第17話

「お、今日は重賞勝ち馬の担当さんしかいませんか」

午後の作業も終わった頃、競馬新聞の記者がやってきた。

俺しかいねぇよ。てか、妙な持ち上げ方はやめろ。

わざとぶっきらぼうに答える。

「とはいえ、ここの厩舎で重賞勝ったの扱ってるのあんただけじゃん」

そういやそうだったなあ。うちは重賞とあんまり縁がないからさ。

「そんな厩舎にもすごいのがいるんだから競馬はわからんよねぇ」

記者は感心したような声で言う。大方ヨイショだろう。

で、今日はなんの用なのよ。

「ゴーヘーは次どこ使う予定かなってね。今の出来も知りたいしさ」

次なぁ……。


前走の後はケロッとしてたように見えたゴーヘーだったが、次の日はさすがに疲れた顔をしてた。

いくらタフでもまだ2歳。馬体だってこれからだもの。

疲れだって出るに決まってる。

そう思って、先生には馬場入りを何日か待ってもらって念入りにケアをした。

おかげで見た目には疲れのないように見えるが、見えないところに疲れを溜め込むのもいるんで気が抜けない。


次は番頭がぶち上げて聞いてると思うけど、暮れの川崎に連れていく予定。賞金が足りてればだがね。

出来はまずまずキープしてるが、上積みは厳しいかもしれん。

「いよいよ遠征かぁ。一気に相手が強くなるなあ」

記者がやけに不安そうな顔をしてる。

おいおい、お前が走らせるわけじゃないんだからさ。そんな顔すんなよ。

「こんな田舎の競馬場から遠征するんだもの。すっかり身内みたいな感覚で応援してんのさ」

そう言うと記者は今まで見たこともないような優しい顔になって、こう続ける。

「俺だけじゃないさ。ここで出してる新聞の記者やトラックマン全員もだし、ここの競馬場に関わってるみんながゴーヘーの応援団さ。川崎じゃ中央や南関の馬ばかりでアウェーだろうが、俺たちがついてる。だから思いっきりやっといで」

ああ。ゴーヘーにも伝えとくよ。

そう言うと記者は小さく笑い、「じゃあ、頑張れよ」と去って行った。


大仲に顔を出すと、先生と番頭が打ち合わせ中。

「おお来たか。キミも入って。ゴーヘーの作戦会議だ」

俺の顔を見るなり、先生は手招きしながらこう言った。

「ゴーヘーのこの先のレースで、悪い話といい話のふたつあるんだわ。まずは悪い話からするぜ」

胸がドキリとする。悪い話って……?

「番頭がご執心だった川崎の全日本2歳優駿だが、どうやら補欠の2番手らしい。回避が2頭も出ることないからな。一応支度はするがまず除外だろう」

先生は顔色ひとつ変えずにこう言った。おそらくこうなることは予測出来てたんだろう。

番頭はと見れば、「例年なら間違いなく出られる賞金だったんですがねぇ。今年はいいのが揃ったんでしょうなぁ」と、悔しそうな顔だ。

俺は内心ホッとしていた。たとえ出られたにしても今の出来では自信を持って出せるとは思えなかったからな。

「そこで、今度はいい話の出番だ」と、先生はコーヒーで喉を潤してから、居住まいを正した。

いい話ってなんだろう。想像もつかない。


「年内の交流戦は11月にもあるんだが、今から支度したって間に合わん。どのみち門別の北海道2歳優駿や川崎の鎌倉記念じゃ間に合ったって出るだけになりそうだし、そこらへんは狙わんことにした」

