近くて遠い世界 7

「……どう、して? お姉ちゃんは? すみません、お姉ちゃんはどうしたんですか!?」

 集中治療室(ICU)にある空のベッドの前で、近くを通りかかった白衣の女性にユイが詰め寄る。


「え? あぁ、あなたは黒羽さんの妹さんね。大丈夫よ、黒羽さんなら病室へ戻ったわ」

「……戻った? なら、お姉ちゃんは……?」

「ええ、大丈夫よ。……だから、病院では静かにね」

 静にと茶目っ気たっぷりに忠告する女性の前で、ユイがへなへなと座り込みそうになったので、俺は慌ててその身体を支えた。


「あ、アル……ありがとう」

「いや、良いけど……それより、アリスは大丈夫なのか?」

「えっと……はい。病室に戻ってるそうです。いまから行ってみましょう」

 ユイに促されて踵を返す。背後から病院内では走らないようにねという声を聞きながら、俺とユイは足早に移動した。



 そしてやって来たのは、真っ白な廊下に並ぶ扉の前。ユイがノックをすると、一瞬の間を置いて、はいという透明感のある声が返ってきた。

 その声を聞くなり、ユイは部屋に飛び込んでいく。その後に続くと、窓際のベッドで、上半身だけを起こして横たわっている黒髪の女の子に抱きついた。


「わわっ。ゆ、優衣?」

「お姉ちゃん、よかった、目が覚めたんだね!」

「……うん、もう大丈夫だよ。ごめんね、心配掛けて」

 少女は黒い瞳を丸くするが、抱きつくユイの頭を撫でて微笑んだ。こちらの世界のユイと似た容姿を持つこの女の子こそがアリスだろう。

 もう死ぬかも知れないと聞かされていた俺は、アリスの無事な姿にホッと息をついた。


「……ところで、ユイ。お友達を連れてきたの? ……あれ? もしかして……うぅん、そんなはず、ないよね」

 アリスは俺を見て、おもむろに小首をかしげる。


「あぁ、その人は……お姉ちゃん、誰か分かる?」

 ユイがいたずらっ子のような口調で問い掛ける。空気を読んで、俺はアリスの視線に無言で会釈をするに留めた。


「分かるか聞くってことは、私の知ってる人、なんだよね?」

「うん、そうだよ」

「……なら、ネットの誰か……アルくん、じゃ、ないよね……?」

「わっ、凄い! どうして分かったの!?」

 ユイが驚きの声を上げるが俺も驚きである。容姿どころか性別まで変わってるのに当てられると思わなかった。


「……どうして分かったんだ?」

「えっと……なんだろう? アルくんと出会ったときと同じ感じがしたの。だから、もしかしてって思ったの」

「ふむ」

 姿が変わっていても気付いてもらえたっていうのはちょっと嬉しい。


「ところで、アルくんって……女の子だったの?」

「え? あぁ、いや、そういう訳じゃないんだけど……」

 どう説明したものかと迷っていると、ユイがおおよその事情を説明してくれた。TSアバターとか、俺には分からない単語が混じっていたが、どうやらアリスは理解したようだ。


「へぇ……この世界にログイン。なんだか、私達がNPCになったみたいな気分だね」

「それ、あたしも思った。けどもしかしたら、どっちも本当にある世界なのかもね」

 それ以外になにがあるんだと、俺はまたもや心の中で突っ込むが、アリスは本当にそうなのかもねと答えている。アリスまで、俺のいる世界が実在することを疑ってたようだ。

 なんでそんな風に思うんだろうな。


「……ところで、アリスは大丈夫なのか?」

「うん、見ての通り大丈夫だよ?」

「……本当か?」

 平然と答えているが、透けるような肌は少しだけ青白い。深窓の令嬢というか、病弱といっても過言じゃないほどに儚げな美少女っぷりを見せつけている。


「……どうしてそんなに疑ってるの?」

「ユイからアリスの容態がかなり悪いって聞いてたからだ」

「あはは、それはユイが大げさに言ったんだよ。ユイは心配性だからね」

「……お姉ちゃん」

「心配してくれてありがとうね。でも、見ての通り大丈夫だよ」

 ユイの頭を優しく撫でつける。たしかに元気そうだけど……ユイが心配性なだけって言葉で片付けても良いんだろうか?

