第19話

ジュニアカップ。

1月開催の中山の芝コース、外回りの1マイルで行われる準重賞。

もともと中央の馬にしてみればこの先クラシックを狙ってのステップレースなのだろう。

ここを目標に目一杯仕上げて来てるのもいるだろうし。

そこにゴーヘーが混ざるってのは、どんな具合になるんだろうか。


そんなことを宿で横になりながら考えてた。

寝ようにも緊張で寝付けない。

ゴーヘーより俺が入れ込んでるんだからどうしようもないが、考えてみれば仕方ないことかもしれない。

担当した馬で初めて勝ったんだし、重賞も勝たせてもらったし。

こうして遠征にも連れて来てもらえた。

ここまでに出来ることは全部やってきたつもりではいるが、どうも落ち着かない。

明日に備えて少しでも寝なきゃとは思っているんだが。


そんなときに、携帯にメッセージが届いてるのに気がついた。

「地方の意地を見せて来てください。明日はみんな大仲で見てますから」

同僚からだった。


年が明けてすぐだった。

うちの厩舎で新年会というか、ゴーヘーの壮行会というか。

そんな集まりがあった。

先生や番頭は挨拶だけでさっさと帰って、あとは厩務員たちの飲み会。

ベテランほど威勢がいいのはなぜなんだろうと、若い同僚とふたりで大人しく飲んでいた。

そんなときに、今月で定年を迎える大ベテラン、俺らがおっちゃんと呼んでる厩務員が一升瓶を片手に俺たちの前にどっかりと座り込む。

そして、俺に向かってこう言い出した。

「おい!ゴーヘーは中山で走るんだろ!?」

あ、はい。その予定です。

酔っぱらいには低姿勢に限る。少なくとも大ケガにはならない。

「ゴーヘーが中央のエリート相手に勝ち負け出来ると思うか?」

……。

言葉が出ない。

「俺はな、ゴーヘーに勝ち負けしてほしいのさ。それだけの馬だもんよぉ」

ですよね。勝ち負けまで行ければ……。

「俺ら地方の馬が逆立ちしたって、なかなか中央のエリート様には勝てるもんじゃねぇ。それはもう誰が見たってわかりきってる。特にうちみたいな田舎じゃなおさらだ。若鯱賞だって毎年中央下がりの奴らに持ってかれてばっかりだった」

大ベテランの独演会は続きそうだ。黙って聞いてるしかないかな……。


「だが、ゴーヘーは中央から下がってきたの相手に勝ってるじゃねえか。せっかくのチャンスだ!ここで勝ち負けせんでどうするよ!」

いやでも、勝ちたいですが相手もあることですし……。

「中央にいい馬みんな取られて、俺たちは残り物で競馬してるんじゃねえんだ。地方には地方の意地ってもんがあるんだってのを、お前とゴーヘーが見せて来るんだよ!勝ち負けになれば意地が見せられるじゃねえか!」

