軍医となる

第27話 軍医とは

「ははは! 本当に椿だったか!」

「良順先生っ!!」


 お日さまのような笑顔を椿に向けた男は松本良順と言い、医者でもあり政治にも明るいといわれた人物だ。オランダ軍の軍医に蘭学を学び、現在は将軍の侍医じいという地位に就いていた。

 椿がかつて医者にしてくれと頼み込んだ男がこの松本良順だったのだ。


「本当に椿がここに居るとは驚いたな。風の噂にはきいていたんだが、いやぁ驚いた」

「椿くんが良順先生と知り合いとは、歳が知ったら驚くぞ」

「局長は良順先生をご存じだったのですか」


 近藤や土方とも交流があったらしい事に椿は驚いた。


「椿は私の一番弟子だからな!」

「既にたくさんのお弟子さん抱えていらっしゃいましたよ?」

「ははは! 一番というのは私の気持ちの問題だ。ところで、椿。どうやって新選組の専属医者になったんだ」

「それは……その」


 まさか山崎に一目惚れして追って来たなど、局長を目の前にしては言いづらい。


「新選組に、惚れたからです」


 しかし、これも嘘ではない。山崎を追って入った新選組は世間で噂されているような集まりではなかったのだ。


「ほう」


 良順は何か言いたげだったが、近藤の手前それ以上の追及はしなかった。明日は良順が新選組隊士たちの健康診断をするという。会津藩預かりのため幕府からそうお達しがあったのだ。

 

――最近は流行病はやりやまいも多いものね。


「明日は椿の助手を務めさせてもらう、宜しく頼んだぞ」

「ええっ。私が先生の助手の間違いですよね」

「いいや。ここはお前の持ち場だろ。私は隊士の事は知らんからな。お前が責任者だ。そうだろう?」

「はい!」


 いつもこうして良順は椿を一人前の医者として扱ってくれた。弟子であろうが患者にとっては関係ない。医者は医者なのだと。そこに男も女も関係ないといつも背中を押してくれた。


 こうして全隊士の健康診断が決定したのであった。





 翌日、椿はさっそく広間に一般隊士を集めた。

 もちろん全員、上半身裸だ。正直むさ苦しい事この上ない。しかし椿は気にも留めず問診から始めて、眼、喉、免疫器官、胸と診察していった。脈もとり、病をにおわせる隊士と問題ない隊士に分けた。

 良順は腕を組みその仕事っぷりと、椿の判断が合っているかを見守っていた。


「椿、脈が上手く測れるようになっているではないか。誰から教わった。苦手としていたはずだが?」

「は、はいっ。えっとコツを教えて頂いて」

「ほう、それは誰かな」


 すると椿はぽっと頬を赤く染めた。良順はそれを見て驚いた。椿が頬を染めるなど、これまでに見た事がなかったからだ。椿をこんな風に変えた者が、ひょっとしたら新選組に居るのかもしれない。


「えっと、それは……っ、そのっ」


 椿はいつの間にか少女から女になっていた。身寄りの無いこの娘を、一人でも生きていけるようにと指南したが、途中で手放さなければならなかった。それを申し訳なく思っていたが、意外と其れは功を奏したのかもしれない。


