第5話 エロゲの王子様&小動物の女神様
教室の扉を開けると、そこはいつもよりガラリとしていた。
それもそのはず、時刻はまだ八時二十分。
ギリギリまで学校に登校したくない心理はどんな生徒だろうと持っている。
それこそ、今の時間帯で来ている生徒の方が格段に少ないのがその証拠だ。
わずかにいるのは成績優秀な生徒か、電車を一本間違えて早く来てしまった者くらい。
逆にいつもは遅刻スレスレでくる生徒とかは明らかに浮いていた。
俺とか
手慣れた仕草で、ポケットからイヤホンを取り出す。
これぞ、ボッチが使う奥義。~
おっと、ネーミングが厨二っぽいとか、そもそもお前に話し掛けるやつなんていねぇよ、などという辛辣なツッコミは遠慮していただきたい。
この技に意味などない。あるのは結果だけだ!
……なんかカッコいい決め台詞みたいになっちゃったが、実際はポーズをとりたいだけね。
リア充にはリア充の決められた、ポーズがあるように俺のようなボッチにも決められたポーズがある。
それがこの~
ルビの振られた文字が違うとかはスルーの方向でお願いします。
「お、珍しいな!
明朗快活な声がイヤホンから流れる音量を超えて耳朶に響く。
振り返ると、見慣れた顔が隣に立っていた。
「……なんだ
「いや、俺はいつも大体この時間に来てるけど。で、何で早いんだ?」
「……先生から呼び出し」
「さすが天! 相変わらずキャラ立ってるわ」
俺のことを天と呼びながら爽やかに笑いかけてくるこの男。
こいつの名前は
俺に話し掛けてくる数少ない男子の中の一人だ。いや、コイツ以外いないから数少ないとかないけど……。
爽やかなスポーツ男子のテンプレともいうべき外見に高身長な背丈。程よい清涼感を保ったままワックスでしっかりと整えられた茶髪のオサレヘアー。その上、お顔までよろしいという、おおよそ俺とは何一つ釣り合わないこのイケメン。
……タンスの角に小指でもぶつけたらいいのに。
しかし、俺に話し掛けているという時点で当然コイツにも重大な欠陥がある。
紫藤はひとしきり笑い終えると、ポケットから自分の端末を取り出し俺の前に差し出してきた。
「そうそう、でな! 昨日、ようやく最新作が出たんだよ。いや、もうイラストも過去シリーズ最高でさ! PVから気合の入り方がわかるっていうか——」
語る熱量が常軌を逸している。誰もそこまで聞いてねぇ。
こっそり、ポケットの中にあるスマホの音量を最大限にする。密閉型のイヤホンの最大音量とタメ張るとかコイツの声帯はスピーカーでも入ってんの?
液晶に映る画面は次々にシーンが変わっていく。
すると、あるシーンで紫藤は動画を停止させた。
「しかも、見ろよこれ! ようやく、あの純潔のムラマサにも個別ルートが出来たんだ!」
無理矢理見させられた画面には、一人の和服に身を包んだ少女が映っていた。
それもただのシーンではない。
両手首に縄を掛けられ地面に座らされている。その表情は恥辱に満ちていて、見ているとナニとは言わないがゾクゾクさせる。俗に言う「くっ、殺せ!」状態。通称、くっころさんだ。
衣服は乱れ、見えそうで見えないという、非常にもどかしいかつ、どこまでも夢に満ちたイラストだ。素晴らしい。
そんな感想が頭に浮かびながらも俺はいたって冷静に紫藤に声をかける。
そう、童貞とは常に紳士でいなくてはならないのだ。
童貞たる者、紳士たれ。学校で習わなかった?
