最近、追記したエピソード

日本のアニメはアジア系アメリカ人の文化なのか? (2)

 『結局、日本のアニメ、マンガは儲かっているのか?』の著者、板越ジョージは、自身の体験を以下のように書いています。[1]


>>私は、アトランタオリンピックが開催された翌年の1997年から、アメリカの南部アトランタで日本語書店を経営していました。<<

>>私の書店は、南部13州で、唯一の日本語書店でした。そのため、このビジネスは在米日本人相手のものだと思っていました。しかし、顧客は現地のアメリカ人やアジア系移民の人が多かったのです。<<


>>またアジア系の人たちは、女性ファッション誌の「ViVi」や「CanCan」、そして日本のコンパクトカーの改造などに関する雑誌の「Option」、とりわけ一番人気があったアニメ系雑誌の「ニュータイプ」や「アニメージュ」を、在米日本人以上に購入してくれていました。<<


 米国で日本語の本を買ってくれるのは米国滞在中の日本人が中心だろうと思っていたのに、現地のアメリカ人の客の方が多かったという話なのですが、なかでもアジア系アメリカ人の存在が特筆されています。90年代末頃には、日本のファッションなどのポップ・カルチャーと並んで(あるいはその中でもとりわけ)アニメ系の文化に、アジア系の人たちが関心を持つようになっていたようです。

 これは、80年代までマニア向けの趣味だった日本のアニメが、90年代以降メジャーな領域にも進出してきたために起きた変化ではないでしょうか。


 メディア学を専門にする研究者クッキ・チューによると、「アジアン・アメリカンが、アニメなどのオタク文化によって非常に結束した」といいます。[2]

 彼女の発言をもう少し引用してみます。


>>もともと、戦後の日系アメリカ人は、戦時中のインターンメント・キャンプ(日本人強制収容所)の歴史があったために、白人社会に融和することを目指さざるを得ませんでした。アジアン・アメリカンというアイデンティティに対する結束力は他のアジア系コミュニティより小さかったわけです。<<


>>それが近年、とても曖昧になってきています。アジアン・アメリカンの中のオタク系コミュニティなどで日系アメリカ人をよく見るようになったんですね。「戻ってきた」というより、アジアン・アメリカンのコミュニティに日系人はもともといなかったと言った方が正解かもしれませんが、そこに日系アメリカ人が参加してくるようになったのです。<<


>>しかも興味深いことに、日系アメリカ人が日本人というアイデンティティに帰属したがるとともに、他のアジアン・アメリカンたちも日本人になりたがるという現象が起きています。これは一〇年前のアジアン・アメリカンのコミュニティの姿とはまったく違うものです。そして、白人オタクが日本人になりたがる現象を示す「ワパニーズ(wapanese=wannabe Japanese)」という言葉も誕生したくらいですね。<<


 なかなか難しい問題を含んでいますが、日系以外のアジア系の人たちもアニメなどの日本のポップ・カルチャーを積極的に受け入れているようです。そして米国の主流社会に溶け込むことを目指していた日系アメリカ人たちが、アジア系のコミュニティに参加するようになってきた、その媒介としてアニメがあるということですね。

 米国の中でアジア系はマイノリティーとして弱い立場にありますから、そうやってアニメでもなんでも利用して結束したくなるのかもしれません。米国では民族的なルーツの違いに関わらず「アジア系」で一括りにされてしまうので、本人たちも「アジア系」という枠にアイデンティティを持っているのかもしれません。

 いずれにしろ、アジア系の人たちが日本のアニメと積極的に結びつきを強めてきたという状況があるようです。


 他方で、日本のアニメは米国社会の主流の側からも、『鉄腕アトムアストロ・ボーイ』を日本製と気づかず観ていたのとも、マニアックなファンの熱中とも違うタイプの関心を持たれるようになっています。

 それは、東海岸でアニメに人気がある理由として三原龍太郎が挙げた「エスニック文化を理解し、それを楽しむことのできる知的・金銭的キャパシティの高いエリート」的な態度といってもいいかもしれません。日本のアニメを米国主流の文化とは異質な“アジア的”なものと認識した上で、むしろそこがクールだとする感性ですね。


 カリフォルニア大学の研究者ダレル・Y・ハマモトは、依然として存在するアジア系への差別を放置したまま、表層的・ファッション的にアジア文化が消費されている状況を批判する文章を書いています。[3]


