第2話 石と宝石は違うらしい

 まずは男は一旦除外かな、と事務所の複合機でコピーされた名簿のうち、半分に手早くバツがつけられた。伴みたいな例もあるが、今回のこの灰色の石の声と態度はどうも元から女子っぽい。僕らはソファにかけて話し合う。石はごろりとローテーブルに置いてある。


「順番に名前言ってって、反応を確かめるとか?」

「おお、長瀬さんかしこい。したら、相川」

「わかんない」

「井崎」

「わかんない」

「石田」

「……あ」


 初めて石に明確な反応があった。


「おっ、石田なのかな。石だし。石田祐実……」

「ん、いや。違う。あたし


 違うのかよ、と思った。変な反応だ。石田祐実と仲が良くて覚えていた、とかだろうか。陸上部の活発な子なので、友達は多かったはずだ。


「じゃあ、泉……」

「多分全部わかんない。その中の名前、全部見てもピンとこない」


 『石田じゃない』ことはわかるのに、と少し不思議な気持ちがした。それにしてもどこでどう見ているのだろう。


「そしたら、そもそも二組の子ってのが考え違いなのかな」

「長瀬さんと三田村と伴くんはわかる」

「俺ら三人を知ってるって言ったら、やっぱりクラスか……」


 僕らは他に所属がない。共通点もない。僕と伴は去年は別の組でお互いほとんど知らなかったし、長瀬に至っては転校生だから、他のクラスに知り合いはほとんどいないはずだ。学外の共通の知人と言ったら今不在のくれさんだが、あの無愛想な探偵が石になって女子っぽく喋っているとかいう意味がわからないシチュエーションにはあんまり晒されたくない。


 僕は筆箱から青の蛍光ペンを手に取って、『長瀬夜子』の名前を消した。


「消去法でいこう。これは違うな、ってとこを消してく。長瀬さんは当然ここにいるし、あと声が違うとか、僕らが教室を出た時に残ってたとか」

「そっか、俺らより先に帰ってないとおかしいもんな」


 学校近くの通学路はそんなにショートカットできるような道ではない。僕らより前に地面にあったのだから、僕らより先に出ていった奴と考えて差し支えないだろう。


「水野と、長澤さんは確か残ってた。廊下で楠木さんを見かけた。鞄持ってなかったから、多分帰ったのはもうちょい後」

「声、吉野はめっちゃアニメ声だし、東郷亜美はもっとハスキーだよな」

「大崎さんは早口だし、小林さんは小声だから違うと思う」


 少しずつ名前が消えていく。


「今日休みだった奴は可能性低いかな」

「ゼロじゃないから、別の色で。委員会とか部活出てたっぽい奴も確実じゃないし、また他の色にしとこ」


 少しずつ名簿は色分けされ、気合いを入れすぎたノートみたいにカラフルになった。真っ白なのは五人だけだ。


「これ、あれじゃん。二の二5ファイブの五人じゃん」


 伴が素っ頓狂な声を上げる。浦部、黒崎、細野、宮川、山口。よく似た髪型、よく似た着こなしの女子グループ。素行は良くも悪くもなく、成績もそこそこ。全員学校行事ではわりと気合いを入れるタイプで、教室ではやたらと自撮りをしている。ひとりひとりは、それはもちろん違う個性があるのだろうが、僕はそれほど仲良く喋ったこともなかったし、あまり接点もなかった。目とかを隠した状態でシャッフルしてお出しされれば、誰が誰かちょっと迷ってしまう。