「そうか」
「いや、ほんと最ッ高だよ。今回を含めて合計三部作の中で唯一のルートがなかった名脇役のムラマサにもようやくルートが出来たんだ! 刃姫のファンの中でも人気度高かったからな、ようやく出て一安心だよ」
爽やかなスマイルとは裏腹に、再び動き出した画面にはそのムラマサという少女が喘いでるシーンが映し出される。
だが、紫藤は気にした様子もなくそのまま会話を続ける。
「早く帰ってやりたいけど今日はパートナーとデートの約束してるし……めんどくさいな」
そう言いながら肩を大きく落とす紫藤。
正直、今の発言にはムカついたがもう慣れた。流石に一年も関わっていれば怒る気力もなくなる。
こいつは今の発言から分かるように三次元の女に興味がない。
いや、正確には二次元しか恋愛対象にならないのだ。
初めて本人から聞かされた時は本気で脳のMRI撮った方がいいんじゃないの?と思ったがそうではない。本当にそう思っているのだ。
よく、現実に絶望したモテない男が二次元に逃避するのとは違う。
現実でモテる上でこいつは二次元を愛しているのだ、しかもエロゲ限定で。
今紫藤が映しているPVも、もちろんエロゲ。それも紫藤が一番気に入っているハードオレンジというエロゲブランドの人気シリーズ物『刃姫』の最新作だ。
たしか、内容は名刀を美少女に擬人化させたもの、だった気がする。
……というかこいつの影響で俺まで少し、ほッんの少しだけ詳しくなってしまった。
そう、あくまで詳しいだけで興味はない。OPとかは聞いたりしないぞ?
そんなわけで割と高いスペックにも関わらず、その特殊な特徴を持っているせい女子に人気はあるものの、男子の派閥からは浮いている。
俺も人のことをどうこう言えた立場ではないがこいつは紛れもなく変人だ。
類は友を呼ぶのは本当らしい。
紫藤はこちらに向き直り、ペロッと爽やかに舌を出すと両手をくっつけながら頭を下げてきた。
その舌、引っこ抜いてやろうか?
「なぁ、頼むよ。今日だけでいいから俺の代わりにデートしてきてくれないか? デート代はこっちでもつからさ。マジで頼むよ!」
頼まれている内容はいたってムカつく内容だが、本心で頼んでいると分かっている以上、怒るに怒れない。
だが、聞ける相談とそうでない相談がある。今回の相談は明らかに後者だ。
いい加減、
「無理」
「そこをなんとか……」
「無理なもんは無理だ。諦めろ」
きっぱりと断り会話を終了させる。
しかし紫藤は諦めきらないのか「たのむよ~天さまぁ~」と未練がましくすがりついてくる。鬱陶しい。
「マジでしつこいぞ……てか、そんなに嫌だったら普通に断ればいいだろ?」
「ふっ、甘いぞ天よ。すでに五回連続で断っている」
「あ、そう。死ねば」
なぜかドヤ顔で言ってくる。ほんと死ねばいいのに。
こいつは変人だがウザイことに、パートナーに困ったことはない。今までに破局したことはあるが全部コイツ自身の責任だ。
だからこそ俺はこいつを友達とは思わない。あくまで知人だ。
友達と思ってほしければ、俺にパートナーをよこした上で顔面と身長を交換しろ。
そしたら認めてやるよ。けっ!
