第3話 現実の青春は甘酸っぱくない
え、何言ってんだこの人?
思わず思考が固まる。いや、むしろ固まらない方がおかしい。
パートナーってなんだよ。いや、意味は分かるけど。
「鈴木さん。まずは貴方から自己紹介を」
「えーとはい。2—Aの
脳のキャパシティーを超えたせいか普通に自己紹介しちゃったよ俺。うっかり趣味の話まで話題を広げちゃうところだったぞ……。
説明しろ、と俺が訴えかけるが椿先生はまるで気にした様子はなく、むしろ堂々とオフィスチェアにその豊満な尻を下ろした。エロい。
「貴方には彼女の病気を治すためにパートナーとして学校生活を送ってもらいます。もちろん拒否権はありません」
天仁郎は激怒した。必ず、かの邪知暴虐のアラサーから逃げ出さなくてはと決意した。
おい、なんだこの横暴っぷりは。
説明しろと言ったのになぜ逆により訳の分からないことを言われなければならないのか。とりあえずセリヌンティウスにでも身代わりにするか。俺?当然バックレるに決まってんだろ。メロスよりエロスに生きたいからな!
睥睨した椿先生の視線と交差する。
こちらの思考を見透かすような眼差しに、思わず口を噤んでしまう。まさに蛇に睨まれた蛙、改めアラサーに睨まれた童貞だ。てか普通に怖いんだけど……。
点滅を繰り返す蛍光灯の音が次第に大きくなり、辺りは静寂に包まれていく。
もう逃げ出していいかな、と本気で考え始めたその時、
「私は拒否します。なぜその様な気味の悪い生物とパートナーにならなければならないのですか」
怜悧な声が部屋に響く。声の主は純白毒舌少女だ。
「治療ですよ、治療。貴方の病は青春育成において致命的です。なのでそこには改善が必要不可欠です」
「その改善とこの生物がなぜ関連するのですか。これではただの罰……いえ拷問のようにしか私には見えないのですが」
お気に召さないのか、立ち上がりながら憤慨する謎少女。
あの、初対面ですよね?
あと病ってなに。病気って何ですか?
三人しかいない部屋でボッチになるとか、俺のステルス性能高すぎるだろ。
「まあ、確かに彼は内面こそ酷いですがそれ以外ではそこそこですよ? 十人に聞いたら一人はカッコいいかな? と疑う程度の容姿に、高いとも言い切れない微妙な身長。学年47位の微妙に高い頭脳、ボッチ、あと他には……」
おい、ちょっと待て。
二人とも俺に攻撃的過ぎないですか?
心の広い俺でもそろそろ自殺しちゃうレベルですよ。縄、買ってきちゃいますよ?
あと先生、最後については完全に悪意あるだろ……。
「その生物のことなど聞いていません。どうやってその生き物が問題に関連するのかと聞いているのです」
ギロッと効果音が付きそうな双眸を毒舌少女は先生に向けた。
まるでナイフのように鋭い眼光は、もはや軽い凶器だ。
目で殺す英雄は知っているが、目が凶器のJKなんて俺は知らない。
対してそんな彼女の眼差しを受けている先生はというと、相も変わらず涼しい顔をしていた。
……いや、なんでそんな顔できるんだよ。メンタルの硬度ダイアモンドかよ。
俺だったら確実に土下座してるぞ。
「フフフ、ようは荒療治です」
「荒療治……ですか?」
キョトンとした表情で言葉を繰り返す。
「ええ、貴方の病気はほとんど末期に近い状態です。そんな状態で体に優しくて効果の薄い薬をいくら使ったところで意味などありません。良薬は口に苦し。手っ取り早く劇薬を投与するのが一番の処方です。幸い彼にはその資格があります。納得していただけましたか?」
澄ました顔でピシャリと言い放つ椿先生。
すると先程まで反抗していた純白毒舌少女は拳を握りしめ、非ッ常に不服そうな表情で小さく声を漏らす。
俺を睨みつけてくる彼女の瞳には嫌悪がたっぷり詰め込まれていた。
「……本当にこれは私の病を治す資格があるのですか?」
溜息と共に吐き出された声には、多分な不満と一抹の不安が含まれている。
だが、そんな暗い彼女の表情とは百八十度逆の表情を椿先生は浮かべ
「はい! 私が保証します」
と、ハッキリと口にした。
普段よりも幾分高い声量はきっと、よほど自信があるからだろう。
会話がひと段落したこのタイミング。
さて、そろそろ一回ツッコんでもよろしいでしょうか。
これ、今なんの話してんの?