「まあ、いいだろ。悪い奴では無いみたいだから良しとする!」


 良順は大きな手で椿の頭を撫でてやった。椿が嬉しそうに目を細めてはにかむ姿はあの頃となんら変わらりない。


「次は、新選組ここの要、幹部連中だな」

「では、別室へご案内いたします」


 近藤以外の幹部たちは別の部屋に集められていた。土方、山南を始めとする各組の組長や伍長たち。その中には先日加わった伊東一派もいる。


「では、君たちは私が診よう」

「え! 椿ちゃんじゃねえのか」


 永倉が不満そうに呟く。


「会津藩からの仰せつけだからね、私が診て報告せねばならんのだ。椿じゃなくて悪いね」

「私は後ろで、学ばさせて頂きます!」


 椿は良順について診察の仕方を学んだ。一般隊士と違って幹部級の者は代えが利かない。良順が診るのが妥当であろう。


「これで全員か」

「あれっ。土方さん、沖田さんと山崎さんははどちらに」

「ああ、山崎に総司を探しに行かせたんだ。あいつ逃げやがった」

「良順先生、沖田さんは気管支が弱いんですよ。なのに人一倍、診察が嫌いなんです」

「困ったガキが幹部になったもんだな」


 すると廊下で声がする。


「沖田さん! いい加減に諦めて下さい」

「嫌ですよ。何処も悪くはないのに、どうして医者に診てもらわなければならないのです」

「悪くならないように診てもらうのです!」


 山崎と沖田だった。それを聞いた椿はため息を吐くと、障子を開けて二人に向かってこう言った。


「さっさと入ってください! 男でしょ」

「うわっ!」


 山崎は沖田を掴んだまま、沖田は山崎の腕を解こうと手を上げたまま固まった。更に追い込むように椿が一歩詰める。


「なんだったら、此処で脱がしてもよいのですよ!」

「ひいっ」


 そこへ無言で土方が近づき諦めろと言いながら、沖田の首根っこを掴まえて部屋に引き摺りこんだ。なぜか山崎まで縮こまっているが、彼は決して悪くはないのだ。ようやく沖田も良順の診察を受け、全員が解散した。


 一仕事終えて、椿は良順と後片付けを始めた。


「椿。本気で銃弾を取り除く方法を学びたいのか」

「はい。この先に起こるかもしれない戦は洋式と聞きました。ならば、刀傷ではなく、銃弾で倒れる隊士が増えると考えています。だから、絶対に学びたいのです!」

「おまえは新選組の軍医にでもなるつもりか。それをするという事は、お前自身も戦場に立つことになる。死ぬかもしれんのだぞ」

「承知しています。私はとうに新選組の軍医なのです。彼らを支えると誓いました」

「どんなに悲惨な現場か知っているのか。おまえが慕っている者の死を目にしても、軍医として務める事ができるのか」

「やります。やってみせます!」


 良順は椿の意志が堅い事を確認したかった。本当は怖気づいて、此処から離れてほしいとさえ思っていた。しかし、椿の瞳を見れて、それは叶わぬ夢なのだと悟った。


「分かった。近いうちにまた来よう」



 良順が去った後の椿は、自分を落ち着かせるのに必死だった。良順が言った自分が慕っている者の死を目にしてもという言葉が、椿の胸を刀で斬り裂く程に強烈な印象を残していった。自分は本当に大丈夫なのだろうかと問いながら。それでも椿は決めていた。新選組みなについて行くのだと。


 とおの昔にそう心に誓ったから。





 新選組の名が知れ渡ってからは、入隊を希望する隊士の数が一気に膨れ上がった。その為、ここ壬生の屯所では到底抱えきれなくなってしまった。


「隊士が増えたはいいが、壬生も手狭だな」

「そんな時に私が一部屋を占領してしまって申し訳ないです」

「お前は、もっと前から此処に居たんだから気にするな」


 そうは言っても広間にも入りきれず、廊下で寝ているものも居る。このままでは隊士たちの体調も心配だ。


「やっぱり越すしかねえな」

「あては有るのですか」

「まあ、有るには有るが……」


 そう言いかけて土方は渋い表情になった。恐らく隊内の意見の一致、先方の同意などが上手くいっていないのだろう。池田屋で名を挙げたとはいえ京の人間からして見れば、煙たい存在であるは変わりない。

 問題は屯所の件だけではない。新選組大阪屯所隊の存在もあった。同じ新選組ではあるが、色々と複雑な問題を抱えていた。しかし、椿にはどちらの問題にも口を挟む余地はない。お上の決定に、土方の決定に椿は絶対に従わなければならない。それが此処に居られる事の条件でもあったからだ。



 慶応元年(1865年)は慌ただしい幕開けだった。


 大阪で【ぜんざい事件】と呼ばれる騒ぎが起きたのは年明けてすぐ。土佐勤王党が大阪城を乗っ取ろうと計画をしたらしいのだか、幸いにも大阪新選組が阻止した。その時も山崎は京と大阪を何度も往復し土方に報告をしている。