「頼むよ~、明日、ムラマサのイラスト見してやるからさ」
「駄目だ。つか、そんなの交渉材料になんねーよ」
一進一退の不毛な争いを繰り広げる。
お互いに意見は平行線で、どちらかが折れるまでは続くだろう。
しかし、そんな醜い争いに突如として終止符が打たれることとなる。
「朝から元気だね~、二人とも!」
戦場に咲く一凛の花のような笑顔を携えながら、ポニーテールを揺らした天使が急に目の前に降臨した。
ニコニコとした屈託のない笑顔でこの不毛な会話を中断させた女神の名は
目の前にいる変人に引き続き、俺に話し掛けてくれる唯一の女子だ。
そう”話し掛けてくれる”だ。
紫藤のような変人ではない。
クラスでも上位カースト層に位置しながらもなぜか派閥には無所属。加えて、俺のようなボッチにも話し掛けてくれるというまさにパーフェクトJK。ナイチンゲールもびっくりの天使っぷり。
話し掛けられてんのにボッチを語るな、と思われるかもしれないが、週に一度あるかないかの会話をするだけの関係でその人を友達と呼ぶ自信が本当にあるかどうか胸に手を当てて聞いてほしい。
少なくとも俺はない。
だが俺が変人とボッチという二足の
もし人間国宝を決められる立場なら即、彼女を推しているだろう。
フリフリと上下に動くポニーテールに、やや小柄な背丈はどこか無条件で守りたくなる小動物のような印象がある。
美人、というよりカワイイが似合う顔立ちはカースト上位の中でもかなり良いほうだろう。
ボッチのくせにてめぇが上から目線で言うんじゃね、と聞こえてきそうなので少しだけ弁明させてほしい。
ボッチはその性質から常に客観的に物事をみる能力を備えている。故にそういったランキングを勝手につけてしまいがちになのだ。なのでこんなランキングを俺が作っていても俺は悪くない。悪いのはボッチの性質だ。
真白さんは俺と紫藤を交互に見るた後、うんうんと納得したように頷く。
カワイイは正義って、ほんとそう思います。
「えっと、つまり風くんはジーくんにデートの代理をしてほしいってこと?」
小動物のように首を傾げながら同意を待つ真白さん。
クラスで俺をジー君なんて愛称で呼んでくれるのは真白さんだけだ。
若干、主婦の天敵の『ヤツ』と名前が被ってる気がしなくもないが、そんな些細なことは気にしない。
たとえ、ゴキブリと呼ばれても真白さんからならむしろウエルカムだ。
「……あ、ああ。そうなんだ」
語句が若干しどろもどろで気持ち悪い感じになってしまったが、いつものことだ。平常運転。
ていうか、なんでボッチは女子と急に話すとこうなっちゃうんだろうね?
女子と話したら活舌が悪くなるの、病気と呪いとかそういうレベルだぞ。
たぶん、ボッチが女子と普通に話せるようになるワクチン開発したらノーベル賞も夢じゃないと思う。
……だれか、ほんと作ってくんない?
「う~~~ん、これは~~」
俺の気持ち悪い反応には触れずに、真白さんは腕を組み、唸りながら思案する。
なんだかこの表情を見れたと思うと、紫藤との下らない争いすらも利のあるように思えてくるから不思議だ。
「全体的に風くんが悪い!」
「えぇ~……」
「えぇ~……じゃないよ。パートナーとの約束があるならそっちが優先は当たり前! ていうか、なんで行きたくないの?」
「まぁ、ちょっとな」
目を泳がせながら紫藤は真白さんの追求から逃げようとする。
確かに、ここまで言われた後に「エロゲするんで、デートは行きたくない」とは言えないか。
「この間、佐紀ちゃんが相談してきたんだけど……まさか本当にゲームが理由でデートに行かなかったの?」
「い、いや、それは……」
「どうなの?」
まるで子供の悪戯をしかる母親のように紫藤を問い詰める真白さん。
ちなみに佐紀ちゃんというのは紫藤のパートナーだ。
その真っ直ぐに向けられる視線に思わず後ずさりそうになる。
俺達よりも明らかに身長は小さいはずなのに、大きく感じるのはなぜだろうか。
「すいませんでした……」
気迫を込めた真白さんの表情に、ついに紫藤が折れる。
観念したように頭をガクリッと落としている。ざぁまぁ~。
「もう、本当に佐紀ちゃん怒ってたから今日は必ず行きなよ? 困るのは風くんだからね!」
「はい……」
「パートナと破局して一からやり直すのは大変でしょ?」
「はい。天みたいになりたくないので今日は行ってきます……」
「……ナチュラルな話の流れで俺の傷口を抉るな」
俺がそう言うと、真白さんは突然目を丸くしながら口をひらいた。
「え、また、パートナー解消したの⁉ えっと……これで確か」
「……に、二十八人目」
『二十八人目ぇ‼』
見事、としか表せないほど見事なハモりを見せる二人。
すると、紫藤は安堵するように胸をなでおろし、真白さんはよほど衝撃が強かったのか、口をポカンと開いたまま固まっていた。
「ま、真白さん、大丈夫?」
「に、じゅう……は、はち……」
放心状態のままうわごとのように「二十八……」と唱える真白さん。
このまま火曜サスペンスの遺言状態のままにしておくことはさすがに加害者として申し訳ないのでとりあえず意識を回復させる手伝いをする。
「やっぱ、キャラ濃いな天!」とか言ってる紫藤には後で一発殴っておこう。
「お、おーい。へ、平気?」
「…………は!」
一瞬、本当にここがどこか分からないようなリアクション。
そこまで驚くことか?二十八人。
「ていうか、ジーくん! 本当に二十八人もパートナー解消したの⁉」
「ま、まぁ……」
「よく、退学にならなかったね……」
しみじみと言われて改めて自分のピンチに気が付く。
実際に今日の朝、退学について話ことを思い出すと、嫌な汗が背中から噴き出た。
「こ、これからはもっと気を付ける」
「うん。退学はダメだよ。みんな悲しんじゃうから!」
「そうだぞ、だれとエロゲの話をすればいいんだ」
とてつもない善意MAXの笑顔に思わず二礼二拍手一礼したくなる衝動をグッと堪える。
ええ子や~。ええ子や~×百。
……え、紫藤?だれそれおいしいの?
