第11話:王都とお忍び

 王都「ベラ・ヴィネストリア」。

 このイシュタリア王国最大の都市に入るには、二つの門のうち、どちらかから入ることになる。


 貴族以上は「星樹門」を通り、貴族街に早めに入る事が出来るようになっている。

 イシュタリア公家、つまりは王族である俺たちは当然、星樹門を通ることができるわけだ。


「ここが王都なんですね……」

「まだ、入ったばかりのところにある一般街だけどね」

「アタシ、あんまり覚えてないわ!」


 今通っているのは一般街。

 平民が住む地区だ。

 といっても、星樹門側はどちらかというと高級住宅地に分類され、大商人とか、ギルドのお偉いさんとかの家が軒を連ねているらしい。


 ちなみに姉は、以前ダンスのレッスン関連で王都に一度だけ来たらしい。

 まあ、本人が今言ったとおり、あまり覚えていないらしいが。


「もうすぐ魔導具ギルド本部に到着いたします」


 ミリィが口を開く。

 この馬車は少し回り道をして、魔導具ギルド本部に向かっている。

 マジックポットの件を報告すると同時に、今回の事件についても報告をするためだ。

 いくら帰り道の話とはいえ、元々は魔導具ギルドと道具ギルドの支部同士のぶつかり合いが発端であるからだ。

 ちょっと嫌そうな顔をしながら、ノエリアさんが馬車から降りる。


「……そうだわぁ、わたしぃ魔導具ギルドの本部に行かなきゃいけないからぁ、ここでお別れねぇ」

「ああ、そうでしたね……残念です」

「んもぅ、いつでも来てくれて良いからねぇ〜?」


 ぎゅーっ。


「アンタ、何ノエリアさんにデレデレしてんのよ!」

「い、いふぁいいふぁいでふ痛い、痛いです


 ギューッ!

 また姉につねられた。今度は頬を。


「ふんっ!」

「いたた……じゃあ、また。ノエリアさん」

「えぇ」


 馬車が動き出す。

 ノエリアさんは手を振って、見えなくなるまで見送ってくれたのだった。


 * * *


 王都の中を、俺たちが乗る馬車が進む。


 一般街は活気にあふれ、市場を人が行き交っている。

 逆の窓からは、食堂の外テーブルに座る人族と猫人族のカップルや、狼人族の家族が、楽しそうに笑い合いながら食事を摂っている。


 市場ではエルフとダークエルフが、お互いに食物や嗜好品など、様々なものを売買しながら生活に彩りを添えていく。

 時にはドワーフの鍛冶師の鎚の音が聞こえ、人族の弟子達を叱咤する声が響く。

 大柄な鬼族の冒険者が大きな武器を抱え、物珍しそうにこちらを見てくる。


「なんて生き生きしているんだろう……」


 ここまで多種多様な民族がおり、お互いを認めながら生活している。

 子供たちも外を遊び回り、大人に怒られて拳骨を落とされる。


「また黄昏れてるわよ」

「何だろうね、無駄に似合ってはいるけど」


 そこ、うるさい。

 元々日本人だったわけで、こういう他民族交流って憧れるんだよ。


「本当、良い国ですよね……」

「ああ、それは認めるよ。本当にね」

「ま、それがこの国ってものだからね」


 ちょっとした呟きだったが、兄も姉も聞いていたらしい。

 だが二人とも素直にそれを認めていた。


 しばらく馬車が進むと、今度は高級感のある店が建ち並んでいる。

 あまり街道を歩くよりも、皆馬車を待っているのか店の前の辺りで立ち止まっている。


「ここは高級住宅地だね。もうすぐ貴族街だよ」

「そうなんですね」


 一般街も面白そうだが、こういう店にも行ってみたいな。


「少しくらい、王都で外出できないでしょうかね……」

「うーん、少なくとも俺やセルティは無理だね」


 そう言って、兄が笑う。


「普通、五歳の子が剣を腰に下げて外出する方がおかしいんだよ?」

「ふふっ、それはそうですね」


 馬車は進む。

 町並みを眺めていると、ついに塀で区切られたエリアに入っていくようだ。

 通過する時に見ると、衛兵らしき姿が数人見受けられた。


「貴族街に入ったみたいですね」

「そうね。衛兵がいたし」


 姉も気付いたようだ。

 しかし、一体いつになったら王都の邸宅に着くのだろう。

 既に数十分は馬車で動いているが、まだのようだ。


「まだ着きませんね」

「ん? そりゃそうだよ、真ん中だからね」


 ん? 真ん中?