 いまこうして元気なんだし、ひとまずは大丈夫だと思うけど……


「まあ、アリスが無事ならよかった」

「そういえば、アルくんはもしかして、あたしのお見舞いに来てくれたの?」

「ああ。ユイから事情を聞いて、居ても立ってもいられなくてさ」

 なんとか出来ないか必死に考えたら、この世界にログイン出来たと、さっきユイが説明してくれた内容と絡めて答える。


「そう、なんだ。心配掛けてごめんね。それと、来てくれてありがとう。せっかく来てくれたのに、なにもおもてなしできなくてごめんね」

「あ、それじゃあたしが飲み物を買ってくるよ」

 ユイが立ち上がる。


「それなら私が行くよ」

「お姉ちゃんはまだ歩き回っちゃダメ。それに、アルと話したいでしょ?」

「……もう、ユイったら。ありがとう」

 苦笑いするアリスを尻目に、ユイが軽やかな足取りで病室を出て行く。そうして残された俺は、どうしたら良いのかなとアリスを見た。


「えっと……その、座ってくれるかな?」

「あぁうん。ありがとう」

 ベッドサイドにあった椅子に座り、目線が同じくらいになったアリスに視線を向ける。サラサラの黒髪に縁取られた小顔には、アリスの面影がたしかにある。

 どっちのアリスも同じくらい美人だけど、こっちのアリスは儚げな美少女で、あっちのアリスは健康的な美少女といった差異がある。


「アルくん?」

「あぁ……ごめん、アリスの容姿が気になって」

「あはは……こっちはそんなに美人じゃなくてがっかりしたんじゃない?」

「いやいや、どっちのアリスも凄く美人だと思うぞ?」

「あ、ありがとう。えっと、その……ア、アルくんも美人さんだよね!」

 ちょっぴり照れくさそうなアリスが捲し立てた言葉に、俺は苦笑いを浮かべた。


「……たしかに、鏡を見て美人だって思ったけど、自分の顔じゃないから褒められても微妙だな。なんでこうなったのか不明だし……」

 まるで他人に乗り移ってるような気分だ。ただ、頼りないとかそういう感覚がほとんどないので、もしかしたらもとの身体と同じくらいのスペックは在るのかもしれない。

 ……見た目は華奢な女の子っぽいけど。


「それにしても、どうしてアルくんはこっちの世界に来られたんだろう? 他の人達もみんなも、アルくんと同じように来られるのかな?」

「……いや、それはないと思う」

 ステータスウィンドウに表示された項目を思い出して答える。


「どうしてそう思うの?」

「女神の加護って表記がステータスウィンドウにあるって言っただろ? ログインは、その加護の能力としてあったんだ。だから、他の連中にはないと思う」

 もちろん、加護持ちがいれば別だけど、何人もいたりはしないと思う。


「そっかぁ……不思議だね。でも、こっちの世界でもアルくんに会えて嬉しいよ。あらためて自己紹介をしておくね。私はアリステーゼの中の人、黒羽(くろばね) 咲夜(さくや)だよ。よろしくね」

「あ、ああ、よろしく」

 アリスが俺の手に触れてきたのでちょっとびっくりした。


「ところで……ティーネちゃんのこと、ごめんね。私、結局なにも出来なくて、ずっと気にしてたんだけど、どうなったのかな?」

「あぁティーネなら大丈夫だ」

 ティーネがポーションを開発したこと。そしてウォルフに認めてもらって、なにやら助かったこと。後日話し合いをすることを伝える。


「そっか……任せっきりでごめんね。私、無責任だったよね」

「まったくだ。いくらなんでも、一日も来ないなんてあんまりだ」

 俺がぶっきらぼうに言い放つと、アリスは反論一つせずに寂しげにごめんと呟いた。

 だから……


「だから……次はちゃんと手伝えよ?」

「……え、それって……」

 視界の端でアリスを捕らえると、困惑しているのが分かる。だけど、不意に察したかのように黒い瞳を見開いて、続いて蜂蜜のように甘い微笑みを浮かべた。


「うん……うんっ。次はちゃんと手伝うよ、きっと」

「……ああ、待ってる」

 約束だ――と、声には出さずに呟いた。

 その直後、視界の隅にログイン限界まで00:01:30と表示されていることに気付いた。なんだこれ? ログイン限界?

 徐々に減ってるってことは、これがゼロになったら戻されるのか?


「……アルくん?」

「あぁなんか、そろそろ戻らないとダメみたいだ。あと一分ほどで戻されるみたいだ」

「そう、なんだ。残念だけど仕方ないね。今日はお見舞いに来てくれてありがとう」

「ああ。お礼ならユイに言ってくれ。あいつが迎えに来てくれたおかげだから。あ、俺がお礼を言ってたとも伝えてくれ」

「うん、分かった。それと……私も、出来るだけ早く様子を見に行くね」

「ああ、待ってる」

 そんな風に会話を終わらせて表示を見ると、まだ少し数字が残っている。なんだろう? この微妙に残った時間。なにか、話した方が良いのかな?


「あ、そうだ、アルくん」

「う、うん?」

「コノハのライブ見たんだよね?」

「あぁ、見たよ。チケットありが――」

「――どうだった?」

 アリスが身を乗り出して詰め寄ってくる。


「どう? そうだな……悲しげな音色だけど、透明感があって凄く綺麗な歌声だった。聞き惚れて、あっという間に終わっちゃったんだよな」

「そうなんだ? コノハに惚れちゃったんだ?」

「いや、聞き惚れたって言ったんだが……」

「そっか、そっかぁ~」

 一応訂正するが、アリスはなぜかニコニコ顔でこっちの話を聞いてない。そうこうしているうちに残りの数字がゼロになった。

 アリスがふわりと微笑む。その光景を最後に、俺の意識はブラックアウトした。

 

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