いや、全然分かんないんですけど。そもそも病気って何?あと俺と付き合うことが治療ってどんな理屈だよ。
なぜ三人しかいない部屋でボッチになんなきゃいけないのか。
俺と付き合うことで精神の修行でもしろってか?
カムバック、俺の人権。帰りに落とし物コーナーでも見に行こう。
「では今日はこれで解散に——」
「いや、さすがにそれは無いだろ!」
解散宣言の一歩手前、俺は間一髪でそれを阻止することに成功する。
話を遮られたことに若干、不満そうな顔を椿先生は見せるが今はそれどころではない。
「あのー、全然分かんないんですけど。なんですか病気って。てか、まずその人誰ですか?」
俺が当たり前のことを口にすると、「もう説明するの面倒くさいから黙れこの童貞が」と
言わんばかりに視線を飛ばしてくる。
ちょっと待て、それはいくらなんでも横暴過ぎやしませんか。俺だって怒るときは怒るんですよ?
まあ、今回はそのスタイルが強調されたエロシャツ……もとい白シャツに免じて特別に許してやろう。
しばらく諦めずにジーッと先生に見つめ返していると、どうやら観念したようで、やれやれと肩をすくませながらようやく返答を口にした。
……念のために言っておくが体を見ていたわけではない。そこは勘違いしないように!
「面倒ですが致し方ありません。そうですね、まず彼女の名前ですが……。それは本人に言ってもらう方がい——」
「嫌」
聞いたことがないほど迅速かつ端的に答える毒舌少女。
恐ろしく速い返答に俺でないと見逃がしちゃうね、と心中一人で呟いていると、呆れた顔で椿先生が彼女を代弁するように話を続ける。
「だそうですので私の方から言わせていただきます。彼女の名前は
クラスに所属しています、と恐らく続いたであろう椿先生の言葉は俺の耳には届かない。なぜなら——
「あ……あ天方雪花だとぉぉぉぉぉぉ⁉」
それよりも遙かに大きな俺の声が先生の言葉を搔き消したからだ。
「い、いきなり何ですか!」
普段使う機会が少ないせいか自分でも驚くほどの声量だ。
椿先生は怯えたように身じろぎながら、俺から数歩遠ざかっていく。
「す、すいません。ていうか本当に彼女が天方雪花ですか? ……あの有名な」
俺の言わんとすることが伝わったのか、先生は怯えたまま無言で頷き肯定してくる。
ということは本当に彼女が天方雪花らしい。まじかよ……。
突然の衝撃に固まっていると、先生が今度は俺の心情を代弁するように天方雪花という生徒に関しておおおよそ一般的な概要を口にした。
……てか、突然の衝撃に弱すぎるだろ俺。一昔前のテレビかよ。
「貴方が驚くのも無理はないでしょう。なんせ彼女は有名ですからね——名前だけの生徒として」
——名前だけの生徒。
それは
その名前を俺が初めて耳にしたのは去年の6月頃だ。学年全体を通してある生徒の噂が立ち始めるようになった。
ことの発端は入学式を通して一度たりとも登校しない生徒がいるという噂が立ち始めたことがきっかけらしい。
だが、それ自体は何ら不自然なことではない。入学式すら来ないその生徒の存在をミステリアスと感じた生徒も多かっただろう。その好奇心が噂という形で話題性が生まれるのも納得がいく。
多くの生徒が「名前だけの生徒」を認識し、学年全体にまでその名前が伝わりつつあったその時、ある出来事が起きた。
それは、誰かが言った「名前だけの生徒」を見たという発言だ。