なんとか、そう出来るようがんばります。

「そうだ!その意気だ!俺らみんなで応援してっからがんばれ!」

……なんて、激励だかなんだかわからんが、すごい絡まれ方をしてたのを思い出した。

普段おっちゃん、あんまり喋らんのになぁ……。


地方の意地、か。

すごいものまで背負わされた気がするが、遠征ってそういうものなんだろうな。

大ベテランのおっちゃんからしたら、久しく出てない中央への遠征が、うちの厩舎からってのもあったんだろう。

こっちとしてはやれることはしてきたつもり。

あとは明日、俺が気負わずにやれれば。

そうと決まれば寝られんとか言ってられない。

布団をかぶって目をつぶった。


翌日。

装鞍所の集合時間まで3時間。

余裕を持って馬房に着くと、ゴーヘーにブラシをかける。

もともと毛艶は悪くないが、目の肥えた中央のお客さんが相手だもの。

ピッカピカに仕上げてやろうと思った。

ブラシが終われば馬装をつけていく。

オーナーさんからいただいた空色のバンテージに頭絡に手綱。

ハミをかけると外に出られることを知っていると見えて、早く出せと前掻きをする。

つけ終わったら曳き運動でウォーミングアップ。ここまではいつもどおり。

いつもどおりが出来るよう、先生が掛け合ってくれたらしい。

ありがたいよなあと、引き綱を持ったままゴーヘーに話しかける。

ゴーヘーはうんうんと頷きながら歩く。

冬の青空は澄み切ってるがとにかく寒い。

だから入念に身体をほぐすよう、じっくりと曳いて歩く。

もちろん、何かしらゴーヘーに話しかけるのもいつもどおり。


いい天気で良かったなあ。

初めての芝だけど大丈夫だよな。

今日もアンチャンとふたりで思いっきりやって来いよ。

俺と番頭で迎えてやっからな。

ゴーへーはうんうんと頷いてる。

先生と打ち合わせを済ませた番頭がやって来た。

装鞍所まではふたりで曳いていく。

「いよいよだなぁ。ゴーヘーが気後れするんじゃないかって心配してたが、大丈夫そうだな」

気がつけば周りは同じように曳き運動してる馬が何頭もいる。見れば古馬のオープンクラスがゴロゴロしてる。

そんな中でもゴーヘーは物見もせずに歩いてる。

曳いてるこっちが気後れしそうなのに、大した奴だよ、ホント。


装鞍所に着いて馬体重を量る。

……424キロ。

「大きくなったと思ったら、やっぱりなあ」と番頭が言う。

太めな感じは一切ない。成長した分だろうと思ってたんで、この数字にも納得だ。

「しばらく使わないでみっちり乗り込んでたもんな。輸送で減るかと思ってたんだが、心配なかったなあ」

俺らが思ってる以上に、ゴーヘーはタフに出来てたんですよ、きっと。

「ああ、これが先月だったら減らしてたかもしれん。いいタイミングで来れたなあ」

そんなことを言いながら番頭は待機馬房にゴーへーを連れていく。

俺は係員さんと検査手順の確認。

すっかり忘れるところだったが、ゴーヘーは気に入らないことがあると暴れる。

ここまで来て暴れて除外じゃ済まないんで、そこら辺はきちんと伝えておいた。

手順自体は変わらないにしても、いつもの係員と違うことでゴーヘーが気に入らないと思わないように。


そうこうしてるうちに検査は終了。ゴーヘーが大人しくしてくれたおかげでスムーズに終わった。

そして先生も来て装鞍開始。

黒地のゼッケンには黄色い字で8と書いてある。16頭立ての真ん中。揉まれたり包まれたりはあるかもしれない。

そこはアンチャンを信じるしかないよな。

若干の不安と緊張感を飲み込んで腹帯を締め上げ、パドックに向かう。


パドックには今まで見たことのないくらいのお客さんの数。

周りの横断幕も多くて、実に華やか。

「こんな賑わい、一度でいいからうちらの競馬場でも見たいよなぁ」と、番頭が言う。

俺もそうですねぇと返すが、俺らの競馬場でこんなに客が来るなんて想像もつかない。

たぶん、よほどのことがないと無理だろうな。

そんなことを思いながらゴーへーを曳く。


「おいおい、あそこの横断幕見てみ。びっくりするから」

突然、番頭が目配せしながら声を掛けてきた。

番頭の視線の先にはいくらか小ぶりな横断幕。

空色の横断幕には「Go Ahead!がんばれゴーヘー」って書いてある。

その横断幕の向こう側で、何人かのお客さんがゴーヘーに声を掛けてくれてる。

そのうちの数人はこっちの競馬場で見た顔だ。

「応援に来てくれたんだなあ。どアウェーだと思ってたのに」

番頭が嬉しそうに言う。

ゴーヘーも声を掛けられて横断幕の方を見る。少し気合が乗ってきたらしい。

自分からグイグイと歩こうとする。

あの人たちのためにも、頑張ろうな。

引き綱を気持ち短めに持って、ゴーヘーに声を掛けた。

ゴーヘーもうんうんと頷いてる。


とまーれーの合図でその場に留まる。

アンチャンが笑顔でやってきた。遅れて先生も。

アンチャンを乗せたゴーヘーは気合が乗って、ずいぶんといい感じに俺らを引っ張りにかかる。

「おお、いい気合だ。アンチャン、今日も任せたぜ」

先生はニコニコしながらいつものように言う。アンチャンも笑顔で「ゴーヘーと相談してみますねー」と答えてた。

地下馬道を抜けて本馬場へ。

だだっ広い芝コースの向こうには大きなスタンド。

でも、ゴーヘーはまっすぐ前を見てる。これなら大丈夫。

引き綱を離す直前、いつものように声を掛ける。

いつもどおり。頼んだよ!