番頭が「ちっともいい話じゃないじゃないですか」と口を尖らせるが、先生は「まあまあ」と話を続ける。

「せっかくいい馬なのに交流戦出さないのも癪なんで、出やすそうなのを探してたんだが、年明けてすぐにいいレースを見つけてな」

そこまで言うと、先生はコーヒーを啜る。

俺も番頭も黙って続きを待った。やがて先生が口を開く。

「……中山の1マイル。ジュニアカップに出そうかと思ってる。中央に殴り込もうじゃないか」

そう言って先生はニッコリと笑う。

「芝ですね。ゴーヘーの脚さばきなら芝でも行けそうな感じですし、そこそこやれる気がしますよ」と、番頭も機嫌を直したらしい。

俺はと言えば、ただただびっくりするだけだった。

確かに重賞を勝った以上、ここの特別戦だと余分に斤量を背負わされる。それを避けるにはよそに遠征するのが手っ取り早い。それはわかるんだけど……。

「そこで担当さんよ。今のゴーヘーの状態はどうかな?」

先生に聞かれてハッと我に返る。

現状で好調キープは出来てますが、年明けのレースまでギリギリ持たせられるかって感じです。

一度放牧に出すのもいいかと思うんです。

正直に答えた。立て直しはなんとか出来たけれど、それでも一戦やったらまたガクッと来そうな気がしていた。

「そうしたら、遠征が終わったらリフレッシュだなぁ。今回は在廐でなんとか頼むよ」

わかりましたと答えながら、さあてどうしたものかと考えを巡らせる。

少なくとも2ヶ月は間隔が開くことは確定したが、そこまで今の状態をキープ出来るとは思えない。

一度緩めてやれないか、後で先生と相談だな。


相談も終わって調教メニューもざっくりとだが組み直し。これで今日はお疲れ様でした……と大仲から出ようとしたところで、先生に呼び止められる。

「前走のパドックで子供に声掛けられてたよな?たぶんその子の親御さんからだ」そう言いながら、先生は一通の手紙を俺に手渡した。

「俺も中身は読んだが、ファンレターは担当さんにお任せした方が良さそうだからな」と、先生は笑いながら言う。

封筒から便せんを出してみると、二通の手紙が入ってた。

まずは薄い方を開けてみると、いかにも子供が描いたような馬の絵に一言「ゴーヘーがんばって!」と書いてある。

ちっちゃいファンが出来たもんだなと嬉しくなる。もう一通の便せんを開けると、こちらは大人の女性が書いたもののようだ。


自分の子供と同じ名前の馬がいるとネットで見かけて、競馬場に見に行ったこと。

その事を子供に教えたら、どうしても自分も見に行きたいと言って聞かず、競馬場に連れて行ったこと。

そしてパドックでゴーヘーと目が合ったと、子供が大喜びしていたこと。

手紙にはそんなことが書かれてる。

それで負けてたらやばかったなと苦笑いしながら便せんをめくってみる。


「……剛平は生まれつき身体が弱く、運動はお医者様から止められています。以前は走りたいと何度も駄々をこねて困らせていたのですが、競馬場に連れて行ってからは『僕の代わりにゴーヘーが走ってくれるから』と言うようになりました……」


……責任重大だなぁ……。

なんだかずっしりと重たいものを感じながら馬房に向かう。

そろそろ夕飼いも終わる頃だ。飼い葉はもう今日の当番がつけてくれてるが、様子だけは見ておかないと。


ゴーヘーは食事を終えてうとうとしていたようだが、俺の足音を聞きつけると馬房から顔を出してきた。

そして遊んでくれよと前掻きをし始める。

稽古の後はだいぶバテたって顔してたのに、もう復活かい?

そんなことを言いながらゴーヘーを遊ばせる。

お前のちっちゃなファンにいいとこ、また見せてやんなきゃなあ。

次のレースまで間が空くけど、気持ちは切らさないで行こうな。

俺も頑張るから、お前も頑張ってくれよ。

ゴーヘーはうんうんと頷いてる。

そして、空になった飼い桶を鼻先でつつく。

ああ、片付けてなかったか。ごめんごめん。

飼い桶を外して片付ける。その間にも脚元や身体に視線を配る。

見た範囲に異常はなし。少しホッとする。


次走のことや小さなファンのことや。

色んなものが急に入って来てなんだか気分が重たい。

ゴーヘーの前に自分にリフレッシュが必要かもなあと思うが、仕方ない。

ゴーヘーだけ頑張らせるわけにはさ、いかないからね。

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