だが、唯一訂正する箇所があるとすれば「みんな」というワードだ。
たぶん俺が退学しても悲しむのは話し相手を失った紫藤くらいだろう。それ以外には椿先生とか?
天方は……無いな。むしろ「気持ちの悪い低級生命体が視界から消えてくれて、とても嬉しく思います」とか平気で言いそうだ。うん、あいつ絶対に言う……。
後、関わりがある生徒と言ったら真白さんくらいだが……聞くのはよそう。
もし「わ、わたし? あ、うん……悲しい、かな?」とか明らかに気を使っている表現をしてきたら俺、死んじゃうと思う。いや、むしろ死にたい。
だけどもし普通に悲しいと言ってくれたとしても、その後どうすればいいかわからない。
絶対に気まずいことになる。よし。やめよう。
自分のトークスキルの無さに絶望しつつ反応待ちの真白さんに笑顔を送る。
「うわ、ジーくんの笑顔ヤバい!」
即行で返ってきた返答にこの笑顔を封印することを俺が確定していると、
「おはよ」
と、イラつくほど爽やかなイケボ近くから聞こえてきた。
「あ、コッキー」
「朝から相変わらず元気だね鏡音は……と、ごめん。急に割り込んで」
現れて三秒でリア充オーラ満載の会話を真白さんと繰り広げるこの男の名は尾堂寿。ことぶき、だからコッキーだ。ポッキーの親戚ではない。
最初に言っておくと俺はこいつが好きではない。
一つは、こいつが紫藤と違って全く非の打ち所の無いイケメンであること。これが一割。
そして残る九割が——
「話終わったら教えてね。デートの計画表提出期間、放課後までだから」
「うん、わかった。あとでね」
「うん 後で」
そう、コイツは真白さんのパートナーなのだ。
この二人のカップルは学年で結構有名で、二年生では知らない人はほとんどいない。
なんせ、入学から今日までずっとお互いにパートナーなのだ。俺とは真逆。
入学時のクラスで進学するこの学校のシステムではずっと二人は同じクラス。俺にとっては紫藤と三年も一緒にいるということが確約された全く嬉しくないシステムだが、二人にとってはこの上なくいいものだろう。
さらに驚くべきことにこの二人は幼馴染だ。しかも幼稚園から一緒というラブコメ仕様。
俺が求めている青春のまさに理想像。
ラブコメや青春という言葉は、この二人のためにあるのではないかと思わせられる程、青春の神様に愛されている。
二人が揃った瞬間から、空間がなんかキラキラしだした。
なんか、バックに花とか見え始てきたんだけど……これ、何のアニメ?