アンチャンはにっこりと笑って、キャンターで走り去った。


俺たちは待機所に入ってスタートを待つ。

奇数番にゲートを嫌がるのがいて、ゴーヘーのいる偶数番のゲート入りは遅れてる。

毎度のことだが、ゴーヘーが落ち着いて見えるのが救いだ。

なんとか全馬ゲートイン完了。


ゲートが開くと、ゴーヘーはロケットスタートを決めてくれた。

そのまま後続を引き連れて向こう正面を進んでいく。

アンチャンはと見れば、ブラブラの長手綱。

「アンチャン、ゴーヘーの行く気に任せたな。面白いことするなあ」

番頭は感心したように言う。

マイペースの逃げなら最後まで持つとは思う。

ただ、後ろの馬たちがこのまま黙って逃してくれるとは思えない。

どっかで競りかけてくるに違いない。


案の定、4コーナーで後続がわっと押し寄せてくる。

アンチャンも手綱をぐっと絞り、いつでも追い出せる態勢になった。

その途端。


ガクンとゴーヘーのスピードが鈍った。

ゴーヘーの外側を後続の馬たちが追い抜いて行く。

先頭がゴールしたくらいのタイミングで、アンチャンは直線の入り口でゴーへーを止めた。

故障発生……。


係員さんが馬運車を出すから乗ってと言ってくる。

俺は引き綱を首にかけたまま、馬運車に乗り込んだ。

番頭も遅れて乗ってくる。

馬運車はダートコースの内側を通ってゴーヘーのところまで進んでいく。

呆然としたまま、俺は進行方向を見てた。

何が起きたかなんてわかるわけもなく。

どうすればいいかもわからないまま。

とにかく、ゴーヘーを車に乗せなきゃ。

それしか頭になかった。


ゴーへーはまっすぐ立っていた。

アンチャンは俺たちの顔を見るなり泣きそうな顔になった。

「3コーナーのあたりで詰め寄られてたんで気合つけたんです。そしたら手前を変えてばかりで前に進もうとしなくなって、そのうちフットワークもバラバラになったんで止めました。ゴーヘー、大丈夫ですよね?」

それには答えずにゴーヘーに引き綱をつけて車に乗せる。番頭がアンチャンと話をしてるが耳に入らない。

ゴーへーは右の前脚を気にしてる。脚は地面につけてるから骨ではないかもしれない。でも……。

最悪のケースにならないとは思うとだけアンチャンに告げて、馬運車に乗り込んだ。

馬運車は診療所の前まで進んでった。


診察を受けているところに先生が慌ててやってきた。

「で、どうなんだ?骨か?筋か?」

いや、まだ全然わからんです。骨ではないと思いますが……。

「ひどくなきゃいいが……」

先生もひどく心配そうな顔をしている。そこへ獣医が顔を出した。

「ゴーヘー号の関係者の方ですね?」

はい。ゴーヘーのケガは……?


「写真撮ってみましたが、骨や腱には異常は認められませんでした。診断としては右前脚の跛行ですね、今の所ですが」

獣医は事務的にここまで言い切った。それを聞いた先生、ホッとしたのか膝から崩れ落ちそうになった。

「ただ、どこか痛くて跛行してるんで、一晩右の前脚をアイシングして様子見ましょう。現状だと長時間の輸送は危なそうです」

獣医は今夜は診療所の馬房で預かると言ってくれた。先生も俺もお願いしますと頭を下げた。


「オーナーには俺から言わなきゃならんな。キミはゴーヘーに付き添ってやってくれないか。願います」

先生は俺に頭を下げた。言われずともそのつもりだった。

担当ですから。俺の馬ですから。


馬房のゴーヘーは一晩中じっとしていた。

アイシングを替えてやるぐらいしか出来ないのがもどかしい。

用意された飼い葉を食べるくらいの元気はあるが、何をされても向かってくる気がしない。

たぶん、相当痛いんだろうな。


次の日になって獣医が詳しく診てくれて、やっと痛いところがわかった。

右前脚の管骨に炎症があるらしく、それを痛がってるとのこと。

「平たく言えばソエみたいなものですね。きっと急に痛みが出たんでびっくりしたんでしょう」

獣医はそう言って、処置をしてくれる。

俺は先生に状況を伝えた。先生はすぐ馬運車の手配をしてくれて、俺にこう言った。

「ゴーヘーはまっすぐ放牧に出す。どのみち放牧の予定だったけど、厩舎に寄ってもしゃあないからな。行き先は馬運車に伝えてあるが、むかわ町の育成場だ」

馬運車はすぐにやってきた。どうやらゴーヘーの他に翌日美浦帰厩の馬がいるらしく、一緒に乗せてもらえることになったようだ。

馬房から引き出して馬運車に積み込む。ゴーヘーは最後に積まれたが、美浦から別な馬運車に積み替えるんだそうだ。

ツイてたなとゴーヘーに言うと、ゴーヘーはうんうんと頷いた。

しばらく北海道で養生してくるんだぞと言うと、ゴーヘーは小首をかしげてる。

養生がわからんか、まあいいや。向こうで暴れたり厄介かけんなよ。

そう言いながら馬運車の扉を閉める。

やがて馬運車は走り去った。俺は馬運車が見えなくなるまで見送ってからその場を離れた。

もう中山に来ることはないんだろうなと思いながら。

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