その発言を皮切りに、至る所で目撃したという証言がされるようになる。
もともと半ば都市伝説のような扱いだった「名前だけの生徒」。
それにかこつけて面白半分で噂を広める者は少なくない。
身長が二mの化物のような体躯の女子説や「名前だけの生徒」おっさん説。さらには学校に来ないのは殺人に関与したからだ、などという突拍子もない噂までもが流れていた。
そんな経緯と相まってこの「名前だけの生徒」という話題はついに学校全体に流れるようになる。
SNSが普及している現代において、情報の拡散など簡単にできてしまう。瞬く間に学年を超えて浸透していった。
噂では「#名前だけの生徒を探せ」なんてものも一時期は作られていたらしい、まぁ、俺はその頃からボッチだったからSNSなんて半分腐ってたけどな。あははは……はぁ。
……ともかく、そんな全校生徒の注目を浴びた「名前だけの生徒」の噂もついに終わりを迎えことになる。
事態を重く見た学校がSNSの規制を始めたのだ。
それにより「名前だけの生徒」の情報は厳罰対象となり減少。
もちろん「名前だけの生徒」の人気はそれだけでは衰えなかったが、噂を再び流した者が厳しい罰を受けるという教師陣の執念に押され、半ば強引な形でこの噂は幕を下ろすことになった。
これが桔梗院高校の誰もが知る「名前だけの生徒」の顚末だ。
そして同時に天方雪花の
もう分かっていると思うが、念のため。「名前だけの生徒」の生徒としての名前が天方雪花だ。
もう、お分かりいただけたろう。なぜ、俺がさっきまであんなにも驚いていたかが——
さて、回想が終わったところで本題に移るとしよう。
先生の言葉が正しければ,今まさに俺の目の前にいる少女こそが「名前だけの生徒」こと天方雪花らしい。正直、まだ信じられない。
だが信じなくてもこれは現実だ。俺の意見が介入する余地はない。
疑問を一旦、保留にして会話に復帰する。
「……まぁ、一時はめちゃくちゃ有名でしたからね。あの噂」
横目で流し見しつつそう言う。
網膜が映すのは、美しい少女だけ。
分かっていてもやはりどこかで疑問に思ってしまう。
なんせ天方雪花という生徒は今までろくなイメージが無かったからだ。
嘘と分かっていても気になってしまうように、噂がどうしても頭をよぎってしまう。
口では分かった風を装いその実、嘘がしっかりと刷りついている自分に若干の嫌悪を抱いた。
「はい、そうですね。とても有名でした。いえ、今も有名ですね」
自嘲が混ざった笑みをこぼしながら椿先生は言う。
恐らく、噂がいまだに定着していることに対する自分を含めた学校教師への皮肉のつもりだろう。
表面では無くなったように見えるが、根というものは予想以上に深い。きっと椿先生も苦労しているはずだ。
「ああぁ、えっと……彼女が天方雪花ということは分かったんですけど……。その、結局、俺に何をさせたいんですか?」
少し空気がしんみりしてきた感じがしたので話の対象を転換する。
我ながらよく気が利いたと思う。俺、エライ。
すると、先生はポカンと口を開きながらこっちを向いてきた。
「……貴方は彼女が天方雪花だと信じるんですね」
どうやら俺が空気を読んだことに対する驚きではないらしい。ひとまず安堵。
にしても、質問の意味が分からない。
え、もしかして「今までのは全部ドッキリでした~! てへぺろ♡」とかそういうオチか?
