日本側の事情・反応

日本漫画優越論、「世界に誇る日本の漫画・アニメ」という言説(1)【暫定版】

 日本の漫画は海外のものよりも優れているという言説が日本でどのように現れてきたのか、その変遷を簡単に調べてみました。


 海外で日本のアニメや漫画が人気だということが逆輸入されて、日本でも持ち上げられるようになったのだという意見があります。その際に、かつて浮世絵が西洋で高く評価されたことで日本でも評価が高まったという事例が引き合いに出されるパターンが多いですね。また、かつてのような経済成長が止まり、代わってアニメや漫画などの「ソフトパワー」がナショナリズムの拠り所になったのだとする声もあります。そして、これらの説は海外の論者にも見られます。

 昨今の状況については、確かにこうした説も当たっている面がある(そういう人もいる)と思います。しかしながら、より以前から日本漫画の優越が語られていたという事実もあり、もう少し複雑な事情があることを見ていきたいと思います。


 あまり昔のことは調べられなかったので、70年代から始めます。


 哲学者で、漫画についても積極的に論じていた鶴見俊輔は、1972年に「世界の漫画を広く読んできたというわけではないが、一九六〇年代を中心とする戦後の日本の漫画は、おもしろい作品を数多く生み出した時代だと思う」と書いています。[1]


 非常に慎重な筆致ですが、日本の漫画は海外の漫画に引けを取らないのではないかという評価が示されています。ただし、海外との比較が不十分であるという"保留付き"ですね。日本の漫画の方が優越しているとまでは言ってません。



 美術評論家・漫画評論家の石子順造の『戦後マンガ史ノート』(1975年)の序章には、次のような記述があります。[2]


>>このようなマンガの隆盛は、ひとり日本に限って例外的に見られる現象ではない。今世紀後半、いわゆる文明諸国にひとしくみとめられる傾向であり、最近は、東南アジア諸国でもしきりにマンガ、それもいわゆるコミックがかかれるようになった。だがやはり、わが国ほど多種多様な国はほかになく、まさに、マンガ王国というにふさわしい。<<


 日本を「マンガ王国」と評していますが、これは市場の大きさや層の厚さの話で、マンガの質や内容が優れているという話ではありません。そもそも、そうした比較自体が難しいと考えていたようです。鶴見俊輔は、「石子順造さんは、漫画は国境を越えないという説だった」と書いており[3]、石子順造自身は以下のように述べています。[2]


>>そのうえ、外国の人気マンガを大学の先生が翻訳するといった例もある。ぼくは、マンガは文学や演劇や絵画とはちがうのだから、先進国かどうかは知らないが、外国マンガを翻訳してみてもほとんど実効はあるまいと考えている。まあせいぜい、インテリの興味を満たすあたりにとどまるのではないか。というのも、これまで何度もかいてきたのだが、笑いや怒りがそうであるように、マンガは表現として、すぐれて時代、社会の所産だろうと思うからである。芸術と呼んでいいような特殊なマンガはまた別問題である。しかし、少なくも広く民衆に親しまれるようなマンガは、広いといっても、時代、社会の実情を超えて、どこの国のどのような層のひとびとにも読まれるというわけにはいかないのではなかろうか。それだけ微妙な生き死にを表現として持っていればこそ、ある時代、ある社会、そしてある層の表現として、マンガはマンガなのだと思う。<<


 マンガというのはそれを生み出した社会と深く結びついたものなので、その社会の外(例えば外国)では理解されないという説ですね。そうであれば、外国の漫画と優劣を比較することは難しいし、その意味もないのではないかということにもなります。

 また、どの国の漫画もその社会に対応した特殊性を持つ以上は、日本の漫画もそれなりの特殊性を持つということも含意されていると考えていいでしょう。



 これに関して、鶴見俊輔は1980年ごろから漫画は国境を越えるのかという問題にたびたび触れています。

 鶴見俊輔も石子順造と同様に、漫画はある社会と密接に結びついた表現なので外部の人間が理解するのは容易ではなく、漫画が国境をこえて他の国に広がるのは難しいと考えていました。

 しかし、漫画が国境を越えることはまったく不可能だとか、国境を越えることに意味がないとは考えていませんでした。違う社会でも、理解し合える共通性もあるということ。それから、時代と共に世界各国の社会が均質化していくことで、漫画が国境を越えやすくなる可能性も考えていました。以下に引用します。[3]


