができ、その起源に基づいて対象の本質を知ることができる、という素朴な方法が成立するかどうかは極めて疑わしいということです。


 むしろ、本人に自覚があるにしても無いにしても、そこには論者の主張なり、願望なり、先入観なりが反映していると考えた方がいいでしょう。そういった偏りを完全に排除した客観的中立的な“起源系”言説というものは、そもそも不可能だと考えるべきかもしれません。

 例えば、日本の漫画の起源を『鳥獣戯画』とする言説は大正時代からあるそうですが、そこには、歴史と伝統を持ち出すことで漫画を権威付けたいという願望があったとする声があります。ただし、だとしてもそれを指摘したことで『鳥獣戯画』を日本の漫画の起源とする論が間違っているとか、そのような漫画史観は成立しないとか言えるわけではないのですが。そして、言説の背後にある動機を取り沙汰することは、近代起源説に対してだってできないことはないわけです。



 と、また抽象的な話を書いてしまいましたが、これも今後書くことに関わってくる予定です。

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