第26話
馬場の開門2時間前。
原付を厩舎の前に停めようとしたら、中からゴーヘーの声がする。
「わかってるよ、もうちょい待ってな」
そう独り言を言いながら中へ急ぐ。
遠征に向けて、ゴーヘーの調教は開門直後にやることになった。
普通オープン馬になるとゆっくり馬場に出すものだけど、先生は違ってた。
「きつい稽古になるから、少しでも馬房で休む時間を確保したくてな」と。
ありがたいことに、俺の出番も朝一番というわけ。
チーコの調教も同じ時間帯でやってもらえるから、終わればこっちは手が空く。
そうすれば同僚のサポートが出来ていいというのもある。
馬房に着けば、ゴーヘーは早く出せと言わんばかりに前がきをしてる。
「わかったわかった。今出してやるからな」
そう言いながら頭絡をつけてハミをかませる。
脚にバンテージを巻き、背中に汗取りと鞍を置いて腹帯を締め上げる。
「ハミは噛んでるな?」
ゴーヘーはうんうんと頷く。ハミ環に引き手をつけて準備完了。
「さあ、行こうか」
引き手を握ったまま、それだけ言って馬栓棒を外す。
するとゴーヘーは自分から馬房を出る。
「よしよし、そこらへん歩いてからだぞ」
そんなことを言いながらウォームアップで歩かせる。
視線の隅で先生がアンチャンに指示を出してる。
今日はアンチャンが頭から乗るんだな。
頭から乗るのがアンチャンでも番頭でも、こっちのやることに変わりはないけど。
ゴーヘーは久しぶりに走れるとわかって、少しテンションが上がり気味。
どうかするとこっちが持って行かれそうだ。
開門まで3分。
アンチャンが近づいてくる。
「ダクで1周、ハッキングで1周半。それで一度戻ってからキャンターで2周半、最後にさっと追ってくれってことでしたー」
遠征までびっしりやるつもりだな。
「了解。久しぶりで気合入ってるからね。言うこと聞かなかったらビシッとやっちゃって」
「大丈夫ですよー。少しくらい元気じゃないとゴーヘーらしくないですからねー」
アンチャン、余裕の表情でゴーヘーに乗る。
途端にゴーヘーは気合を漲らせ、早く馬場に入れろと首を上下に振る。
「もうちょっとだよー。……今日は苦労するかもですねー」
アンチャンは苦笑いしながらゴーヘーをなだめてる。言わんこっちゃない。
「遠慮せんでいいからね。稽古出来んよりは全然いいんだから」
「了解ですー。あ、開門したんで行ってきますー」
「おう、頑張ってこい!」
そう言って引き綱を外す。
……ダクと言うには少し速いペースでゴーヘー達は進んで行く。
それを見送って、厩舎に戻る。
同僚の手伝いに飼い葉の支度、やることは今日も山積みだ。
午後の作業も一段落ついた頃。
厩舎で後片付けをしてると、競馬新聞の記者がやってきた。
「お、あんただけかい?」
「俺しかいない時間だってわかってて来てんじゃねえの?」
「いやいや、それならもっと遅い時間にしてるさ。先生のコメント取りに来たんだけど」
「ああ、先生なら用事があるとかで出かけてるよ。番頭なら大仲にいるが」
「……そっか。ゴーヘーの次走が発表になってたからさ」
……ああ。
「聞いての通り、遠征だよ。こっちで使えたら良かったんだけどね」
「そりゃあこっちじゃ58か59は背負わされるもんな。使えるとこ持って行きたいもんな」
「そういうこと。馬は元気だし今んとこ問題なしだよ」
「だが……」
記者はそこで少し言いよどむ。
「……芝だろ?」
ああ。
そこは先生から聞いてたな。
オパールカップが芝だとわかったのは、この間の作戦会議の後。
当然先生に聞いてみた。
そしたら、先生はニカッと笑ってこう言った。
「地方で芝の交流戦、それも3歳限定はここだけだ。ゴーヘーは芝もやれるからな」
「ですが、ジュニアカップはあの結果でしたし……」
「走れなくて怪我したんじゃあないぞ。おまけに地方で芝専門なんてそんなにいるわけじゃない」
「つまり、メンバーが手薄になる、ですか」
「まあそういうことだ。芝とダート行き来するんでゴーヘーはきついかもしれんが、そこは担当さんに任せた」
そういうことを言われたと、記者に伝える。
「なるほどね。先生もやれると思うから使うんだもんな。しかしあんたの負担がでかくないか?」
「俺の担当だもん。やるしかねえべ」
「まあそうなんだけどさ。さすがに交流重賞となると勝てばでかいからなぁ
「だといいがなぁ。そればっかりはやってみないとな。まずは無事に戻って来られるようにってだけさ」
「ゴーヘーが頑張ってくれたら、こっちも元気出るからな。頼んだぜ」
「ああ、やれるだけはやってみるよ」
「じゃあ、先生のコメントはまた今度聞きに来るよ」
そう言うと、記者は帰っていった。
こっちも元気出る……か。
頑張らんとなぁ。
当のゴーヘーは俺たちの気持ちや思惑なんか知りようがない。
今もたらふく牧草を食っていびきかいて寝てる。
目標までにきちんとコンディション整えてやるのが俺の仕事。
そこに余計な期待や感情を持ち込んじゃ、いかんよな。
そんな事を思いながらゴーヘーの馬房の前まで歩いていく。
するとゴーヘーが顔を出してきた。
そして前がきをしてくる。
……遊んでくれってことか。
「まったくもう、あれだけがっつり走ったのにまだ足りんのかい?」
そう言いながら鼻先を遊ばせる。
これまでの稽古でだいぶ逞しくなって来た。
今までならきつい稽古の後は遊んでくれとは言わなかっただろう。
うん、これならやれるか。
そう思いながら、ゴーヘーに付き合うことにした。
Go Ahead! @nozeki
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