「よいしょ、っと」
ピョコピョコと上下に揺れるポニーテール。その下には白い綺麗なうなじが覗いている。
尾堂との話を終えて真白さんが先ほど同じポジションに戻ってきた。
「お、尾堂さんとは大丈夫?」
「うん、へ―き! ていうかさ、なんでジーくんって風くん以外には敬語なの?」
予想外の質問に「えぇ」とか「あ、う」とよくわからない言葉が口から出る。
こういう質問ってほんと慣れないからどういうリアクションしていいか困るよな……。
そんな俺の反応に笑いながらも、真白さんは理由をたずねてきた。
「にしし、教えてよ!」
「え、いや隠すことほどのことじゃないけど……」
「けど?」
「お、俺って結構、嫌われてじゃん? ほら、パートナー解消しすぎて」
言い始めて気づいた。真白さんが苦笑いしている。
おそらく相づちを打つかためらったからだろう。見るからに微妙な表情をしている。
自分の話題の選択ミスを隠すように矢継ぎ早に言葉を繋げた。
「だ、だから! 話してくれる人にはきちんと答えたいっていうか……うん、そんな感じで」
後半になるにつれて声が小さくなっていく。
てか俺、今とてつもなく恥ずかしいこと言わなかったか?気のせいだな?うん気のせい。
「俺にはなんで敬語じゃねーの?」
「いや、お前、だって紫藤じゃん」
「理由、雑かよ」
「…………」
ハハハ、と腹を押さえながら笑う紫藤。それとは対照的に真白さんは黙りこんでいる。
恐らく「話してくれる人」という所で哀れに思ったんだろう……頼むから俺のセリフがくさ過ぎたとかじゃありませんように!
二度目のミスを後悔するがもう遅い。
俺から挽回する機会を奪うように、無情にもチャイムが鳴り始めた。
「あ、席つかなきゃ! じゃあね、風くん! ジーくん!」
「俺も戻るわ。はぁぁ、結局、帰るまでムラサメはお預けかぁ……」
慌てたように席に向かう真白さん。紫藤はグチグチ言いながらも結局、帰っていった。
「昨日の見たよ! だよね! うん、すごくおもしろかった!」
席に戻った真白さんは既に別の生徒と話し始めていた。
さすが、どこの派閥にも属していないのにリア充やっているだけのことはある。
話が盛り上がるのに十秒もかからなかったぞ……。
恐るべき真白さんのコミュ力に驚嘆しつつ今の一連の出来事が頭によぎる。
あのコミュ力をもってしても沈黙って……俺のコミュ力、相当やばいな。
俺が思考を終わらせるのと同時に、チャイムも鳴りやむ。
椿先生が教室に来るまで続くであろうクラス内での談話を尻目に、密閉型のイヤホンを装着する。
両耳から放たれた大音量のエロゲOPは周囲の喧騒を萌え萌えとピンク色に染めていった。
◆◆◆
「では朝のSHR《ショートホームルーム》を始めます」
チャイムが鳴り終えてからほどなくして椿先生が教室に入ってくる。
先ほどまでざわついていた空気は今ではどこにもない。さすがに高校生ともなればその辺のことはきっちりしている。
起立の号令が無い高校の朝の挨拶と、いくつかの連絡事項が耳を通り抜けて聞く。ありふれた日常の光景だ。だからこそ俺には疑問があった。
朝のSHRが開始して既に五分が経過している。
にも関わらず、あいつの姿がどこにも見当たらない。
あいつとは言わずもがな
来ている気配がないどころか、無駄にきれいなその机からは存在自体がないように思える。
昨日のことが実は夢だった、なんて都合のいい考えが浮かんできたが、あんなにハッキリとした夢は生きてきた中で見たことがない上に、今朝に椿先生からも呼び出しを受けている時点で現実なのは否定できない事実だ。
だとしたらなぜ学校に来ないのか?
簡単に思い浮かぶとしたらやっぱり来るのが怖くなったとか、今日になって逃げ出したくなったとかだが……あの表情をみた後だとその線は薄いように感じる。
第一、 天方は朝に来るとは言っていなかった。
というか椿先生から対策をしていると聞いていただけで天方自身は何も言っていない。
だとしたら後で椿先生に確認するのが一番効率的だな……。
若干ソワソワしながらも気持ちを落ち着かせる。
すると、いつのまにか教室の中はガヤガヤと騒がしくなっていた。
まさか、と思い首を左右に回転させ、視界を広げてみるが天方の姿はどこにもない。
ムカつくほど神秘的な外見と、純白の容姿は外でもかなり目立つだろう。それが教室という閉鎖的な空間だったら見つけられないはずがない。
しかし、見渡す限りそれらしき姿は視界には映っていない。
……なんだこれ?
