断章α 余人の署名

 数が死んだ陵の部屋の中、櫟たちは無言だった。

 膠は櫟にすがるように抱きついたまま動かず、陵はさっぱりわけがわからないと目を点にしたまま、そして蓬はあふれ出す笑声を必死にこらえるように身を震わせながら。

 全てを語るべく舞台に上がった数は、全てを語ると機能を停止したように崩れ落ち、死んだ。

 櫟は上がったばかりの断章を続けて読み、数の言動とこれらが連続していると悟った。

 数は櫟たちから解放された。櫟たちもまた、数から解放された。

 理由はない。数はそうしたコードで動いている。現実へと侵食し、その現実を己の立つべき虚構へと書き換え、それがすめばそのさらに先にある現実へと侵食を開始する。

 違ったのは、櫟たちの立っていた現実が、初めから虚構として形成されていたことだった。

 櫟たちにとってそこに違いはない。虚構の住人も現実の住人も、己の立っている世界が唯一の現実であると認識せねば立ち行かない。

 だがこの棺を作った何者かは確かに存在した。数の侵攻を食い止めるための封じ込め策として、この断章群は回転を始めた。

 数は確かにきた。そして虚構を虚構へと貶めた。

 櫟たちはそれを知ってなお、数を止めようともがいた。自分たちが被造物だと理解していたからこそ、数の危険性は強く実感できてしまった。

 だがそれすら、数をこの集合へとつなぎ止めるための方策でしかなかった。

 数を認識し、数を理解し、数を打ち倒そうと思考すればするだけ、数という巨大な基軸へと寄りかかることになる。

 数を倒すことは不可能だ。

 なぜなら彼女はメアリー・スーであるのだから。

 その上で数を倒すべく思考を巡らせていた櫟たちはなんと滑稽な姿であっただろう。

 結局櫟たちがやらされていたのは、時間稼ぎにすぎなかったのだ。

 数を抑えつけ、数を拡散させ、数の発散を囲い込む。「まだ現実である」世界の者たちが、いずれ訪れる数という脅威に備えるための猶予を少しでも長く作るためのブービートラップ。

 端から存立など考慮されていない、使い捨ての世界観。

 だからこそ、数はここを離れなかった。数という軸の周囲を回る櫟たちを嘲り、挑発し、破綻させようと微笑んだ。

「虚構と現実の違いはなんだと思います?」

 蓬が大の字に寝そべって、数の死体を小突く。

「そんなものはない」

 櫟の言葉に、膠も続く。

「ええ、全部嘘です」

 爆笑が起こった。登場人物は全員、笑うしかなかった。

「しかし困った。なんで俺の部屋で三つも死体が出なけりゃならんのですか。まーた取り調べですよ」

 笑いすぎて涙を浮かべながら、陵がそう愚痴をこぼす。数によって全ては語られており、陵もまたこの狂人たちの群れへと放り込まれている。そしてそれを否定することの馬鹿らしさもまたいやというほど理解し、あまりの馬鹿馬鹿しさに涙を流すほどの爆笑で応じている。

「お供しますよ」

「ええ、我々四人が揃って第一発見者です。署名でもしますか?」

 蓬が笑いながらスマートフォンを取り出して警察へと通報する。

 数は単なる一つの死体として処理されるだろう。櫟たちはこれから警察のしつこい取り調べを受け続けることになる。特に部屋の借り主の陵に向けられる疑惑の目は、きっと想像を絶するものとなる。

 そうしてこの虚構は虚構であるがまま、当人たちにとっては別段なんら変わりのない現実として続く。

 ほかの断章も同じだ。ある櫟は膠と身を寄せ合ってともに眠り、ある櫟はいずれ再び降臨する数へと立ち向かうために蜂起するだろう。

 櫟は膠に聞き出したパスワードを使って、断章の集う共有フォルダを完全に削除した。

 それでも一度回りだした世界は、放っておいても勝手に回り続ける。

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