……マジで勘弁して欲しいんですけど。いや、ほんとに。
「……いや、先生が言ったんでしょ。てか、嘘なんですか?」
「いえ。嘘ではないです。彼女は正真正銘、天方雪花ですよ!」
答える先生は真剣な顔つきだ。
「なんですかそれ」
「フフフ、なんでしょうね。忘れてください」
笑いながら話題をはぐらかされた。女のしたがらない話に首を突っ込んでもいいことはない。
それが許されるのはラブコメの歴代主人公のみだ。よってスルー安定。
こういう場合はどうしたらいいのだろうか。
次に繋ぐ言葉が見つからず、しばらく思考する。しかしその必要はなく、先に口を開いたのは椿先生だった。
「まぁ、それはさておき。確か、貴方に何をさせたいかでしたね。安心してください。貴方にやってもらいたいことは一つだけです。彼女の病気を治す手伝いをすること。それだけです」
どこに安心する要素があるんだよ、と思わず本音が漏れそうになる。
パンツを体で隠す芸人とは比べ物にならないくらいに絶望的だ。俺の裸芸とかダレトクだ?
想像したら吐き気がしてきた。安心してください。吐いていませんよ……オエ。
「てか、そもそもその病気って何なんですか。俺、治療とかできませんよ?」
「いえ、彼女の病はそういった類のものではありません。だからこそ治療が難航しているのですが……」
「はぁ」
溜息が目の前から聞こえる。どうやら本当に苦労しているらしい。
しかし、医療行為を必要としない病気って……それ、病気って言えるのか?
医療に精通などしていないので、その辺は全く分からないけど。
というか、あの「名前だけの生徒」天方雪花の病気という時点で、全く想像もつかない。
うーん。不登校で、毒舌で、ついでに超美人のもつ病気か……正直、全然わからん。
多分、生徒全員に聞いても同じ回答をするだろう。逆に、答えられたら引く。
「実は彼女、天方さんは…………男性嫌悪症なのです」
——はい?
「はい?」
……いや、どういうこと?
予想の斜め上に来た。いや、むしろ真上だ。
脳内状況が絶賛カオス中の俺をよそに椿先生は冷静な口調で話し続ける。
「男性嫌悪症とはその名の通り、男性に対して異常な嫌悪感を抱いている症状のことです。男性恐怖症と似ていると言われますが、異なります。まぁ、極度に苦手といった点では同じかもしれませんが」
綺麗な黒髪を人差し指で弄びながら口を動かす椿先生。
エロさと可愛さを同時に感じることが出来る素敵な仕草だが、残念。今の俺には楽しむ余裕はない。
機会があったら動画を撮らせてもらおう。
「そして本題ですが、貴方には天方さんを男性に慣らすためにパートナーとして活動してもらいます。これは貴方のためでもあるのですよ?」
「俺のため?」
「はい。二十八人破局の恋愛破綻者の貴方にも改善という意味では、この課題はとてもプラスに働きます。むしろ貴方はこんな機会を与えた私を褒めたたえるべきです」
この人、俺をモルモットか何かと勘違いしてないか?
「はいはい、エライです。先生、エライ」
「なんか投げやり感がすごくてイラッとしました……抉りますよ?」
中腰になり胸ポケットに手を添える椿先生。なんか無駄に熟練感があるが、あえてツッコまない。
身の危険を感じたのでとりあえず黙っておこう。
『黙るが勝』俺の座右の銘もそう言っている。ちなみに二つ目は、『逃げるが最強』な。
そんなことを考えているとふと疑問が浮かんできた。なので即行、質問する。
逃げた方が簡単な問題もあるが、逃げると面倒な問題もある。
ケースバイケース、奥が深い。
「あのー先生。一つ疑問なんですけど。その男性嫌悪症? ならいきなりパートナーとか厳しくないですか? そういうのって強引にやると返って逆効果になりそうな気が……」
「それについては心配ありません」
俺の言葉を遮るように言葉を挟む。どうやら根拠があるらしい。
「彼女の男性嫌悪症は少し特別なんです。確かに男性を嫌悪はしていますが、それにはジャンルが設けられています」
「ジャンルですか?」
ジャンル、ジャンルか……。
鼻毛が濃い男が無理とか腋毛が多い男が嫌いとか、そういう話か?いや、それは普通に生理的に嫌なやつだ。違う。
…………なんだろう。
「彼女の嫌悪するジャンルは性行為。詰まるところは……」
——ヤリチン嫌悪症ですね。
「ぶっふ!」
先生の口から漏れた一言に、思わず吹き出してしまった。
……いきなりそれは反則だと思う。恐るべし、やりまくりチンコ。略してヤリチン。
ヤリチン……ヤリチン……ヤリち……ぷ!