「はーい、皆さん静かにしてください」
優しく咎めるような口調で生徒全員に注意を促す椿先生。
訳が分からずに困惑していると、一人の女子が手を上げて発言権を得ていた。
「あのー、本当に……あの天方さんが転校するんですか?」
明るめの色に脱色された長髪の女子が椿先生に質問する。
あれが、今流行りのイルミナカラーというやつだろうか……などと考えていたがそんな思考も女子生徒の発言によってすぐさま吹き飛んだ。
天方が……転校する⁉
「はい、本当です。転校する手続きも終わっています」
椿先生が話し終えるよりも先に、教室の喧騒は自然と大きくなっていく。ちょっとしたパニック状態だ。
それは当然だろう。むしろ俺の方がパニックになっている。
突如として、おびただしい数の疑問符が思考の流れに浮かんできた。
……天方が転校する?
……パートナーはどうなる?
……ヤリチン恐怖症はどうする?
……俺の退学はどうなる?
……昨日の話は?
…………は?
頭の中をぐるぐると同じ疑問が巡り続ける。
そんな俺とは対照的に、椿先生は普段と全く変わらない様子でゆっくりと口を開く。
そして、よく響くいつもの声音で
「はーい、静かに」
と、再び注意を促した。
パンパン、と手を叩き、椿先生が騒ぎを一旦落ち着かせる。
だが、教室内の熱気は収まらない。
「実はもう一つ重要な、連絡事項があります」
先ほどよりも若干大きな声が教室の隅から隅に響き渡り、教室が無言に包まれる。
その一瞬の空間を椿先生は見逃さず、間髪入れずに言葉を続けた。
「新しく入ってきた転入生です。どうぞ、お入りください」
ガラガラ、とスライド式の扉を無言で開けて入ってきたのはスラッとした美しい少女だった。
それも俺がここ最近で見たことのある容姿。
最高級のシルクのような艶やかな純白の長髪に、美しいが凶器にも変身する釣り目がちの双眸。
まつ毛の一本一本までが白いことをつい昨日、吐かれた毒舌と共に知ったその神秘的な姿。
それは紛れもなく天方雪花だった。
「は?」
情けない声が思わず漏れる。
いや、これはしょうがないだろ。いくら何でも絶対におかしい。
何でジャストタイミングで転校したヤツが転入してくるんだよ。
だが俺がいくら心の中で疑問を叫んだところで現実には届かない。むしろ、いきなり叫びだしたら俺の方がヤバいやつだと思われてしまう可能性の方が高い。
これ以上、不名誉なあだ名をつけられたくは無いのでここは我慢する。たぶん、ヒステリック鈴木が追加されることになるだろう。
すると、例のレーダが感知したのかほんの一瞬だけこちらに一瞥を向けてきたが、汚れた排水口を見るような目で見てきただけで特になにも言ってこない。
再び最初の無表情に戻った天方が壇上に上がる。
「では、自己紹介をお願いします」
タイミングを見計らっていたように、椿先生が教室に入ってきてから一度も喋らない天方に話しをするよう促していた。
天方は遠目からみても分かるあからさまな溜息を深々と吐くと、失った酸素を取り戻すように大きく息を吸い込み、無表情から一変してニコニコの笑顔になった。
だが、明らかに目が笑っていない。もうハイライトとか以前の問題に虹彩ありますか?って感じ。
いきなりの変化っぷりに驚いたのか教室は自然と沈黙に包まれていた。
……そりゃそうだ。いくら美人でも表情がいきなり変わるとかホラー以外の何物でもない。だからエクソシスかよ。
しかし天方はそんな空気など気にしない、とばかりにまるでおはようございます、とでも言うように明るい口調で自己紹介を始めた。
「初めまして、
やっぱ訂正。これ自己紹介じゃなくて、ただの事故。
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