「俺、さっき挨拶したよ。あの後なんかあって石になっちゃったのか」

「それっぽくなってきたなあ」


 一応名前を読み上げてみたが、石の反応はない。というか、そもそも何も言わない。僕は何度か話しかけてみた。


「なあ、なんか思い出した?」


 僕らはじっと机の上を見つめる。しん、と事務所は静まり返る。少し、嫌な予感がした。もし石化が進んで喋れなくなっていたとしたら。


「えーと、石田さんじゃない石さん……」

「……変な呼び方しないでほしいんですけどー」


 石は不機嫌そうな声をぼそっと出す。確かに、失礼な言い方だったかもしれない。僕だって伴のおまけ扱いされて、さっき少しムカついたのに。


「悪い。この五人のうち誰かかなって思うんだけど、絞りきれなくて」

「ふーん」


 石は奇妙に冷淡な声でそう言った。やばい。どうも僕はしくじったらしい。代わりに伴が続けてくれた。


「そしたら、長瀬メモが役に立つんじゃないかなあ。五人とも特徴がちゃんと書いてあるよ。ほら」


 コピーの手書き文字は、五人についてもちゃんと語っていた。家庭科が得意、とか、ハートが好きっぽい、とか。


「よくこんだけ気がつくね」

「普通に見てただけ」


 僕が腕を組むと、長瀬はまだ少し恥ずかしそうに口を尖らせた。


「わりと挙手するタイプ?」

「わかんない」

「犬より猫派」

「わかんない」

「俳優の……」

「わかんないってば!」


 伴が読み上げるたび、声が揺れる。誰ともわからない石は、明らかに苛立っていた。


「ごめん、探してくれてるのに。でも、あたし……あたし」


 声が不意に湿る。黒いセーラー服の女の子が、手の甲で涙を拭うのが見えたような気がした。その子の顔はよく見えない。まだ誰ともわからない。


「あたし、そんなにわかりづらいかなあ。特徴ないかなあ。誰でもおんなじような子かなあ!」


 ああ、そうか、そこか。


 消去法だ。僕はようやく察した。遅すぎた。デリカシーに欠けていた。仕方がないとはいえ。石はきっと、半分拗ねていたのだ。だって、『個性的な奴を消したら残ったのがお前でした』なんて言われてきつくない奴なんてそうはいないだろう。


「三人はいいよね、ちょっと他と違うじゃん。伴くんと長瀬さんは美男美女だし」

「僕は無視かよ」

「三田村は前は普通だったけど、なんか最近変わった。あと文化祭の時BGMにうるさくて早口でキモかった」

「僕も悪かったけど、それはそれで失礼じゃないかなあ!」


 今の出来事から何か思い出せないかと頭を探るが、どうも覚えていない。文化祭ではお決まりの喫茶をやった。二の二5ファイブはクラスTの係で、全員ピンクのハート柄を着せられて閉口した覚えしかない。伴は今思えばちょっと喜んでいた。


「これじゃあたし、石ころでも何も——」

「私、そんなに違う?」


 石の言葉の途中で、少し上昇した室温がすっと下がるような声がした。長瀬夜子だ。それまで何事かずっと考えていた彼女は、突然ぽつりとこう言った。


「私だって、友達がほしい。ちゃんとみんなと喋りたい。勝手に違う風にしないでほしい……」


 彼女の主張は、語尾をぼやかせながらも続いた。僕は仲良くなる前の特別視を思い出し、少し耳が痛かった。だが、石は言う。


「友達、いるじゃん」

「もっとほしい。三田村くんと伴くんは大事だし、ずっと仲良くしたいけど。親友とかじゃなくてもいい。ちょっと教科書借りたり、挨拶したりするくらいの女の子の友達、私にはいないし」


 石は少し無言になり、すぐに、でも、とかだって、とか繰り返した後、呟いた。


「……ごめん。ごめんだけど、でもやっぱりずるいよ。長瀬さんが石になってもすぐわかってもらえるもん。ていうか、石になんて最初からならないもん。なったってキラキラの宝石でしょ。あたしは違うもん!」


 僕らはまた黙らざるを得なかった。長瀬は、違うよ、と弱々しく呟く。でも、誰も彼女に、大丈夫。君は特別だよ、なんてことを言えない。僕らは特に接点がなかったし、勝手に人をまとめ売りの野菜みたいに扱っていたのだ。自分の普通さにあれだけ嫌気が差していたはずの僕が。


 浦部晶絵あきえ、黒崎曜子、細野みかげ、宮川きらら、山口るり。色の塗られていない名前はどれもあまり馴染みはない。みんな十七年弱の間いろんなことを考えて、バラバラに、でもちゃんと踏ん張って生きていたはずなのに。


「……だから、君は石になった?」


 伴が静かに言った。


「俺は覚えがある。なんか辛いことがあったから変身しちゃうんだよね。特別じゃないから、それが嫌だから石になっちゃったのかな」

「……多分違う」


 石の声が低くなる。


「逆。全然特別じゃないんだなって思って、それなら石ころとおんなじじゃんって思ったの」

「聞く。話せよ」


 僕は石を見下ろす。ごつごつした見た目。遠目では灰色だが、よく見れば白と黒の粒とが入り混じった複雑な色合いをしていた。よくよく見ると案外綺麗だな、と思う。


「……ちょっと思い出した。あたし、こないだ大学生の人と遊んだの」


 石は語り出す。僕らはじっと耳を傾けた。


 本人はどう思ったか知らない。でも、この瞬間、確かに僕らにとって彼女は特別な存在だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る