「死ね」
笑いを堪えるのに必死な俺に注がれたのは、至って端的な言葉だった。
シンプルイズベストとはよく言ったものだ。ハッキリ言って、超怖い。
しかし、このままだと無言処刑コース確定なので、仕切りなおすべく咳払いをする。
「ごほん……えっと、そのヤリチン恐怖症だったら確かに俺が含まれないのも納得できる……いや、納得せざるおえないけど、どうして俺が童貞だって分かったんだよ? ……ヤリチンレーダーでも持ってんの?」
俺が質問すると、静かに溜息を溢し、汚物を見るような目を向けてくる。どうやら地雷を踏んでしまったらしい。
『ヤリチンレーダー』語呂は良いのに……残念だ。
「さすがは、二十八人抜き。そういう所ですよ」
汚物を見る目が二倍になった。どうやら俺の前世は三角コーナー確定のようだ。
「いえ……確かに、お前の言ってることは分かるわ」
「いや、お前って……」
「文句があるなら聞くけど?」
俺を睨んだ綺麗な瞳から光が消えていく。今なら腎臓よこせと言われても渡す自信がある。
「いや、ないです……」
「当然ね」
どうやら、この女にとって俺への一人称が「お前」は当然のことらしい。
……確かにかなり重症だな。
「で、話を戻すけど。基本的には私の主観よ。会った時に嫌悪するか、しないか。それで判断しているわ」
やっぱり、持ってんじゃねーか。ヤリチンレーダー。
「それで、俺と会ったときに嫌悪しなかったと」
「いえ、思いっきりしたわ。むしろ吐き気も」
「じゃあ、なんで分かったんだよ……」
そう聞くと、天方は口角を上げて見下すように顎を傾ける。昼休みにやった俺流のドヤ顔だ。
想像以上にウザイな、これ。
「確かに嫌悪はしたけれど、あれとは別。普通に、生理的に、現実的に、嫌悪しただけよ。それに……」
「ヤリチンの時より酷いだろ……」
「先生も言っていたし、資格はあるって」
振り向くと俺に向けて満面の笑みを浮かべた椿先生と目があう。
瞬間、昼休みの出来事が頭をよぎった。
——いままで、女子生徒とセックスをした経験はありますか?
……まさか、こんな形で悪用されるとは思わなかった。
「……なるほどな」
納得はしていないが理解はした。しかし、まだ疑問は一つある。
「学校はどうするんだ?」
素朴な疑問。しかし、この問題は避けては通れないだろう。
俺達がパートナーとして、活動するのはあくまで学校の中だ。となると必然的に、登校することは必要不可欠になってくる。
だが仮に明日、こいつが学校に来ることになったら、酷いことになるのは目に見えている。
ただでさえ、あの天方雪花が登校するというだけでも一大事なのに、その上、超美人ときたら話題性は抜群。騒ぎにならない方がおかしい。
加えて、そこまで注目される環境は、よっぽどの目立ちたがり屋でない限り地獄となんら変わりない。男性嫌悪症を患っているのならなおさらだ。
「それについても心配はありません」
答えたのは椿先生。
「対策は考えてあるという解釈でいいですか?」
「はい 先生に任してください!」
えい、と腕を曲げ、力こぶを作る椿先生。うん、見事に膨らみが無い。
というか対策を考えている時点で強制パートナーが計画的犯行なことは間違いないようだ。
一通りの確認を終えたころにはカーテンから漏れ出る光も無くなっていた。
時計を見るとすでに完全下校時間の六時を指している。
「では、今日はこれで解散にしましょう。また、何かあったら教えてください」
パチンッと手を叩き、笑顔で先生が解散を宣言する。
言葉が終わるのと同時に、鞄を肩に掛けた天方が席から悠然と立ち上がる。
「…………」
そして、無言のまま踵を鳴らしながら扉へと向かった。
「…………」
段々と距離が近づいていく中で、いつの間にか俺は彼女を目で追っていた。
夜空のように輝く瞳に、華奢な手足。流れる純白の髪。
まつ毛まで白いと気づいたのは、天方が俺の目の前を通った時だ。
そうだった。展開が急で流していたがコイツ……超美人じゃん。
なぜか、急激に速度を増した鼓動が胸を圧迫する。
——まさか、これが恋⁉
「…………」
すると、俺の前でいきなり足を止めた天方はその視線を向けてくる。
そして顔が徐々に近づけながら、桜のような唇をわずかに開かせた。
——おいおい、どうした、俺の青春パラメータ。バグった?
