第32話 姉とデート

「映画?」

「うん。ホントは友達と行く予定だったんだけど、体調が悪いからってキャンセルになったの」


 部誌の小説が完成してから最初の土曜日。姉貴がチケットを片手に言った。


「なんで相手が俺なんだよ。美優か萌絵と行けばいいだろ」

「美優ちゃんはバイトと日が重なっちゃって、萌絵は人の多いところ嫌いだから」

「それで俺を誘ったのか」

 

 姉貴は首肯した。乗り気にはなれないが、断るのはなぜかはばかれた。


「事情は分かったよ。そんで? いつ観に行くんだ」

「明日よ」


 さも当然のことのように姉貴は言う。もっと早く伝えられなかったのだろうか。




「雄輝、準備できた?」

「そこまで急がなくてもいいだろ。まだ九時だぞ」


 翌日、部屋の外から急かす姉貴に、俺は着替えながら返答した。まだ眠気も取れてないってのに。

 三分ほどして着替えが終わり、部屋を出ると、青のワンピース姿の姉貴が立っていた。顔はナチュラルメイクが施されており、髪もツヤがある。やる気が入っているのが見て窺えた。

 そんなことを思っていると、姉貴は俺を見て不満そうな表情を浮かべた。


「せっかくのデートなんだから、少しは外見に気を使ったらどうなの? 寝ぐせついたままじゃない」

「これデートなのか?」

「姉弟なんだから当たり前でしょ」


 姉貴の持論には賛同できないが、下手に反論すると火に油を注ぎそうなのでやめておこう。

 俺は姉貴と集合時間と場所を決めて一旦解散した。姉貴が集合場所に向かっている間に身なりを整える。チェックが完了して時刻を確認すると、午前九時半。


「そろそろ出るか」


 部屋を出てから萌絵に姉貴と映画鑑賞することを伝え、俺は家を出た。 

 待ち合わせの場所は自宅の最寄り駅。美優とデートしたときと同じところだ。

 駅に着くと姉貴は頬を膨らませて俺を睨んだ。今日は機嫌悪いな。


「女の子を待たせるなんていい度胸ね」

「姉貴が場所決めて先に家出たんだろうが」

 

 美優もそうだけど姉貴もマイペースだよな。

 

「とりあえず映画館に向かいましょ。はい」


 姉貴はそう言って、手を差し出した。いくら姉弟とはいえ、さすがに高校生になって手を繋ぐのは恥ずい。


「大丈夫よ。どうせ誰も見てないわ」

「すげぇ見られてんぞ」


 すでに多くの通行人がこちらに視線を向けている。ほとんどが姉貴だが、俺にも視線を向ける人も数人かいた。

 結局、姉貴は無言で手を引っ込め、俺に目配せした。よく分からんが助かった。

 映画館で観たのは、某少年雑誌で連載されていた大ヒット作品。タイトルは「き」から始まる。

 視聴中、姉貴はスクリーンに釘付け。意外な一面が見れたのは貴重な体験だった。本人には言わないけど。

 

「……んー、ずっと同じ姿勢だったから肩凝っちゃった。雄輝、揉んでくれない?」

「公共の場でそんなことできるか。目立つだろ」

 

 俺は嘆息した。もう映画は観おわったし、さっさと帰るか。


「さて、次はカラオケね」

「は? 帰らねぇのかよ」

「まだ時間あるもの。萌絵にも『夕方に帰る』って連絡を入れてるし、ちゃんと返信もあったから大丈夫」


 連絡? いつの間に入れてたんだ。


「雄輝が駅に来る前よ」


 姉貴はさらっと答える。心を読まれるのにも慣れてしまった。


「それじゃ、行きましょう」


 朝の不機嫌が嘘のように、姉貴は鼻歌を歌いながら歩きだした。感情の起伏が激しいなホント。

 カラオケボックスに入店から、姉貴はほぼ一人で歌っていた。俺は適当に合いの手を入れるが、姉貴の声量に掻き消された。何か鬱憤でも溜まっていたのだろうか。

 

「雄輝も歌いなさい。私ばっかりじゃない」

「姉貴がマイク独占してるから歌えねぇんだよ」


 マイクもう一本あるけどな。

 姉貴は俺が歌う気がないことを察したのか、机にマイクを置き、俺の隣に座った。

 

「少し休憩する」


 それからお互い黙り込んだ。沈黙は嫌いじゃない。


「……部誌の方は順調に進んでる?」

「ん? ああ、小説は完成したよ」

「そう」

「姉貴は?」

「イラストがまだ完成してない。描く時間があまり確保できなくて」


 家にいる間は専ら家事やってるしな。俺も手伝ってはいるが、全体の三割程度にすぎない。少し罪悪感を感じる。


「私に気を使わなくてもいいからね。雄輝は自分のやりたいことをやってくれれば、私は充分」


 姉貴ってこんな人だったっけ。最近は物騒なことも言わなくなったしな。……まあ、いいことだけど。

 

「さて、そろそろ帰りましょうか。萌絵も痺れを切らしてるだろうしね」


 そう言って、姉貴は腰を上げた。俺もそれにならう。

 

「今度は萌絵も連れてこようかな。映画館はダメかもしれないけど、カラオケなら問題ないでしょ」

「そうだな」


 姉貴はドアに手を掛けたところできびすを返した。忘れ物か?


「ねぇ、最後に一曲だけデュエットしていかない? 私、どうしても歌いたい曲があったの」

 

 まだ帰らんのかい。

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