彼女が生きられる世界 12

 司会のお姉さんに呼ばれ、深窓の歌姫――コノハが淡いブルーのドレスを翻しながら、ゆっくりとステージの真ん中に上がった。

 司会のお姉さんとは対照的に清楚で美しい女性。

 銀色に煌めく髪をなびかせ、ゆっくりと客席を見回していく。その瞳は左右で色が異なっている。右の夜空のように青い瞳と、左の太陽のような金色の瞳。

 神秘的な容姿を持つコノハが舞台に立つと、客席がシーンと静まり返った。


 コノハはマイクと呼ばれる魔導具の拡声器の前に立つと、どこからともなく明るい音楽が流れ、それに併せてコノハが伸びやかに歌い始める。

 透き通るような声が会場を包み込んでいく。


 透明感のある歌声に魅せられ、あらゆるしがらみから心が解放されるような錯覚を抱く。

 思わず目を閉じて聴き入っていると、コノハは次がラストの曲だと宣言した。ライブは二時間くらいと聞いていたのだけど、楽しい時間は一瞬で過ぎ去ったようだ。


 もっと聴いていたい。そんな衝動に駆られるなら、静かで悲しげな音楽が流れ始める。コノハはその音楽に声を乗せ、優しくも儚げな声で歌い始めた。

 その歌詞は、愛する者を残して死んでいく女性の哀愁を歌っているようだ。

 自分がもうすぐ死ぬことを嘆き、愛する者を残して逝くことに恐怖する。その感情を乗せた歌声は綺麗だけど、聴いているだけで胸が締め付けられるような思いを抱く。


 それと同時に、誰かを失ったときの感情が引き出された。失った相手が誰かは分からない。だけど、俺は大切な誰かを失っている。

 そんな感覚を、悲しげな音色が引き出していく。

 彼女は紛れもなく深窓の歌姫だった。


 Aパートが終わると、コノハは伴奏に乗せて静かに語り始める。


「私は子供の頃から病を抱えていて、入退院を繰り返してる。成人までは生きられないだろうと言われた私は十七歳になった」

 突然の告白に、俺は息を呑む。それが歌の一部なのか、それとも彼女自身のことなのかは分からない……けど、その言葉には真実味がある。


「あと三年……生きられるかな? 生きられると良いな」


 セリフに引き込まれて、そんな悲しいことは言わないでくれと叫びだしたい衝動に駆られる。会場中のそこかしこで、俺と同じ感情が言葉になって溢れた。

 これが演技だとしたら、彼女は物凄い演技力だな。


「……リアルの私はもう歌えない。私はもうすぐ死んじゃうかも知れないけど、私が死んでも悲しまないで。私は――あなたの幸せを願ってる」


 穏やかに、けれど力強く言い放ち、やがて間奏が終わる。その後に続くBパートから最後まで、コノハは切なげに歌い上げた。


 それからコノハはアンコールに応え、最後に挨拶をして舞台を下りていく。鳴り止まぬ喝采に紛れ、隣の席からわずかに嗚咽が漏れ聞こえてくることに気付いた。

 チラリとを横目で見ると、ティーネは目元に涙を浮かべていた。俺の視線に気付いたティーネは少し恥ずかしそうに涙を拭う。


「さっきの歌の話、本当のこと、でしょうか?」

「どうなんだろう? 真には迫ってたけど……」

 冷静に考えると、歌詞の一部だったんじゃないだろうか? そうじゃなきゃ、彼女はミレーヌさんのような容態だと言うことになる。

 だとしたら、あんな風に振り付けありで歌うなんて出来るはずがない。


「彼女のプロフィールは謎に包まれているけど、病弱なのは本当だそうよ。子供の頃からずっと、入退院を繰り返しているんですって」

 ティーネの向こうに座っていたユイが身を乗り出して答える。


「病弱なのは事実なのか。でも冷静に考えると、ティーネが知らなかったし、プレイヤー一族の中で大人気ってことは、彼女ってプレイヤー一族だろ?」

「そうだけど?」

 それがどうしたのと言いたげだけど、こっちこそだったらどうしてと聞きたい。


「プレイヤー一族は死んだって生き返るはずだろ?」

「あぁ……いえ、それは誤解よ。プレイヤー一族は別に不死身じゃないわ。こっちの世界で殺されても死なないだけ。リアルでは、簡単に死んでしまうこともあるわ」

「そう、なのか……」

 彼女が死ぬかもしれないと聞かされ、胸がざわつく。今日初めて見かけた赤の他人のはずなのに、こんな気持ちになるのは……失った記憶のせい、なのかな。


