第2話 あの日のままの少女

 一本の街灯が見えた。切れかけの蛍光灯が不規則に点滅している。寒い時期だから明かりに群がる羽虫はいない。街灯の背後には古いマンションが立っている。見上げると、いくつかの部屋に明かりがついていた。

 マンションの敷地と路地は、ブロック塀で隔てられている。塀は今にも倒れてきそうな不穏な空気をまとっていて、じりじりとこちらに迫ってくるような気配すら感じる。


 深広は息苦しくなって、コートの首元を引っ張った。


 どこかの部屋から、白々しくお笑い番組の音が聞こえている。それに合わせて、しわがれた笑い声も断続的に聞こえる。


 濁った空には星ひとつ見つからなかった。うっすら明かりを帯びて灰色をしている。毒ガスが充満したビンの底にいるみたいで、息苦しさが増してゆく。


 ドサッ。深広がマンションの横を通り過ぎたとき、重たい何かが地面にたたきつけられるような音が背中越しに聞こえた。


 音に驚いた深広は、肩を縮ませて、体を硬くした。後ろの音に耳を澄ませる。

 ヒック、ヒック、と微かな息遣いが聞こえた。過呼吸に悶えているような苦しそうな音だった。後ろに誰かいる。数メートル後ろから、はっきりとその気配を感じた。

「誰っ?」


 深広は意を決して振り返った。すると、街灯の下に、セーラー服を着た少女がうずくまっていた。少女はひざを抱えて丸くなり、頭をひざに押し付けるようにして、声を殺してすすり泣いている。


 あの制服……。

 少女が着ていたのは、深広の出身校の制服だった。深広が通っていたころは女子高校だったけれど、三年前に共学化されて、今は男女ともに制服はブレザーになっている。でも、少女が着ているのは、三年前までのセーラー服だった。


「ねえ、どうしたの?」

 近づいて声をかけると、少女はずヒッとしゃくりあげた。けれども、顔は腕の中にうずめたまま、こちらを向こうとはしなかった。

「もしかして、あなたは歩美ちゃん?」

 心当たりのある名前を呼んでみる。すると、少女は何度か鼻をすすり、ゆっくりと顔を上げた。泣き腫らした目の下をセーラー服の袖でぬぐいながら、彼女はじっと深広の顔を見上げる。


「やっぱり、歩美ちゃんだったのね!」


 笑顔になった深広に、少女はきょとんと首をかしげる。

「お姉さんは誰なの? どうして私の名前を知ってるの?」

 深広は質問には答えず、少女に手を差し出した。


「この先に小さな公園があるの。そこで話しましょう!」


「うん、別にいいけど」

 少女は泣き止んで、深広の手をにぎった。その手は氷のように冷たくて、硬くも柔らかくもなかった。温度はあるけれど、感触がない。けれど曲げた指が途中で硬直してしまう。そんな感覚だった。

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