第2話 美少女、推参

 帰りのSHR《ショートホームルーム》が終わり、クラスが喧騒に飲まれていく。

 自身のパートナーを下校に誘う者や今日はどこでパートナーとデートをするか悩む者。また他のクラスにいるパートナーを待つ者。

 それらは全て青春と呼ぶのに相応しい光景だ。喧嘩売ってんの?

 誰もかれもがそんな青春を謳歌していく中で俺はただ一人、黙々と誰とも話すことなく帰りの支度をしていた。

 本来ならばこのまま帰宅するはずだが今日は生憎と先生から呼び出しを食らっている。

 正直、言って面倒くさい。

 だが、すっぽかしたらもっと面倒になることは明らかだ。独身アラサーのしつこさはアナコンダ級、下手したらキングコブラ級だ。うっかり尻尾を踏んだら締め殺されるレベル。

 教科書が詰まった学校指定の鞄を手に取り、俺は教室の扉へと向かった。


「あ、鈴木さん」


 聞き覚えのある声が後ろから響く。振り返るとそこには案の定、椿先生がいた。


「……なんで、先生がここにいるんですか」


「なんでとはまたご挨拶な。普通に偶然通りかかっただけです。というかなぜ貴方は、そんな不審者を見るような目でこちらをみるのですか?」


 だって目の前に不審者がいるんだもん。思考時間0.2秒で答えが浮かんでくる。

 そもそも人に抉るなんて言葉を日常会話で使う人が、不審者じゃない訳がない。ニット帽とマスクとグラサンを掛けてナイフを持った男が「自分、不審者じゃないですよ」と言うぐらいに矛盾している。完全にOUTだろ、それ。

 椿先生を脳内で不審者認定していると、先生は突然ニヤリと口角をあげて嗜虐的な笑顔に変わる。

 やっぱ、不審者じゃねえか。


「もしかして私に見惚れていましたか。嫌ですね。これだから貴方みたいな発情期の童貞は……」


 やれやれと言わんばかりに肩をすくめる椿先生。おい、名誉棄損で訴えるぞ。


「見とれてもいないし、別に発情期でもありませんよ俺は」


 そう、童貞だからと言って発情期な訳ではない。男とは生まれた瞬間から皆、発情期なのだ。

 だから童貞だけをそうやって別ジャンルとして扱うのはやめてほしい。処理の方法が違うだけでリア充も童貞も大して変わらないのだ。

 まあ、要するに童貞とはリア充なのである。……うん。違うよね。知ってた。


「まあ、貴方の童貞事情は正直、どうでもいいのですが」


「どうでもいいなら聞かないでくださいよ……」


「そろそろ行きませんか? 言ったでしょ。重要な要件があると」


 そう言うと先生はくるりと踵を返して廊下を歩いていく。ほんとに勝手だな。


「ほら早く行きますよ」


 さっさとついてこい、と目が言っている。こういうマイペースな所も結婚できない要因の一つだろう。

 

 独身アラサー美人教師は自分が問題とは考えない。






 ◆◆◆






「にしても重要な要件って何なんですか?」


 下校時間ということも相まってか普段より人の密度が高い廊下を歩きながら、先生に質問する。上からみるとちょうどH型をしている本校舎。その真ん中の「一」を担う渡り廊下が現在の所在地だ。

 すると椿先生は含みを持たせた笑いをしながら俺の方に視線を向ける。


「気になりますか」


「そりゃまあ、誰だって重要な要件なんか言われたら気になるでしょ。で、結局何なんですか?」


 顎に人差し指を当ててうーん、と椿先生は考える真似事を始める。

 しばらくするとニヒッと悪戯っぽい笑顔を作りながらその大きな黒目を細めた。

 おい、何だその笑顔は。ちょっとドキッとしちゃったじゃないか。椿先生のくせに生意気だぞ。


「ここで教えても面白くないので、まだ言いません。ですが少しのヒントぐらいなら構いませんよ?」


「面白さで人の重要な要件を決めないでくださいよ……」


「まあ、まあ。それで聞きたいことは無いのですか?」


「そうですね…………」


 聞きたいこと。そう言われると少し考えてしまう。

 重要な要件というぐらいだから進路のことだろうか。いや、この学校は青春育成科だ。恋愛云々のことが重要視される。そして呼び出しを食らったのは俺。なら、必然的に思い当たる節は一つしかない。


