@hamadeasobu


目が醒めると眼前には、ただひたすらに群青が広がっていた。体表に触れる物は冷たく、私の体を揺らした。辺りを見回すと大きな黒い影が蠢いていた。魚群だ。下を覗き込むと、飲み込まれてしまいそうな深い青。仰向くと、瑠璃色の中で銀灰色が踊っていた。

おそらくここは海なのだろう。ハッとして息ができることに気付く。身体に違和感を感じながらも前に進むことを試みた。身をよじると景色が少しだけ変わった。ひとまず水面に出ようと、くねくねと身体を動かした。

しばらくすると、楕円形の影が見えた。モーターの音や振動が身体に伝わる。船だ。一先ず引き上げてもらおうと近付くと。男達の悲鳴が聞こえた。

「サメがいるぞ」

彼らは近付く私に怯え叫びながら罵声を浴びせる。何を言っているのだろう。私は正真正銘の人間だ。近くにサメの影はなく、どう考えても私に語りかけている。私の姿がサメに見えているのか。私は夢でも見ているのだろうか。

水面へ顔を出した刹那、眼球に激痛が走った。銛を刺されたのだ。あまりの激痛に叫び出しそうになったが、思うように声も出ない。このままではまずいと思い私は踵を返した。波に揺られる度にズキズキと痛む。銛の先端には返しが付いていて思うように抜くことが出来ない。手があれば無理矢理にでも引き抜くところだが、ヒレしかないために何もすることができない。やはり私はサメになってしまったのか。悪夢という表現がぴったりの状況に吐き気を催した。しかしどうやっても夢から覚めることができないのだ。現実なのだろうか。だとしたらなんと奇天烈なことだ。私は海底に沈むことにした。

何時間も項垂れた。どんなに元に戻ろうと思案してもどうにもならず、困惑するばかりだった。目の痛みも感覚が麻痺してきた頃、空腹感を覚えた。きっと魚を食べれば良いのだろうと、魚群を追いかけた。しかしなかなか追いつけない。慣れない身体と疲労で上手く泳げないのだ。

泳げども泳げども捕らえられず、諦めかけたその時、人の影を見た。大きなボンベを背負ったその人は、カメラを片手に水中を漂っていた。ふと邪な思いが頭をよぎる。私は忌まわしい考えを頭から振り払おうとしたが、どうも飢えは酷くなるばかりだった。すると彼はこちらに気付いたようだ。慌てて逃げ惑う。そうだ、それでいいのだ。しかし彼は、焦るあまりに岩礁に強く脚をぶつけてしまった。ゴーグルの下からでも伝わる苦悶の表情。膝を抱える彼の脹脛からは血が滲んでいる。赤く、鉄分を含んだその匂いに鼻腔がくすぐられる。ダメだ。私にそんなことは出来ない。そんな思いとは裏腹に、一層胃袋が締め付けられる。じわじわと広がる鮮血に私の理性を失いそうになる。元は彼と同じ人であったはずなのに、如何して数時間でここまで変わってしまったのだろう。ごぼごぼと吐いた息に酷く興奮した。ついに私は飢餓に負け本能の赴くままにじわりじわりと近付いた。逃げようともがく彼の抵抗も虚しく、次の瞬間には、ゴキッと鈍い音が鳴っていた。どくどくと口から溢れる血を目の端で捉えながら、咽び泣こうとした。しかしやはり、声をあげることは出来ずに、深い青の中でポツリと漂うだけであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

@hamadeasobu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