>>ある部分、堂々としたアクション指向のパーソナリティーが出てくる香港映画が台頭したこと、合衆国のメディアでアジア系米国人女性のテレビニュースアンカーやファッションモデルが当たり前になったこと、多くの都会の知的職業人の間でアジア食が流行したこと、若者によって日本製アニメーションである「アニメ(anime)」のような輸入品が受容されたこと--などによる、ポピュラー文化でのアジア人すべてのフェティシズム化が、アジア恐怖症(Asiaphobia)のさらに悪意に満ちた表れを、うわべでは中和している。<<


 ここでハマモトによって指摘されているのは、一般の米国人のアジア文化への関心です。その中の一つとして、日本のアニメがアジア的なもの、そしてアジア系アメリカ人の立場に少なからぬ関係を持つものとして語られています。


 それから、ここまでの引用でお気付きかもしれませんが、米国で日本のアニメ関係を研究しているのはアジア系(日系)の人の割合が多いように感じます。もちろん、アニメ関係の研究をしているということと、アニメファンだということは別ですし、アジア系だからアジアの文化を専門にしようと思っただけで、特に日本のアニメを研究したかったわけではない人も多いでしょう。


 とりあえず以上が2010年頃までの状況です。その後、日本のポップカルチャーのブームも落ち着いた感があるので、それなりに事情が変わっているかもしれませんが、まだ調べられていません。


 それにしても、米国で日本製アニメはアジア系アメリカ人の文化だと三原龍太郎に言った女性は、いったい何を念頭に置いて「アニメ」と言ったのでしょうか。

 彼女の言う「日本のアニメ」に、たぶん『ポケモン』は入ってなさそうです。『ポケモン』はアジア系アメリカ人の文化とは言いがたいですから。

 具体的なタイトルが挙がっているのは『もののけ姫』ですが、これは見た目からして“アジア的”という印象を与えそうな作品です。ひょっとしたら『ポケモン』が日本製ということは彼女も何となく知っていたかもしれませんが、「日本のアニメ」と聞いて頭に浮かんだのは、よりアジアっぽい『もののけ姫』の方だったのかなとも思います。


 いずれにしても、日本のアニメとアジア系アメリカ人との関係や、米国社会でのイメージについては、まだまだよくわからないと言わざるをえません。


(追記 2019.4.28)

 日本の漫画の翻訳・研究をしているフレデリック・ショットの著書『ニッポンマンガ論』に、アニメのコンベンションに集まるファン層について以下のような記述がありました。[6]


>>また、他種のコンベンションでは白人男性ファンが多いのに反して、アニメ・マンガのコンベンションでは人種的にも多種多様で、特に西海岸在住のアジア系米国人が多数を占める。アジア系以外の人々の間でも、大好きなアニメの祖国である日本は、ファンにとっての文化的なメッカとなっている。<<


 この本が米国で出版されたのは1996年。米国で初の日本アニメ専門のコンベンションとも言われる「アニメコン」が開かれたのが1991年なので、90年代には、アジア系アメリカ人はアニメファンの中で目立つ存在になっていたようです。

 80年代以前には、日本製アニメ専門のコンベンションはまだ無く、SFファンやアメコミファンのコンベンションに間借りするように上映会などを行なっていました。その頃にアジア系アメリカ人の参加者がどれほどいたのかは、まだわかりません。

 初期のアニメクラブは、SFファンやアメコミファンのグループから派生して誕生しました。フレデリック・ショットは「他種のコンベンションでは白人男性ファンが多い」と述べていますが、SFファンやアメコミファンにも白人男性が多く、したがって初期のアニメファン集団も白人男性が主体だった可能性が高いと思います。


(追記 2020.2.12)

 ローランド・ケルツ『ジャパナメリカ』(原著2006年)という本に関係する記述がありましたので、更に追記しておきます。[7]


 まず、ローランド・ケルツの取材に対して、批評家のチャールズ・ソロモンは、2006年のアニメエキスポについて語り、「おそらく一番意義深いのは、私がこのイベントに参加し始めた頃に比べて、男女比が、圧倒的に男性が多い状況から、ほぼ同数になったことだ。また、人種でみても雑多であり、白人、アジア人、アフリカ系、ラテンアメリカ系がいずれも参加している」と答えています。


 また、ローレンス・エングの言葉を以下のように伝えています。


>>ニューヨーク州トロイにあるレンセリア工科大学の常駐オタク専門家、ローレンス・エング博士は十年以上前からアニメエキスポなどのコンベンションに足を運んでいる。「あの頃の来場者は、自分のような人間、つまり、大学生ぐらいの年齢のアジア人男性が多かった。しかし、最近のアニメ・コンベンションの参加者は明らかに変わった。今では来場者の女性の割合は五十パーセントに近く、あらゆる人種が参加している。アメリカにおける実際の人口分布に近い」<<