 中央はそれこそ王城しか無いはずだが。


「あれ、聞いてない? うちの邸宅は、『公ぐう』っていって、王城の中だよ?」

「……はぁ、聞いていませんね」

「……あー、驚かそうと……なんかごめん」

「いえ……」


 惜しい結果ではあるが、まあ、驚いたのは事実なので何も言わないでおこう。

 しばらく走ると、遂に中心部である王城に到着する。

 ちょうど良いタイミングで王城の門が開き、馬車はそのまま中に入った。


 王城内には、更に何個もの建物があるようだ。

 どれも綺麗な造りで、歴史的な雰囲気と同時に、高貴さだろうか、独特の張り詰めたような雰囲気も感じる。


 向こうには王家の住まいである「王宮」が見える。

 他にも庭園や噴水など、美しく整えられた広場もあるようだ。


 しばらく進むと、美しい庭園の向こうに王宮より小さめの建物が見える。


「皆様、公宮に到着いたしました」


 馬車が止まると同時にミリィが口を開く。

 時を同じくして、馬車の扉が開いた。

 ミリィが降り、扉の傍に控える。


「さあ、降りようか」

「いえ、兄上は最後です」

「うわっと!」


 勢いで降りようとする兄の襟首を掴んで止め、先に降りる。

 確定ではないとはいえ、跡継ぎである兄は後で降りなければいけないのだ。

 断じて先に見たかったわけではない。断じて。


 腰の細剣を左手で掴みながら、馬車から降りる。


「さあ、姉上」

「ありがと」


 周りを確認してから、姉の手を取り馬車から降ろす。

 最後に横に避けて、兄が出るのを待つ。


「よっと……!」

「お疲れ様です、兄上」


 馬車は少しばかり高さがあるので、勢いを付けて兄が降りる。

 兄を労うと、ジト目を向けられてしまった。


「しれっとしているけど、襟首掴んだよね?」

「それは兄上が悪いのです」


 掴んだのは確かだが、理由があるのだ。


「安全性を考えれば、一番最後が兄上なのですから。立場を考えてください」

「いや……王城だよ? 滅多なこと無いと思うけど」

「今のうちから慣れておくべきですから、身体に覚え込ませようと思いまして」

「お前ね……」


 兄が呆れた顔をしている。

 意外と兄は先に出る癖があるから、父からも注意されていた。

 だからあくまで注意しただけである。物理的に。


 通常貴族の場合、馬車から降りる場合はまず護衛が周りを確認し、合図と共に同乗している従者、そして家人の序列に従って降りていく。跡継ぎや当主は一番最後だ。

 これは小さい頃から慣れておかなければいけない。いくら王城内だからといって、注意しなくて良いわけではないから。

 だからこそ、ミリィ、俺、姉、兄の順で降りたのだ。

 だから何度も言う。兄の問題である。


 少し不服そうな顔をする兄は放置して、目の前の建物を見る。

 白を基調としている中で、重厚感のある玄関の扉には鏡板が張られており、それにも細かな装飾が施されている。

 外壁や門柱も装飾が施されており、ライプニッツ公爵家の竜の紋章も見受けられる。

 明らかに「超豪邸」である。というよりもはや宮殿と呼んでもおかしくないレベルである。


「さて……ここですね」

「ええ、そうよ!」

「ようこそ、王都の『公宮』へ」


 * * *


「……尋常ではなく広いですね。しかも調度品が高級品ばかりではないですか」

 

