どうやって物書きになったか(2)1992ころ(高校生のころ)

 創作をしているみなさんにとって、どこかにきっと必ず「あの頃」が原点だった、というのがあるかと思います。私にとってもいくつかのポイントのうち、1992年ころがそのひとつです。


 1992年、平成4年ですが、カクヨムユーザさんだともしかしたら「まだ生まれていない」という人もいるかもしれないですね。ここを書いているのは2023年ですから、31年前になりますし……うわー(自分で書いててびっくりしてる)。


 しかしあらためてここを書き直してカクヨムに乗せようと思ったとき、今ならの環境がほとんどない状態の話とかしてもなあというのがあるので、あまり変わってないところだけにしようかなと思います。


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 なお1992年ころはこういうかんじでした。

 ・スマートフォンの概念が無い

 ・インターネット(WWW)はしか使っていない

 https://www.nic.ad.jp/timeline/

 インターネット歴史年表(JPNICアーカイブス)

 によると、93年に「郵政省がインターネットの商用利用を許可」って書いてます。

 ・パソコンはいちおうあったけど486とか386くらい(CPUの動作周波数という単位で行くと当時50 MHzくらい→今買えるCPUだと2~4GHzはあるかな、いやもっと強いの買えるなあ)

 ・OSはWindowsだと1993年に日本版3.1が発売(3.1→95→98→(Me)→XP→7→8(8.1)→10→11)

 ・ドラゴンクエストは1992年にスーパーファミコンで5が発売された

 ・音楽は基本的にCDを店で買う、カセットテープに録音する

 ・レコード大賞は「君がいるだけで」

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC34%E5%9B%9E%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89%E5%A4%A7%E8%B3%9E


 2020年に入ってからと1992年の執筆環境としての大きな違いのひとつは、モバイル環境が無かったこと、手書きだだったことや、ワープロ(ワードプロセッサ)専用機があったことかなと思います。ですのでワープロの話を少ししておきます。

 コンピュータ博物館あたりをみてもらえるとありがたいです。

 https://museum.ipsj.or.jp/computer/word/index.html


 かたちとしてはノートパソコンの後ろにプリンターがくっついてます。そこに、熱転写式のインクリボン(液体のインクではなく、今だとラベル印刷機が似てるかな)をセットし、紙を入れて印刷します。インクリボンが高いので、感熱紙を代わりに使ってました。


 あの頃は下書きを紙で書いて、清書をワープロで打ちだすとか、原稿用紙に手書きするとかをしていました。


 もうひとつ大きなこととしては、コピー(複写)、プリント(印刷)が個人では手軽にはできなかったことでしょう。1枚10円でのコピー機がある、コンビニエンスストアの数も少なかったです。


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 さて、そんな1990年代の高校時代は先述の通り第一希望に不合格だったため、とまどいのままスタート。進学予定ではあったものの、小説家になりたいというぼんやりしたイメージのまま、文芸学科とか国文学のあるところの模試をうけるけど、結果は最悪のままでした。


 というかこの時点で文系でないとだめだ、と思い込みをしていたのはよくなかったなあと振り返ります。ほんとうに、このころの自分に声をかけるとしたら、「理系と文系」しっかり調査しろとか、大学とは何かとかしっかり考えろと言いたい。オープンキャンパスも最近ほどじゃなかったけどあったはずだし……。たぶん、若すぎて、がむしゃらに書きたいものだけ書いてたんだなあ。

 後悔はしていないけど、いまの仕事や趣味のこととか、FLOSSのことの活動への「幅」や「引き出し」を増やすチャンスを減らしてしまったなあとはふと思います。

 なので、「もの書きなら文系」とか「プログラマだから理系」「数学が苦手だから文系」みたいなかんじで進路を決めないようにはしてほしいなあ、若い人には。



 成績こそ悪すぎたものの、部活や委員会活動はとても楽しく取り組んでいました。高校の学園祭を運営する委員会では、たぶん今でも根底にある、「何かを裏方で支えることが好き」という気持ちを知ったと思います。それが自分の人生にとってターニングポイントのひとつだといえるのです。



 そんなとき、1991年、『海のメルヘン大賞』が創設されました。このときの投稿作品は選外でした。翌年、第二回『海のメルヘン大賞』の公募が始まり、第一回の投稿作は展開が暗かったこともあり、明るい話を投稿しようとあれこれ考えていました。

 あっという間に、明日には郵送しないと間に合わないようになり(この頃メール投稿とかもないです)、また悪い癖でほとんど下書きせずに書き上げ、近所にまだ24時間のコンビニもなかったのでワープロで打ちなおして、ギリギリに発送。


 それがふたつめの人生の分岐点でした。




 大賞をもらってからの変化は別のトピックにわけることにします。




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 この文章は下記を2021年から2023年に書き直しました。

 https://namikawamisaki.hatenadiary.org/entry/20151207

 ■創作活動ふりかえりその2(1992年あたり)(はてなダイアリー)

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