 ここでも、90年代では、コンベンションに足を運ぶような熱心なアニメファンにはアジア系(男性)が目立ったとされています。

 しかし、00年代半ばには人種の偏りはなくなり、アジア系は特に目立つ存在ではなくなったとも語られています。00年代に米国で日本のアニメや漫画を楽しむ層が大きく拡大したため、その中にアジア系のファンが埋没してあまり目立たなくなったのではないかと思います。

 しかし最初に取り上げた、三原龍太郎が「(日本のアニメは)アメリカではアジア系アメリカ人の文化」と言われた出来事は、おそらく2007年ごろなんですよね。この時期、実際には人種の偏りはなくなってきていたにも関わらず、日本のアニメはアジア系の文化という印象がある程度は残っていたということになります。この印象がいつまで残ったのか、あるいは今でも残っているのかという点については何とも言えません。


(追記ここまで)



●附論「米国におけるハローキティとアジア系アメリカ人」


 サンリオ の「ハローキティ」とアジア系アメリカ人との関係について、少し書いておこうと思います。

 ハワイ大学の文化人類学者クリスティン・ヤノは、ハローキティと日本のアニメについて以下のように書いています。[4]


>>二〇〇四年に、ある日本製アニメ情報ウェブ誌のインタビューで、サンリオ Inc. の当時のマーケティング部長ビル・ヘンスリーは、ハローキティとクールジャパンは別物だと語っている。<<


>>ヘンスリーをはじめとする欧米のほかのサンリオ市場の動向観察者にいわせると、ハローキティは日本製アニメ(それに日本製まんが、スーパーフラットやクールジャパン絡みのもの)と消費者層がそれなりに重なってはいるけれど、影響力や支配力の点で必ずしも同じ世界には属していないという。<<


 米国において、キティとアニメのファン層はきれいに重なっているというわけではないし、同じような受け入れられ方をしているわけでもないということですね(日本でもそうですが)。したがってアジア系の人たちとの関わりも、アニメの場合と共通点はありますが、まったく同じとは思わない方が良さそうです。


 キャラクターとしてハローキティが生まれたのは1974年。76年には米国法人サンリオ・インクが設立され、カリフォルニア州サンノゼに第一号の直営店が出店しています。すでに述べたように、サンリオはこの時期にアニメーション映画の米国での制作、公開も行なっています。

 ジャーナリストのケン・ベルソンとブライアン・ブレムナーは、その著書で「今日の国際化社会では海外展開などありふれた話に聞こえるかもしれないが、一九七〇年代に、サンリオのようなちっぽけなサービス会社がディズニーやワーナーなどの巨人が牛耳る市場で商品を売ろうとするのは異例のことだった」と述べています。[5]


 また、この米国進出についてクリスティン・ヤノはインタビューに答えて、次のように評しています。[5]


>>大市場に足を踏み入れたのはよいが、辻社長は丸腰でした。まあ、おおむね世間知らずだったわけです<<

>>日本企業の多くは、ビジネスを(単純な利益追求の手段ではなく)壮大で哲学的な「かくあるべきもの」ととらえるのです<<


 実際、「アメリカ市場での初期の社業は、およそ盛況とはいえなかった」らしく、米国での売上は徐々に拡大していったものの「不安定」で、1980年代後半にはニューヨーク・オフィスを閉鎖して西海岸のカリフォルニアに事業を集約するなど、一進一退といった調子だったようです。[5]


 そしてクリスティン・ヤノによると、「北米でハローキティのファンとなった最初の主力はアジア系アメリカ人の女性層で、そのきっかけは日本から贈り物として届いたグッズや、アジア系住民が出入りする店の棚に並びだしたことだった」というのです。1970年代にロサンゼルスで子供時代を過ごした、ある日系アメリカ人へのインタビューでは「その頃はハローキティはアジア系アメリカ人向けのグッズとされていた」という回答もあります。[4]


 今ではファン層を拡大して、もはやハローキティは単に「アジア系アメリカ人向けのグッズ」とは言えなくなっていますが、そういう時期もあったということですね。

 サンリオ直営店が最初に出店した西海岸のサンノゼは、ヤノによれば「アジアからの移民やその子孫が人口の多数を占める土地」です。(ちなみに米国最大級のアニメ系コンベンションAnime Expo が開かれるのもサンノゼです。)

 それが今では、「ある特定人種が集中して暮らす土地土地にではなく、そういう偏りなく出店されたサンリオ店が郊外のショッピングモールや都市繁華街のなかにいくつも作られているのは、ハローキティ商品がこの国で特定人種にしか買われない時代を卒業して、もっと広い層を相手にする企業にサンリオが変貌したことにほかならない」というわけです。[4]