 エクレシア・エトワールの邸宅には慣れていたが、この公宮の広さと高級感は格別だ。

 ざっと見ても、領都邸の倍は軽くあり、総資産額でみたら、倍なんて目ではない。

 大理石の床は磨かれており、自分の顔すら映るのでは……と思うほど。


「そりゃあそうだよ。公家なんだから、相応のものを俺たちは使わないと」

「税金の無駄では?」


 あれは有名な画家の作品だし、花瓶も高級な花崗岩で出来ている。

 エントランスは吹き抜けで、天井にはシャンデリアが見える。あれは魔導具かな。


 ライプニッツ公爵家は領地を持ち、かつ高級官僚も務めるので、給与と領地からの税金という、二つの収入がある。

 とはいえお金は有限である以上、ある程度整える必要はあったとしても、領都の邸宅よりこれほどまでに高級にする必要があるのだろうかと考えてしまう。

 それともこういう風に消費して、経済を回すのだろうか。

 これも王族と呼ばれるからこその責任なのだろうか。


 そんな事を考えていたら、上の方から声がした。


「おお、着いたかお前たち。ようこそ、公宮へ」

「あら、無事に着いたのね♪ 良かったわ」


 エントランスの左右には赤い絨毯の敷かれた階段があり、両親が階段を下りながら話しかけてきた。

 二人とも既に服を着替え、通常よりも高級感のある服に身を包んでいる。


「父上に母上も。お待たせいたしました」

「お父様、お母様! やっと着いたわ!」

「父上、母上。ただいま参りました。お待たせしまして、申し訳ありません」


 三人で挨拶する。

 よく見ると、父は普段着用しているものより装飾が多く、高級感のある軍服に似た服装をしていた。ついでにマントも着けている。

 全体として黒を基調とし、金色のモールの装飾が施された詰め襟の上着。その上にサッシュという飾り帯を掛け、勲章を何個も付けている。

 首元には紫色のアスコットタイがワンポイントになっており、スラックスは白で銀色の装飾が施されている。


 母は普段の黒いワンピースではなく、豪奢なローブと夜会のドレスを着ており、手元には大きく紅い魔結晶の付いた細身で装飾の多い杖を手にしている。

 肩を大きく出し、豊かな胸元はそこまで大きく露出させていないものの、明らかに艶のある雰囲気であった。

 恐らく十人いて十人が振り返る、そんな美しさであった。


「しかし……父上は格好良いですし、母上はさらにお綺麗ですね。どうされたのですか?」


 素朴な疑問である。

 わざわざ出迎えのためにこんな豪華な格好をしたわけではあるまい。


「格好良いか! よかった——「あら! 嬉しいわね♪ お母さんハグしてあげるわよん!」」


 おかしい。さっきまで階段の所にいたはずの母に、気付いたらハグされていた。

 そして母上。流石に父上の台詞に被せるのは可哀想です。

 ほら、父上がなんとも微妙な表情になっていますよ。


「ええっと……何かあるんですか?」


 もう一度聞いてみる。


「ああ……基本的に王城に着いたら、私やヒルデは宮殿に上がり陛下に報告するのだ。だからこういう服装をするんだよ」

「それで正装なんですね」

「そうよん♪」


 両親は到着してすぐに登城しなければいけないようである。

 だが、本来はおかしい事である。


 いくら王家と姻戚関係を持っていたとしても、本来、王城には「招かれる」ものだ。

 しかし、うちの場合は、正確に言うと「帰還」となるらしい。

 そのため、当主と当主の夫人は、王城に着いたら「帰還の儀」という到着報告の式に参加する。


 なんでこんなことをするのか。

 その答えは、ライプニッツ公爵家の成り立ちに存在する。


 元々、ライプニッツ公爵家の初代である「竜騎士」が、初代国王の「騎士王」の弟であったことは誰もが知っている話だ。

 そして、竜騎士にとって騎士王は守るべき存在であり、自分が領地を持つ、ということ自体考えられなかったようである。

 そのため彼は頑なに、「俺は陛下から土地を下賜されたのではない、委託されただけなんだ! だから、俺の本来の家はここだからな!」と言い続け、折れた騎士王が、「竜騎士の場合は帰還でいい、たまに帰ってくるくらいで良いから、本当にたまにで良いから」と言ったそうだ。