 1981年の文章。

>>漫画には、その現地の日常生活をくぐって読まないとわからない味わいもある。<<


 1981年の文章。

>>漫画に国境があるか、というのは、未解決の問題で、これからの世界の政治がどうなるかという予測と関わっている。/では今までのところではどうか。おなじ問題状況があるところでは、漫画は国境をこえてきた。<<


 1982年からの文藝春秋の連載。

>>漫画が好きだが、日本の外の漫画にはわからないことが多い。世界の環境が似てきたから、世界の漫画がわかるというふうに歴史は動いているのかもしれないが、私個人にはその時は来ていない。<<


 1983年の文章。

>>漫画は国境をこえないというのが、これまでのところ事実だったのだが、世界がにつまってきて、こえはじめている。米国から日本へ、日本から米国へというだけでなく、アジア諸国の漫画を日本人が読む手引きとして、小野耕世の『いまアジアが面白い』(晶文社)が出た。<<


 鶴見は1979年から1980年にカナダのモントリオールのマッギル大学で日本の大衆文化史について講義しているのですが、その講義ノートをまとめた文章には、以下のような記述があります。[1]


>>米国の物語漫画の模倣から始まった日本の物語漫画がどうしていまのように米国の漫画とは違う傾向をたどるようになったかは、紙芝居の伝統、貸本文化の伝統、それから女性漫画家の集団としての登場という三つの条件によるところが多いと思います。もちろんそれは漫画の外の社会的条件の影響からきているところがさらに大きいのですが……。<<


 日本の漫画は「米国の漫画とは違う傾向」を辿っているとされています。

 紙芝居の伝統と貸本文化の伝統は、劇画などにつながる流れですね。そして、女性漫画家。その後も、日本と海外の漫画を対比するときには、多くの論者が少女漫画や女性漫画家の存在を持ち出すことになります。


 また鶴見俊輔は、日本の漫画が海外に渡っていることにも触れて、やはり日本の漫画は海外のものと比べても引けを取らないと評価をしています。ただし80年代の前半には、日本の漫画は英語版さえほぼ無いも同然でしたから、この時代に欧米で日本の漫画を読んでいたのは本当にごく僅かな人たちだけ。あとは『鉄腕アトム』を始めとするテレビアニメですね。


 1979年の文章。[3]

>>モリス・ホーン編『世界漫画百科全書』(一九七六年)を見ると、テレビ映画をとおしての「鉄腕アトム」だけでなく、「タンクタンクロー」や「のらくろ」や「がきデカ」も国境をこえて海外の漫画愛好家に関心をもたれているようである。<<

>>日本の漫画を、米国の漫画とならべて見て、漫画が一国のかきねをこえて表現力をもちはじめたことをあらためて感じた。<<


 1981年の文章。[3]

>>他にフランスのゴシニーとウデルソの「アステリスク」、イギリスのスマイスの「アンディ・キャップ」、メキシコのキノの「キノの世界」などは、われらの同世代のめざましい漫画だが、それにくらべても、今の日本の漫画はひけをとらない。日本が世界に対して自信をもつことのできる創造力のある大衆文化である。<<


 80年代後半の鶴見の文章をみると、漫画は国境を越えるものだと結論を出したようです。日本の漫画は米国の影響を受けており、さらに遡れば日本の美術が中国から影響を受けていることを指摘して、固有性を相対化する方向で論じています。もちろん、影響を与える・受けるということと、作品をそのまま海外に持っていって通用するかどうかということは別の問題ではあるのですが。

 しかし、「固有という主張は、初歩の論理学からいってたいへんに守りにくい」なんて言うのは、やはり哲学者らしい明快さです。


 1985年の講演。[3]

>>現に日本の新聞漫画は、ジョージ・マクナマスの「親爺教育」(ブリンギング・アップ・ファーザー)をアメリカの新聞からとりよせて、「アサヒグラフ」に、鈴木文史朗が連載したところから始まった。第一次世界大戦のあとです。<<

>>これが、日本の新聞連載漫画というものをつくっていくわけで、「ノンキナトウサン」とか「フクちゃん」とか、みんなそこから出てきたといっていいのですね。その意味では交流がある。一方、手塚治虫の「鉄腕アトム」みたいに日本の漫画が、南米・北米に輸出されるという局面もありますからね。これもまたさまざまな交流の役割を果たしていくのではないでしょうか。<<


 1987年の講演。[3]