なんで、こんなに急展開なんだよ。さては十六年分のツケを払うつもりだな。
視界に広がっていく光景がスローになる。まるでコマ送りの動画のようだ。
だが、今はそんなことはどうでもいい。美少女とのキスに理由など必要ない。
現実と小説は違う。これは現実だ。起承転結なんていらない。今までの感情とか雰囲気とかは忘れろ!
さぁ、来い青春!カモン!
「遠くからだと見えなかったけど……お前ってホントに気持ちの悪い顔をしているのね」
「……ですよねぇ」
などというラブコメイベントが発生する訳が無いのは、この十六年でみっちりと学んでいる。
やはり感情も雰囲気も大事ですよね。……知ってます。
「失礼しました」
キスキス詐欺によって軽くメンタルブレイクな俺を放置し、天方は部屋から出ていった。
大丈夫だ、落ち着け。俺のハートは防弾チョッキ。※(中身はガラスです)
「いやー青春デスネ(笑)」
馬鹿にした表情で先生は笑う。そろそろ、泣くぞ。
「人に殺意を抱くのはこれが八十五回目です」
「多すぎです……」
苦笑いを浮かべる先生を視界の隅に追いやり、隙間が空いた扉を見つめる。
「……本当にあれで治せるんですかね」
「貴方がそうするんですよ! 疑似恋愛で付き合うことになった二人。お互いの弱点を克服しながら発展していく青春! グフフフ……楽しみにしていますよ?」
気持ちの悪い笑い声を出しながら、その視線を向けてくる。若干キャラがおかしくなっている気がするが、放っておこう。
けど確かに……心の中には多少の期待があることも事実だ。
美少女の秘密をしりながら疑似恋愛とはいえ、カップル同然になるのだ。そんなシチュエーションで期待しない男がこの世に存在するのだろうか。否。断じて否だ。
ただしそれは、相手がまともな美少女な場合だ。天方雪花には該当しない。
いや、だってそうだろ?
普通の美少女は初対面で人を気持ち悪い生き物とか絶対に言わないし、死ねとか言わない。いや、美少女じゃなくても普通は言わない。
いくら百の青春要素があったところでマイナス千があったら意味をなさない。
もし青春の神様がいたら絶対にこんなものは青春と認めないだろう。俺もそれに同意だ。こんなものは青春じゃない。
現実そんなに甘くはない。
結局、青春育成科もパートナーも青春じゃなかった。一年と少しの間この高校に通って学んだのはそんなつまらない、当たり前の現実だけ。
ボッチが望むには高すぎる。
青春なんてものは所詮、リア充やイケメン、美女だけの幻想だ。
俺のようなボッチ、変人には許されていない。とてつもない不平等なものだ。
二十八人連続破局の失恋マスターの俺はもう間違えない。
俺に青春は訪れない。たとも天方の病気が治ったとしてもそこから先に青春は待っていない。
だからこそ俺は心の中で思いっきり、めいいっぱい自分自身を叱咤した。
——安い青春に騙されてなるものかと、
——青春という言葉に踊らされるなと、
——青春に疑似恋愛は含まれないと。
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