 結果、いつの間にやらライプニッツ公爵家は王城内に別邸を構え、王城に着いた際には「帰還の儀」によって迎えるべし、という明文化された慣習となってしまった。


 それは到着してからの謁見に始まり、晩餐会で終わるため、子供たちは待機である。

 勿論従者がいるので、食事とかは問題ないのだが……


「(何をしようか。ノエリアさんはここにはいないし……)」


 俺にとってはとにかく暇な時間なのである。

 それなら魔導具を作るための材料を持ってきておくべきだった。


「兄上と姉上はどうされるのですか?」

「俺は騎士団に稽古を付けてもらうんだ、レオンも来るかい?」

「アタシはムザート夫人のダンスレッスンよ? アンタ、パートナーなんだから来なさいよ」


 成る程……どちらも暇つぶしには捨てがたい。

 でも、今のところは王都を見てみたいのだ。

 まだ夕方にもなっていない。折角だから見てみたい。

 それに魔導具作りの材料も欲しい。


 こうなったら……


「父上」

「どうした?」

「外を見に行きたいです」

「……はぁ、言うと思った。良いだろう。だが、ガインを連れて行け」

「勿論です」

「十分気を付けるんだぞ。お前は何かにすぐ首を突っ込みそうだからな……」


 父の呟きは気にしない。気にしたらフラグが立ちそうだから。

 さあ、外出許可が貰えた。思い立ったが吉日なので、すぐに出発することにしよう。



 * * *


「さあ、ガイン。よろしく頼むよ」


 外出のために普段の服ではなく、庶民的な服にする。

 それに革の胸当てとブーツ、グローブを着け、パッと見冒険者の真似をしている少年だ。

 一応フード付きの服にしているので、顔が簡単に隠せる。

 腰には細剣と、数本の投げナイフを差しておく。


「ええ、ええ。きっと自分だと思っていましたよ……やっぱり、外出許可出たんですね……」


 目の前に立つガインも、普段見ている格好ではない。

 いかにも冒険者らしい鎧と、長剣を腰に差している。

 ……顔は渋い表情であるが。


「そりゃあそうさ。今更、僕の外出を止められるはずがないからね」

「……とにかく、危ないことはやめてくださいね。で? どこから行くんです?」

「まずは腹ごしらえかな」


 * * *


 王都の一般街。

 その市場が並ぶ通りには、数多くの屋台や露店が並び、良い香りを漂わせている。

 肉を焼く香り、何か香草の香り、パンの香り。


「これぞ旅行の醍醐味だな」

「……いや、旅行ではありませんから」

「初めて来たんだ、旅行だろう?」

「…………ええ、そうですね」


 そう言いながら、俺は屋台の串焼きを買おうと並ぶ。

 一般的に、この世界で「肉」というと魔物の肉となる。

 畜産もなくはないが、コストを考えると魔物の狩猟に頼るほうが楽なのだ。


 この串焼きの屋台で売られているのも魔物の肉。

 「バイソン」系と呼ばれる牛のような魔物で、ここはホワイトバイソンの肉を串焼きにして販売している。

 香りからすると、塩コショウだろうか。


「お、坊や! 何本だい?」

「なっ……! おい――」

「おじさん、2本ちょうだい! いくら?」


 ガインが店主に何か言いそうだったので慌ててカットする。

 お忍びなんだから。


「お、1本で銅貨3枚だから、6枚だな。だが特別に5枚にしてやる! ほらよ!」

「ありがとう、おじさん!」


 ちょうど焼きたてを貰うことが出来たので、1本をガインに渡す。


「ほら、ガイン」

「あ、ありがとうございます……」


 ガインは何故かやたらとかしこまっている気がする。


「いいから。それにお忍びなんだからもう少し楽にしたら? 怪しいよ」

「そ、そうは言われましても……どうしたら良いのか……」


 ガインに聞いてみると、実はオルセン子爵家は結構堅物らしく、お忍びで出かけるとかしたことはないらしい。

 それで、こういうところで何をしたらいいのか、どうすれば怪しくないか分からないらしい。

 勿体ない。


「とにかく、ガインはどこぞの騎士崩れの冒険者、僕はその弟で冒険者の真似をしている、ってことで」

「それ、無理ありませんか?」

「でもそうでも言わないと変だよ。とにかく、折角の串焼きだから冷める前に食べよう」

「あっ!」


 串焼きにかぶりつく。

 うーん、美味い。肉の味がしっかり分かるが癖はほぼ無い。

 脂も適度に感じつつ、でも重くないのだ。


 といっても、ホワイトバイソンはバイソン系では一番安い。

 レッドバイソンとか、ブラックバイソンはどれだけ美味いのだろうか。

