断章Σ 前世界より
「ああ、その通り」
櫟は蓬の家の便器に胃の中身を全部ぶちまけると、先ほど投稿された断章を読んでそう口にした。
あの『0』というファイルに入っていた小説は主人公が登場し、一度舞台から姿を消したところで中断されていた。
それで充分だ。理解などすぐに及ぶ。
「あッたまいッてぇ」
あのまま櫟の横で寝入っていた蓬は、櫟が嘔吐して戻ってくると身を起こしており、常温の日本酒で迎え酒を始めていた。たとえ二日酔いだとしても、これからの話が素面で聞けるものではないと理解しているのだろう。
櫟も紙コップを差し出して注いでもらう。冷酒向きの芳醇さが室温となったことで胸がつかえそうになるほどこみ上げ、吐き気とともに飲み込む。
「で、掴めました?」
今度は冷蔵庫から缶チューハイを取り出してきて煽る蓬に、同じ紙コップを差し出した。蓬は二日酔いの青い顔で櫟の紙コップに自身のチューハイを注いで、残りを一気に飲み干す。
櫟は蓬が買うにしては度数の低いチューハイで喉を潤す。よく冷えた低アルコールと炭酸で、悪酔いがマシになったような気分になる。きっと蓬にとってはこれがチェイサーなのだろう。
「フォウマさん、私の話聞いた時からもうわかってたんでしょう」
「同じ結論ですかな? すごいなー、正気保てるんだー」
「いや、わかった上で平然と酒に付き合ってくれたフォウマさんのが怖いが」
「でもそういうの考えたことないです?」
「ないです」
「私はあるんですよなあ。自分含めて人間全部が作り物で、あってないようなプロットの上で動いてるだけに見えたりするんですよね。まあ」
空になった缶を宙に放る。
「どうやらその通りらしいんですが」
心底楽しげに、蓬は笑っていた。
「そんな嬉しいもんですか」
「嬉しい嬉しい。テメーら全員視点が向いてなきゃなんの描写もされねーモブなんだって思うと、気が楽になるでしょ?」
櫟もそれを聞いて吹き出す。それはいい。
全部嘘だ。虚実の皮膜など最初からありはしなかった。
櫟たちはどうにも、小説の登場人物らしかった。
「で、視点人物はどうやらトイチさんなんですよね。でもまあ、私はトイチさんワトスン役にして探偵役やれるだけの器じゃないんで。それならダブリバさんのが適役だと思ったから、私が死んだことによって探偵役を登場させようなんて言ったんですけど。たぶん」
「全部メアリー・スーが掻っ攫っていった」
櫟は自分と膠の前に現れたあの少女を思い出して胃が痛くなる。先刻流し込んだ酒が暴れているのかもしれないが、精神と体調が連動しているのならばよしとする。この身体も意識も、健全に狂い始めている。
数が登場したことで、探偵役は完全に数で統一された。全ての断章は一つの方向へと破綻を重ねていく。
そう、いま櫟たちが話しているこれもまた、その無数の断章のうちの一つなのだから。
ほかの断章の櫟たち――登場人物もまた、その事実に気付き始めている。理由は単純。これを書いている者もまた、ほかの断章の誰かだからだ。
いつから始まったのか。
このふざけた実名小説が書き出された時からだろうか。櫟の記憶では膠が最初に書いて、それを受けてほかの面々も書き出したはずだが、それすら断章の中の一篇という形になってしまう。
では最初に一片でも現実は存在したのか。
わからない。櫟の立っている現実は、虚構だと認識してもなお破綻していない。数が這い出したことによって現実が虚構へと変貌したと言ってしまえば楽だが、あらかじめ用意された単なる虚構の世界だったとしてももう驚きはしない。
すでに断章が断章を生み、触れ合うことなく数を基軸に回り続けるという状況ができ上がってしまっている。数はやがて全ての断章に結末をもたらし、全てを台無しにしてしまうのだろう。
だが、今まさに登場人物である櫟が――無数の櫟たちが気付き始めている。数という存在の本質。その破滅的な成り立ちに。
櫟は黙考する。思考を地の文に垂れ流さないように黙考する。
では、これを読んでいる櫟に問う。
「お前は私と同じ結論に至ったか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます