第28話 山南敬助という男

 屯所として使っている壬生は隊士の増員で狭くなったという理由以外に、出動の際に何かにつけて不便な場所にあった。そんな矢先に決まった移転先は、西本願寺だった。


「西本願寺!」

「そうだ」


 西本願寺は薩摩や長州と親しいと聞いている。以前は西本願寺で会合まで開かれていたはずだ。そんな倒幕寄りな敵陣ともいえる場所に、なぜ幕府側の新選組が移転するのかと驚く。


「あそこは場所がいい。それにあそこ屯所を置けば倒幕派の動きをけん制できるってわけだ」

「坊主たちがよく首を縦に振ったな」


 幹部の中でも政治に明るい永倉は首を傾げた。椿もその話を聞いていたが、この話し合いにも山南の姿はなかった。彼は西本願寺への移転を強く反対していたという。寺の坊主が嫌がるのに無理に押し掛けるのはよくないと言っていたらしい。山南の意見も納得出来る。しかし、倒幕派の動きをけん制するというのも確かに頷ける。

 山南が会合に不参加である事から意見の放棄とみされ、新選組は壬生の屯所から京の中心部である西本願寺へ移ることが決まった。


 善は急げと、時間のある者から越し始めた。


「えっと……私の部屋は、何処でしょうか」

「椿さん」

「山崎さん! もうお荷物は運び終わりましたか」

「ええ、椿さんは」

「それが」


 椿は土方から部屋の割当をまだ聞いていなかった。以前の屯所より広くなったとは言え、大世帯の新選組。一部屋に何人もの隊士が放り込まれている事に変わりなかった。まさか自分も何処かの部屋に押しこまれたりしないだろうかと、少々不安に思いながら今に至っている。


「聞いていなかったのですか」

「はい」

「俺が案内します」


 山崎は椿に柔らかい笑みを見せると、案内のため少し先を歩き始めた。


――山崎さんの背中、なんだか久しぶりです。


 山崎は年明け早々から、大阪と京を行ったり来たりで椿はまともに会っていなかった。だから、自分の前を行く山崎の背中をが開くほどじっと見てしまうのだ。


「椿さん、こちらが……っ」


――ドンっ!


「ひやっ」


 そう、あまりにも見つめ過ぎて気づけば目の前に山崎がいた。人は急には止まれないものだ。


「イタたたた」

「大丈夫ですか」


 椿は山崎の背中に鼻をつつけ、驚いて尻もちをついてしまった。


「すみません、私を何やっているのでしょう」

「俺こそすみません。まさかぶつかるとは思わなくて」


 山崎が手を差し伸べると椿は顔を赤くしながらその手を取った。


「椿さん」

「その、山崎さんをじっくり見る機会がなかったので、つい見惚れてしまいました」


 鼻を押さえながら顔を真っ赤に染めて山崎に見惚れていたと言う。そんな椿の正直な言葉につい山崎は照れた。


「ほんとうだ。顔が真っ赤ですね、椿さん。さあ、立てますか」

「はい。すみません」


 誰が見ているとは分からない廊下では、椿を腕の中に閉じ込める事はできなかったのだ。どんなに忙しく疲れていても、いつもと変わらない椿の仕草に山崎は労われている。男の衝動を抑え込んで椿の手を引きながら廊下を進んだ。


 椿の部屋は以前より狭いが一室を与えられた。隣は土方の部屋がある。仕事と小姓まがいな事をしていたからだろう。

※小姓とは本来、男子がするものである。


「あの、山崎さんは」

「俺は斎藤さんと同室です」

「すみません。一部屋占領してしまって」


 山崎は申し訳なさそうにする椿にこう返す。


「新選組には女性の軍医がいると知られています。これだけ大世帯だと妙な輩も居ますから身を守る為にも必然です。副長の隣なら危険は少ない。俺は不在にする事が多いので。それに」

「それに?」

「誰かと同室では、忍んで来ることができませんから」

「忍んで……っ。や、山崎さんたらっ」


 二人して顔を真っ赤に染める姿はなんと初々しい事か。もう幾度と体を重ねた間柄だと言うのに。






 その頃沖田は、越してすぐ荷解きもせずに山南のもとを訪れた。


「山南さん、体調はいかがです」

「沖田くんか入りたまえ」


 この移転を最後まで反対していた山南だ。沖田は山南が江戸にいる頃から兄のように慕っていた。沖田は山南の知識やもの言いがとても好きだったのだ。


「外の風に当たってはどうですか。僕がお供しますよ」

「はは、大丈夫です。ここは皆と少し離れていますから、風通しは良いのですよ」


 山南は文武両道、性格も温厚で壬生にいる頃は沖田と並び、近所の子供からも慕われていた程だった。しかしその後の将軍家茂の警護で怪我をしてからは表に出ることがなくなった。武士として致命的な腕の傷を負ってしまったからだ。刀は両手で握るものであり、両手であるから本来の力を発揮できる。山南はそれが出来なくなっていた。

 総長と言う地位を与えられてはいるが、伊東一派の参入でその権威を発揮する機会は失われてしまったのだ。


「そうですか」


 沖田はそれ以上は言わず、山南と並んで縁に座った。


「沖田くん。これからの新選組と近藤さんや土方くんの事、頼みましたよ」

「え?」

「私は見ての通り役立たずです。剣は二度と握れない。正直、お荷物ですよ」

「どうしてそう言うことをいうのです。椿さんも心配していましたよ。診察させてほしいのにさせてもらいえないと」

「椿くんが」


 沖田は椿が山南の事を気にして落ち込んでいる事を知っていたのだ。勝手に押し掛けて診察をする権利が自分にはない。何もできずにいる自分を責めていたことも知っている。


「江戸から共に来た大切な新選組の仲間なのに! って」

「おやおや、彼女らしいですね」

「一度話をしてみてはいかがです?」

「そうですねえ……」


 山南は何処か遠くを見ているようで、心はここに無いようなそんな空気を身に纏っていた。沖田は山南にどうしても椿に会って話をして欲しかった。彼女なら何か変えられるかもしれないと思っているからだ。彼女の媚びない真っ直ぐな眼差しで、山南の心の闇を取り除いて貰えないかと密かに願っていた。


「ではまた来ます。たまには僕たちのところにも顔を出して下さい」


 沖田がそう言うと山南は頬を少しだけ上げて笑って見せた。





 西本願寺に越してからも、椿は変わらずに土方の傍で仕事をしながら隊士の健康を管理していた。近頃は土方も局長と会津藩主の松平容保かたもりに呼ばれ、屯所を空けることが増えた。そんな時は椿が書簡や勘定帳簿を整理して過ごしている。

 先日、松本良順から文が届き少しづつ蘭学を伝授してくれると知らせがあった・椿は数日後、良順に会うために大阪へ行くこといなっていた。


「椿さんいますか」


 そんな時、外から沖田の声がした。何事だろうかと椿は障子を開ける。


「何でしょうか」

「今日は土方さん居ないでしょう。少し付き合ってほしい所があるんです」

「えっ。でも勝手に出て行くわけには」

「外ではありません。敷地内ですよ」


 外に出るわけではないと言うので、椿は沖田の要望を聞くことにした。顔は穏やかに笑みを含んでいるものの、何処かいつもの沖田と違う気がした。かといって何かの悪戯を仕掛けてくるような雰囲気ではない。むしろ大人しすぎて気味が悪いほどだった。


「あの、どちらに」


 長い廊下をスタスタと歩く。椿が脚を踏み入れたことない奥へ進んだ。


「此処です。ここを曲がった先に会ってほしい人がいます。土方さんには内緒ですよ」


 沖田はそれだけ言い残し去って行った。椿は恐る恐る廊下の角を曲がり小さな縁側と中庭を見つけた。その縁側には一人静かに座る人。


――山南さん!


 山南は椿の気配に気づくと、ゆっくりと振り向き柔らかく笑った。冬だというのに不思議と山南の周りだけは春のような、温かで穏やかな空気が漂っていた。


「椿さん、わざわざすみませんね」

「いえ、そのっ。お体は」

「お座りください」


 山南は穏やかな笑みを浮かべたまま隣を手で差した。椿は促されるままに山南の隣に腰を下ろた。


「随分と心配をお掛けしたようですね」

「いえ。私が勝手にあれやこれや考え過ぎてしまっただけですから」

「私を気の病だと言う人もいますが、そう言われればその様な気もします」

「えっ。どのように滅入りますか? 無性に腹が立ちますか? 私に出来ることなら何でもしますから、些細な事でも仰ってください」


 椿は山南と向き合えた事の喜びと同時に責任を懐き始めた。つい、大きな声で山南にのしかかる勢いで言ってしまったのだ。


「す、すみません」

「ふふふ、はははっ」


 椿は驚いた。山南が声を出して笑うなど思ってもみなかったからだ。


「椿さんが医者になったのは正解ですね」

「え?」

「医者は目に見える傷を治すのは然り、目に見えぬモノも癒やす事ができるのは天性。あなたはどちらも兼ね揃えています。あなたは新選組には無くてはならない人です」

「そんな、大袈裟です」

「私は本当の事を言っているのです。もっとご自分の能力ちからを自負しても良いと思いますが、それができないのが椿さんの良い所なのでしょう」


 山南の少し蒼白かった顔色が日に当たったせいか、僅かに赤みが射してきた。それに少し安心した椿は言葉を紡ぐ。


「山南さんとは池田屋以来お会いすることが叶わなかったので、私はとても嬉しいです。こうして話す機会ができたこと感謝いたします」

「そうですね。土方くんが居ないのもたまにはいいですね。あなたと話ができる」


 山南の口調は何かを悟りきったように穏やかだった。しかしそれが逆に椿の不安を掻き立てる。もっと不満を言ってもいいはずなのにと。


「山南さん」

「はい」

「私は個人的な話は誰にも報告しません。今は休憩中ですから何でも話してください。土方さんの悪口でも、局長の愚痴でも、えっとご飯が不味くてダメだとか、何でも」

「……」


山南は目を大きく開いて椿をまじまじと見つめた。

この女性はなんて恐いもの知らず、初めて屯所で見かけた時の事を思い出した。


「椿さんは本当に恐いもの知らずですね」

「そ、そうですか?」

「局長や副長の悪口なんて、死んでも言えませんよ普通は。此処には泣く子も黙る規則があると言うのに椿さんと来たら、困った人ですね」


 そう言うと山南は肩を揺らして笑い出した。椿の真っ直ぐな気持ちが痛い程に胸に突き刺さっていたのだ。笑うことで精神の安定をたもっていたのかもしれない。


※局中法度

 一、士道ニ背キ間敷事(武士らしい行動をせよ)

 一、局ヲ脱スルヲ不許(新選組から脱走するな)

 一、勝手ニ金策致不可(勝手に借金をするな)

 一、勝手ニ訴訟取扱不可(勝手に裁判をするな)

 一、私ノ闘争ヲ不可(私闘をするな)


 

 組織の長の悪口を言えば、士道に背きに値するだろう。それに背いた者は如何なる場合でも切腹であるという規則があった。


「そ、それは土方さんの都合の良い押し付けです。此処だけの話なんですから切腹なんてさせませんっ」


 山南は笑うのをすっと止め、真剣な眼差しで椿を見つめた。椿も表情を整え、姿勢を正し山南に向き直った。


「私は貴女には幸せになってもらいたい。軍医などならずに穏やかに暮らしてほしい。医者として多くの民を見守ってほしい」

「それは」

「それでも貴女は新選組の軍医という道を選んだ。戦になれば従軍しなければならない。女の貴女には過酷すぎるものです。それも承知の上なのですよね」

「もちろんです」

「なぜ?」

「私は自分の誠に誓ったからです」


 椿は手のひらを自分の胸に当てた。山南の瞳を真っ直ぐに見つめて、力強くそう答えた。山南はその言葉を受けて目を閉じ暫くして、再び瞼を上げた。


「ありがとうございます。椿さんと話ができてよかった」


 山南は春の日差しのように優しく笑った。椿のその言葉に何を感じ取ったのか。少し休むと言う山南に椿はまた来てもいいかと問いかけると、にこりと笑い頷いた。そして、山南は静かに立ち上がり、部屋の障子を開けた。部屋に入る山南の背中が透けて見える程、儚く見えたのは何故だろうか。山南の心の傷をどうにか癒したい。


 椿はそればかり考えていた。

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