名前を呼ぶ

「その物語で救いがねぇのは、その生き残った聖女だな」

「私だと分かってそういう事を言うから……やそさんは意地悪だ」

「そうかよ」


 は、八十一は笑う。吐き棄てるように。だって、笑わないとやってられない。

 その『神父様』の生き様に敬意。バッドエンド確定の物語を何でも無い様な声のトーンで語って見せた名女優に花束を。背中で小さく震える彼女に――俺は何を贈れば良い? そんな事を考えた。


 ――あぁ、腹が立つ。


 教会の利権はどうでも良い。腹は、立つ。現場に城塞鬼種、否、真の皇国武者が一人でも居てくれたのならばとは思うし、何故、自分がそこに居られなかったのかとも思う。教会騎士を見下す気持ちは強くなった。でも、ただ、それだけ。それ以上は無い。

 だから、腹が立つのは別の事。


「……嘘だったのかよ、アレ?」

「アレ? どれ?」


 首を傾げたのだろう。ぐりっ、背中に押し当てられた額が回る。


「前にてめぇは言っていただろうがよ? 『ヒトは助け合うのが当然だ』とかよ」

「? 嘘では無いが……当たり前の事だろう?」

「……だからてめぇはいかれてやがるんだよ」


 ――あぁ、腹が立つ。


 当たり前に言う彼女に腹が立つ。


「てめぇは教会に復讐するべきだろうがよ」

「……それは、出来ない。やりたくない」

「正当だ。その話――てめぇの寝物語を全面的に信じる前提だが、間違いなく正当だ。理不尽で、狩られた。それは、怒るべきだ。応報するべきだろうがよ」

「……いやだ」


 我が儘な子供の様に雛菊。顔を隠す様に背中にうずめる。息。熱い息が背中に吹き込まれる。


「……何でだよ?」

「だって――」


 彼女はヒトの汚さを知っている。黒い、黒い、空の下。排煙の街。蒸気文明に落ちた影の街。そこで育った彼女はヒトの悪を知っている。

 彼女はヒトの汚さを知っている。衣食足りても更に、更にと縋るモノが彼女から育ての親を奪った。

 《竜》を残らず屠ったと仮定しよう。次はヒト、国同士の争いだ。今でも争っている皇国、帝国、王国、西域都市群の、今とは比べものに成らない規模の戦争だ。そして国が統一されれば次は? 種の戦争。鬼種、鋼種、翼種、獣種、鱗種、人間種に分かれての戦争? 貧富。富めるモノとそうで無いモノの争い?

 ヒトは、汚い。争う。

 でも。

 でも、それでも、彼女は知っている。

 暗い空の下。母親と過ごす生活に安寧を覚える少女が居る事を。

 青い空の下。幸せそうにほほ笑む花嫁が居る事を。

 灰色の空の下で、雲の無い空で、雨の下で、雪の下で、或は、日の光の下で、誰かが、笑っている事を雛菊は知っている。

 ヒトは汚い。

 そんなヒトが構成する世界も、汚い。

 それでもそんな世界で笑っているヒトが居る。その笑っているヒト達の為に《竜》に抗ったり、お給料の為に働いたり、そんなヒト達が居る。

 だから、そう。だから――


「だって――世界は美しい」


 彼女は、雛菊は血を流す側で良いと言う。

 彼女は、雛菊は涙を流す側で良いと言う。

 笑顔。

 寝物語の名残を残し、少しだけ涙に濡れた瞳。でも。それでも、雛菊は笑顔を見せる。


「やそさん。私は良い生まれをしていない。薄汚れた場所で生まれた女だ」

「やそさん。私は色々なヒトに嫌われている。昼間の様にこれからも変な事を言われる」

「やそさん。私は我が儘だ。無理だと分かっても世界中のヒトに笑って居て欲しい」

「だから、やそさん――」


 一息。雛菊が大きく息を吸い込む。


「貴方に私の事を話した。嫌われると分かっていても、話した。教会の最深部、聖王姫からも嫌われている事も話した。でも、それでも――……どうか、貴方の人生を私にくれませんか? 私と一緒に生きてくれませんか、竜狩人、城塞鬼種、葬竜拳士、鬼灯八十一殿?」

「――っ」


 八十一は歯を食いしばる。何かが悔しい。何が悔しいかは分からない。

 『その程度の事』を話すのに凡そ半日も凹んでいた雛菊に対してかもしれない。

 『その程度の事』を話すのを戸惑わせる彼女の今までの環境かもしれない。

 いや。もしかしたら――

 『その程度の事』で自分が彼女を嫌うと思われていたことかもしれない。

 理解している。八十一は鬼灯八十一と言うヒトを理解している。強がって、ビビり。精神的な脆さを誤魔化す為に技を磨き、身体を鍛える。口調も何時からか、北壁鬼種なまりが入ったものから、酷く人を寄せ付けない不愛想なモノに変えた。

 だから。そんな具合だから――


「……ひ、雛菊」

「ん? どうしたやそさん?」

「答えになるかも、分かんねぇし、いや、その、本当に――本当に何でもねぇ事だ! ……本当に、何でもねぇんだけどよ……あー……うー……こ、これからは名前で呼んでも……良いでしょうか?」


 この程度の事を言うのだって、大変なんだ。


「ぜ、是非! 是非呼んでくれ、やそさん!」

「っ」


 無邪気に抱き着かれる。止めて欲しい。だって困る。


「良いから、もう寝ろ……雛菊」

「うん!」


 雛菊の体温を背中に感じながら、八十一は布団を被る。

 まだまだ寒い時期だ。夜は冷え込む。だから布団を被ったんだ。

 決して赤い顔を見られたくないからでは無い。無いったら、無い。

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