>>これからの日本の文化は、これが日本の文化だと切り離して、固有と言うべきじゃないんです。日本と中国、日本とアメリカ、漫画というものはアメリカの影響をぬぐえないんですからね。そういうふうにしてともどもに考えていくほかないと思うんです。固有という主張は、初歩の論理学からいってたいへんに守りにくい主張で、そういうことはこれからすべきではない。<<



 次に、1981年に手塚治虫が「赤旗日曜版」に連載していた記事を引用してみます。(ただし書籍化の際に一部補筆されており、初出のものとの異同は確認できていません。)

 手塚が米国に講演に行ったときのことを書いたエッセイです。[4]


>>総じて動きの少ないアメリカ漫画に比べて、日本の漫画、とくに動きの表現やストーリー展開などは格段に進歩しているといえる。これは描き手の年齢にも関係があってアメリカでは戦前からの五十、六十の漫画家がいまでも描いている。そこへいくと、日本では、十代の少女漫画家だって珍しくないくらい若い。<<


 「動きの表現やストーリー展開など」に限定していますが、日本の漫画の方が優れている点もあるという自負が見られます。日本の漫画の特徴として、「少女漫画家」に触れていることにも注目しておきましょう。


>>アメリカ人から出る疑問で一番多いのが「日本の漫画はなぜあんなに安いのか」ということだ。だいたい日本の雑誌は三百ページくらいに十何本の漫画があって、二百円。アメリカでは、二十数ページのペラペラで、しかも半分は広告である。<<

>>発行部数も驚異の一つ。毎週二百五十万部出る雑誌があるといっても、だれも信じない。「週ではなくて月のまちがいではないか」と何度もきかれる。日本の漫画家千五百人、これもまず信じられない。<<


 日本の漫画の市場が、米国と比べても遥かに大きいことが認識されています。


>>そして、多少とも日本のことを知っている人が必ずきくのに

「日本人は電車のなかで、しかもおとなや学生が漫画を読んでいるが、あれはなぜであるか」

というのがある。<<

>>ただ、このことの背景の一つには日米の勤め人の通勤事情の違いもある。アメリカ人の足はたいてい車だから、ハンドルをにぎって本など読もうにも読めはしない。日本人は一時間も電車に揺られる間、何か読んでいないと間がもてないわけだ<<


 ここで、“日本では大人が電車で漫画を読んでいるのが外国人から見るとおかしい”問題が出てきました。これが漫画叩きの道具として使われたことと、それに対する反発が生じたこととで、厄介な歪みを生んでしまったのではないかと考えていますが、それは後で書くことにします。


 手塚治虫は、おとなが電車で漫画を読んでいる理由のひとつとして日本の通勤事情を挙げています。

 これには、日本の漫画雑誌の安さも関係していたと思います。つまり、読み終わったら捨てても惜しくない値段であることで擬似的に“携帯性”が高くなり、通勤電車で読むのが負担にならなかったということです。ハードカバーで比較的高額な、海外のグラフィック・ノベルやバンド・デシネは大人向けの内容だとしても電車で読むには重いし、読み終わったら捨てるわけにもいきません。自宅でゆっくり読むのに適しているわけです。



 とりあえず80年代前半までの状況をまとめると、日本の漫画市場が世界的にも最大であることはすでに認識されていました。また、単に規模が大きいだけではなく、様々な層に向けた多様な漫画が存在していることも日本の特徴として意識されていました。そこで取り上げられるのが、少女漫画であり女性漫画家です。


 また、世間一般には、おそらく欧米先進国の方が何に於いても日本より進んでいるという印象があり、漫画についても欧米のものの方が優れていると何となく思われていたのではないかと思います。それに対して批評家などの間では、漫画は国境を越えないという考えが一方にあり、他方では日本の漫画は海外と比べても引けを取らないし、日本の方が上回っている面もあるという意見が出てきています。

 しかし、単純に日本の漫画の方が優越しているという考えはまだ一般的ではないようです。

(つづく)



(追記)

【文中で言及した人物の生年等】

鶴見俊輔、1922年生。

石子順造、1928年生。

手塚治虫、1928年生。



[1]鶴見俊輔[著]、松田哲夫[編]『鶴見俊輔全漫画論1』ちくま学芸文庫、2018年

[2]石子順造『戦後マンガ史ノート』精選復刻紀伊國屋文庫、1994年(オリジナルは1975年)

[3]鶴見俊輔[著]、松田哲夫[編]『鶴見俊輔全漫画論2』ちくま学芸文庫、2018年

[4]手塚治虫『手塚治虫とっておきの話』新日本出版社、1990年

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