 いずれ自分で狩りに出て、手に入れてみたい。


 串にかぶりつきながら他の屋台も見る。

 他の屋台では、豚に似た定番の「オークの串焼き」だとか、ジャージャー麺らしき汁なしの麺類だとか、数多くのものが売られている。

 子供の身体なので、食べられる量には限界があるのだが。全く恨めしい。


「レオン様……さっき毒味もさせずに食べましたね……」

「逆にこういうところの方が安全だよ。僕としては、決まったテーブルに着く食事会とかの方が怖いよ」

「それは……否定しませんが。でも、流石に問題ですよ」


 あらら。ガインに説教されてしまった。


「大体、ハリー殿下にはあれほど厳しいレオン様です。ご自身も厳しく律されませんと……」

「兄はまだ分かってないし、慣れていない。僕は分かっててやっているから問題ないんだよ」

「その方が問題でしょう……大体、兄をダメ出しする弟がどこにいるんですか……」

「ここにいるけど。——お、あれも美味しそう。食べようかな」


 強制的に話を逸らして終了させる。

 ガインは後ろでため息をつきながら追いかけてくる。


「おじさん、これください!」

「おうよ!」


 今度は揚げパンのようなものを売っている屋台があった。

 なんとなく、サーターアンダギーとかを彷彿とさせる形状と香りだ。


「ん、甘い!」

「そうだろう、そうだろう! こいつは『ビッグ・ビー』の蜂蜜を使ったんだ!」

「美味しいし、これ良いね! でも、蜂蜜は高いんじゃない?」

「まあ、自分で狩りに行ってるから、仕入れは安いんだ。それに、色々な人に食べて欲しいじゃねぇか!」


 確かに。

 甘味というのは基本的に高いのだ。

 砂糖だって非常に貴重であり、生産方法を見つければ大儲けできると言われている。

 特にこの国は北寄りのため、亜熱帯と言えるような土地がないのだ。

 それで、砂糖については他国からの輸入をするしかない。


 この男性は、少しでもみんなに楽しんでもらいたい、その一心でこのような屋台をしているのだろう。

 実際このお菓子は、銅貨5枚だったのだ。

 これならば庶民でも手が出しやすい。


 そんな事を考えながら、この揚げパンに齧り付く。

 すると、店主が声を掛けてきた。


「なあ、こいつなんだがよ」

「ん?」

「まだ、名前がないんだ。何か思いつかねぇか?」


 おや、名前が決まっていないお菓子か。


「でも、これはおじさんが付けた方が良いんじゃない?」

「いや、どうにも決まらなくてな……こういうのは子供の方が思いつきそうじゃねぇか!」

「うーん……」


 本音、これを食べた瞬間思いついたものはあった。

 でもそれを付けて良いのだろうか。


「なあ、頼むぜ坊や」

「じゃあ……『ドーナツ』で」

「ほう……『ドーナツ』か……」


 そう言うと、店主は黙り込んでしまった。何か考えているらしい。

 お気に召さなかったかな?


「良い名前だな! こいつなら覚えやすいし、わかりやすいな!」

「でしょ?」

「おう! ならこいつは『ドーナツ』だ!」


 この世界にドーナツが誕生した瞬間である。

 この後この屋台は大成功し、店主は国を超え多数のチェーン店を経営することになった。

 そのため彼はミスター……これ以上は言わないでおこう。それが身のためである。



 * * *


「うーん、美味かった」

「レオン様、その言葉遣いは如何なものかと……」

「まったく、ガインも早く慣れなよ」

「いや、自分悪くないですよね……」


 屋台でしこたま食べたので、そのまま露店を見つつ材料探しをする。

 そうやって一般街の通りを歩いていると。


「た、助けて!」


 助けを呼ぶ声だ。

 それも恐らく若い、女性の声。

 あまり大きな声ではなかったが、俺だけでなくガインも気付いたらしい。


「レオン様!」

「ちょうど良い腹ごなしだな。行くぞ!」

「はっ!」


 細剣の柄に手を掛けながら走る。

 どうも次の道を曲がった所のようだ。細い路地の向こうに、少し空き地と思わしき場所がある。


「い、いや……助けて……」

「ふん、こんな所には誰も来ねぇよ。さあお嬢ちゃん、観念しな」


 いかにもテンプレなチンピラである。

 狐人族の姉妹を数人で囲んでいるようだ。

 恐らくこのままでは悪い結果しか見えないので、二人でそのまま飛び込もうとしたところ、別の方向から女性の声がした。


「あら、何をしておられますの? 弱いものいじめは、紳士らしからぬ行動ですわよ」

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