「彼女は幼い頃から入退院を繰り返していて、やりたいことをなにも出来なかったそうよ。だけど、諦めなかった。ダイブ型のVRの世界に飛び込んで夢を叶えた」

 ユイがそんな風に切り出し、ティーネをじっと見た。


「あなたに、アリスから伝言よ」

「アリステーゼさんから伝言、ですか?」

「ええ。伝えるわよ? 『ミレーヌさんはきっと、あなたが強く生きることを願ってる。だから、望まぬ結婚なんかに逃げないで、幸せになれるようにがんばってみようよ』だって」

「結婚に、逃げない?」

「そうよ。辛いときは、もう無理だって諦めたくなる。だけど、諦めずにがんばれば、欲しいものが手に入るかもしれない。その可能性を、あなたは諦められるの? あなたが望んでるのなら別だけど、二十以上離れたおじさんと結婚なんて、本当は望んでないでしょ?」

 ユイの問い掛けに、ティーネは少し迷った末にこくりと頷く。


「なら教えて? ティーネは、本当はなにを望んでるの?」

「私は……ただ、お母さんを助けたくてポーションを作ってただけ。です。だから、お母さんが死んじゃったいま、私に望みなんて……」

「本当に? ポーションを作るのは、本当にお母さんのためだけだったの?」

「それは、違う……けど……」

 俯いたティーネがぼそぼそと呟くが、休憩をする数千人規模の雑音に掻き消されて聞こえない。けど、俺にはティーネの想いが分かった。


 ティーネは母親を救うためだけじゃなくて、ポーションを作ることも楽しんでいた。

 だけど、だからここそ、母親が死にゆくときに側におらず、ポーションを作っていたことを悔やんでいる。母親のことより、自分のことを優先したように錯覚しているのだ。

 ミレーヌさんの最期の言葉を伝えるのなら、今をおいて他にはない。


「ミレーヌさんは最後まで、ティーネを残して死んでいくことを悲しんでたよ。そして、自由に生きて、幸せになって欲しいって、そう願ってた」

「……え?」

 どうしてそんなことを知ってるのとばかりに、ティーネの目が見開かれる。


「ミレーヌさんが最後の力を振り絞って、このあいだのネックレスと、いまの遺言を残したんだ。だから、正真正銘、ミレーヌさんの最期の言葉だ」

「お母さんが、そんなことを……」

 ティーネは首に掛けているネックレスをきゅっと握り締める。


「私……良いのかな? お母さんのためにポーションを作り始めたはずなのに、お母さんを助けるどころか、お母さんの最期を看取ることも出来なかった。そんな私に、これからもポーションを作る資格なんて、あるのかな……?」

「資格なんて、関係ないだろ?」

 俺はポンとティーネの頭に手を置いた。


「ミレーヌさんは、ティーネのことを愛してる。だから幸せになって欲しいって願ってた。それに、ティーネがミレーヌさんの死に目に会えなかったのは俺のせいだ」

「え? ち、違うよ。アルベルトさんは悪くないです!」

 ティーネが目を見開いて否定する。

 だけど……ティーネに選択肢を渡したのは俺だ。いくら可能性が低くても、あんな風に言ったら、ティーネが諦められるはずがない。

 そう分かっていて選択肢を示したんだから、あの結果は俺が引き起こしたも同然だ。

 だから――


「あれは俺のせいだ。ティーネが気に病む必要なんてない」

「……アルベルトさん。……いいえ、あれは、私が選んだ結果です」

 たとえティーネに恨まれても、俺のせいだと言い張るつもりだったけど、ティーネは俺の意見をきっぱりと否定した。


「護ろうとしてくれて、ありがとうございます。でも、もう大丈夫です。私、がんばってみます。お母さんは助けられなかったけど、もう二度と同じ後悔をしないように」

 だから、協力してくれますか――と、問い掛けるティーネは不安に押し潰されそうな表情を浮かべている。自分の望みを叶えるために、無難な人生を投げ捨てるのだから当然だ。

 だから――


「俺が力を貸す。ミレーヌさんの代わりに、ずっと」

 ティーネが必要とする限り、最後まで面倒を見ることを誓った。

 

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