 米国での展開はゆっくりしたものだったハローキティですが、2000年頃にブレイクします。歌手やモデルなどの有名人がキティファンであることを公言して注目を集めることが続いたのもこの時期からです。[5]


 アジア系女性へのヤノのインタビューでは、「ハローキティが二〇〇〇年代にはすっかり世に定着してしまったので、かつては『私たちだけのもの』だったあの頃が懐かしい」、「キティがメジャーブランドになった(「地元出の大スターよ」)のは嬉しいけれど、サンリオが大躍進してハローキティが昔みたいな特定人種間のローカル人気を脱して大手スーパーやネット通販で売られるまでになってしまって寂しい」という声があります。

 ヤノは彼女たちに「ハローキティは自分たち特定人種のものだという強い思い入れと所有意識」があるのを指摘しています。


 そしてハローキティがメジャーになった後も、アジア系の人たちは依然として大きな購買層であるようです。サンリオ・インクの副社長はインタビューに答えて、「ラテン系が(アジア系についでサンリオの顧客として)二番手だよ」という発言しています。[4]

 アジア系が一番手なのは前提で、ラテン系が意外に多いという文脈での言葉です。(ちなみにハローキティは南米でもとても人気があります。)アジア系の女性たちがハローキティは自分たちのものという意識を持っているのに対して、ラテン系の人たちは、ハローキティが日本(アジア)由来だということはほとんど意識していないようです。


 ベルソンとブレムナーの著書でも、「南カリフォルニアではヒスパニックが大きな購買層である」、「アメリカでの最新の購買層として当て込んでいるのは、旅行者と移民の違いを問わずアジア系である」、「ハローキティは、全米各地のチャイナタウンの人気者だ」という記述があり、アジア系(とラテン系)の存在の大きさが確認できます。[5]

 「最新の購買層として」とあるのは、1990年代以降にアジア諸国でハローキティの人気が過熱したことと、米国内のアジア系の人たちの間でキティへの関心が再び高まってきたことを指しているようです。


 今では「白人系のアメリカ人で、ハローキティが日本製だと知らずにファンになった者は珍しくない」のですが[4]、だからといってハローキティ=アジア/アジア系というイメージが消えたわけでもないようです。


 ハローキティは、自己主張しない(口が無いから)、無害で従順でかわいいだけの存在であるとしてフェミニストから批判されることがあります。

 米国でアンチ・キティのようなパフォーマンスをするアジア系女性のアーティストがいるのですが、これはアジア系女性に押し付けられるおとなしくて主張しない等のイメージへの抗議なのです。そして、そうした表現が行われるということは、それだけ米国でのアジア系女性とハローキティのつながりが強く、両者をイメージが重なり合っているということでもあります。[4]


 また日本人から見ると不思議なことに、米国でハローキティはパンクやゲイ(レズビアン)のような社会の主流に異議を申し立てる人たちの間でシンボルとして使われることがあります。[4]

 ディズニーのキャラクターなどは米国文化の中心に位置するのに対して、アジアから米国にやってきたハローキティは中心から外れた位置にいる印象を持たれています。今では米国でも相当にメジャーな存在になったとは言え、ハローキティには“マイノリティー側”というイメージがあり、だからハローキティは反主流のシンボルとして使われるというわけなのです。


 以上のように、ハローキティとアジア系アメリカ人との関係は日本人が思う以上に深いものがあるようです。



[1]板越ジョージ『結局、日本のアニメ、マンガは儲かっているのか?』ディスカヴァー・トゥエンティワン、2013年

[2]東浩紀[編]『日本的想像力の未来 クール・ジャパノロジーの可能性』NHK出版、2010年

[3]草薙聡志『アメリカで日本のアニメは、どう見られてきたか?』徳間書店、2003年

[4]クリスティン・ヤノ[著]、久美薫[訳]『なぜ世界中が、ハローキティを愛するのか? “カワイイ”を世界共通語にしたキャラクター』作品社、2017年(原著2013年)

[5]ケン・ベルソン/ブライアン・ブレムナー[著]、酒井泰介[訳]『巨額を稼ぎ出すハローキティの生態』東洋経済新報社、2004年(原著2003年)

[6]フレデリック・L・ショット[著]、樋口あやこ[訳]『ニッポンマンガ論 日本マンガにはまったアメリカ人の熱血マンガ論』マール社、1998年(原著1996年)

[7]ローランド・ケルツ[著]、永田医[訳]『ジャパナメリカ 日本発ポップカルチャー革命』ランダムハウス講談社、2007年(原著2006年)

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