「山崎さん、お体の方は」

「問題ないですよ」


 そんな簡単なやり取りしか叶わない日が続いた。土方は山崎の持ってくる情報に絶大な信頼を寄せていた。故に必然と過酷な隊務となってしまうのは避けられなかったのだ。


「椿、そんな顔をするな」

「そんな顔とは」

「お前が心配そうに沈んだ顔をしていたら、山崎まで元気がなくなるだろうが。一番忙しい奴を心配させるんじゃねえぞ」

「すっ、すみません!」


 椿は気づいた。自分に出来る事は心配する事ではない。信じて元気づける事なのだと何度も己を叱咤した。


 屯所は屯所で問題が山積みで、総長である山南の調子がいまいちらしい。と言うのも、何故か椿はその手当をさせてもらえない。何度か土方に申し出たが、自尊心が人一倍強いらしく誰も寄せ付けないと言われたのだ。誰かが気の病に冒されていると言う声もあった。


「気の病ですか」

「さあな」


 それ以上は聞くことは出来なかった。彼も大切な新選組の幹部で、江戸にいた頃からの仲間だである。なのに椿はそれに対して何もできない事が歯痒かった。さすがの椿も気の病であればどうにもならない。

 ぼんやりと中庭を眺めながら、打つ手の無さに落ち込んでいた。


「珍しいな。椿でも落ち込む事があるのか」

「斎藤さん」


 椿が肩を落としてぼんやりしている所に、稽古終わりの斎藤が通りかかった。


「浮かない顔をしている」

「お役に立ちたいのですけど、お役に立てないのです」

「副長か、それとも山崎か」

「どちらでもありません」

「誰か具合の悪いものがいるのか」

「直接お話を伺いたいのですが、土方さんが言うには近寄れないと」


 椿はどうにも出来ないのだと、顔を伏せてしまう。


「確かにあの人はそうだろうな」

「え、分かるのですか」

「俺が江戸から逃げる前までは、共に試衛館で剣を磨いたからな。山南さん、であろう」

「はい」

試衛館しえいかんは近藤が継いだ道場で流派は天然理心流。


 斎藤も山南の事はずっと気になっていたのだ。時々、幹部の集まりで顔を合わせるが、以前の彼とは違って見えた。大阪で腕に怪我を負ってからは剣を握る事もなくなり、池田屋の時も屯所警備と言う名の留守番組だった。本当は新選組の為にもっと働きたいと思っているだろにと。


「この世にはどんなに努力しても、報われぬ事の方が多い。ひとつの事に囚われていては、大事を逃す」

「え?」

「あまりひとつの事に目を向け過ぎるな。もっと広く視野を持たねば自分がられるぞ」

「でも、山南さんも大事な新選組の一人です」

「その一人の為に立ち止まってはいられないのだ。ついて来れぬ者は自然と淘汰される。それが世の流れだ」

「そんな……」

「あんたはもう町医者ではない、新選組の軍医なのだろう? その意味をもう一度考えた方がいい」


 そう言い残し、斎藤は静かに去って行った。


 新選組という組織を支えるための医者。倒れても戦える者は治療して、再び戦場へ送り返す仕事。助からないと判断した者を捨て行く仕事。誰か特定な人物に肩入れをする事は許されない。どんなに愛おしい者でも、倒れ使えなくなれば切り捨てなければならない。戦場は一秒だって待ってはくれない。新選組を勝たせる為だけに働かなければならない。

 それが、軍医だ。


「まるで鬼のよう」


 世の流れは激しく、立ち止まると望まぬ方へ流されてしまう。自分が自分らしくいる事が難しいのだ。土方も山崎も斎藤も新選組のみなが、その中で戦っている。


「私の考えが甘いのですね。それでよく軍医だなんて言えたものです。良順先生が言いたかった事は、こう言う事なのですね」


 鬼にでもならねばならぬ時がある。

 その時は、もうそう遠くない所まで迫っていた。

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