【短編】終わっていく旅館

伊藤 終

終わっていく旅館

 客がほとんど来ない寂れた旅館に、荷物の少ない男性客が一人で現れた。

「いらっしゃいませ…」

 女将は深々と礼をしながら、またこういう客が来てしまった、と思った。

「それでは早速、お部屋に案内いたします。お疲れでしょう。ここには何もありませんが、裏山に続く道がとてもきれいで静かなんですよ…」

 その男性客はずっと無言で、固い表情をしていた。

 

 案内を終えた女将はすぐに旅館の裏へ行き、二人で一緒に旅館を運営している料理人に声をかけた。

「ねえ、また怪しいお客」

「なんだって。出来ればもてなしてやりたいが、これ以上の自殺客は困るな。人が全く来ないとはいえ、裏山に穴を掘るのも疲れるんだ」

「私だってもう嫌よ。朝になったら血まみれなんて、何度見てもうんざりだわ。部屋の掃除も疲れてしまうし、困るわ」

「よし。すぐに帰ってもらおう。確かなのか、死にそうだっていうのは」

「間違いないわ。もうあの顔つき、見慣れちゃったから」

 料理人は女将の意見を確かめるために、部屋に行って男性客の顔をちらっと見た。

「あっ。あれは間違いない。死ぬ気まんまんだ」

 女将と料理人は二人で顔を見合わせ、男性客の部屋に入り、自殺をする気なんだろう、帰ってくれと切り出した。

 男性客は激怒した。

「ちきしょう、まさかこんな仕打ちを受けるとはな。もちろん人生が辛いからこそ、おれはここに来たんだ。良い宿だと聞いて来たのに…」


 次の週末が来た。

 女将は予約帳簿を確認しながら、ため息をついて料理人に言った。

「土曜日のご予約なのに、女性のお客様がお一人だけよ。きっとまた先週のように、自殺をされたい方なんでしょうね」

「どうせそうだろう」料理人は答えた。「もうこの旅館には、静かに死ねると噂を聞いた自殺志願者しか来ないんだろう」

「もうこの旅館には明日は無いわね」

「そうだな。明日がない旅館か。いよいよ死人にはうってつけだな」

「ああ…もうおしまいだわ。自殺者が出れば警察が来て営業が止まるし、自殺者を帰せばお金がもらえない。もう私たち、生きていけないじゃないの……」

 女将は涙を流した。

「そうだ、おれたちはもう生きていけない。自殺志願者たちと同じ状態だな。そういえば先週、おれたちが追い出して、怒鳴って帰っていった男…。あいつ今頃、死んでいるのかな」

「どこかで孤独に自殺したかもしれないわね」

「何だか気の毒になってきた。あいつは今のおれたちと同じ気持ちだったんだ。どうせなら、ここであいつを暖かく死なせてやれば良かった」

「そうね、ひどいことをしたわ。どうせなら、一緒に死んであげればよかったわ」

「どうだろう女将、もうこの旅館はどのみちおしまいだ。最後は自殺客の願いを叶えて、ここできれいに死なせてやらないか」

「そうね、言われてみれば、思い詰めたお客様を辛い現実に追い帰すなんて良い旅館じゃなかったわ。最後くらい、一人か二人、出来ればもっと、きちんと死なせてあげたいわ」

「おれも思えば料理人として、最後の食事を出せるなんて悪くない気がしてきたよ」

「じゃあ、決まりね。次のお客様にはきちんと自殺していただきましょう」

「そうだ。気持ちよく死んでもらおう。みんな行く宛てがなくここへ来るんだ。もてなせるのは、おれたちだけだぞ」

「そうね、元の世界で生きてほしいと事情も知らずに考えるのは無責任だった。お客様の本当のお気持ちを理解して、お望みどおりに死なせてあげたいわ」


 二人の覚悟が決まったところへ、土曜日の唯一の予約客である女性客が現れた。都会に疲れた様子をした、暗い表情の女性客だった。

「いらっしゃいませ…」

 女将は深々と礼をしながら、やっぱりこういう客が来た、と思った。

「それでは早速、お部屋に案内いたします。ここへ来るまで本当に、お疲れ様でございましたね。ここは大変静かな場所です。今までの人生のことは何一つ気にせずに、最後の夜をお楽しみいただけるかと思いますよ。日付といたしましては、本日ではなく明日、月の無い夜が大変おすすめです。お客様と同じお気持ちの方もいらっしゃるので、心強いかと思いますよ…」

 その女性客はずっと無言で、固い表情をしていた。


「いらっしゃいませ…」

 女将は翌日も深々と礼をして、新たな男性客を招き入れた。

 いよいよ今夜が初サービスだ。

 女将と料理人は1日でも長く自殺サービスを続け、一人でも多くの自殺者の自殺を助けていきたいと願うようになっていた。そこで最初のサービスでは、自殺志願者の二人を男女ひとつのペアにして、心中に見せかけようと話を決めていた。しばらくは行方不明ということで時間を稼ぎ、やがて裏山から二人の死体が発見されても心中だったと思われるように遺体の二人の手は繋がせよう。

 女将の接客には気持ちがこもり、料理人の料理には気合いが入った。

「きっとうまくいくわ」

「そうだな。これはきっと、うまくいくぞ」

 女将は土曜日に来た女性客と、日曜日に来た男性客を、同じ場所に呼んで一緒に食事をとらせた。最後の晩餐というわけだ。最後に二人が一緒に写る写真を撮影した。

「ふふふ、お客様、大変お似合いでいらっしゃいますよ。こちらで心中にしておきますからね…」

 食事が終わると二人は、黙って別々の部屋に引き上げていった。

 

 それから何年も経った。

 女将は予約帳簿を確認しながら、ため息をついて料理人に言った。

「せっかく気持ちを入れ替えたのに、あれからもずっと、失敗ばかりだわ。自殺志願のお客様が何人いらしても、良いタイミングで上手く死んではくださらない…」

「おれたちにサービスをする素養が全く無いということだな。せっかくこの心中サービスで、人生最後のおもてなしをやり遂げようとしたというのに」

「まったく私たち、何をやってもダメなのね。自信が全く持てないわ。心中宿として、自殺志願のお客様にもっと高い評価をいただける日が来るのかしら?」

「まあ元気を出そう。女将は頑張っている。おれも必死でやっている。きっと次の組こそは、ちゃんと死んでくれるだろう」

「そうね。せめて一組くらい死んでもらいたいわ。このままじゃ、心中できるとお客様に信じてもらえない」

 女将はそう言って、何枚も届いていたかつての宿泊客からの結婚報告はがきをゴミ箱に捨てた。

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