「パートナーのことですか?」


「フフフ、貴方はそういう所だけは勘が鋭いですね。とりあえずは正解と言っておきましょう。ですがヒントはもう無しですよ」


 先生の言葉を最後に会話が終了する。どうやらパートナー関連のことで間違いないらしい。

 だが、パートナー関連といっても問題は沢山ある。今まで散々味わってきた破局マスターの俺に死角などない。

 それまでパートナーだった女子からの根拠皆無のセクハラ疑惑を受けたのは一度や二度の話ではなかった。そのいずれも私を見る目が気持ち悪かったです、という謎内容。

 ……俺に人権はないのかよ。

 そんなことを考えているうちに椿先生は足を止める。どうやら目的地に着いたらしい。

 ガラガラと無言のまま先生は職員室の扉を開けた。


「誰もいませんね」


 職員室の中には誰もいなかった。窓から差し込んだ夕日だけが辺りを染め上げ、漂う寂寥感を朱色に変える。

 見慣れたはずの景色がなぜだか、今の俺にはまったく別物のように感じた。


「こっちです。鈴木さん」


 そう言いながら椿先生が指したのは生徒相談室の扉、俺にとっては説教部屋だ。

 パートナーと破綻する度に呼ばれたその部屋は俺にとっては庭も同然。ちなみに昼休み来ていたのも、実はこの部屋だったりする。

 感覚としては既に第二の故郷に近い。俺のアナ〇ースカイは相談室。アホか。

 慣れ親しんだ濁った金属光沢を放つドアノブを椿先生はガチャリと回した。


「入りますよ」


 先生が声を掛けて教室に入る。どうやら中に人がいるようだ。

 俺もそれにならって軽く挨拶をしながら入室した。


「失礼し………………⁉」


 そこはいつもとほとんど変わらない相談室だった。

 背もたれの方向に少しひしゃげた歪な形のオフィスチェアに、真ん中に置かれた丸型テーブル。そして、なぜこの部屋にあるのか違和感丸出しの本棚。そのいずれも普段とは変わらない相談室の姿だ。

 だが今の相談室はいつもの姿と少々異なっていた。

 普段ならグラウンドが一望できるはずの大きな窓は全て、カーテンによって外からの光を遮断されていたのだ。おかげでLEDの目に優しい薄光だけが部屋を照らしている。

 そして二つ目の違い。これこそが今、この空間を違和感たらしめる全ての原因だ。

 奥にある黒いレザーのソファーには一人の少女が座っていた。そして。

 

 ——その少女には色が無かった。


 透き通るような純白の肌。ほのかに赤みを帯びた桜色の唇。そして雪のように白い腰まで伸びた美しい長髪。

 作り物のように整った容姿は、人間というよりも妖精やファンタジーに登場するエルフのような人外の神秘的な魅力を感じさせる。

 そんな美の象徴の具現化を前に、童貞はただ口を開きながら無様に固まるしかなかった。


「……先生、何ですかそちらの気持ち悪い生き物は」


 開口一番、まるで氷河期の再来のような冷たい声がこちらに向けられる。

 突き刺さるような視線に俺は思わず一歩下がった。


「せっかくの美人が台無しですよ天方さん。人の印象とは3秒で決まるものです。いきなりそれでは相手の方も怯えてしまいます」


 流石、独身アラサー。初対面の印象管理には秀でていた。きっと合コンとかだと自分から名前を言うタイプだろう。もちろん俺は合コンなんて行ったことがない。合唱コンならギリギリあるけど。

 というかコイツ、初対面にむかって気持ち悪い生き物扱いって何だよ。お前の両親、絶対王政?

 俺は椿先生に、もっといってやってください! と期待を込めた眼差しを向ける。


「まあ、彼の場合はしょうがないですけどね」


 流石、独身アラサー。俺の期待など余裕で裏切ってくる。

 きっと合コンでも「お、この人いいな!」と思わせた傍から急に「年収はおいくらですか?」とか聞いて数多くの男性の心を抉ってきたに違いない。

 口が悪い謎の純白少女は、溜息をつきながら大きく俯いた。


「ハァ……それで私と、その生物を呼び出した理由は何なんですか?」


 どうやら彼女は俺のことを未だにホモサピエンスと理解していないようだ。

 きっと美人じゃなかったら押し倒していたことだろう。いや、美人だからこそ押し倒すのか?エロゲの世界はわからん。

 そういうエロゲのタイトルには大体「青春」と入っているから不思議だ。あれ何でだろうんね。

 女子とヤルことだけが青春なら、青春が甘酸っぱいなんてフレーズはきっと生まれてこなかっただろう。

 要するにエロゲで使われている青春とは「性」春なのだ。うん。完全証明。

 俺が青春の定義について熟考していると椿先生は静かに深呼吸をする。

 そしてニコッと人の良さそうな笑顔を浮かべると唐突に口を開いた。


「貴方たちにはこれからパートナーになってもらいます」


 


 ………………………………は?

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